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愛していると言えれば良いのに
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その日。中島透悟は、友人達とオシャレな居酒屋で楽しい時間を過ごしていた。建築士として携わった住宅が賞をとり、そのお祝いをしてくれたのだ。
「すげーよな。なんか、住む世界が違う感じ?」
「やめてくれよ。俺は、デザインしただけなんだから」
友人達のからかいに、透悟が照れ笑いを浮かべる。大きく垂れた瞳が母性本能をくすぐるようで、周囲の女性達が熱い視線を送る。
「でもさ、お前って昔は書道家目指してなかったか?」
高校時代からの友人が不思議そうに首を傾げる。
「え?本当?」
書道家という言葉に、女子達が早速食いついた。友人は、まるで自分の事のようにペラペラと透悟の過去を自慢する。
「けっこう有名だったんだぜ。将来は絶対に芸術方面に…」
「もう良いって」
透悟が慌てて止めに入る。小学生から始めた書道は、中学に入る頃には大人顔負けとなっていた。数々の大会で金賞を受賞し、著名な作家から弟子にならないかと誘われた事もあった。
透悟自身、自分には書道家の道しかないと思っていた。
「そういえば、お前。高3の時に、いきなり大会辞退したよな」
「え?ああ…」
透悟が言葉を濁す。高校生になってから、ずっと目標にしていた全国大会。だが、大会直前に透悟はある理由から辞退した。
「それで結局、アイツが金賞とったんだよ。えっと、なんていったっけ…」
と、唐突に透悟のスマホが鳴った。相手の名前を確認した透悟は、気まずそうに周囲を見回す。
「悪い。急用ができたんだ」
そう言って店を出ていく後ろ姿に、女性達がガッカリしたような声を出した。その様子に、誰かが口を開く。
「あいつ、彼女いるよ」
「嘘っ。誰?」
「さぁ。でも、あの感じだと年上かな」
友人達は、しばらく透悟の恋人について盛り上がった。
当の透悟は、タクシーであるマンションへと向かった。ホテルのように豪華なエントランスを横切って、慣れた手つきでエレベーターのボタンを押す。
一番上の手前の部屋。チャイムを押すとすぐにドアが開いた。
「早かったね」
ドアを開けたのは、細身で中性的な顔をした男だった。腰まで伸びた黒髪を、指で軽やかにかきあげる。色白の肌が、薄暗い室内では仄かに光って見える。バスローブ姿で、片手にはワイングラス。
「酔ってるのか?」
ワイングラスを奪い、透悟が嗜めるように言う。
「酔ってないよ。どれだけ飲んでも、眠れないんだ」
男の腕が柔らかく透悟を抱き寄せる。そのまま、流れるようにキスをしてきた。まるで、握手でもするかのように。
「眠らせて、くれるよね?」
囁きが、静かに室内に響く。透悟がドアを閉めると同時に、男の身体からバスローブが落ちた。2人は激しく唇を重ねながら、バスルームへと入った。
「んっ、んっ、あっ、はぁっ」
雨のように降るシャワーの中で、2人は激しくキスを繰り返した。互いの性器をしごき合いながら、何度も絶頂を迎えた。足元を、白い液体が混ざった水が流れていく。
「透悟…っ、透悟っ」
透悟と抱き合う男の名前は、西野要。若き書道家として、国内外の賞を総なめしている。その美貌から、テレビや雑誌のインタビューリクエストが後を立たない。本人は全く出る気がないらしく、その謎めいた私生活が注目されている。
「要。落ち着けって」
ひざまづいた要が、透悟の性器を根本まで口に含む。激しく吸ってくる要を、透悟が軽くたしなめた。
「気持ちいいくせに」
いたずらっ子のように、要が瞳を細める。
「そりゃあ、そうだけどさ」
「だったら、黙ってしゃぶられてよ」
ジュルッと要の美しい唇から卑猥な音が漏れ聞こえた。その音だけで、透悟は絶頂を迎えてしまった。細かく痙攣する下半身を、要が愛しそうに抱き締める。
「早く、入れて」
要の甘えるような言葉に、透悟はその軽い身体を抱き上げる。
「もっと、大きくしてからがよかったかな」
挿入すると、要がクスクス笑う。
「小さくて悪かったな」
要の足がしっかり胴に絡まったのを確認してから、透悟が腰を揺らした。
「いいか?いくぞ?」
「早く…っ、あっ、はぁっ、あ…んっ」
浴室に甘ったるい声が木霊する。要は、透悟の背中に爪を立てると自らも賢明に腰を揺すった。やがて、白い液体が互いの下半身を濡らす。
「透悟。僕を、愛してる?」
ハァハァと荒く息を吐きながら、要が不安そうに聞く。透悟は、要の濡れた前髪をかきあげた。
「…愛してるよ」
透悟の言葉に、要が嬉しそうに笑う。
その笑顔に、透悟は苦しそうに眉を寄せた。2人は、恋人同士ではない。ましてや、セフレなどという関係でもない。透悟は、兄の罪を償うために要を抱いているのだ。
透悟が高校1年生の時に、同じクラスの要と友達になった。肩まで伸びた黒髪と、キリッとした眼差し。その姿は、男の透悟から見ても美しいと思えた。互いに書道家を目指していて、いつも励まし合っていた。
「なぁ。今度の大会、どうする?」
「大会?無理無理、僕なんて…」
「要なら大丈夫だって。俺よりうまいじゃん」
そんな他愛ない話をしながら、透悟は要との時間が永遠に続けばいいと思った。とにかく楽しくて仕方なかったのだ。これまで、書道をしている友人はいなかった。だから、同じ目標を要が持っていると知った時には嬉しかった。
ある日。透悟は要から勉強を教わる事にした。英語が殆どダメだった透悟としては、かなり切羽詰まっていたのだ。
「授業料は高いぞ?」
そう言って、要が笑った。夏だったから、薄手の麻のシャツに爽やかな水色のデニムをはいていた。女の子みたいだとからかって、えらく怒られた。
その日は、暑くて暑くて。クーラーの音が心地よかった。
そして、透悟は思わぬ告白をされた。
「僕、透悟が好きなんだ」
どう返事をしたら良いか、透悟にはわからなかった。要の事は好きだが、それは友達としてだ。恋愛関係には、なる気はなかった。
「…ごめん。このまま、友達でいたい」
透悟の言葉に、要は一瞬だけ泣きそうな顔をした。だが、すぐにわかったと頷いた。
「このまま、友達でいるよ」
要は笑って頷いたが、透悟には泣いているように見えた。
「あ、飲み物買ってくるよ」
透悟は、階段を駆け下りて玄関へ向かった。なんだか、透悟と2人っきりでいるのが辛かったから。階段を駆け降りると、そこには兄の浩也がいた。既に社会人で、顔立ちもかなり精悍だった。
「客か?」
「あ、ああ。ダチが来てるんだ」
「へぇ」
透悟にとって、年が離れた浩也は自慢の兄だった。文武両道で、いつも大勢の取り巻きがいた。とても、優しい兄だった。だから、安心して出掛けた。帰宅した透悟は、部屋のドアを開けたまま固まった。そこには、要に覆い被さる浩也がいた。見た事もない、野獣のような顔で…。グッタリと横たわる要に、血の気が引いた。
「要…っ」
汚れた下半身に、何があったかなんてすぐにわかった。透悟は、浩也を要から引き剥がすと必死に名前を呼んだ。揺さぶれば、僅かに要が身動ぎする。
その後。この事は両家だけの話し合いで解決した。
「どうか、どうかこの事は公にしないでください…っ」
怒りを抑えながら、深々と頭を下げる両親を見ているのが辛かった。
要の両親も、その考えに同意した。
「要にも将来があります。2度と、このような事がないようにしてくださいっ」
息子が男に犯されたなど、知られたくはなかったのだろう。要の両親は、悔しげに唇を噛み締めて帰っていった。浩也の罪は、誰にも罰せられる事はなかったのだ。
「あの子が悪いんだ。オレを涙で誘ったりして…。だから、オレは…」
浩也は、虚ろな瞳で同じ言葉を繰り返した。透悟は、それから2度と浩也と口をきく事はなかった。透悟は、頻繁に要の家を訪れた。最初は追い返されたが、諦めなかった。
そんなある日。要の母親が血相変えて飛んできた。要がいなくなったと言うのだ。
透悟は、要が好きだと言っていた小さな公園を思い出した。古い遊具しかなく、誰も利用しなくなった公園。そこから見る夕陽が、とても好きなのだといつも言っていた。透悟は、何度も浮かぶ可能性を否定した。否定しながら、それでも走らずにはいられなかった。夜の冷たい風の中、透悟は要の名前を叫び続けた。
「要っ」
要は、公園にいた。両手を広げて、まるで空でも飛び立とうとするかのように。公園の下は崖になっていて、遠くには街の灯りが見える。要は、禁止と書かれた柵を越えていた。何をしようとしているかなんて、一目でわかってしまった。
「やめろっ」
透悟は走って、その身体をしっかりと抱き締めた。元から細かった要の身体は、更に痩せ細っていた。少しでも力を入れれば折れてしまいそうで、透悟は涙が溢れた。要が慌てたようにもがき、腕からすり抜けようとする。透悟は、何度も謝りながら要を抱き締め続けた。
「離せっ。離してくれっ」
透悟は、芝生に額を押し付けながら何度も何度も謝った。兄の事を許してくれと叫んだ。要の平手が透悟の頬を打った。綺麗な要の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
「許せると思うのかっ?好きな奴の前で、あんな屈辱…っ。こんな自分を、許せると?」
「わかってるっ。でも、頼むっ」
透悟の言葉に、要が力なく崩れ落ちた。
「だったら、今日から僕のものになってよ。僕を、愛してよ」
顔を上げた要の、やつれた頬に透悟は手を添えた。
「わかった。今日から俺は、要のものだ」
透悟は、要に求められるまま身体を繋いだ。要の要求を、透悟が断れるはずがなかった。
その日から、透悟の全ては要のものになった。要に呼び出されれば、いつでも飛んでいって彼を抱いた。
「こんな形で、透悟に抱いてもらえるなんて思わなかったな」
そう言って、要は自虐的に笑った。透悟の自由を奪う事で、要は満足感を味わっているようだった。
そうして、ズルズルと訳のわからない関係は続いた。
(俺達は、いつまでこんな関係を続けなきゃいけないんだろう)
眠る要を抱き締めながら、透悟はそんな事を考えていた。最初は、嫌々だった。女の子とキスもした事がなかったのだ。初めてが男なんてと、落ち込んだ事もあった。だが、今は違う。要から呼び出される事を、内心喜んでいたのだ。そんな自分が許せず、書道の道も断った。
(俺は、ズルい)
罪滅ぼしなんていって、本当は要の側にいたいだけだった。透悟にとって、いつしか要は全てになった。振り回されても、無理な事を言われても叶えてあげたかった。恋人として接したいと思った。兄の罪を償うためじゃない。1人の男として要を抱きたかった。
だが、もしも透悟が告白をしても要は信じないだろう。要は、きっともう誰も信じてはいない。透悟が「好きだ」と言った瞬間に、この恋は終わるような気がした。
透悟にできる事は、自分の気持ちを隠す事だった。愛していると伝えない代わりに、彼を縛る過去の鎖を断ち切りたかったのだ。自分の気持ちを伝えれば、要を更に縛りつける事になる。
透悟は、要を優しく抱き寄せて眠りについた。
(僕は、ズルい)
透悟の寝息を確認してから、要はゆっくり目を開けた。そして、自分を抱き締める腕に安堵する。今夜も、透悟は側にいてくれた。
(いつまで、透悟を縛るつもりなんだ?)
要は、いつものように自問した。だが、答えが出ない。
親友だった透悟に、気がついたら恋をしていた。いつも太陽のように明るい透悟が、とにかく眩しくて眩しくて愛しかった。一緒にいるだけで、良かったのだ。だが、気持ちを抑える事ができなかった。もしかしたら、透悟も自分の事を…などという都合の良い考えに胸を踊らせた。
あの日。
勇気を振り絞った告白は、予想通りの結果を迎えた。嫌われなかっただけマシだと自分を慰めたが、涙が止まらなかった。そこに、あの男が来たのだ。
『君、かわいいね』
要は、透悟の兄によって身体を奪われた。手で口を塞がれ、衣服を剥がされた。逃げようともがいたが、無理矢理押さえつけられ性器をねじ込まれたのだ。男の自分が、男によって犯されたのだ。
激しく出し入れされる性器の感触に、要は意識を飛ばした。気がついた時、透悟が泣きながら謝っていた。
好きでもない男に抱かれた記憶は、要を毎日のように追い詰めた。忘れようとしても、忘れられない。恐怖や怒り、そして虚しさ。要は、そんな毎日に絶望した。だから、人生を諦めようと決めた。透悟と一緒に過ごした、あの公園で…。だが、透悟が探してくれた。抱き締めてくれたのだ。
『要のためなら、なんでもする』
その言葉通り、透悟はいつでも要を抱いてくれた。要が満足するまで。
愛しているかと聞けば、必ず愛していると答えてくれた。嘘でも、嬉しかったのだ。だが、透悟が全てを捧げてくれるとは思っていなかった。まさか、筆を置くなんて…。
『もう書道には興味なくなったから』
そう言って、透悟は笑っていた。その言葉が嘘だという事を、要は知っている。透悟が書道を辞めた事で、要は念願だった金賞を受賞した。そして、書道家の道を歩めたのだ。
贖罪のつもりなのだろう。身体も、心も、夢も。透悟は何もかもを捨てた。兄の代わりに…。だが、要が望んだのはそうではない。そうではないのだ。
(僕は、どうしたらいいんだろう)
透悟に抱かれる度に、錯覚してしまう。もしかしたら、自分は本当に愛されているのではないかと。
深くキスをする度に、互いの性器を愛撫する度に本物の恋人のような気がしてしまう。
(透悟は優しいから、断れないだけなんだ)
要は、何度も何度も自分に言い聞かせた。どれだけ抱かれても、愛されているわけではないのだと。だが、気がつけば透悟を呼び出している。そして、抱かれている。
(もう少しだけ、このままでいたかったな)
要は、眠る透悟にキスをした。言葉にできない想いを伝えるように…。
(今夜で、終わりだ。ありがとう、透悟)
要は、バスルームへと向かった。あれからもう10年。そろそろ透悟を自由にさせてやりたかった。
「ん…」
目を覚ました透悟は、隣に要がいない事に気がつき青ざめた。慌ててキョロキョロ見回せば、要が朝食の準備をしている。だが、その姿は…。
「おはよう。透悟」
「…要。その髪は?」
長かった黒髪は、バッサリと短く切ってあった。
「透悟。これまで、ありがとう」
要が晴れやかに笑う。
「今日から、また友達に戻ろう」
それは、透悟がかつて望んでいた事だった。だが、今は違う。透悟は青ざめた表情で要を抱き締めた。
「透悟?」
「俺を、嫌いになったのか?だから、そんな…」
透悟の慌てように、要こそ焦った。予想外の展開なのだ。
「な、何言ってるの?透悟は、もう自由なんだよ。もう、僕をいやいや抱かなくても…」
「いやいやなんかじゃないっ」
透悟がきつく要を抱き締める。
「最初は、確かにいやいやだった。でも、やっとわかったんだ。要がいなきゃ、俺の方が駄目なんだって…」
透悟の不器用な告白に、要は瞳を潤ませた。背中に回した腕に、自然と力がこもる。
「好きだよ。要」
「…透悟」
「好きなんだ」
透悟と要は、自然と唇を重ねた。貪るようなキスじゃない。想いを伝え合うような、穏やかなキスだった。
「すげーよな。なんか、住む世界が違う感じ?」
「やめてくれよ。俺は、デザインしただけなんだから」
友人達のからかいに、透悟が照れ笑いを浮かべる。大きく垂れた瞳が母性本能をくすぐるようで、周囲の女性達が熱い視線を送る。
「でもさ、お前って昔は書道家目指してなかったか?」
高校時代からの友人が不思議そうに首を傾げる。
「え?本当?」
書道家という言葉に、女子達が早速食いついた。友人は、まるで自分の事のようにペラペラと透悟の過去を自慢する。
「けっこう有名だったんだぜ。将来は絶対に芸術方面に…」
「もう良いって」
透悟が慌てて止めに入る。小学生から始めた書道は、中学に入る頃には大人顔負けとなっていた。数々の大会で金賞を受賞し、著名な作家から弟子にならないかと誘われた事もあった。
透悟自身、自分には書道家の道しかないと思っていた。
「そういえば、お前。高3の時に、いきなり大会辞退したよな」
「え?ああ…」
透悟が言葉を濁す。高校生になってから、ずっと目標にしていた全国大会。だが、大会直前に透悟はある理由から辞退した。
「それで結局、アイツが金賞とったんだよ。えっと、なんていったっけ…」
と、唐突に透悟のスマホが鳴った。相手の名前を確認した透悟は、気まずそうに周囲を見回す。
「悪い。急用ができたんだ」
そう言って店を出ていく後ろ姿に、女性達がガッカリしたような声を出した。その様子に、誰かが口を開く。
「あいつ、彼女いるよ」
「嘘っ。誰?」
「さぁ。でも、あの感じだと年上かな」
友人達は、しばらく透悟の恋人について盛り上がった。
当の透悟は、タクシーであるマンションへと向かった。ホテルのように豪華なエントランスを横切って、慣れた手つきでエレベーターのボタンを押す。
一番上の手前の部屋。チャイムを押すとすぐにドアが開いた。
「早かったね」
ドアを開けたのは、細身で中性的な顔をした男だった。腰まで伸びた黒髪を、指で軽やかにかきあげる。色白の肌が、薄暗い室内では仄かに光って見える。バスローブ姿で、片手にはワイングラス。
「酔ってるのか?」
ワイングラスを奪い、透悟が嗜めるように言う。
「酔ってないよ。どれだけ飲んでも、眠れないんだ」
男の腕が柔らかく透悟を抱き寄せる。そのまま、流れるようにキスをしてきた。まるで、握手でもするかのように。
「眠らせて、くれるよね?」
囁きが、静かに室内に響く。透悟がドアを閉めると同時に、男の身体からバスローブが落ちた。2人は激しく唇を重ねながら、バスルームへと入った。
「んっ、んっ、あっ、はぁっ」
雨のように降るシャワーの中で、2人は激しくキスを繰り返した。互いの性器をしごき合いながら、何度も絶頂を迎えた。足元を、白い液体が混ざった水が流れていく。
「透悟…っ、透悟っ」
透悟と抱き合う男の名前は、西野要。若き書道家として、国内外の賞を総なめしている。その美貌から、テレビや雑誌のインタビューリクエストが後を立たない。本人は全く出る気がないらしく、その謎めいた私生活が注目されている。
「要。落ち着けって」
ひざまづいた要が、透悟の性器を根本まで口に含む。激しく吸ってくる要を、透悟が軽くたしなめた。
「気持ちいいくせに」
いたずらっ子のように、要が瞳を細める。
「そりゃあ、そうだけどさ」
「だったら、黙ってしゃぶられてよ」
ジュルッと要の美しい唇から卑猥な音が漏れ聞こえた。その音だけで、透悟は絶頂を迎えてしまった。細かく痙攣する下半身を、要が愛しそうに抱き締める。
「早く、入れて」
要の甘えるような言葉に、透悟はその軽い身体を抱き上げる。
「もっと、大きくしてからがよかったかな」
挿入すると、要がクスクス笑う。
「小さくて悪かったな」
要の足がしっかり胴に絡まったのを確認してから、透悟が腰を揺らした。
「いいか?いくぞ?」
「早く…っ、あっ、はぁっ、あ…んっ」
浴室に甘ったるい声が木霊する。要は、透悟の背中に爪を立てると自らも賢明に腰を揺すった。やがて、白い液体が互いの下半身を濡らす。
「透悟。僕を、愛してる?」
ハァハァと荒く息を吐きながら、要が不安そうに聞く。透悟は、要の濡れた前髪をかきあげた。
「…愛してるよ」
透悟の言葉に、要が嬉しそうに笑う。
その笑顔に、透悟は苦しそうに眉を寄せた。2人は、恋人同士ではない。ましてや、セフレなどという関係でもない。透悟は、兄の罪を償うために要を抱いているのだ。
透悟が高校1年生の時に、同じクラスの要と友達になった。肩まで伸びた黒髪と、キリッとした眼差し。その姿は、男の透悟から見ても美しいと思えた。互いに書道家を目指していて、いつも励まし合っていた。
「なぁ。今度の大会、どうする?」
「大会?無理無理、僕なんて…」
「要なら大丈夫だって。俺よりうまいじゃん」
そんな他愛ない話をしながら、透悟は要との時間が永遠に続けばいいと思った。とにかく楽しくて仕方なかったのだ。これまで、書道をしている友人はいなかった。だから、同じ目標を要が持っていると知った時には嬉しかった。
ある日。透悟は要から勉強を教わる事にした。英語が殆どダメだった透悟としては、かなり切羽詰まっていたのだ。
「授業料は高いぞ?」
そう言って、要が笑った。夏だったから、薄手の麻のシャツに爽やかな水色のデニムをはいていた。女の子みたいだとからかって、えらく怒られた。
その日は、暑くて暑くて。クーラーの音が心地よかった。
そして、透悟は思わぬ告白をされた。
「僕、透悟が好きなんだ」
どう返事をしたら良いか、透悟にはわからなかった。要の事は好きだが、それは友達としてだ。恋愛関係には、なる気はなかった。
「…ごめん。このまま、友達でいたい」
透悟の言葉に、要は一瞬だけ泣きそうな顔をした。だが、すぐにわかったと頷いた。
「このまま、友達でいるよ」
要は笑って頷いたが、透悟には泣いているように見えた。
「あ、飲み物買ってくるよ」
透悟は、階段を駆け下りて玄関へ向かった。なんだか、透悟と2人っきりでいるのが辛かったから。階段を駆け降りると、そこには兄の浩也がいた。既に社会人で、顔立ちもかなり精悍だった。
「客か?」
「あ、ああ。ダチが来てるんだ」
「へぇ」
透悟にとって、年が離れた浩也は自慢の兄だった。文武両道で、いつも大勢の取り巻きがいた。とても、優しい兄だった。だから、安心して出掛けた。帰宅した透悟は、部屋のドアを開けたまま固まった。そこには、要に覆い被さる浩也がいた。見た事もない、野獣のような顔で…。グッタリと横たわる要に、血の気が引いた。
「要…っ」
汚れた下半身に、何があったかなんてすぐにわかった。透悟は、浩也を要から引き剥がすと必死に名前を呼んだ。揺さぶれば、僅かに要が身動ぎする。
その後。この事は両家だけの話し合いで解決した。
「どうか、どうかこの事は公にしないでください…っ」
怒りを抑えながら、深々と頭を下げる両親を見ているのが辛かった。
要の両親も、その考えに同意した。
「要にも将来があります。2度と、このような事がないようにしてくださいっ」
息子が男に犯されたなど、知られたくはなかったのだろう。要の両親は、悔しげに唇を噛み締めて帰っていった。浩也の罪は、誰にも罰せられる事はなかったのだ。
「あの子が悪いんだ。オレを涙で誘ったりして…。だから、オレは…」
浩也は、虚ろな瞳で同じ言葉を繰り返した。透悟は、それから2度と浩也と口をきく事はなかった。透悟は、頻繁に要の家を訪れた。最初は追い返されたが、諦めなかった。
そんなある日。要の母親が血相変えて飛んできた。要がいなくなったと言うのだ。
透悟は、要が好きだと言っていた小さな公園を思い出した。古い遊具しかなく、誰も利用しなくなった公園。そこから見る夕陽が、とても好きなのだといつも言っていた。透悟は、何度も浮かぶ可能性を否定した。否定しながら、それでも走らずにはいられなかった。夜の冷たい風の中、透悟は要の名前を叫び続けた。
「要っ」
要は、公園にいた。両手を広げて、まるで空でも飛び立とうとするかのように。公園の下は崖になっていて、遠くには街の灯りが見える。要は、禁止と書かれた柵を越えていた。何をしようとしているかなんて、一目でわかってしまった。
「やめろっ」
透悟は走って、その身体をしっかりと抱き締めた。元から細かった要の身体は、更に痩せ細っていた。少しでも力を入れれば折れてしまいそうで、透悟は涙が溢れた。要が慌てたようにもがき、腕からすり抜けようとする。透悟は、何度も謝りながら要を抱き締め続けた。
「離せっ。離してくれっ」
透悟は、芝生に額を押し付けながら何度も何度も謝った。兄の事を許してくれと叫んだ。要の平手が透悟の頬を打った。綺麗な要の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
「許せると思うのかっ?好きな奴の前で、あんな屈辱…っ。こんな自分を、許せると?」
「わかってるっ。でも、頼むっ」
透悟の言葉に、要が力なく崩れ落ちた。
「だったら、今日から僕のものになってよ。僕を、愛してよ」
顔を上げた要の、やつれた頬に透悟は手を添えた。
「わかった。今日から俺は、要のものだ」
透悟は、要に求められるまま身体を繋いだ。要の要求を、透悟が断れるはずがなかった。
その日から、透悟の全ては要のものになった。要に呼び出されれば、いつでも飛んでいって彼を抱いた。
「こんな形で、透悟に抱いてもらえるなんて思わなかったな」
そう言って、要は自虐的に笑った。透悟の自由を奪う事で、要は満足感を味わっているようだった。
そうして、ズルズルと訳のわからない関係は続いた。
(俺達は、いつまでこんな関係を続けなきゃいけないんだろう)
眠る要を抱き締めながら、透悟はそんな事を考えていた。最初は、嫌々だった。女の子とキスもした事がなかったのだ。初めてが男なんてと、落ち込んだ事もあった。だが、今は違う。要から呼び出される事を、内心喜んでいたのだ。そんな自分が許せず、書道の道も断った。
(俺は、ズルい)
罪滅ぼしなんていって、本当は要の側にいたいだけだった。透悟にとって、いつしか要は全てになった。振り回されても、無理な事を言われても叶えてあげたかった。恋人として接したいと思った。兄の罪を償うためじゃない。1人の男として要を抱きたかった。
だが、もしも透悟が告白をしても要は信じないだろう。要は、きっともう誰も信じてはいない。透悟が「好きだ」と言った瞬間に、この恋は終わるような気がした。
透悟にできる事は、自分の気持ちを隠す事だった。愛していると伝えない代わりに、彼を縛る過去の鎖を断ち切りたかったのだ。自分の気持ちを伝えれば、要を更に縛りつける事になる。
透悟は、要を優しく抱き寄せて眠りについた。
(僕は、ズルい)
透悟の寝息を確認してから、要はゆっくり目を開けた。そして、自分を抱き締める腕に安堵する。今夜も、透悟は側にいてくれた。
(いつまで、透悟を縛るつもりなんだ?)
要は、いつものように自問した。だが、答えが出ない。
親友だった透悟に、気がついたら恋をしていた。いつも太陽のように明るい透悟が、とにかく眩しくて眩しくて愛しかった。一緒にいるだけで、良かったのだ。だが、気持ちを抑える事ができなかった。もしかしたら、透悟も自分の事を…などという都合の良い考えに胸を踊らせた。
あの日。
勇気を振り絞った告白は、予想通りの結果を迎えた。嫌われなかっただけマシだと自分を慰めたが、涙が止まらなかった。そこに、あの男が来たのだ。
『君、かわいいね』
要は、透悟の兄によって身体を奪われた。手で口を塞がれ、衣服を剥がされた。逃げようともがいたが、無理矢理押さえつけられ性器をねじ込まれたのだ。男の自分が、男によって犯されたのだ。
激しく出し入れされる性器の感触に、要は意識を飛ばした。気がついた時、透悟が泣きながら謝っていた。
好きでもない男に抱かれた記憶は、要を毎日のように追い詰めた。忘れようとしても、忘れられない。恐怖や怒り、そして虚しさ。要は、そんな毎日に絶望した。だから、人生を諦めようと決めた。透悟と一緒に過ごした、あの公園で…。だが、透悟が探してくれた。抱き締めてくれたのだ。
『要のためなら、なんでもする』
その言葉通り、透悟はいつでも要を抱いてくれた。要が満足するまで。
愛しているかと聞けば、必ず愛していると答えてくれた。嘘でも、嬉しかったのだ。だが、透悟が全てを捧げてくれるとは思っていなかった。まさか、筆を置くなんて…。
『もう書道には興味なくなったから』
そう言って、透悟は笑っていた。その言葉が嘘だという事を、要は知っている。透悟が書道を辞めた事で、要は念願だった金賞を受賞した。そして、書道家の道を歩めたのだ。
贖罪のつもりなのだろう。身体も、心も、夢も。透悟は何もかもを捨てた。兄の代わりに…。だが、要が望んだのはそうではない。そうではないのだ。
(僕は、どうしたらいいんだろう)
透悟に抱かれる度に、錯覚してしまう。もしかしたら、自分は本当に愛されているのではないかと。
深くキスをする度に、互いの性器を愛撫する度に本物の恋人のような気がしてしまう。
(透悟は優しいから、断れないだけなんだ)
要は、何度も何度も自分に言い聞かせた。どれだけ抱かれても、愛されているわけではないのだと。だが、気がつけば透悟を呼び出している。そして、抱かれている。
(もう少しだけ、このままでいたかったな)
要は、眠る透悟にキスをした。言葉にできない想いを伝えるように…。
(今夜で、終わりだ。ありがとう、透悟)
要は、バスルームへと向かった。あれからもう10年。そろそろ透悟を自由にさせてやりたかった。
「ん…」
目を覚ました透悟は、隣に要がいない事に気がつき青ざめた。慌ててキョロキョロ見回せば、要が朝食の準備をしている。だが、その姿は…。
「おはよう。透悟」
「…要。その髪は?」
長かった黒髪は、バッサリと短く切ってあった。
「透悟。これまで、ありがとう」
要が晴れやかに笑う。
「今日から、また友達に戻ろう」
それは、透悟がかつて望んでいた事だった。だが、今は違う。透悟は青ざめた表情で要を抱き締めた。
「透悟?」
「俺を、嫌いになったのか?だから、そんな…」
透悟の慌てように、要こそ焦った。予想外の展開なのだ。
「な、何言ってるの?透悟は、もう自由なんだよ。もう、僕をいやいや抱かなくても…」
「いやいやなんかじゃないっ」
透悟がきつく要を抱き締める。
「最初は、確かにいやいやだった。でも、やっとわかったんだ。要がいなきゃ、俺の方が駄目なんだって…」
透悟の不器用な告白に、要は瞳を潤ませた。背中に回した腕に、自然と力がこもる。
「好きだよ。要」
「…透悟」
「好きなんだ」
透悟と要は、自然と唇を重ねた。貪るようなキスじゃない。想いを伝え合うような、穏やかなキスだった。
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須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
【完結済み】準ヒロインに転生したビッチだけど出番終わったから好きにします。
mamaマリナ
BL
【完結済み、番外編投稿予定】
別れ話の途中で転生したこと思い出した。でも、シナリオの最後のシーンだからこれから好きにしていいよね。ビッチの本領発揮します。
台風の目はどこだ
あこ
BL
とある学園で生徒会会長を務める本多政輝は、数年に一度起きる原因不明の体調不良により入院をする事に。
政輝の恋人が入院先に居座るのもいつものこと。
そんな入院生活中、二人がいない学園では嵐が吹き荒れていた。
✔︎ いわゆる全寮制王道学園が舞台
✔︎ 私の見果てぬ夢である『王道脇』を書こうとしたら、こうなりました(2019/05/11に書きました)
✔︎ 風紀委員会委員長×生徒会会長様
✔︎ 恋人がいないと充電切れする委員長様
✔︎ 時々原因不明の体調不良で入院する会長様
✔︎ 会長様を見守るオカン気味な副会長様
✔︎ アンチくんや他の役員はかけらほども出てきません。
✔︎ ギャクになるといいなと思って書きました(目標にしましたが、叶いませんでした)
花が促すプログレス
猫宮乾
BL
聖ダフネ学園の風紀委員長をしている俺(水理砂緒)は、生徒会長の高萩七彩とは険悪な仲だ。けれど俺達は幼なじみで、離れる前に俺は高萩に初恋をし、今もその想いを引きずっている。そんなある日、学園に三年に一度だけ咲くという想現草と遭遇する。この花は、恋が叶う花と言われているのだが、まさか実在するとは――※王道学園(非王道)の会長×風紀委員長のお話です。夏芽玉様主催の「#恋が叶う花BL」Twitter企画参加作品です。
俺の体に無数の噛み跡。何度も言うが俺はαだからな?!いくら噛んでも、番にはなれないんだぜ?!
汀
BL
背も小さくて、オメガのようにフェロモンを振りまいてしまうアルファの睟。そんな特異体質のせいで、馬鹿なアルファに体を噛まれまくるある日、クラス委員の落合が………!!
親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。
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