花のように美しく、雪のように優しく

すいかちゃん

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第四話

結婚前夜

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こんな日に限って眠れない。
高橋誠太郎は、カチカチとうるさい目覚まし時計を睨みつけた。
(水でも飲むか)
横で眠る妻を起こさないように、そっと布団から出る。足音を立てないように1階へ降りて、冷やしておいた麦茶を一気に煽る。2階へ戻ろうとして、ふと客間へ視線を向ける。
そこには、鮮やかな白無垢が飾られていた。今日、一人娘の唯愛はこれを着て結婚式を挙げる。
(いつの間にか、そんな年になったんだな)
誠太郎は、眩しそうに目を細めた。こんな早く、娘が嫁ぐ日が来るなど思ってもいなかった。
(日本一、いや、世界一の花嫁になるな)
自分に似なくて良かったと、誠太郎は口元を和らげた。ふと、テーブルの上に目が留まる。そこには、古いアルバムが置かれていた。何気なく捲れば、そこには幼い頃の唯愛が写っている。
(こんなに小さかったのか)
真由美の腕の中で笑っている唯愛。その下には、誠太郎の字で『2800グラム、少し小さい』と書かれていた。壊れそうな小さな体を抱き締めた時、誠太郎は訳もなく胸が熱くなった事を今でも覚えている。真由美と2人で、おっかなびっくり子育てをしてきた。育児書を何冊買ったかわからない。初めてお風呂に入れた時には落とさないように必死だったし、夜泣きをすれば何時間でも抱っこしていた。どれもこれも、まるで昨日の事のように覚えている。
ページを捲る度に、家族の思い出が甦ってきた。だが、徐々に写真を撮る頻度は減っていった。誠太郎が建築会社に転職をし、忙しい日々を送るようになったからだ。動物園や遊園地にも、連れて行ってはやれなかった。
「運動会の写真か。結局、1度も見に行ってやれなかったな」
そこには、一等の旗を持った唯愛がいた。どことなく寂しそうに見える。
建築関係の仕事をしている誠太郎は、サラリーマンのように土日に休めるわけではない。そのため、唯愛の学校行事に参加した事は1度もなかった。
入学式や卒業式、主役をした学芸会も見てやれなかった。本当は見たかったが、仕事を優先してきた。それが家族のためと思っていたからだ。

『お父さんなんか大嫌いっ。私の事なんて、どうでもいいんでしょっ』

1度だけ、唯愛に泣きながら言われた事がある。あれは、父親参観日の朝だった。急な仕事で行けなくなったと言うと、唯愛が泣きながら叫んだのだ。働く父親の気持ちを理解されず、怒りと哀しみが胸に広がった。それから、数ヶ月。口をきかない日々が続いた。
「あの時、俺の方から謝ればよかったな」
誠太郎は、過去の自分を恥じた。あの時は、黙って背中を向ける事しかできなかったのだ。
唯愛が思春期に入った事もあり、親子の距離はますます開いてしまった。
「俺に似て、意地っ張りだからな」
大学入試に失敗した日。唯愛は1人で泣いていた。慰めてやる言葉も見つからず、その場を立ち去ってしまった。父親として何もしてやれなかった事に、不甲斐なさを感じた。
「何もしてやれなくて、ごめんな」
口下手な誠太郎は、気のきいた言葉さえかけてやれなかった。励ましたくても、どうしたらいいのかわからなかったのだ。
ページを捲ると、唯愛の横に1人の青年が立っている。唯愛と結婚する早川慶太だ。
「最初は、気に入らなかったがな。いや、今も気に入らないな」
慶太は、真面目そうだがヒョロヒョロして頼りっけがない。こんな男に、大切な1人娘を渡せるかと思った。だが、唯愛を誰よりも理解し、愛してくれる男だとわかった。わかったから、余計に渡したくなかった。だが、自分もそうだった。妻の父親には、嫌われ続けたものだ。
「幸せになれよ」
呟いた瞬間。誠太郎の瞳から、ポロッと一粒の涙がこぼれた。時なんてあっという間だ。両手に収まるぐらいの小さな赤子は、いつしか花嫁衣装を着る年齢になったのだ。
「辛くなったら、いつでも帰ってこいよ」
直接本人には言えない言葉を、白無垢に向かって呟く。世界中を敵に回す事になろうとも、唯愛の味方でいよう。いつでも帰ってこれる場所を作ってやろう。誠太郎は、目元を指で拭った。誰もいないのに、ゴミが目に入ったと言い訳しながら。
「花嫁の挨拶なんてするなよ」
唯愛の前では、強い父親でいさせてくれ。泣かさないでくれ。誠太郎の切なる願いだった。
「結婚。おめでとう」
誠太郎は、白無垢を見上げて優しく微笑んだ。
世界一かわいい娘が着るにふさわしい、豪華で美しい花嫁衣装を。

(お父さん)
唯愛は、泣きそうになるのを堪えてそっと自室に向かった。明日は結婚式。緊張から眠れず、そっと階段を降りた。その時、客間から光が漏れている事に気が付いた。覗けば、誠太郎が白無垢を見つめていた。
(ズルいよ。あんな姿見せるなんて)
唯愛が知っている父親というのは、頑固で意地っ張りで無口な人物だ。あんな優しい笑みを浮かべる人物じゃない。あんな、寂しそうな顔をする人じゃない。
昨夜。唯愛は、母親の真由美とアルバムを見ながら思い出を語った。
「あー、緊張するぅ」
唯愛の言葉に、真由美が笑う。
「大丈夫よ。あっという間よ」
客間に飾られた白無垢を見つめて、唯愛が何度目になるかわからない溜め息を吐いた。明日。この花嫁衣装を着て結婚式を挙げる。美しい刺繍が施された白無垢は、まるで真珠のように輝いていた。だが、唯愛の心はどこか晴れない。
「変なの。嬉しいはずなのに」
結婚式の前の日というのは、もっとウキウキすると思っていた。なのに、唯愛の心は不安の方が強かった。正直に言えば、結婚自体止めたかった。別に、遠くへ行くわけではない。車で30分たらずのマンションに引っ越すだけなのだ。なのに、両親と住むこの家を離れたくないと思ってしまう。唯愛は、白無垢を見つめたまま唇を噛んだ。
真由美は、唯愛の複雑そうな表情を見て目元を和らげた。
「この家を離れたくないんでしょ」
「どうしてわかるの?」
「お母さんも、そうだったから」
「なんで、こんなに寂しいんだろう」
柱の傷や壁の汚れさえ、今は全てが愛おしい。
「懐かしいわ。あなたが生まれた日が、ついこの間の事のよう」
唯愛は、赤ん坊の自分を見つめた。
「2800グラムって、小さいの?」
「ええ。あなたは、少しだけ早く生まれたから。お父さんったら、心配だってうるさかったわ」
「そうなの?」
意外だった。父親の誠太郎は、とにかく忙しい人だった。運動会や学芸会に来てくれた事はなかったし、父親参観日もすっぽかした。家族より、仕事が大事なのだと唯愛はずっと思っていた。大嫌いと怒鳴った事さえあった。
「あの人は、無口だから」
真由美が苦笑する。そして、唯愛がこれまで知らなかった誠太郎の素顔を教えてくれた。汗だくになりながら風呂に入れた事や、夜中に唯愛をあやした事。
「あなたの事を、いつも気にかけていたわよ。溺愛って言っても良かった」
「そう、なんだ」
唯愛は、高校生になった頃から父親とは話さなくなった。1度できてしまった溝は、簡単には埋まらなかったのだ。
「あなたも、慶太君と家庭を築いたらわかるわ。お父さんにそっくりだもの」
アルバムの最後のページには、唯愛を愛してくれる男が写っていた。
「慶太とお父さんが?似てないよ」
草食系の慶太と亭主関白の父親では、似ても似つかなかった。「あなたにもわかるわ。あの人、涙もろくて臆病なのよ」
その時は、母親の言葉がよくわからなかった。

「ずっと、心配しててくれたんだ」
先程の誠太郎の表情を思い出し、唯愛が笑う。笑いながら、涙を拭った。
「私、愛されてたんだ」
呟いた瞬間。ポロポロと涙が溢れた。

「お父さん、お母さん。今日まで育ててくださって、ありがとうございます」
結婚式当日。白無垢に着替えた唯愛が挨拶をする。誠太郎は、背中を向けたままだった。
「何かあっても、帰ってくんなよ」
ボソッと誠太郎が呟く。その声は震えていた。
「はい。お父さん」
唯愛は、涙を浮かべながら頭を下げた。外では、慶太が緊張しながら待っている。
唯愛は、静かに玄関を出た。
その笑顔は、とても晴れ晴れとしていた。


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