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クールな秘書は、カフェの店長の愛に身を委ねる

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恋なんて、なんの意味があるのだろう。好きになったって、いつかその『好き』は終わる。だったら、最初からしなければいいのに。恋をしなければ、傷つく事も泣く事もない。
だから、誰にも恋はしない。自分の心を守るために…。

「社長。本当に、ここでよろしいんですか?」
駅の前で車を停めた谷村弘貴は、後部座席に座る男をバックミラー越しに見た。彼の名前は藤田敦久。大企業の社長令息で、本人も若くして会社経営を成功させている。現在では、『ティータイム』というカフェのオーナーをしていてその敏腕ぶりは業界でも有名だ。弘貴は、彼の秘書として数年前から仕えている。
弘貴が敦久に仕えているのは、敦久が人間的に尊敬できるからだ。彼の言葉なら、何だって信じられた。だが、最近の敦久の行動だけは弘貫には理解できない。わざわざ遠く離れた駅から電車に乗って出勤する必要が、どこにあるというのだろう。
「ここでいいんだ。ご苦労さま」
やたら嬉しそうに駅へと向かう背中に、弘貴は首を傾げた。敦久が満員電車に乗る理由。それは、恋人と出勤するためだ。そのために、わざわざ満員電車で通勤するのだ。
(恋は人を変えるというが…)
弘貴が知っている敦久は、こんな男ではなかった。こんな感情的な部分があるなんて知らなかった。
(…あの人も、一体何を考えているのやら)
会社へ着いた弘貴は、メールを確認し溜め息を吐いた。そこには、たくさんのハートマークが並んでいる。
(店長というのは、よほど暇らしい)
乙女チックなメールの送り主は、柳下友康。敦久が手掛けるカフェ『ティータイム』の店長で、弘貴に告白してきた男だ。
(俺なんかのどこがいいんだろう?)
弘貴は、鏡が嫌いだ。暗くて、無気力な自分の顔が見えるから。日焼けしないタイプで、肌は年中青白い。肉付きも悪く、腕や足はガリガリだ。友康は、なぜこんな自分に愛を囁くのだろう。断っても、それさえ楽しそうなのだ。
そもそも、弘貴にとって恋愛は理解できない領域だ。
弘貴が生まれた時から、既に両親は不仲だった。家庭はいつも暗く、聞こえてくるのは両親の罵り合う声だけ。世間体を気にする両親は、外出の時だけ仲睦まじく寄り添う。そんな2人を見て育ったためか、弘貴は初恋さえしてこなかった。なのに、そんな弘貴の前に友康が現れた。

『弘貴くんが好きだよ。そのままの君が、大好きだ』

眩しい笑顔で、友康はそう言ってくれた。いきなりの告白は、弘貴にとっては信じがたいものだ。同性相手に、いきなり告白なんてするものだろうか?それも、断っても断っても諦めないのだ。だが、差し出された手はとても魅力的に見えた。その手を取れば、何かが変わるような気がしたのだ。だが、弘貴にはそんな勇気はない。手を握った後、振りほどかれるのが怖い。いっそのこと、身体だけほしいと言ってくれた方が楽だった。気持ちなんか、いらない。
「弘貴くん」
いきなり背後から声をかけられ、弘貴は飛び上がるほど驚いた。
「な、なんですかっ。ノックぐらいしてください」
弘貴の言葉に、友康が小首を傾げる。
「何度もしたんだけど…。敦久は?一緒じゃないのか?」
キョロキョロと周囲を見渡す友康に、弘貴は言い澱む。敦久は恋人との時間を作るために満員電車に乗ってる。なんて言えない。
だが、友康にはすぐわかったらしい。
「恋する男は健気だね」
クスッと小さく笑った。そして、俯く弘貴の腰をグイッと引っ張った。バランスを崩した弘貴は、あっという間に友康の胸に倒れ込む。
「な、なんの真似ですか?」
逃れようともがく弘貴を、友康が力づくで抱き締める。
「君が、泣きそうな顔をしていたから」
「え?」
まるで幼い子供にするように、友康が弘貴の背中を撫でる。どうして、いつも感情を先回りするのだろう。おかげで、自分の中の寂しさや孤独に気が付いてしまった。きっと、幼い頃からこうして抱き締めて欲しかったのだ。誰かに、愛して欲しかったのだ。
「ふざけるのは止めてください」
弘貴はいつものように無表情の仮面を被ると、友康の腕から抜け出す。そんなつれない態度にも、友康は特に気分を害する事はなかった。
「ふざけてないって知ってるくせに」
「…なぜ、俺なんですか?」
「ん?」
弘貴は友康に背中を向けたまま話し始めた。顔を見られたら、気付かれてしまう気がしたからだ。弘貴が友康を意識していると…。友康は、そんな弘貴の疑問にあっさり答えた。
「僕と似ているからだよ」
「似てる?」
友康の腕が、再び弘貴を捕まえる。
「初めて会ったのもここだったね。敦久の後ろで、君は怯えていた」
「そんなはず…」
振り向こうとするが、友康の腕が阻止する。身長はわずかに友康が大きいくらいだが、弘貴な華奢なためかかなりの体格差を感じる。
「愛を知らずに育ったんだとすぐにわかった」
友康が弘貴の首筋に顔を埋める。
「僕も君と同じだ。親の愛が欲しくて足掻いていた。無駄だとわかっていても、期待してしまうんだ」
弘貴は、身体から力を抜いた。何も言わなくてもわかってくれる人がいる。この名前のない感情を理解してくれる人がいる。それだけで、フッと心が軽くなった。
「隙あり」
ニヤッと笑った友康が、弘貴にキスをする。不自然な姿勢でのキスに、思わず口を開いてしまった。初めてのキスは、濃厚なディープなものとなった。

「全くっ。油断も隙もあったもんじゃないっ」
廊下をズンズン歩きながら、弘貴が怒鳴る。クールな彼らしくない言動に、通りすぎる社員達がビクッと肩を竦める。不意に、弘貴は窓ガラスに映る自身を見つめた。唇が、やや赤い気がする。
(キス、されたんだ)
そっと唇に指を当ててみる。初めてのキスだった。
友康とのキスは好きだと感じた。同性相手におかしいかもしれないが、嫌悪というものは全くなかった。これが、もしかしたら好きという気持ちなのだろうか。
(もし、相手が別の人だったら…)
試しに、身近な人物とキスをしている自分を想像してみた。だが、どうにも気分が悪い。つまり、すんなりと受け入れる事ができるのは友康だけらしい。弘貴は、自分の中に芽生えた気持ちに戸惑った。
(こんな気持ち、知りたくなかった)
知らなければ、悩む事なんかなかったのに。弘貴は、初めて恋心というものを知った。
それからは、できるだけ友康を避けて過ごした。顔を見なければ、会話をしなければこの気持ちは消える。そう思っていたのだ。だが、結果は違った。避ければ避けるほど友康を意識してしまう。屈託のない笑顔が、心から離れなくなってしまう。
そんな時に、友康から新商品開発に関するメールがきた。敦久が不在のため、弘貴に意見を聞きたいらしい。
(なんで俺が…)
おまけに、今夜家においでという言葉が添えられていた。大きなハートマークと共に。下心見え見えの誘いに、弘貴は大きな溜め息を吐いた。

「新しいメニューを、まずは君に食べてもらおうと思ってね」
マンションに向かうと、友康はかなり上機嫌だった。テーブルには見た事のないカラフルな料理が並んでいた。
「・・・なんです?これ」
「綺麗だろ?新商品だ」
「はぁ」
そこには、ピンクや紫、黄色といったカラフルなソースがかかったハンバーグが置かれていた。
「もしかして、襲われるとでも思ったか?」
「そういう意味だと思ってました」
「ひどいな。僕は野獣じゃないぞ」
友康が笑って、弘貫の前にハンバーグとソースを置く。弘貴は躊躇いながらも口にした。
「味は、美味しいのですが。もう少しシンプルな方がいいですね。後味が悪い」
食後。正直に感想を告げると、友康はガッカリしたように肩を落とした。
「すみません。ですが、正直に申しませんと。これは、カフェの売上に関わります」
友康を傷つけたと思い、弘貫が説明する。友康からは、苦笑が帰ってきた。
「正直に言ってくれないと困るよ。やはり君に頼んで良かった」
その表情に、弘貫の胸が小さく高鳴る。彼をガッカリさせたくないと思った。明らかに、今までの自分では考えなかった事だ。
(今夜。終わらせる)
弘貴は、ある決意をした。
「ありがとう。君のおかげで新メニューが完成しそうだ」
友康の笑顔を見るのは、今日で最後にしよう。弘貴は、躊躇いを振り払うようにネクタイを外した。
「弘貴くん?」
戸惑ったような友康の声を、弘貴は無視した。ジャケットもシャツも、スラックスも下着も全て脱ぎ捨てる。友康の前に全裸で立ち、両手を広げた。贅肉のない筋肉質の裸体。まるで彫刻のように美しかった。
「ここで、俺を抱いてください。そして、忘れてください」
弘貴は、友康と最初で最後の恋をすると決めた。裏切る事も、裏切られる事もない。たった一夜の恋。しばらく弘貴の全裸を見つめていた友康は、弘貴の身体を横抱きにした。寝室へ向かいながら、友康が震える弘貴を見つめる。
「何をそんなに恐れてるんだ?僕が心変わりすると思ってる?」
「だって…」
「続きは、ベッドの中で教えてあげるよ」
弘貴は、覆い被さってくる友康に目を閉じた。穏やかな表情と口調の友康だが、苛立っている。弘貴の浅はかな考えに呆れているのかもしれない。それとも、友康の本気を試していると思われたのかもしれない。弘貴は、自分の唇や身体を荒々しく愛撫する友康にジッと目を閉じた。恥ずかしい格好をさせられ、信じられない所を舐められた時には思わず逃げ出したくなった。だが、指で開かされた場所で友康と1つになった時には理屈ではない満足感で全身が満たされた。この行為が正解かどうかはわからない。わかったのは、どんなひどい扱いをされたとしても彼が好き。それだけだった。

「ん…」
フッと意識を浮上させた弘貴は、自分がまだ友康と繋がっているという事に慌てた。抜け出そうとすれば、ガシッと身体を抱き締められる。
「動かないで。動くと、君が困るよ」
自分の体内で脈打つ友康。その大きさと熱さは、先ほど嫌というほど教えられた。弘貴は、そっと息を吐き出す。
「…すまない。初めてだったんだね」
「は、はい」
「あんな誘い方をするから。慣れているのかと思ったよ」
労るように身体のあちこちを撫でられる。特に、腰の辺りを…。
「僕が、信じられない?」
友康の言葉に、弘貴は黙って首を横に振った。
「この恋が終わるのが、怖い?」
「そうです。来年、再来年。あなたが隣にいるとは限らない」
人間の心というのは、単純な事で変わってしまう。数秒前に好きだった人が、一気に憎しみの対象になる事だってあるのだ。友康は汗で濡れた弘貴の前髪を優しく撫で上げると、その額に唇で触れた。
「確かに、永遠なんて約束できない。でも、僕はやっぱり君と恋がしたい。二人だけで、恋を…」
唇が重ねられ、弘貴の中の友康がムクムクと起き上がる。緩やかな律動の中で、弘貴は友康の背中に腕を回した。

「社長。また駅ですか?」
「そ。あの密着した時間がいいんだよね」
上機嫌の敦久を駅まで送り、弘貴はオフィスへ向かう。前なら、敦久の気持ちがわからなかった。恋人と過ごす時間なんて、無駄なだけだと…。だが、今は違う。オフィスに入るなり、長い腕が抱き締めてくれる。
「勤務中です」
言いながらも、弘貴の口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
「ちょっとだけ」
甘えるように囁かれ、弘貴は身体から力を抜いた。恋人とこうしている時間が、こんなにも幸せをくれるのだと弘貴は初めて知った。











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