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1.責任を取ってもらおう
しおりを挟む「リリエン・ブリック。この俺をその気にさせた責任を取ってもらおう」
艶のある黒髪に赤い瞳がなんとも妖艶なこの国の第五皇子であるエルドレッド・ザハディストはにっこりと笑顔を浮かべると、この手を取れとリリエンの前に差し出した。
リリエンは、はてと首を傾げた。
「責任?」
エルドレッドが何の責任を求めているのかわからない。
ここ数日のことを思い返し、リリエンはさらに首を傾げる。
「お前、本当にわからないという顔をしているな」
むっと拗ねたように眉間にしわを寄せ、エルドレッドはさらにリリエンに近づいた。
「申し訳ありません。本当に何をおしゃっているのかわかりません」
素直に述べると、はぁっとエルドレッドはこれ見よがしに溜め息をついた。
「この王城に、俺のところに来たお前の目的は何だ?」
「エルドレッド殿下が女性に興味を持っていただくようにすることです」
「そうだ」
「ということは……」
リリエンはその可能性に思い至り、ぱぁぁぁっと表情を明るくさせた。
半ば諦めていた計画が頭の中で小躍りする。
「私は一か月に一度のケーキを食べても許されるのですね!」
「は?」
「何年も使い倒していたタオルを雑巾にしても罪悪感に苛まれることもない日がくるのですね!」
「はぁ?」
それからそれからと、今まで泣く泣く諦めていたことを思い浮かべリリエンは満面の笑みを浮かべた。
喜びで身体を揺らすと背中まであるウェーブかかった薄紫ピンクの髪も揺れる。透き通った紫の瞳は想像だけで幸せいっぱいだと語っていた。
それとは反対にエルドレッドの眉間のしわは深くなり、ぴきぴきとこめかみに青筋を立てた。
「よおーくわかった!」
「何がですか?」
「母からいくらもらった?」
「そ、それは内緒です。女の秘密というやつです」
リリエンはぽっと頬を染め、もじもじと上目遣いでエルドレッドを見た。
色白で小作りなリリエンの見た目はほわっと柔らかな美人なので、その姿は非常に可憐に見える。
エルドレッドの頬がひくりと引きつった。
「ほお。女の秘密ねえ。金銭のやり取りが行われているのに?」
「秘密は秘密です。それにお金は嘘をつきません。正当な報酬を受け取って何が悪いのでしょう。皇后様は殿下のことを非常に心配して」
「ふーん。心配ね。どれほど?」
「殿下が女性に興味を持てば十倍もの報酬をと約束してくださっ、あっ」
失言に気づきそろっとエルドレッドを窺うと、しっかりと耳に入っていたようで面白そうに口の端を引き上げた。
「へえ。十倍。最初はどれほどもらっていたのか知らないが、きっとかなりの金額だろうな」
「……ああ~っ、私はそれほど皇后様が殿下を心配していたと言いたかっただけで」
しくじったとリリエンは眉尻を下げた。
ここ数か月ほどのやり取りで、すっかり慣れた応酬にそのままつるっと口が滑ってしまった。
でも大丈夫。金額は言ってないから秘密は守られたままだ。
気を取り直し、私は何も悪いことをしていないのだからとエルドレッドを見つめる。
すると、なぜかエルドレッドの機嫌が急降下した。
続いて、はははっと笑い、エルドレッドは差し出していた手をリリエンの肩にぽんと置く。
「エルドレッド殿下?」
「よおーくわかった。お前は男を弄ぶ悪女だ」
「なんでそうなるのですか!? 私は殿下のためを思い頑張っただけなのに」
悪女なんて心外だ。
リリエンは男性を誑かそうなんて一度も考えたことはない。そんなことを考える暇があったら、どうやって家計をやりくりするか考えている。
一度も皇子を色仕掛けしたこともないし、彼に気に入られようなんて思ったこともない。
ただ、リリエンは任務遂行するためにエルドレッドに近づいただけだ。
それはお金のためでもあるけれど、それ以下でもそれ以上でもない。お金をもらうからには任務を遂行しようと頑張っただけだ。決してそれ以外の不純な動機はない。
それにエルドレッドも、リリエンが皇后から遣わされたとわかっているはずだ。
「ああ、性懲りもなくたくさん押しつけてきたな」
エルドレッドが指を鳴らすと、彼の侍従が重そうな書類の山を持ってくる。
リリエンはまさかと目を見開いた。
――あれは夜にこっそり読むやつなんです。多分。
贈ったリリエンにやましい気持ちはないが、白昼堂々と人目にさらされるのは違うと思った。
どうしましょうと焦っている間に、仕事のできる侍従は丁寧に机の上に並べていく。
白に金箔の表紙や、ドギツイピンク色のものまで実に多様だ。
凝視できずにそわそわと視線を彷徨わせていると、エルドレッドがとん、とん、と一つひとつ手に取ってリリエンの前に掲げた。
「『帝国未婚者リスト』に『帝国美人図鑑』に『女性の口説き方』から、恋愛小説まで」
「あっ、そっちは」
それからと視線を移した本に、リリエンは今すぐ隠したいと手を伸ばそうとしたがその手を掴まれあっけなく阻まれる。
「これもリリエンが持ってきたものだろ? どこで手に入れたのか『夜の女帝たち』、ああこれは夜の女性のカタログリストか」
ぱらぱらとめくりながら、エルドレッドは実に楽しそうにリリエンを見た。
「それと『女体の感じ方』に『男女の営み図録』、これなんかは」
「あははははっ」
リリエンは誤魔化すように笑った。
護衛の騎士たちや侍従と人気があるところで、皇子に読み上げられる羞恥。
「こんなものを男に、しかもこの国の皇子に押しつけるのはリリエンだけだろうな」
「私もなんとか殿下に女性に興味を持ってもらおうと必死だったんです」
そう。エルドレッドのため、ひいてはお金のために頑張っているのだ。
何せ前金をもらったのだから、それ相応の働きをしなければとただただ最善を考えて動いた結果だ。
「そうか。必死だったんだな。それも俺のために」
「はい。殿下のために」
こくこくと頷くと、エルドレッドは非常に満足げに頷きすぅっと目を細める。
「なるほど。それは嬉しいな。ところでリリエン、今はいくつだ?」
「十八になりました」
「俺の年は知っているか?」
「殿下は二十歳になります」
皇后が二十歳になっても女性の気配がまったくないエルドレッドを心配したため、リリエンにまで依頼が来たのだから覚えている。
急に年齢を訊ねてくるとはと首を傾げると、そこでエルドレッドの双眸が細められた。
「そうだ。俺たちは成人している」
今更確認せずとも、それは互いにわかっていることだ。成人しているからこそ、自分たちはこうして出会ったと言ってもいい。
いったい何を言い出すのかと警戒を滲ませドレスを掴む。つるりと滑る素材が心許ない。
「そうですね。結婚してもおかしくない年齢になります」
頷くと、耳につけた飾りがしゃらりと光る。
今のリリエンの姿は領地にこもっていた時には考えられないほどオシャレをしている。
そのすべては用意されたもので、飾り紐一つとってもリリエンには贅沢すぎるほどの値段のものだ。
そうして着飾ることをしなければ会えない相手。
面倒くさがりのエルドレッドは普段多くを語らないが、気を許した相手や話すと決めたときは弁が立つ。
嫌な予感に、じっくり間をおくエルドレッドを見つめた。
「――今まで放置して申し訳なかったな。せっかくリリエンが俺のために選んでくれた本だ。この機会に一緒に読んで勉強しよう。付き合ってくれるよな?」
「辞退することは?」
「できると思うか?」
がしりとリリエンの両肩を掴むと、にぃっこりとエルドレッドは微笑んだ。
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