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第二部 第四章 忍び寄る影

実の実態③

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 男はその実をさっきまで私たちの相手をしていた男から取り上げると、ぎゅっと握りしめてバリバリと音を立てて潰した。
 パラパラパラ、と崩れ落ちた実が零れ落ちる。

 握っただけで潰れるようなものではないと知っている私は、ぎょっとその男を見た。
 細身に見えて黒のローブの中は筋肉質なのだろうか。

 男が手を広げる。
 何が始まるのかと視線を集中させると、手のひらの上からモヤモヤとした禍々しい黒い物体が出現した。

 咄嗟にマリアに身体を寄せる。
 恐ろしいのに視線が外せず、私はぐっと眉間に皺を寄せた。

「へえ」

 男の小さなささやき。
 それが合図かのようにモヤがすごい勢いで吹き出し、闇が濃くなった。

 男の手のひらのを中心に、この部屋が黒く覆われたように見えた。
 灯された灯りはそのままなのに、それが認知できないほどの闇。しゅるしゅると崩れた実から這い出て沈殿させるように満たしていく。

 良くないものだ──、と直感的に私は感じた。

 コツ、コツと男が靴音を鳴らしながらさらにこちらに近づいてくる。
 転がされた自分の顔の目の前、わずか数センチというところでその足が止まる。そのままぐいっと私を袋ごと持ち上げると、視線を強引に合わせられた。

 この闇と同じような漆黒の瞳。
 この世界で珍しいその瞳の色に憎悪をたっぷり塗り込めながら、男は酷薄に唇を緩めた。

 ぞわりと、全身が総毛立つ。
 瞳と唇だけが、男を表す。それだけで、男が異質なものだということを雄弁に語る。

 強引に持ち上げられ、身体が軋む。引きずられた足が痛い。
 思いっきりったため、きっと赤くなっているだろう。何より、首元を絞められたように掴まれているため息がつまる。
 マリアがわぁわぁ言っているが、苦しくてそれどころではなくなった。

「こほっ…」

 空気を求めるように吸おうとするが、その前に大きく息を出すように咳が出た。
 男はぐいっと顔を近づけると、おかしくて、腹立たしくてしかたがないと歪なわらいを浮かべた。
 陰った瞳は私を見ているようで見ていない。でも、確かに憎悪は向けられている。

 視線を合わせるだけで、おかしくなりそうだった。
 何かが崩されそうな予感に、私は耐え切れなくなって視線をそっと逸らした。

「これに何をした?」
「……っ、だから、…ごほっ、…いつものように割ったり、…くっ、砕いたり、煮たり」

 息がつまるなか、なんとか先ほどの説明と同じことを繰り返す。
 それしか言えない。知らない。

「だが、今見ただろう? 感じたのだろう? まず、これに触って何かするとこうなるはずなんだが」
「…………」

 その言葉に、私は男の手の中でしゅるしゅると闇を放出するそれを眺める。
 意思をもって男の周囲をするすると動いているように見える。

 ──……気持ち悪い。

 悪寒に身体が震える。
 見ているだけで、近くにあると思うだけで、それらを普通に触っていられる相手の存在自体が気持ち悪かった。

 ぐぅっと眉根を寄せて、男の周辺の闇に目を凝らす。
 すると、ぴりりと、男の殺気が闇と同化して大きくなった。

「ひぁっ」

 ずっと肌の上を得体の知れない何かが這いずり回っている感覚に、堪らず悲鳴が上がった。
 薄布一枚隔てて、なめくじだとかそういったものがにゅるにゅると存在の跡を残しながら動いているようなそれは不快で仕方がない。

 黒光りしているかのような鋭さを持って、私のすべてを見透かそうと男はじっと見てくる。
 闇に囚われ男しか見えない。

 互いの奥へとずぶずぶと沈んでいくかと思われたが、突如、ばんっと大きな扉が目の前で閉じたように何も感じなくなった。

「…………」
「…………」

 私はぱちぱちと瞬きをして、さっきの感覚を思い出しぞっとした。
 自分の意思ではない何か。共鳴? 確かに相手から何かを感じ取った気がするが、今はもうその何かは微塵も思い出せない。
 それは相手もそうだったのか。

「もしかして──……」

 ぼそぼそと告げられた内容に目を見開く。
 自分だけに聞こえるように言われた言葉。

 あまりのことに言葉を失っていると、相手は言うだけ言って答えを求めていなかったのか勝手に納得したのか、「だとしたら」とぶつぶつと独り言を言いだした。
 そして、はっ、と私を見つめ、手の平のものを私へと近づけてきた。
 ぞわぞわした感覚に目を瞑りそれに耐えると、しばらくして心底忌々しいと憎悪たっぷりの声をぶつけられる。

「お前が犯人か」

 え? と目を開けると、怒りのあまりにぶるぶる震えた男に睨みつけられ、もう一度、今度は周囲に聞こえるように同じことを言い放つ。

「犯人はお前だ」

 ――は、はぁぁぁ~?

 私はぽかんと口を開けた。


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