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第二部 第三章 記憶と夢と過去

sideシモン 記憶と過去③

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「ぷっ。ははっ」

 シモンは知らず知らず笑いをこぼす。
 じわじわと笑いのツボを押してくるようで、笑わずにはいられない。心が軽く、そしてただただ面白かった。

 傷の治療は緑の魔力を持ってしても完璧ではない。
 治癒の促進であったり、痛みの減少であったり、そういった手助けを行う力であって、数分で治せるものではないからだ。
 ましてや、魔力が安定していない幼い少女ならなおさらだ。

 これくらいの傷なら国の緑の上位魔力保持者だと可能かもしれないが、目の前の彼女は十歳にも満たない少女。
 なのに、明らかに彼女は使いこなして治してみせたのだ。

 ただ、詠唱はおかしい。
 ひふひふ、ヒーとか……。
 ダメだ。笑える。ヒヒヒッって、笑い声に聞こえてきた。

「ちょっ、その詠唱は」
「ヒヒヒッのひふひふ~。とりゃあぁぁぁ~あっああ~」
「だから、本当」

 ──もう、ダメだ。

 右手は預けたまま、シモンは身体を丸めた。
 歌うように魔法を使うのが彼女流なのかもしれないが、施されている身としてはたまったものではない。

「ぷっ、くくくくっ。本当笑える。ああ、お腹が痛い」

 そのアンバランスさが妙に気持ちをくすぐった。
 それを、自分と歳が変わりない少女がしていると思うと心が浮き立つ。

 驚いている間も変てこな詠唱は続き笑わされるは、その間に傷は治っているはでデタラメだ。
 まるで母の治癒魔法を見ているようなそれに、もしかしたらと思ったのは一瞬で、シモンは目の前の令嬢に声をかけた。

 すっかり痛みは引いた。
 しかも、打ち付けたはずの背中の痛みも消えている。本当にデタラメな少女だ。

「もう大丈夫だよ」
「ひふひふ~、……あっ、傷が塞がってる。痛くないですか?」
「うん。どこも痛くない。ありがとう」
「よ、よかった~」

 ふざけた詠唱だが本人はいたって真剣だったようで、傷口が塞がっているのを見て嬉しそうに口元を緩めた。

「すごいね」
「……何が?」
「魔法だよ。こんなに簡単に治せるなんて」
「……って、あぁ!」

 そこで、少女は目をまん丸にしてまずいことをしたとばかりに顔をしかめた。
 そして、やっぱりやりすぎたのかな、でも怪我させちゃったしとぶつぶつ口を動かす。
 シモンは少女の言動にぱちぱちと瞬きし、なぜか意気消沈した彼女の肩にそっと触れた。

「どうしたの?」
「えっと、このことは誰にも言わないで」

 お願いとばかりに、両手を合わせて見上げてくる。
 シモンは軽く肩を竦めて説明を求めた。

「このこと?」
「そう。今見たこと」
「どうして? こんなにすごいのに」
「でも……」

 褒めると、彼女の長い睫毛がふるっと揺れ、困ったとばかりに目尻が下がった。唇が一度開き、ゆっくりと閉じる。
 しばらくキュッと閉じられていたが、諦めたように息を吐き出すと少女は語った。

「無事、傷が治って本当に良かったけど、私のしたことがすごいことなら知られたくないの。もとはと言えばわたしが悪いのだけど、魔法が使えすぎちゃうと目立つでしょ?」
「確かに」
「うん。だから、内緒。標準を目指して日々研鑽中だから知られて広まると困るし、せっかくの努力を無駄にしたくなくて」

 えへへっと笑いながら、少女は妙なことを言い出した。
 できることをアピールするのではなく、隠す理由。
 それは気になったが、出会ったばかりの自分には話してもらえないだろう。

 笑いながらも菫色の瞳は真剣な光を放っていたので、冗談ではなく真剣に彼女は取り組んでいるようだ。
 今回のことはイレギュラーであったのだろう。

「わかった。誰にも言わないよ」
「ありがとう。えっと、お名前は?」

 今度はシモンが口を噤む番になった。
 周囲に黙って抜け出してきた身であり、今までのことを思うと名前を言うのは憚られる。容姿を見て名前を聞くだけで、第一王子だと認識する人は多い。

「あっ、言いたくなかったらいいの。わたしはエリー。じゃあ、名無しさんはあれだから、うーん、どこから来たの?」
「……遠いところから」

 本当の名を告げるか迷ったが、結局空を見て曖昧にごまかした。
 あれこれ先のことを考えると、告げるより告げないほうが断然リスクはない。

「…………ああ、そっか。わかった!」

 そんな損得まで考えて返事をするシモンに対して、少女は嬉しそうに声を上げた。
 あまりにも純粋な笑顔に、胸がちくっとする。

「空から来たんだね」
「……は?」
「じゃあ、天使くんだ」

 一人興奮して、ふふふっと笑う少女。

「……えっ?」
「うんうん。こんなにきらきら光っていたらありだよね! 王子様みたいに神々しいし天使って言われたほうが納得。よかった~。天使を怪我させたまま返したらバチが当たるところだった~。そして、天使に会うなんてついてるぅ~」
 
 罪悪感も何もかも吹っ飛ばす破壊力に、シモンはへにゃりと力なく笑った。
 あれこれ考えるのがバカらしいくらいに、目の前の少女は全力投球だった。
 だから、ついシモンも彼女の言葉に乗った。

 この場が楽しければ、もうなんでもいいと。
 そもそも、何かから逃げるようにここまでやってきて、そうして出会ったのが彼女ならばこれも縁なのだろう。

「そう。その呼び名でいいよ」

 さすがに自ら天使だと嘘を名乗るのは性格上無理だったから、相手に合わせて肯定した。
 ちょっとした悪戯をしているみたいで、でも楽しくて。
 気持ちに誘われるまま、目の前で動くたびにふわふわと舞う柔らかな髪に手を伸ばした。


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