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◆伯爵家の崩壊 絶望①
しおりを挟む「もう、何をするのよ! 痛い、痛いって」
「俺は知らない。何も知らない。知らないんだ」
妻のグレタと息子のベンジャミンが第一騎士団長のアーノルドに連れられてきた。
「横暴すぎるわ。あなた……っ、ひぃ」
どんと二人は突き飛ばされ、ネイサンたちはひとまとめにされる。
むき出しの剣を無言で首に当てられ、血まみれのネイサンを見てさすがにグレタも黙った。
ベンジャミンは頭を抱えながら、ぶつぶつと現実逃避をしている。もともと一人では何もできない小心者だ。
チェスター自身も余裕がなかった。下半身を濡らしたまま、圧倒的な力を前にずっと震えが止まらない。
突きつけられた剣よりも、先ほどの騎士団総長の動きが恐怖として脳裏にこびりついていた。
あまりにも美しく人間離れをし、人を造ったとされる神を前にしたかのようにどれだけあがこうがわめこうが決して太刀打ちできない存在。
あそこでミザリアが名を呼ばなければ、確実に切られていただろう殺気。
生と死が隣り合わせの瞬間。チェスターの命を瞬きほどの間で奪ってしまえるモノを前に何もできない絶望。
それは消えることのない恐怖としてチェスターに根を張った。
今はこちらを見向きもしない。
だけど、少しでも動けば死ぬのだと殺意が常に向けられていることをひしひしと感じていた。
――こんなはずではなかった……。
脳と身体の連携がおかしくなり、じわりとまたチェスターの下半身を濡らす。
この半年間の荒れ狂うような苛立ちがぴたりと止み、眩しいほどの光を前にして奈落の闇に落とされ希望が抱けない。
魔物がばりばりと人を食う姿を前に公爵に脅されても、恐怖で逃げ出したくなりながらもそれでもどこかでなんとかなると思っていた。
そもそも利すると思ったから公爵と手を組んだ。相手の目論みを知った上で乗ったのだ。人対人ならば、どれだけ強者であっても必ず隙があり見誤らなければ死にはしない。
生きて金さえあれば何とでもなる。
魔石があったから。金があったから。チェスターはチェスター・ブレイクリーのままでいられた。
自分の嗅覚を信じ今まで好き勝手やってきた。
精霊と繋がりがあるという男爵の美しい娘を脅し自分のものにしたのも、その娘に子を産ませ己の手足となる者を増やそうとしたのもそうしたかったからだ。
自分の娯楽や価値ある未来のために、どこで誰が犠牲になろうとどうでもよい。
楽しむだけ楽しみ、その後は望んだ効果が得られなければ捨てればいいだけだった。
邪魔だった兄弟たちを蹴落とし、そうやって己の欲望に目を凝らし掴んできたから欲しいものを手にここまでやってきた。
なのに、捨てたはずのものがチェスターの人生を今かき乱していた。
使えないと無視し、魔力がなく完全に利用価値がないと判断し追い出した途端、足下が崩れだし何をどうあがいても上手くいかなくなった。
絶対的な強者に抱えられ、ミザリアが血を吐いた。それから総長と話していたが、しばらくしてだらりと身体が弛緩し動かなくなった。
総長がミザリアの脈を確認し、鋭い声を上げる。
「ホレス」
「ほいほい。ここにおりますよ。片付けた連絡とともに、この老いぼれをこんなところまで引っ張り出して休む間もくれんとは相変わらず」
「ミザリアの脈が弱い」
ぶつぶつと文句をいいながらもミザリアの診察を始めた老人をチェスターは知っていた。
ホレス・スモールウッド。治癒士、そして医師として最高位に位置する人物。歳を取り体力の衰えを理由に現場をすでに引退しているが、その腕は衰えておらず現在も王族専用医師だ。
王族が許可しなければ、彼を動かすことはできない。王都が混乱しているなか、そんな重要人物をここに連れてくるほどのことが起きている。
騎士団総長が直々に駆けつけ、個人的な恨みをぶつけるような殺気とともにミザリアを守りに入った時もそうだったが、ここにいた時の価値と騎士団での価値が大分違うようだと突きつけられる。
いつ突き落とされるかわからない崖に立っているチェスターたちと、弱りながらも強者に守られ安全な場所にいるミザリア。
半年前と立場が、周囲の扱いが、未来が、完全に逆転していた。
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