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いてもいい①

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 気の遠くなるような静寂。
 深夜、妙に目が冴えて眠れず私は裏口から外へと出た。

 少し離れた所に小さな噴水がありその手前にベンチが置いてある。
 すっかり夏になったとはいえ夜は肌寒く上着を持ってきたらよかったなと思いながら、長時間いるわけでもないかとそのまま座って背もたれに背を預け頭上を見上げた。

 三日月が夜空に浮かび上がり、星々が瞬く。
 澄明な空気が頬を撫で、息をするたびに肺まで綺麗になっていくようで静かに呼吸を繰り返した。

 今日の昼は伯爵領から出て初めて王都の街を散策をした。
 今まで休みはあったのだけど、少しでも早く業務内容を覚えたくてこそこそ仕事をしていたら、そのことがばれてフェリクス様に怒られたのが昨日。
 朝は騎士たちの食事の準備などもあるので気になると言ったら、昼からは絶対休むことを約束させられた。

 最初は仕事が気になってそんな気分ではなかったけど、徐々に王都の街に行くことも楽しみにしていたことを思い出した。
 せっかくなのだからと楽しもうと気持ちを切り替え、うきうきとした気持ちのまま出かけた。

「いまだに信じられない」

 今、ここにこうしていることが。
 ひとりになると余計にそう感じる。

 憧れの地。ずっとこの日を夢みていたと、店構えだけでもオシャレで見ているだけで楽しかった。
 そもそもそういったこととは無縁の生活だったので、やっと自由になれたのだと感動とともにようやく王都に来たのだと実感できた。

 だけど、記憶に残る母と一緒に並んで買った当たりくじのあるアメを購入してその場で食べただけで終わった。
 しかも、今回ははずれでそれ以上何かあるわけでもなく、他に何かを買うということもなく帰ってきた。

 物も人も多くどれもこれも興味深い物ばかりだったけれど、見ているだけで思考がぐるぐるする。
 目端が利くフェリクス様が必要だろうと用意してくれた可愛い服を着て、誰に監視されることもなく好きなようにしていい。一か月前までの自分では考えられないようなことだ。

 ずっと伯爵家から出られたら何をしよう、何ができるかなと夢想していた。
 だけど、いざそうなると具体的なものが浮かばない。
 無事王都にたどり着き職を見つけることもできて自由なはずなのに、その自由に、身動きできる現実に、怖くなった。

 そう怖くなったのだ。
 ただ、私はあの場から逃げたかっただけ。いつもギリギリのなんかを感じそれが壊れる前に離れたかっただけ。

 ――劇的に何かが変わるわけじゃないのね。

 部屋にしまっている石を思い出し、小さく息をついた。
 王都で倒れていた時に持っていた石は、母の機転で伯爵たちに見つかることなく奪われることもなくここまで持って来ることができた。

 王都に来たかった理由には、その石が何か導いてくれるかもと思ったのもあった。
 母も最終的に何かあったら王都に行ってみなさいと言っていたのもあって、家を出るなら王都一択だった。

 一度来たことのある王都なら何か見つかるかも、夢中とは言わなくても好きなものが増えたら人生が楽しいものになるのだろうかと思った。
 けれど、王都にという目標を達成した後は何もない。そこから特別な欲求は生まれない。

 感情を出さないように生きてきたから、どれだけ綺麗なものを見てもどこか他人事のようにそれらを見ている感覚があった。
 疑いもなく日常ががらりと音もなく変わる経験は、どれだけ前を向こうと意気込んでいても根付いてしまって、楽しもうと思ってすぐ楽しめる性格にもなれず変われるものではないのだろう。

 それを自分で分析してしまっていることが、なんだか虚しい。
 もっと素直にいろいろ喜びたいのにすぐに思考してしまう自分に嫌気が差す。

「ふぅー。そう簡単にはいかないのね」

 環境が変わったからといってすぐにコミュ力がつくわけではないように、生きていくだけで精一杯だった私に物欲がすぐに湧くわけでもなかった。
 いつか奪われるかも、壊れるかもと思うと、楽しむ気持ちがしぼんでしまった。

 いざ手に入れると手に入れた分だけ今の騎士たちによくしてもらっている安穏な生活が壊れてしまうのではないかと怖じ気づいた。
 今、何か新しいものを手に入れることでそういったことが減るわけではないのに、褪せてしまうようなどうしようもない気持ちが支配して店に入ろうと踏み出していた一歩を地につけることなく引き返していた。

「なんで、こうなっちゃうのかな」

 この前泣いたことだってそうだ。
 私の気持ちなのに、喜ぶ気持ちがあるのに、尻込みするような感情が湧き出てくるのを止められない。

 私が昼から王都の街に出ると知った騎士たちは楽しんでおいでと言ってくれたのに、心の底から楽しめなくてせっかくお出かけ用の衣装までを用意してもらったのにと思うと申し訳ない気持ちになる。
 夜空に浮かぶ淡い光をぼんやりと眺めていると、頭上に影が差した。

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