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シロと黒い水

その3

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 ドサリ……。

「着いた……!」

 アキラさんの手から、カバンが落ちました。

「ここが……ここが約束の地……別荘……!!」

『おおぉ……!!』

 彼の口からこぼれた創世記レベルのセリフに、僕らの口からも感嘆の息が漏れます。

 先程のホテルから、車で西に10分ほど。

 道を挟んで反対側は、急な崖。という、なんともスリリングな立地に、その家は建っていました。

「すげー。茅葺き……!」
「あれ、井戸ですかっ? 井戸ですかっ?」
「そうだ、サダちゃんが出て来るところだ!」
「これは『ボク夏』通り越して『日本昔話』の世界だな」

 思い思いの会話をする僕たちの前に、リセが進み出ました。

 斜め掛けした小さな赤いポーチをごそごそして、鍵を探します。

 その背中にアキラさん、

「こっちには、温泉ないんスか? お嬢さん」
「ないわよ。
 でも、リフォームしたって言ってたから、中はキレイよ、きっと」

 僕のななめ後ろに立っていたシグレさんが、

「そうか……温泉無いのか……」

 ずいぶん残念そうに呟いたので、思わず振り返りそちらを見上げます。

 シグレさん、そんなに温泉好きでしたっけ?

 僕の視線の疑問に気がついたのでしょう。

 彼は目を細めると、ス――……と後ろを、道の向こう、崖の方を指差しました。

「この辺りには、天狗伝説があるんだ」

 そこには――……眼下に四方を山に囲まれた、谷あいの村が広がっていました。

 中央に、瓢箪形の湖。

 その周りを、黄金の穂を繁らせた田んぼが囲んでいます。

 5・6軒の平家の屋根が、転々と見えます。

 風が吹くと一斉に穂がたゆたって、まるで金の水の上に家が浮かんでいるようです。

「うわぁ!」

 気付きませんでした。
 こんなに綺麗な景色が広がっているとは!

「あの中央に見えるのが、眉ヶ池。
 今、俺達が通って来たところが、天狗山」
 
 右手を指されてそちらを見れば、先程のホテルが、山の中腹からひょこんと頭を覗かせていました。

 僕が解説をねだる視線を向けると、シグレさんは手を山に向けたまま話してくれます。


「昔、昔――……

 マユという名の美しい女の人が、山の中で見知らぬ青年と出会って恋に落ちたんだ。
 村の人は『彼は天狗ではないか』と言ってマユさんを止めたけど、その時には既に、彼女は青年の子供を身篭っていた。
 怒った父親は彼女を馬小屋に閉じ込め、マユさんはそこで女の子を産んだんだ」

 ひどいのです!

 思わず頬を膨らます僕に、苦笑してシグレさんは続けます。

「ところが、村の人達が天狗の子供を殺そうとするので、彼女は夜の山道を赤ん坊を抱いて瓢箪池まで逃げた」

 ますますひどいです!

 もしも、そんな目に合わされたのが僕の母さんだったらと想像すると、胸が張り裂けそうです。

「池の淵まで来ると夫がやって来たので、マユさんは赤ん坊を夫に託し、池に身を投げてしまう。
 追いかけて来た村人達に、男は『この池は、私の涙と妻の血で汚された』と呪いの言葉を残して、赤子共々消えてしまう」

 あ。
 赤ちゃん無事だったのですね!
 良かった。

「その後、池の水を飲んだ人や家畜が病気になったり、田畑の作物が枯れたりするので、村の人達は畏れて、池のほとりに社を建ててマユさんの霊を祀った。
 すると山で温泉が湧き出て、それを飲んだ人の病が治った」

 おんせん!

「さらに春になると、山から見たことの無い女の子が降りてきて、池の方へと消えて行った。
 その子は、冬になるとまた山へと帰って行ったそうで、村の人は『マユの子が、両親の間を行き来しているのだろう』と噂した。
 ……――と、これが『眉ヶ池伝説』のあらましかな」

 全体的に悲しいお話ですね……。

 しんみりする僕。

 しかし、それとは全く違う感想を持った方がいらっしゃいました。

 ……もちろん先生です。

「典型的な《山の神=田の神》に、異種婚の話が混じっとるな」
「ああ。俺も《マユ》って名だけ聞いた時は、養蚕の方かと思ったけどな。
 話の内容と、何よりこの景色見て確信したよ」

 ……置いていかれました。待ってください……。

 僕の視線を受けて、シグレさん、
 自分の眉を指差すと、

「稲穂は、実ると『へ』の字形になるだろう?
 だから田んぼの水を守る神様の名が『眉』さん」

 あー、つまり……、

「池の主の眉さんとそのお嬢さんは、水と田んぼの神さまになったんですね」
「そういうことだ」

 先生が頷いて――……、

 その時です。

「きゃあっ!」
「うわあぁぁっ!」

 前方から、リセとアキラさんの叫び声が聞こえてきました。

 そういえば先程から家の鍵を探していた様子でしたが――何かあったのでしょうか?
 
 僕たちは顔を見合わせて、二人の方へ走って行きました。

 開いた玄関、引き戸の前。

 鍵を手にしたまま硬直するリセと、

「うわばばばばば……っ!」

 ぱくぱくする口から、意味不明な声を漏らしているアキラさん。

 そして戸の奥。

 穿たれた闇の中にぽかりと浮かび上がっているのは、白い人影です。

 曲がった腰、深く刻まれたシワ。
 ギョロリとした目が、一種異様な雰囲気を醸し出しているお爺さんでした。
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