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シロと黒い水
その2
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出発の日の朝。
僕らは、ワゴン車の窓から覗く不審物に、
運転手の正体を知りました。
「ぎゃっ!」
シグレさんが、短く悲鳴を上げてのけ反ります。
それもそのはずです。
窓ガラスの中では、グレーのでっかい毛玉がうごめいていたのですから。
「ね、音津さん……!
ってことは、運転手って――……、」
バタンっ。
運転席のドアを開けて、金髪を朝日に輝かせたお兄さんが降りてきました。
――アキラさんです。
「おー、揃ってんなー」
「ヒカル、おはよーっ!」
助手席から手をぶんぶん振るリセに、僕は控えめに振りかえします。
そして、こちらの荷物を後ろに積み込もうとしているアキラさんに、小声で言いました。
「……この前、確かに『バイト増やす』って言ってましたけど――……」
思わず半眼になれば、隣でシグレさんも顔をひきつらせ、
「アキラさんが、リセの下僕に――……」
一方、一人無表情の先生は、何故かうんうん頷いて、
「分かっているよ。
アキラは、小さい女王様にいぢめられたいのだな。
この――ロリマゾ。」
先生の最後の単語に、僕とシグレさんは、
ズザザザッ!
金髪大学生から距離をとりました。
「はっはっはっ! おまえら~」
乱暴に僕らの荷物をほうり込んで、振り返ったアキラさんの目は、笑っていませんでした。
「これから高速乗るの、分かってるか~?
上り線、逆走して目的地まで行こうか~?」
『スミマセンデシタ』
僕とシグレさんがすぐさま頭を下げたのは、言うまでもありますまい。
***
「……に、しても。
ミユリさんが来られなかった事は、重ね重ね残念です」
出発して、しばしの後。
運転席と助手席の間にピッタリと収まった、音津さんの後頭部に向かって、僕がため息をつくと、
「そうだなぁ。
したら、もうちっと色気もあったろうになぁ」
ハンドルを握るアキラさんが、しみじみと同意してくれました。
「しかたあるまい。
ミユリは放送部で青春をえんじょいしているのだよ」
コンビニで調達したおにぎりを、もぐもぐしながら先生。
……ミユリさん、放送部だったのですね。
「ああ、ミユリにはいて欲しかった」
予想外なことに、助手席でナビ役を務めるシグレさんも頷きます。
「アイツが来てくれれば、少なくとも人外のトラブルに巻き込まれるようなことは、無いだろうになあ……」
「そっち!?」
アキラさんが声をひっくり返して、そして遠い目をして言いました。
「うん。オレ、お前にカノジョが出来ない理由が分かった気がする」
シグレさんは、本気で意味が分からないようで、眉根を寄せて首を傾げていました。
ちなみに僕は、リセと先生に挟まれる形で、後ろの席に座っています。
リセには音津さんは見えていないようで、あちこち景色を指差してくれるのですが――……いかんせんそこには、僕には灰色の毛モジャしか見えません……。
僕らの乗った車は、高速を(逆走せずに)抜け、県境に位置する山道へと入って行きました。
山道を進み……進み……進んだ頃……、
「……おい、シグレ」
唐突にアキラさんが、前を見たまま呼び掛けました。
「この道であってんのか?」
しばらく前から窓に見えるのは、鬱蒼と茂る樹ばかりです。
「それが、あまりに小さい道に入っちゃったんで、この縮尺の地図じゃ載ってないんですよ。
あ、でも、方角はあってるはずですよ」
「ハズってなんだ、ハズってーっ!
オフロード、一時間以上走ってるぞ!
迷ってる、つーか、遭難してんじゃねえの、コレ!?
お嬢さん!?」
「し、知らないわよ!
あたしだって初めて行くんだから!」
何やら喧々囂々とする前の座席を放って置いて、僕は右隣りの先生の袖をちょんちょんと引っ張って、そっと囁きました。
「……先生!」
高速を降りた辺りから、気になっていたことがあるのです。
「……音津さん、なんだか縮んでません……?」
出発した時にはろくに見えなかったフロントガラスが、今は半分ほど見えるのです。
「……ああ、ヤツは言わば土地神だからな」
先生も小声で返してきます。
「本体である神社から、距離が離れて力が弱くなっているんだろう」
それって大丈夫なんでしょうか……?
柴犬ほどの大きさになった音津さんの顔をちらりとうかがいますが、当の本人はいたって上機嫌な様子で、鼻をヒクヒクさせているのでした。
良かった……。
「……あれ?
なんか、舗装された道に出たぞ」
前の座席でも展開があった模様です。
見れば車は、林の中のT字路に出たようでした。
「あっ、あそこ!
なんか、ホテルみたいなのある!」
リセが指差す右の道は、コンクリ舗装で、
さらに木々の上から不釣り合いなリゾートホテルが覗いていました。
「でも、方角的にはこっちなんですよね」
一方、シグレさんの指す左の道は、土がむき出しで、薄暗い林の中にくねって消えています。
「こっちにしよう!」
アキラさんは、迷わず右の道を選びました。
「潰れてなけりゃ、ホテルに誰かいるだろ。
そこで、道、聞こう」
ところがいざ行ってみると、ホテルの駐車場には沢山のトラックやミキサー車が止まっていて、
「これ、まだ建設中なんじゃないですか?」
僕の言葉が終わらない内に、黄色いヘルメットを被ったオジさんが大きく手を振って来ました。
アキラさん、車を止めて、降りていきます。
僕らも、ずっと狭い車内に閉じ込められていましたので、体を伸ばそうとそれに倣いました。
「……! ゲホ……っ!」
助手席から降りたシグレさんが、握り拳を口元に当てて、むせます。
「大丈夫かね、おとっつぁん」
「いつもすまないねぇ……じゃない、」
おお!
珍しくノリ・ツッコミ!
彼の後に続いて、僕も眉を潜めて辺りを見回しました。
「何の臭いですかね、コレ?」
「匂い?」
隣でリセが、キョトンと首を傾げました。
「土の匂い……かな? それとも葉っぱとか草の匂い?」
いえ、そんなんじゃありません。
例えて言うならば――……、
「日なたに置いた、お魚さんがプカプカ浮いてる水槽、といいますか……」
シグレさんも、うんうん頷いて、
「真夏のドブ川というか……」
今度は先生が、うんうん頷きます。
リセはクンクン鼻を動かして、再び首を傾げました。
ちらりと、ヘルメットのおじさんや、そちらへ歩いて行くアキラさんを見ますが、特に変わった様子はありません。
僕たち三人は顔を見合わせて、
『!!』
揃って車の方を振り返りました。
車内では――音津さんが鼻頭を押さえて悶絶していました。
え゛……!
僕と先生とシグレさんと、音津さんしか感じない、臭い……。
これってもしかして――……、
「霊しょ――……ムグっ」
僕のセリフが終わらぬうちに、シグレさんが青い顔をしてこちらの口を塞ぎました。
「言うな、ヒカル!
何も気づかなかったことにするんだ!」
そんなやり取りを見て、やや呆れ顔の先生、
「別にいいじゃないか、ここに泊まるわけでなし。
この辺一帯が土壌汚染でこんな臭い、よりマシだろう」
……先生らしい、ネガティブな前向きさです。
「なんだ兄ちゃん達!」
黄色いヘルメットのオジさんの、だみ声が聞こえて来ました。
「迷ったんか?」
「あ、はい! 良く分かりましたね」
ぺこりとお辞儀するアキラさんに、オジさんはガラガラと笑って、
「この道は迷いやすいらしいぞ。地元民でも時々迷いこんでくらぁ」
……それって……。
僕とシグレさんが後ろで顔をひきつらせているのには気づかずに、オジさんは反対方向の道を指差しました。
「この道まっすぐ行くとよ、5・6軒民家があるから、そっちで聞いたほうが良いな。
俺達も隣の県から来てるからよ」
道には詳しくない、というオジさんに、もう一度お辞儀して、アキラさんはこちらに来ました。
「今度はこっちに泊まりに来てくれよ。
温泉もあるからよ!」
ガラガラ笑って陽気なオジさんは、手を振り仕事に戻ります。
……地元民でもよく迷うって――……。
この臭いといい、ここ、明らかに何かおかしいのです。
「……シグレさん。
地図だと、別荘の住所ってここから近いんですか?」
「ああ……すぐ近くだ……」
「僕、さっそく帰りたいのですが……」
「俺もだ……」
ふと見た車の中、鼻を押さえた音津さんが涙目でこちらを――……僕たちの後ろ、鬱蒼と茂る森の奥を、じっと見ていました。
僕らは、ワゴン車の窓から覗く不審物に、
運転手の正体を知りました。
「ぎゃっ!」
シグレさんが、短く悲鳴を上げてのけ反ります。
それもそのはずです。
窓ガラスの中では、グレーのでっかい毛玉がうごめいていたのですから。
「ね、音津さん……!
ってことは、運転手って――……、」
バタンっ。
運転席のドアを開けて、金髪を朝日に輝かせたお兄さんが降りてきました。
――アキラさんです。
「おー、揃ってんなー」
「ヒカル、おはよーっ!」
助手席から手をぶんぶん振るリセに、僕は控えめに振りかえします。
そして、こちらの荷物を後ろに積み込もうとしているアキラさんに、小声で言いました。
「……この前、確かに『バイト増やす』って言ってましたけど――……」
思わず半眼になれば、隣でシグレさんも顔をひきつらせ、
「アキラさんが、リセの下僕に――……」
一方、一人無表情の先生は、何故かうんうん頷いて、
「分かっているよ。
アキラは、小さい女王様にいぢめられたいのだな。
この――ロリマゾ。」
先生の最後の単語に、僕とシグレさんは、
ズザザザッ!
金髪大学生から距離をとりました。
「はっはっはっ! おまえら~」
乱暴に僕らの荷物をほうり込んで、振り返ったアキラさんの目は、笑っていませんでした。
「これから高速乗るの、分かってるか~?
上り線、逆走して目的地まで行こうか~?」
『スミマセンデシタ』
僕とシグレさんがすぐさま頭を下げたのは、言うまでもありますまい。
***
「……に、しても。
ミユリさんが来られなかった事は、重ね重ね残念です」
出発して、しばしの後。
運転席と助手席の間にピッタリと収まった、音津さんの後頭部に向かって、僕がため息をつくと、
「そうだなぁ。
したら、もうちっと色気もあったろうになぁ」
ハンドルを握るアキラさんが、しみじみと同意してくれました。
「しかたあるまい。
ミユリは放送部で青春をえんじょいしているのだよ」
コンビニで調達したおにぎりを、もぐもぐしながら先生。
……ミユリさん、放送部だったのですね。
「ああ、ミユリにはいて欲しかった」
予想外なことに、助手席でナビ役を務めるシグレさんも頷きます。
「アイツが来てくれれば、少なくとも人外のトラブルに巻き込まれるようなことは、無いだろうになあ……」
「そっち!?」
アキラさんが声をひっくり返して、そして遠い目をして言いました。
「うん。オレ、お前にカノジョが出来ない理由が分かった気がする」
シグレさんは、本気で意味が分からないようで、眉根を寄せて首を傾げていました。
ちなみに僕は、リセと先生に挟まれる形で、後ろの席に座っています。
リセには音津さんは見えていないようで、あちこち景色を指差してくれるのですが――……いかんせんそこには、僕には灰色の毛モジャしか見えません……。
僕らの乗った車は、高速を(逆走せずに)抜け、県境に位置する山道へと入って行きました。
山道を進み……進み……進んだ頃……、
「……おい、シグレ」
唐突にアキラさんが、前を見たまま呼び掛けました。
「この道であってんのか?」
しばらく前から窓に見えるのは、鬱蒼と茂る樹ばかりです。
「それが、あまりに小さい道に入っちゃったんで、この縮尺の地図じゃ載ってないんですよ。
あ、でも、方角はあってるはずですよ」
「ハズってなんだ、ハズってーっ!
オフロード、一時間以上走ってるぞ!
迷ってる、つーか、遭難してんじゃねえの、コレ!?
お嬢さん!?」
「し、知らないわよ!
あたしだって初めて行くんだから!」
何やら喧々囂々とする前の座席を放って置いて、僕は右隣りの先生の袖をちょんちょんと引っ張って、そっと囁きました。
「……先生!」
高速を降りた辺りから、気になっていたことがあるのです。
「……音津さん、なんだか縮んでません……?」
出発した時にはろくに見えなかったフロントガラスが、今は半分ほど見えるのです。
「……ああ、ヤツは言わば土地神だからな」
先生も小声で返してきます。
「本体である神社から、距離が離れて力が弱くなっているんだろう」
それって大丈夫なんでしょうか……?
柴犬ほどの大きさになった音津さんの顔をちらりとうかがいますが、当の本人はいたって上機嫌な様子で、鼻をヒクヒクさせているのでした。
良かった……。
「……あれ?
なんか、舗装された道に出たぞ」
前の座席でも展開があった模様です。
見れば車は、林の中のT字路に出たようでした。
「あっ、あそこ!
なんか、ホテルみたいなのある!」
リセが指差す右の道は、コンクリ舗装で、
さらに木々の上から不釣り合いなリゾートホテルが覗いていました。
「でも、方角的にはこっちなんですよね」
一方、シグレさんの指す左の道は、土がむき出しで、薄暗い林の中にくねって消えています。
「こっちにしよう!」
アキラさんは、迷わず右の道を選びました。
「潰れてなけりゃ、ホテルに誰かいるだろ。
そこで、道、聞こう」
ところがいざ行ってみると、ホテルの駐車場には沢山のトラックやミキサー車が止まっていて、
「これ、まだ建設中なんじゃないですか?」
僕の言葉が終わらない内に、黄色いヘルメットを被ったオジさんが大きく手を振って来ました。
アキラさん、車を止めて、降りていきます。
僕らも、ずっと狭い車内に閉じ込められていましたので、体を伸ばそうとそれに倣いました。
「……! ゲホ……っ!」
助手席から降りたシグレさんが、握り拳を口元に当てて、むせます。
「大丈夫かね、おとっつぁん」
「いつもすまないねぇ……じゃない、」
おお!
珍しくノリ・ツッコミ!
彼の後に続いて、僕も眉を潜めて辺りを見回しました。
「何の臭いですかね、コレ?」
「匂い?」
隣でリセが、キョトンと首を傾げました。
「土の匂い……かな? それとも葉っぱとか草の匂い?」
いえ、そんなんじゃありません。
例えて言うならば――……、
「日なたに置いた、お魚さんがプカプカ浮いてる水槽、といいますか……」
シグレさんも、うんうん頷いて、
「真夏のドブ川というか……」
今度は先生が、うんうん頷きます。
リセはクンクン鼻を動かして、再び首を傾げました。
ちらりと、ヘルメットのおじさんや、そちらへ歩いて行くアキラさんを見ますが、特に変わった様子はありません。
僕たち三人は顔を見合わせて、
『!!』
揃って車の方を振り返りました。
車内では――音津さんが鼻頭を押さえて悶絶していました。
え゛……!
僕と先生とシグレさんと、音津さんしか感じない、臭い……。
これってもしかして――……、
「霊しょ――……ムグっ」
僕のセリフが終わらぬうちに、シグレさんが青い顔をしてこちらの口を塞ぎました。
「言うな、ヒカル!
何も気づかなかったことにするんだ!」
そんなやり取りを見て、やや呆れ顔の先生、
「別にいいじゃないか、ここに泊まるわけでなし。
この辺一帯が土壌汚染でこんな臭い、よりマシだろう」
……先生らしい、ネガティブな前向きさです。
「なんだ兄ちゃん達!」
黄色いヘルメットのオジさんの、だみ声が聞こえて来ました。
「迷ったんか?」
「あ、はい! 良く分かりましたね」
ぺこりとお辞儀するアキラさんに、オジさんはガラガラと笑って、
「この道は迷いやすいらしいぞ。地元民でも時々迷いこんでくらぁ」
……それって……。
僕とシグレさんが後ろで顔をひきつらせているのには気づかずに、オジさんは反対方向の道を指差しました。
「この道まっすぐ行くとよ、5・6軒民家があるから、そっちで聞いたほうが良いな。
俺達も隣の県から来てるからよ」
道には詳しくない、というオジさんに、もう一度お辞儀して、アキラさんはこちらに来ました。
「今度はこっちに泊まりに来てくれよ。
温泉もあるからよ!」
ガラガラ笑って陽気なオジさんは、手を振り仕事に戻ります。
……地元民でもよく迷うって――……。
この臭いといい、ここ、明らかに何かおかしいのです。
「……シグレさん。
地図だと、別荘の住所ってここから近いんですか?」
「ああ……すぐ近くだ……」
「僕、さっそく帰りたいのですが……」
「俺もだ……」
ふと見た車の中、鼻を押さえた音津さんが涙目でこちらを――……僕たちの後ろ、鬱蒼と茂る森の奥を、じっと見ていました。
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