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首吊り桜

その6・完

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 つまり……これが……この人が……。
 桜姫……?

 だ、だって『桜姫』は酷い醜女だと……それ故に死んだのだと……。

 でもこの人は――……。

 説明が欲しくて先生の方に顔を向けると――――彼女は何故か笑っていました。

 唇の片端を上げ、皮肉げに。

「せ、先生……?」
「……つまりは、そういうことだ」
「だから、どういう事だよ!?」

 問い詰めるシグレさんの言葉に、僕の心の声も重なります。
 
「見ての通りだ。
 津和子嬢は、容姿故に恋人にフラれたのでは無い。
 さっき書いてあっただろう『りん気の心、強く』と。
 気性の荒い女だったのだろう」

 僕の中での『桜姫』像が完全に崩壊していきます。

 漂っていた憐憫の気配は消え、代わりに何故かますますの恐怖が……。

 写真の向こうからじっとこちらを射抜く視線に、背筋がツウ――……っと寒くなりました。

「――しかし、津和子嬢自身はそれを受け入れられなかった」
「なんでだ? 『醜い』って言われるのは嫌だろう?」
「だがフラれた原因が『容姿』なら言い訳が可能だ。
 逃げた男を悪者に出来るし『こんな顔に産んだ親が悪いのだ』と、責任転嫁出来る。
 一方、原因が『性格』の場合は――……。
 他人の同情を得るのは、なかなか難しいだろうなぁ……」

 そこで先生は、僅かでしたが淋しげに眉を下げました。

 同性だけに、僕たちよりも思うところがあるのかもしれません。


       ***


 その後僕たちは、お酒とお塩で描いた2本の線で、茶の間をぐるっと囲みました。

 更に四隅に、高つきに盛った鰹節を置いて。
 周りの障子をぴったりと閉め。

 後は敵が来るのを待つばかりです。

 と、僕は先生から折り畳まれたメモを渡されました。

「……私が合図したらこれを読み上げろ」

 何か呪文でも書いてあるのでしょうか?

 こっくり頷いて、ぎゅっとその小さな白い紙を握りしめます。


 時刻は午前2時を回ろうとしていました。


 ……ギシ……ッ。


 床板を踏む小さな音が聞こえて、僕はビクリとして姿勢を正しました。

 不安げに先生を見れば、彼女は唇に人差し指を当てて、大丈夫だと言うように頷いてくれました。

 ギシ……ギシ……ギシ……ギシ……ッ。

 足音はぐるぐると茶の間の周りを回っています。

 ギシ……ギシ……ギシ……ギシ……ッ。

 シグレさんが唇をぎゅっと噛み締めます。

 ギシ……ギシ……ギシ……ギシ……ッ。
 
 先生!

 訴えるように顔を向けても、彼女はまるで透視するかのように障子の向こうを見詰めるばかりです。

 ギシ……ギシ……ギシ……ギシ……ッ。

 せ、先生!
 まだですか、先生!

 ギシ……ギシ……ギシ……ギシ……ッ。

 と、その時です。

 ようやっと先生が手をブンブン振り出しました。

 合図です!

 僕は大急ぎでメモを開き、そこに書かれた文字に目を通して――……愕然としました。

 そこにあったのは呪文なんかじゃありませんでした。

 なんですか、コレ!?

 焦って問う視線を先生にやると、彼女もまた早くしろというように手の動きを激しくします。

 し、仕方ありません!
 こうなれば先生を信じるのみです!

 僕はいささか棒読み口調で、書かれた文字の列を読み上げました。

「『僕はシグレさんを手に入れました。
 僕の願いは叶いました。
 ありがとう桜姫』」
 
 読み終えて、長く深く息を吐き出します。

 更にもう一度、深呼吸。

 辺りは、シン……と静まり返ったままです。

 三人が息を潜める家の中で、あの不気味な足音が再び響くことは、二度とありませんでした。

「や、やったのか……?」

 ほっと、シグレさんが息を吐き出しました。

 僕も肩の力を抜きます。

 しかし先生は首を横に振りました。

「追い払っただけだ。
 まぁ、シグレの危機はとりあえず去ったが――……」

 あっ! そうです!
 次はミユリさんです!

 僕は慌てて立ち上がりました。

「おいヒカルくん、何処へ行く?」
「どこって、ミユリさんの家ですよ!」
「迷惑だろう、こんな時間に」

 時刻は午前4時。
 そろそろ夜が明ける時間です。

 ですが言ってる場合ですか! この人は!

「まぁ、どうしてもというなら止めはしないが――……、」

 先生は、何故かちらっと茶箪笥の隣に置いてある鏡台に目を走らせました。

「……商店街を北に抜けた所に、踏切があるだろう」

 は?
 はぁ……。

「行くなら、そっちにしたまえ」

 先生の表情を伺ってからかわれていないことを確かめると、僕は一つ頷いて店を飛び出しました。



       ***



 白み始めた空。

 駅へと続く道の途中に、見覚えのある後ろ姿がありました。

 ふわふわした栗色の髪。
 先生と同じ学校のセーラー服。

 ミユリさんです!

「ミユリさんっ!」

 叫んで呼び止めますが、僕の声が聞こえているのかいないのか、彼女の足は止まりません。

 前方には踏切が見えます。

 僕は足に力を込め必死で走りました。

 カンカンカンカン……!

 乾いた音を空に響かせて、踏切のバーがゆっくりと降りてきます。


『――妹が娘が。
 次々に自ら命を絶ってしまった――……』

 僕の頭の中にミユリさんの声で、不吉なセリフが甦ってきました。

 ミユリさんの歩みはまだ止まりません。

 ふらふらと僅かに左右に揺れながら、警告音を無視して下がってくるバーをくぐり、踏切の中へ――……。

「ミユリさんっ!!」

 叫んで僕は、飛び掛かるようにして彼女の腕を掴みました。

 ――最後の最後の瞬間に、長いまつげの茶色い瞳と目が合った気がしました。

 ふわり……っ。

 腕に伝わってきたのは予想外に軽い感触。

 ゴオォという突風と共に、目の前を始発電車が通り過ぎて行きました。

 僕の手の中には、ミユリさんも、それどころか人の温もりすらありません。

 抱きしめるようにしていた両腕を恐る恐る開くと――……。

 ――その中にあったのは、先生が大切にしていた、ピンクの髪のフィギュアでした。

 人形の背中には何故か、ミユリさんのフルネームと誕生日が、油性マジックで書かれていました。


       ***


 パチパチとたき火のはぜる音がします。

「――ミユリはな、極度の霊的不感体質なんだ」
「はぁ……」

 先生の言葉に僕は曖昧に頷きました。

「ミユリに『アッチ』が見えないように『アッチ』からもミユリを見つけられない。
 シグレの件だけ片付けば、あとは放って置いてもよかったんだが……。
 いつまでも周りをうろちょろされても目障りだしな」 
「でも――……、」

 僕はたき火に目を落としました。

「何も1番大切にしている人形を使わなくても良かったんじゃ……」

 フィギュアは既に炎の中で、原形を留めないスライム状の物体に成り下がっていました。

「……私は『修行を積んだ賢者』という訳ではないからな。
 紙や藁で作った人形を『ミユリだ』『彼女に代わる価値のある物だ』とは思えなかったのさ」

 先生はひょいと肩を竦めてみせました。

「では何が一番そう思えるか、と言ったら――……。
 それはやはり、自分の大切な物を置いて他に無いだろう」
「……先生……泣いてるんですか……?」
「……ばかもの。
 煙りが……目に入っただけだ……」


 どうやら僕は、また先生に大きな借りを作ってしまったようです。

 この借りは大き過ぎて、一生懸命お店のお手伝いをしても、当分返せそうにありません。







 学校の裏山の首吊り桜は、それから3日後の風の強い夜。
 根本からぽっきりと折れてしまいました。

 それ以来『願い事の叶う桜の樹』の噂をする子は、誰もいません。



          《首吊り桜・終》
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