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首吊り桜

その5

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 日が暮れてきたので、僕は先生に電話を借りて家にお泊りの許可を申請しました。
 母さんは何故か先生に絶大な信頼を寄せているので、

『シグレさんも一緒に勉強会をするのだ』

 と言うと一も二も無くOKが出ました。

 電話を終えて茶の間に戻ると、先生とシグレさんが再び本を読みながら会話していました。

 ちゃんと頭に入っているのでしょうか、この人達は……。

 驚きを通り越して呆れてしまいます。
 先程その疑問をぶつけてみたら、

『読書時の人間の意識下の処理速度は約16ビットだが、無意識下では34ビットまで上がるらしい』

 という訳の分からない答えが返ってきました。

 ……ビットってパソコンとかに使われる言葉ですよね?
 いつからコンピュータの話しになったんですか、先生。

「――で、だ。『願い事』を『購入』したら、契約者にはやらないといかんことがあるよな」

 先生の言葉に何かに気がついたのでしょうか、シグレさんがはっと顔を上げました。

「そうか……! 『決済』つまり代金の支払いだな」
「そういうことだ」
「……まてまてまて。
 今の場合の『代金』ってなんだ?」

 先生は相変わらず本に目を落とし無表情のまま、

「ヒント1。
 後をつけるのは取り立てのための住所の確認を兼ねている、と思われる」

 と人差し指を立てます。
 さらに中指を足して、

「ヒント2。
 ミユリの話しにあったそうだな。
『首吊り桜を切ろうとした家の娘や妹が次々に自殺した』と。
 娘や妹は『未婚の女性』を表しているんだろう」

 そこにさらに薬指が加わりました。

「ヒント3。
 桜姫は己の容姿の醜さを嘆いて命を絶った。
 おそらく彼女が最も欲しているのは『若くて美しい未婚の女の体』だ」

 先生の指が1本また1本と増えるたび、比例して僕の中の不安も大きくなっていきます。

「――以上の事から導き出される事を答えよ」

 最後に小指が加わりました。

 足跡がついて行ったのはミユリさんのウチです。
 ミユリさんは一人っ子です。
 あの家に他に『未婚の女性』はいません。

 ミユリさんは――…、ミユリさんが……!

 頭が明確な答えを出す前に、

「―――っ!」

 僕は立ち上がり、出口に向かって駆け出そうとしました。
 その背中に、

「シグレ!」

 先生の声が飛んだかと思うと、

 くんっ!

 僕は何かに足をとられて、

「ふぎゃっ!」

 びたんっ!

 顔面から転んでしまいました。

「あっ。スマン、つい……」

 シグレさんが慌てて僕の右足から手を離します。

 ひどいです……シグレさん……。
 
 涙目で顔を上げると、先生はまだ本を読んだままでした。

「落ち着きたまえよヒカル君。
 ミユリはシグレの後だ。
 コイツに異変が無い限りはミユリも無事だ」

「で、でも……!」

 焦る気持ちでいっぱいの体を、なんとか抑えます。

 せめて危険が迫っていることを伝えた方が良いのではないでしょうか?
 でなければ、シグレさんのように目の届く所に居てもらうとか。

 しかし先生は、そんな僕の考えを見透かしたかのように言いました。

「今ミユリに側に居られては困るのだ。解決するものもしなくなってしまう」

 え……?

 それってどういう――…、

「それよりもこれを見たまえ。
 桜姫の正体が判明したぞ」

 !!?

 先生のセリフに、僕とシグレさんは彼女の指差す先――……ずっと先生が読んでいた本を覗き込みました。

 こ、これは――!
 …………読めません。

「……ミミズがのたうちまわってますが……」

 なんですかコレは……。

「草書だよ。
 ユタカ読んでくれ」
「……何故だ。君も解読可能だろうが」
「俺よりお前のが、ずっと早い」

 シグレさんの単純明快な答えに先生は渋々といった様子で、しかし全文は読む気は無いようで、要約して僕らに話してくれました。

「ここには明治後半の隠居した老人・小山内 三郎氏が暇つぶしに書き残した、この地方の色々な伝説や言い伝えが載っている。
 それを戦後に出版したこの編者は、活字に直さずそのまま転写するという暴挙に及んでいるわけだが……。
 ここにこんな話しがある――……」

 良く通る先生の声に、僕らはじっと耳を傾けました。

「『玉総タマズサ某の家が呪われているという噂は、二十数年前の一人娘の死が原因だろう。
 津和子ツワコというその娘はりん気の心強く、許婚が下女と逃げた事に激怒して、呪いの言葉を吐いて死んだ。
 首を括ったのが桜の樹だったので『玉総の桜姫』と呼ばれるようになった。
 以来、玉総の家で悪い事が起きると『桜姫の呪いだ』と言われ畏れられている』」

 ……あれ……?

 なんでしょう、何か違和感がありました。

 だって僕の中での『桜姫』のイメージは『心優しくも容姿に恵まれず、その事で恋人に逃げられ、鬼と化してしまった恐ろしくも可哀相な人』というものだったのですから。

 先生の細い指がページをめくります。

 と。

 その手が止まりました。

 次のページには、白黒で女の人の写真が載っていました。
 先生と同い年くらいの、若い綺麗な女の人です。
 その人は黒髪を日本髪に結って、和服を着、背筋をピンと伸ばして椅子に座っていました。

 ページの向こうから、じっとこちらを見つめています。
 薄い唇と鋭い目が厳しい印象を受けますが、それでも十分に『美人』と言えます。

 シグレさんが目を見開いて呟きました。

「どういう事だ、これは……!?」

 僕も彼の視線を追って写真の下を見ました。
 そこには古めかしい活字でこう書かれていました。

 ―――『玉総 津和子嬢の像』
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