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首吊り桜
その2
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――――ひたひたひたひた……。
ランドセルを背負って帰り道。
――――ひたひたひたひた……。
辺りは夕焼けの淡い紅で染まっています。
――――ひたひたひたひた……。
気の早い一番星とお月様が空に浮かんでいます。
――――ひたひたひたひた……。
……どうやら気のせいではないようです。
付けられています。
変質者です。
今は黒いランドセルを背負っていますが、私服だと99%女の子に間違えられます。
眼鏡を外そうものなら100%です。
そんな小柄な僕は変質者に捕まったら逃げられる自信がありません。
帰り道を変更し商店街に向かうことにしました。
今は先生とは顔を合わせたくありませんが、命の危機には代えられますまい。
歩行者天国のアーケード街に差し掛かった所で、
「ヒカルくん!」
後ろから声を掛けられました。
振り返ると、ふわふわの栗色の髪をした綿菓子みたいな女の人が立っています。
―――ミユリさんです。
あ……なぁんだ……。
足音の正体はミユリさんだったのですね。
「今日は遅いのね?」
「はい。一本桜に行ってまして――……っは!」
ほっとしたのとミユリさんのふんわり笑顔についつい油断して、僕はポロリとそう漏らしてしまいました。
「え?」
ミユリさんがおっとりと目を見開きます。
「ヒカルくん、おまじないなんてするんだ?」
いえ、それは誤解です!
僕はミユリさんと並んで歩きながら訳を話しました。
「へぇ~。
石の上に立って願い事を3回言うの?
『桜姫』の噂、小学校ではそんな話になってるのねぇ」
?
『サクラヒメ』って何でしょう?
それに『小学校では』ということは、他にも違うバージョンがあるのでしょうか?
そういえば、先生に噂を教えたのはミユリさんだということでした。
「――高校で流れてる噂が気になる?」
こちらの考えを見透かしたかのようにミユリさんがいたずらっぽく小首を傾げるので、僕は思わず首を縦に振りました。
***
…………ひたひたひたひた…………。
僕はミユリさんのお家にお邪魔する事にしました。
彼女の家は商店街のケーキ屋さんです。
「お茶と、廃棄になっちゃうケーキ持って来るからちょっと待っててね」
通されたのは応接間でした。
ソファーに腰掛ける僕にミユリさんはにっこり微笑むと、カバンをイスの上に置いて住居の方に通じる扉へと消えて行きました。
反対側には店舗の方へ通じる扉が有りますが、ぐるっと回って厨房から入るつもりなのでしょう。
と。
扉の向こうからミユリさんの声が聞こえてきました。
「……ねぇ、願い事が――……、」
「え?」
「願いが一つ叶うとしたら、あなたなら何を願う……?」
いえ。僕は本当に付き合いで行っただけなので、
「願い事は特に無いのですが」
「……今一番欲しいモノ、足りないモノ、憧れの……モノ……」
憧れ……。
まぁ、ある意味ミユリさんも僕の憧れの人なのですが。
まさか本人に向かってそんな恥ずかしいこと言えません。
「……そうですね。強いて言うならシグレさんですかね」
僕はそうお茶を濁しました。
実際あの身長には憧れますし。
「…………確かに、聞いたわ」
――――え?
「み、ミユリさん……?」
「なぁに? ヒカルくん」
返事は。
後ろから。
反対側の扉から返って来ました。
振り向けば、そこにはキョトンと小首を傾げるミユリさんの姿が。
手にはお茶とケーキが二つずつ乗ったおぼんを持っています。
え……?
じゃあ僕が今話した相手は――誰だったのでしょう……。
***
「――あの桜の樹はね、高校じゃあ『首吊り桜』って呼ばれてるのよ」
「く、くびつり……ですか……」
不吉な単語に僕は眉をひそめました。
ミユリさんはモンブランをフォークで小さく切って口に運び、小首を傾げて紅茶のカップを手に取りました。
どこから話そうか考えているようです。
やがて。
「これはね、ずーとずーっと昔の話。
まだ学校の辺り一帯が田んぼや畑だった頃の話よ――……、」
***
「――当時、その辺りの田んぼの持ち主――つまり地主さんにはね、一人娘がいたの。
お嬢さんはそろそろお年頃。
お家はお金持ちだし、婿に入ればゆくゆくは跡取りになれる。
縁談はスムーズに決まったわ。
ところがね、一つだけ問題があったの……。
お嬢さんはね、ひどい醜女だったのよ……」
「シコ……メ?」
「ん~。醜い女の人、かな」
「はぁ……」
僕はお砂糖たっぷりのカフェオレに口をつけました。
「そのせいかどうか、結納の前日になんとお婿さんが別の女の人と逃げちゃったの。
駆け落ちってヤツね」
話がだんだんと不穏な方向に進みだしましたよ……。
「傷ついたお嬢さんは、裏山の桜の樹で首を吊って死んでしまった……」
ごくり……。
コーヒーカップを包む両掌に、ぎゅっと力を込めます。
ミユリさんの言葉に導かれて、僕の目の前に桜の樹が現れました。
そしてその枝には、
ぎし……っ。ぎし……っ。
風に揺れる、黒い女の人が――……。
「不吉に思った村の人々は、桜の樹を切ってしまおうとしたの。
ところが――……。
斧を手にした人の、妹が娘が。
次々に自ら命を絶ってしまった。
畏れた人々は樹を祭り、お嬢さんの魂を鎮めたのよ。
――それ以来、あの桜の樹に願いをかけると、神様になったお嬢さん『桜姫』が願いを叶えてくれるんですって」
おしまい!
と言うように、ミユリさんはぱっと手を広げて見せました。
「え……?」
えぇ?
それって何だか尻切れトンボと言うか、
「それだけ……ですか?」
だってそんな怨みを残して死んだ人が、
簡単に女神さまみたいになれるなんて――……。
「ん~。
後日談みたいなのは聞いたけど……」
あごをトントン人差し指で叩いてミユリさん。
「隣のクラスの子が桜の樹に願い事をしたら、帰り道ず~っと後を付いてくる足音が聞こえた、とか」
あ、足音……!?
背筋にヒヤリとしたものが走りました。
ミユリさんにお礼を言って僕はおいとますることにしました。
玄関の扉を開いたところで、
「――――っ!?」
僕はぎょっとして足を止めました。
通りへと続く石畳。
その上に、周りに。
点々と、赤黒い足跡がついていたのです。
「どうかした? ヒカルくん」
息を飲んだ僕の顔を、ミユリさんが覗き込んできます。
「ミユリさん……こ、これ――……」
足跡を指差すのですが、
「え? なに?
地面に何か落ちてた?」
……どうやら彼女には見えていないみたいです。
でも、これはとってもマズイのです。
第一に足跡が裸足であるということ。
5本の指の跡がしっかり残っています。
これは、この足跡の持ち主が『ひと』であって『ひと』でないということを如実に表しています。
そして第二に。
こちらの方がよりマズイのですが……。
足跡は全て一定方向に――――ミユリさんの家へと向かう形で付いていました。
全て、ということは。
――コイツは。僕の後を付けてきた、この得体の知れない何かは。
まだ出て行っていない……まだミユリさんの家にいる、ということなのです。
不思議そうな顔でそれでもにっこり微笑んでくれるミユリさんに、僕はありのままを話す勇気も無く……。
せめて来た時のように僕の後を付けて来てくれればいいと、恐ろしい気持ちを必死に殺して、
(ついて来い、ついて来い)
と、心の中で呼び掛けてみたのですが。
結局はそれも虚しく、あの《ひたひた》という足音が背後から聞こえてくる事は二度と無かったのでした。
ランドセルを背負って帰り道。
――――ひたひたひたひた……。
辺りは夕焼けの淡い紅で染まっています。
――――ひたひたひたひた……。
気の早い一番星とお月様が空に浮かんでいます。
――――ひたひたひたひた……。
……どうやら気のせいではないようです。
付けられています。
変質者です。
今は黒いランドセルを背負っていますが、私服だと99%女の子に間違えられます。
眼鏡を外そうものなら100%です。
そんな小柄な僕は変質者に捕まったら逃げられる自信がありません。
帰り道を変更し商店街に向かうことにしました。
今は先生とは顔を合わせたくありませんが、命の危機には代えられますまい。
歩行者天国のアーケード街に差し掛かった所で、
「ヒカルくん!」
後ろから声を掛けられました。
振り返ると、ふわふわの栗色の髪をした綿菓子みたいな女の人が立っています。
―――ミユリさんです。
あ……なぁんだ……。
足音の正体はミユリさんだったのですね。
「今日は遅いのね?」
「はい。一本桜に行ってまして――……っは!」
ほっとしたのとミユリさんのふんわり笑顔についつい油断して、僕はポロリとそう漏らしてしまいました。
「え?」
ミユリさんがおっとりと目を見開きます。
「ヒカルくん、おまじないなんてするんだ?」
いえ、それは誤解です!
僕はミユリさんと並んで歩きながら訳を話しました。
「へぇ~。
石の上に立って願い事を3回言うの?
『桜姫』の噂、小学校ではそんな話になってるのねぇ」
?
『サクラヒメ』って何でしょう?
それに『小学校では』ということは、他にも違うバージョンがあるのでしょうか?
そういえば、先生に噂を教えたのはミユリさんだということでした。
「――高校で流れてる噂が気になる?」
こちらの考えを見透かしたかのようにミユリさんがいたずらっぽく小首を傾げるので、僕は思わず首を縦に振りました。
***
…………ひたひたひたひた…………。
僕はミユリさんのお家にお邪魔する事にしました。
彼女の家は商店街のケーキ屋さんです。
「お茶と、廃棄になっちゃうケーキ持って来るからちょっと待っててね」
通されたのは応接間でした。
ソファーに腰掛ける僕にミユリさんはにっこり微笑むと、カバンをイスの上に置いて住居の方に通じる扉へと消えて行きました。
反対側には店舗の方へ通じる扉が有りますが、ぐるっと回って厨房から入るつもりなのでしょう。
と。
扉の向こうからミユリさんの声が聞こえてきました。
「……ねぇ、願い事が――……、」
「え?」
「願いが一つ叶うとしたら、あなたなら何を願う……?」
いえ。僕は本当に付き合いで行っただけなので、
「願い事は特に無いのですが」
「……今一番欲しいモノ、足りないモノ、憧れの……モノ……」
憧れ……。
まぁ、ある意味ミユリさんも僕の憧れの人なのですが。
まさか本人に向かってそんな恥ずかしいこと言えません。
「……そうですね。強いて言うならシグレさんですかね」
僕はそうお茶を濁しました。
実際あの身長には憧れますし。
「…………確かに、聞いたわ」
――――え?
「み、ミユリさん……?」
「なぁに? ヒカルくん」
返事は。
後ろから。
反対側の扉から返って来ました。
振り向けば、そこにはキョトンと小首を傾げるミユリさんの姿が。
手にはお茶とケーキが二つずつ乗ったおぼんを持っています。
え……?
じゃあ僕が今話した相手は――誰だったのでしょう……。
***
「――あの桜の樹はね、高校じゃあ『首吊り桜』って呼ばれてるのよ」
「く、くびつり……ですか……」
不吉な単語に僕は眉をひそめました。
ミユリさんはモンブランをフォークで小さく切って口に運び、小首を傾げて紅茶のカップを手に取りました。
どこから話そうか考えているようです。
やがて。
「これはね、ずーとずーっと昔の話。
まだ学校の辺り一帯が田んぼや畑だった頃の話よ――……、」
***
「――当時、その辺りの田んぼの持ち主――つまり地主さんにはね、一人娘がいたの。
お嬢さんはそろそろお年頃。
お家はお金持ちだし、婿に入ればゆくゆくは跡取りになれる。
縁談はスムーズに決まったわ。
ところがね、一つだけ問題があったの……。
お嬢さんはね、ひどい醜女だったのよ……」
「シコ……メ?」
「ん~。醜い女の人、かな」
「はぁ……」
僕はお砂糖たっぷりのカフェオレに口をつけました。
「そのせいかどうか、結納の前日になんとお婿さんが別の女の人と逃げちゃったの。
駆け落ちってヤツね」
話がだんだんと不穏な方向に進みだしましたよ……。
「傷ついたお嬢さんは、裏山の桜の樹で首を吊って死んでしまった……」
ごくり……。
コーヒーカップを包む両掌に、ぎゅっと力を込めます。
ミユリさんの言葉に導かれて、僕の目の前に桜の樹が現れました。
そしてその枝には、
ぎし……っ。ぎし……っ。
風に揺れる、黒い女の人が――……。
「不吉に思った村の人々は、桜の樹を切ってしまおうとしたの。
ところが――……。
斧を手にした人の、妹が娘が。
次々に自ら命を絶ってしまった。
畏れた人々は樹を祭り、お嬢さんの魂を鎮めたのよ。
――それ以来、あの桜の樹に願いをかけると、神様になったお嬢さん『桜姫』が願いを叶えてくれるんですって」
おしまい!
と言うように、ミユリさんはぱっと手を広げて見せました。
「え……?」
えぇ?
それって何だか尻切れトンボと言うか、
「それだけ……ですか?」
だってそんな怨みを残して死んだ人が、
簡単に女神さまみたいになれるなんて――……。
「ん~。
後日談みたいなのは聞いたけど……」
あごをトントン人差し指で叩いてミユリさん。
「隣のクラスの子が桜の樹に願い事をしたら、帰り道ず~っと後を付いてくる足音が聞こえた、とか」
あ、足音……!?
背筋にヒヤリとしたものが走りました。
ミユリさんにお礼を言って僕はおいとますることにしました。
玄関の扉を開いたところで、
「――――っ!?」
僕はぎょっとして足を止めました。
通りへと続く石畳。
その上に、周りに。
点々と、赤黒い足跡がついていたのです。
「どうかした? ヒカルくん」
息を飲んだ僕の顔を、ミユリさんが覗き込んできます。
「ミユリさん……こ、これ――……」
足跡を指差すのですが、
「え? なに?
地面に何か落ちてた?」
……どうやら彼女には見えていないみたいです。
でも、これはとってもマズイのです。
第一に足跡が裸足であるということ。
5本の指の跡がしっかり残っています。
これは、この足跡の持ち主が『ひと』であって『ひと』でないということを如実に表しています。
そして第二に。
こちらの方がよりマズイのですが……。
足跡は全て一定方向に――――ミユリさんの家へと向かう形で付いていました。
全て、ということは。
――コイツは。僕の後を付けてきた、この得体の知れない何かは。
まだ出て行っていない……まだミユリさんの家にいる、ということなのです。
不思議そうな顔でそれでもにっこり微笑んでくれるミユリさんに、僕はありのままを話す勇気も無く……。
せめて来た時のように僕の後を付けて来てくれればいいと、恐ろしい気持ちを必死に殺して、
(ついて来い、ついて来い)
と、心の中で呼び掛けてみたのですが。
結局はそれも虚しく、あの《ひたひた》という足音が背後から聞こえてくる事は二度と無かったのでした。
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