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1.元聖女は冒険者になりました。

29.(ステファン視点)

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 ……今、何か見えなかったか。

 僕はごしごしと目をこすった。

 目の前ではレイラがもぐもぐとトマトを食べている。

 数秒前、彼女がトマトにかじりついた瞬間、僕は彼女の口元に白い牙が見えた気がしたんだ。

「あ、口の周りについてる……かな」

 僕の視線に気がついた彼女は、口元を照れたように手で隠した。

「……ううん、大丈夫だよ」

 内心心臓がばくばくしながらも、僕は笑顔を作った。

「さて、これを売りに行かないとね」

 荷物を積んだ馬を引っ張りながら考える。

 魔族――、魔族に牙はあるのだろうか。

 エルフとほぼ同じ見た目とか、魔法を使うときに瞳が赤くなるだとか、そういう魔族の特徴は、実家にいたときに家庭教師に教えてもらった本で読んだだけだ。

 牙があるとは聞かなかったけれど、肉食なら当然、例えば狼のように牙はあった方が自然だ。

 いや、僕だって肉は食べるけど、牙はない。

 それは、人間は焼いたり、煮たりして肉を食べるからだ。

 獲物を追いかけ、捕食するなら牙はあった方が良いだろう。

「お、着いた着いた」

 ライガの声がして、はっと顔をあげる。
 考え事をしていたら、僕らはいつの間にか目的地の仕立て屋に到着していた。
 
 ***

「あらまあ、こんなにたくさん。ちょっと汚れてるのもあるけど、良いものばかりじゃない」

 仕立て屋のおばあさんは持ち込まれた布地をひとつひとつ嬉しそうに見ている。
 テムズさんの商品は品質の良いものだったらしい。
 普通に商売してればいいのに、何で危ない仕事に手を出したんだろうか、あの人。

「全部買い取ってもらえますか。価格はお任せしますので」

 これから先持ち歩くわけにもいかないし、全部買い取ってもらわないと困る。

「あら、それでいいの? 悪いわねえ。そしたら、お礼にお洋服でも仕立ててあげましょうか」

 おばあさんはうふふと笑ってライガを見た。

「そこの銀髪の子のシャツなんかずいぶん古そうで、気になっていたのよ」

「ああ……、俺? いいよ」

 ライガはそっけなく答える。
 街の外にいるときや仕事中は大体狼の姿をしてるせいか、こいつはあまり服に執着がない。
 
 ――そうだ、レイラは……

「レイラ……」

 彼女を探すと、案の定、店の隅で壁に飾られたドレスの既製品をじっと見つめていた。

「……あ、はい! 何でしょう」

 声に気がついて、彼女は振り返った。

「服、作ってもらう? かわいい服が着たいって言ってたよね」

「えぇ!? えっ、いいの?」

 思ったとおり、嬉しそうだ。

「あら、可愛らしいお嬢さんだこと」

 おばあさんはレイラを手招きした。

「どの柄で、どんなデザインが良いかしら」

「選んでいいんですか!? 迷います……」

 店の中をぐるぐると見回して、レイラは頭を抱え込んだ。

「選べないですね……、これも、あれも可愛いし……」

 彼女はさっき見ていたひらひらした感じのドレスと、その横のワンピースに視線を止めた。

「そんなの仕事中に着られねぇだろ。もっと動きやすいのにしろよ」

 ライガが退屈そうに言った。

「そ……そうよね。こういう動きやすいのじゃないと、駄目だよね」

 レイラは自分の神官服をつまんでため息をついた。
 彼女の服は魔術師がよく着ているローブみたいに、ズボンの上に白い神官服を被っている感じだと思う。
 機能的ではあるけど、彼女の着たい可愛い服とは違うんだろうなぁ。

「あ、じゃあ、こういうのお願いします……」

 レイラはおばあさんに沈んだ表情でお辞儀した。
 僕は彼女の口元を見た。今は、普通だ。牙みたいなのは見えない。

 ――何で、さっきは見えたんだろう? 見間違い? いやでも確かに――

 あることに思い当って、僕はひやりとした。 

 ――『骨付き肉をかじる感じで」とかいう、ライガの変なアドバイスのせいか?
 
 心臓がまたばくばくする。

 レイラは神殿で、すごく質素な生活を送ってきたはずだ。
 もし仮に、彼女が魔族だとかそういうものだとして――その質素な生活があったからこそ聖魔法が使えて、ごく普通の可愛い女の子でしかなかったとしたら?――そこから解放されて何かが目覚めたとしたら?

  僕はさっき一瞬見えた牙を思い出して、頷いた。

 ――食欲以外の、もっと文化的な欲求を満たしてあげたほうがいいんじゃないか。
 
 僕はレイラに言った。
 
「欲しいの、全部作ろう」

「本当に?」と信じられないといった顔のレイラの横で、ライガも「本気か」と驚いた顔をした。

「街用は街用でいいじゃないか。毎日仕事に行くわけじゃないし。宿屋に置いといてもらえるよ」

 僕はおばあさんに微笑んだ。

「よろしくお願いします」
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