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1.私は、とても幸せだった、はずだった

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 光の差し込まない地下牢の中、冷たい石壁に寄りかかり、私は暗闇を見つめた。
 
 私、エリス=ハウゼンはとても幸せだ――幸せだったはずなのに。

 私は、エルシニア王国、ハウゼン侯爵家の長女として生まれて、何不自由なく育った。
 お父さまもお母さまも私を愛してくれている。歳の離れた弟のディランはとても可愛い。お父さまは領民に慕われ、尊敬されている。
 
 小さいころに決められた婚約者は、3つ年上のこの国の第2王子のオーウェン様。
 本を読むことがお好きで、ちょっと控えめで気弱なところはあるけれど、優しい王子様。

 将来は王太子であるお兄様・マーティン様をきっとしっかり補佐して国を支えてくれるだろう、ということが想像できるような、そんな王子様だ。

 私は、とても幸せだった、はずだった。
 ――あの時までは。

 それは、王太子のマーティン様の22歳のお誕生日を祝うパーティーの日。

「お嬢様っ……ステップの練習さぼってましたね」

 当日の朝、執事見習のジェイクがジト目で私のこと見てきたことを思い出す。

 ジェイクはハウゼン家の使用人を取り仕切る執事の一人息子で、将来はお父さんの跡を継いでハウゼン家の執事になる予定だ。

 8歳年上の彼は、勉強だけではなく行儀作法からはてはダンスまで、とにかく何でもできるすごい人だ。私が小さいころから家庭教師に教わってできないところなんかを、こっそり教えてくれていたのだけど、その教え方がなんと先生よりも上手だったりしたものだから、――いつの間にやら、いろいろなことを家庭教師の代わりに彼に教わるようになっていた。

 それだけ才能豊かなので、お父様が王宮で仕事をしないかと何度も勧めているのだけど、「私はハウゼン家の執事以外にはなりません」とその度に首を横に振り続けている、変な人。

――そう、ジェイクが、パーティーでオーウェン様と踊るダンスを練習しようと言い出したんだ。私がきちんとできるか不安だからって。それで、最後の練習をしてもらったのだけど、私はもたついてジェイクの足を踏んでしまって、そう言われたんだった。

「だって、ゆるやかな曲って逆に難しいんだもの」

 そう言ったら、彼はいつもみたいに溜息をついて、

「『だって』じゃないですよ、お嬢様」

 って困った顔をしていた。
その後、しばらく練習をさせられて、それから馬車に乗ってパーティー会場に行ったわ。

「エリス! ようこそ」

 王宮に着いたら、いつもみたいにオーウェン様が出迎えてくれて、ホールに着いたら、その日の主役のマーティン様と、マーティン様の婚約者のアリエッタ様が挨拶に来てくれたの。

 アリエッタ様は私の2つ年上の19歳。公爵家のお嬢様だけど、とっても気さくな人で、私の本当のお姉さまのように接してくれる。

「素敵なクリーム色のドレスね。貴女の柔らかい雰囲気によく似合っているわ」

「有難うございます。アリエッタ様こそ素敵なドレス」

 私は、並んだお二人を見て見惚れたわ。

 金髪に青い瞳の、絵本に出てくるような王子様そのもののマーティン様。
 彼に親し気に寄り添う、きれいな銀髪に青い瞳のアリエッタ様。
 次のこの国の王様と王妃様に相応しい完璧な二人だと思った。

 ――そして、事件が起こったのは、マーティン様が私の家からの贈り物であるワインを瓶から注いで飲んだ時。

 私の家の領地――ハウゼン領は葡萄の栽培が盛んで、最近ワインをたくさん出荷するようになっていて――それで、ここ最近はお祝い事の時はワインを贈るのが習慣になっていたのだけど。

「我が弟、オーウェンの未来の花嫁――僕の未来の義妹いもうとから贈られたワインを頂こうと思う。僕と同い年のワインなんだよね、エリス」

 そう言われて、私は頷いた。
 赤い液体がとぽとぽとグラスを満たして、アリエッタ様とグラスを鳴らして、マーティン様が先に口をつけた。
 その瞬間、叫び声が響いて――それは、アリエッタ様の声だった。

「きゃぁぁ! マーティンっっ」

 はっとした時には。
 マーティン様がホールの床に膝をついて口を押さえていた。
 口元からワインとは違う、紅い液体がつたって、白いシャツを赤黒く染めていた。
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