【完結】存在を消された『名無し』の私は、姫である双子の姉の代わりに隣国の狼王に嫁ぐことになりました。

蜜柑

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9.朝(2)

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 低い耳に心地よい「ありがとう」という声が頭の中に反響して、私は目が回るような気持ちがした。

「……アーノルド」

 言いたいことが自然と口から出てくる。彼は「どうかしたか」と首を傾げた。

「あなたのことを、聞いてもいいですか」

 この人のことがもっと知りたい、と思う。
「何でも」とアーノルドは足元の狼の背中を撫でながら笑った。

「――耳のところが、どうなっているか、見せてくれないですか」

 何から聞こうかとぐるぐる思案して、まず口から出たのはその質問だった。
 アーノルドは「耳……」と少し困惑したように呟いて、頭をお辞儀するように下げた。

「――見えるだろうか?」

 私は背筋を伸ばして、彼の頭に顔を近づけた。
 銀色の髪の間から、ふわっとした毛に覆われた三角の耳が生えている。
 思わず手を伸ばして触れると、耳を包む毛並みは髪の毛と違う、狼の毛並みのような柔らかい細かい毛質だった。

「くっ、ははは、ははっ」

 耐えきれなくなったように噴き出したアーノルドが笑いながら、ざっと勢いよく身を退いて、花壇の隅に耳を押さえて丸くなった。そのまま肩を震わせて笑っている。

「……ごめんなさい、大丈夫ですか?」

「……悪い、悪い、人に触られることなんかないから……こんなにくすぐったいと思わなかった」

 ようやく落ち着いたのか、大きく息を吐いて、彼は私に向き直った。

「これで、あなたの希望は叶っただろうか」

 はい、と頷く。

「本当に頭から耳が生えているんですね。――髪を洗った時に、水が入ったりはしないのですか?」

 アーノルドは首を傾げる。

「考えたこともなかったが……、入らないよ。こう、後ろから水を流せば」

 彼は耳を押さえながら頭から桶に組んだ水を流す真似をした。

「――なるほど」

 私は感心して頷く。

「レオナが獣人の方は私たちより音がよく聞こえると言っていましたが、どのくらい聞こえるのですか?」

 アーノルドはうーんと首を傾げると上着のポケットから袋を出して私に渡した。
 中には、金貨や銀貨などのお金が入っている。

「――王様がお金を持ち歩いているんですね」

「もともと王ではないからな。一応、何かあったときのために持っているんだ。その中から一枚選んで、上に放り投げて地面に落としてみてくれ。俺は見ないから」

 そう言って私に背を向ける。
 私は銀貨を手に取ると言われた通り空中にそれを放り投げた。
 石畳に当たってチャリン、と音をさせ、銀貨は地面に転がる。

「あなたが投げたのは――銀貨だろう」

 こちらを見ないまま、アーノルドは言う。

「……そうです」

 私は驚いて目をぱちぱちした。音の区別がついているんだろうか。
 それから何回か違う種類のものを投げてみたが、その度に彼はそれを当てた。

「――見ていないですよね」

 思わず疑ってそう言うと、アーノルドは両手を組んで「もちろん」と口を尖らせた。

そんな話をしている間に、いつの間にか周囲が明るくなってきた。
辛抱強く列になって私たちの会話を待っていた狼たちがすんすんと鼻を鳴らし始める。

アルとイオが何かを訴えるようにアーノルドの足を手でごしごしと擦った。

「まずい、こいつらの飯の時間だ」

 はっと気づいたようにアーノルドは立ち上がった。

「ごめんなさい、長いこと足止めしてしまって」

 謝って私も立ち上がる。タニアが起きてきて、私がいなかったら騒ぐかもしれない。
 私も部屋に戻った方が良さそうだ。
 水を汲んだ桶を持って歩こうとしたら、その手をアーノルドが止めた。

「アルに持って行かせよう」
 
 そう言って銀色の毛の狼の口に桶の取っ手を咥えさせた。
 狼は器用に水をこぼすことなく、それを咥えている。

「――こんなことができるのね」

 感心してそう言うと、アーノルドは「賢いだろう」と笑って、それから私を見つめた。

「こういうことは使用人に頼んで欲しい」

 今の私はリーゼロッテなのだから、そう、こういうことは人にやってもらわないといけない。

「――わかりました。朝早く目が覚めてしまって、手持ち無沙汰で」

 言い訳のようにそう言うと、アーノルドは笑った。

「俺も早く目が覚めてしまうんだ。毎日、こいつらの散歩でぐるっと庭を歩いているから、良かったらまた、話をしよう。――今朝は楽しかったよ」

 笑顔につられて、頬が緩む。

「――私も、楽しかったです」

 そう言うとアーノルドは急に真面目な顔になって私を見つめた。

「――良かった、笑ってくれて」

 首を傾げると、彼は安心したように微笑んだ。

「ずっと、表情が硬いようだったから、気になっていた。今、笑ってくれて良かった」

 私は自分の頬を両手で押さえた。ずっと動かしていなかった顔を動かしたせいかぴくぴくしている気がする。
 アーノルドは小さい声で呟く。

「あなたは、笑うと、ずっと可愛いな」

 私はそのまま顔を押さえた。相手の顔を見ることができず、「ありがとうございます」とだけ呟いてその場を去る。

 水桶を咥えた銀狼はとことこと私の後をついてきた。

 部屋に戻ると、訝し気な顔で室内に立っていたタニアが狼を見て悲鳴を上げた。
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