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3.隣国の『狼王』
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それからひと月後、輿入れは、とても密やかに行われた。
今回私が隣国に行くというのは公には秘密なので仕方がない。
このひと月は、今までで一番幸せだった。
私はリーゼロッテに比べて痩せすぎだったので、曲りなりにも姫に見えるよう、雑用を免除され、他の者の目に触れないよう、城の中でお父様たちが暮らす棟の一室に移動し、温かい美味しい食事を与えられた。
“口無し”は病気で寝込んでいるということになったらしい。
「あれがいないと、仕事が増えて面倒だわ。死なれると困るわね」とリーゼロッテの侍女たちが廊下で愚痴っているのが聞こえた。
私がリーゼロッテの双子の妹だと知る、お母様の侍女のタニアが私の髪や肌の手入れを行い、額の傷の痕を隠すような化粧のやり方を教えてくれた。彼女は、隣国へもついてくるそうだ。
「まぁ、まがい物も磨けば本物のよう。見てください、姫様」
私を飾り立てたタニアはリーゼロッテを部屋に呼んで見せた。
「――気持ち悪い。どうして同じ顔をしているの」
リーゼロッテは顔をしかめると、水をつけたタオルで私の額を拭った。
額の十字の痕が表に出て、私は思わず前髪を降ろした。
「隠さないの。それはあなたが私のまがい物である証拠なんだから」
姉は満足げに笑った。
そんな1月のことを思い出しながら、白い婚礼ドレスに身を包み、タニアと共に地味な馬車に揺られて国境沿いへ向かって走っていた。
城のある王都から国境までは3日ほど。使用人のような格好で城を出発し、途中別荘の館に2泊して今日に至る。今着ている白い衣装には、朝出発する時に着替えた。
国境あたりに隣国から迎えが来るらしい。
隣国を乗っ取ったというその獣人の王を、お父様たちは侮蔑の色を込めて『狼王』と呼んでいた。
――どんな人かしら。
私は王都で承認の荷車を引いていた獣人の男を思い出した。
その男は顔や体は人間だったが、腕にはふさふさした毛が生えていて、頭に耳とズボンから尻尾が生えていた。同じような感じだろうか。
『粗暴で色狂いだそうよ』というリーゼロッテの言葉を思い出す。
粗暴は嫌だな、と思う。痛い思いをするのは嫌だ。
そうでなければ、色狂いというのは別にどうでも良い気もした。
求められないよりは求められる方が良いだろう。
誰からも何も求められないことことが一番つらい。痛いよりももっと。
自分という存在が消えてなくなってしまうような気がするから。
だから、求められればそれはそれで良いかと思う。
「――リーゼロッテ様」
そんなことを考えていたら、タニヤが急に名前を呼んだので、私は咄嗟に自分が呼ばれたと気づかず「あ」と間抜けな声を上げた。
そうすると、ぴしゃりと手の甲を叩かれた。
「あなたは、リーゼロッテ様なのです。呼ばれたらすぐに反応なさい」
「――申し訳ありません」
頭を下げるとまた手の甲を叩かれる。
「姫がそのような態度を召使に対してとらないでください」
では、どう返事をするのが正解だったんだろうか。私は黙り込んで、ため息をついた。
畑が続く道を抜け、やがて馬車は石垣の連なる国境の門のところへ着いた。
タニヤが外へ出て門番に扉を開けさせる。
私たちはルピア王国の外へと出た。
門の外は何もない草原に道が続いている。その道の先に、馬に乗った兵士のような人が数人と、馬車が2台見えた。1つは飾りのついた豪華な馬車だ。タニアは馬車を止めさせると、私に外に出るように促した。
「――リーゼロッテ様、外へ」
「は、はい」
私は頷くと、彼女に手を引かれて馬車を降りた。
「あなたが、ルピア王国の姫君のリーゼロッテ様ですか」
馬から降りた兵士の恰好をした一人が私たちに近づく。
女の人だ。と私は目を見開いた。
兵士のような恰好をしているけれど、長い茶色の髪を後ろで結っている女の人だった。
頭には大きいふわっとした毛並みの耳が生えている。
「そうです」
「私はレオナと申します。よろしくお願いいたします」
レオナはそう言って頭を下げると、私の手を豪華な方の馬車へと引いた。
「私も一緒に」
そう言いかけたタニアを、レオナは後ろのもう一つの馬車の方へと案内する。
私は豪華な馬車の階段を昇った。
「――あなたがリーゼロッテか」
低い落ち着いた声に顔を上げると、大柄な男が私に視線を向けていた。
鋭い青い瞳に思わずたじろいで、「……はい」と答えた。
男は困ったような表情をして、銀色のやや長めの髪をわしゃりと掻いた。
同じく銀色の毛の耳が髪の毛の中から生えている。
ふわふわしていて触りたくなるような耳だった。鋭い見た目とその耳の対比に困惑して黙っていると、彼は大きく息を吐いて、私に手を伸ばした。
「そう怯えないでくれ。我々の要望に応え、遠路はるばる来て頂き、有難い。俺がえぇと、テネスの新国王……になるのか……、アーノルドと言う」
私は差し出された手を握り返した。手のひらは人間の手だった。がっしりした指が大きく、温かかった。
今回私が隣国に行くというのは公には秘密なので仕方がない。
このひと月は、今までで一番幸せだった。
私はリーゼロッテに比べて痩せすぎだったので、曲りなりにも姫に見えるよう、雑用を免除され、他の者の目に触れないよう、城の中でお父様たちが暮らす棟の一室に移動し、温かい美味しい食事を与えられた。
“口無し”は病気で寝込んでいるということになったらしい。
「あれがいないと、仕事が増えて面倒だわ。死なれると困るわね」とリーゼロッテの侍女たちが廊下で愚痴っているのが聞こえた。
私がリーゼロッテの双子の妹だと知る、お母様の侍女のタニアが私の髪や肌の手入れを行い、額の傷の痕を隠すような化粧のやり方を教えてくれた。彼女は、隣国へもついてくるそうだ。
「まぁ、まがい物も磨けば本物のよう。見てください、姫様」
私を飾り立てたタニアはリーゼロッテを部屋に呼んで見せた。
「――気持ち悪い。どうして同じ顔をしているの」
リーゼロッテは顔をしかめると、水をつけたタオルで私の額を拭った。
額の十字の痕が表に出て、私は思わず前髪を降ろした。
「隠さないの。それはあなたが私のまがい物である証拠なんだから」
姉は満足げに笑った。
そんな1月のことを思い出しながら、白い婚礼ドレスに身を包み、タニアと共に地味な馬車に揺られて国境沿いへ向かって走っていた。
城のある王都から国境までは3日ほど。使用人のような格好で城を出発し、途中別荘の館に2泊して今日に至る。今着ている白い衣装には、朝出発する時に着替えた。
国境あたりに隣国から迎えが来るらしい。
隣国を乗っ取ったというその獣人の王を、お父様たちは侮蔑の色を込めて『狼王』と呼んでいた。
――どんな人かしら。
私は王都で承認の荷車を引いていた獣人の男を思い出した。
その男は顔や体は人間だったが、腕にはふさふさした毛が生えていて、頭に耳とズボンから尻尾が生えていた。同じような感じだろうか。
『粗暴で色狂いだそうよ』というリーゼロッテの言葉を思い出す。
粗暴は嫌だな、と思う。痛い思いをするのは嫌だ。
そうでなければ、色狂いというのは別にどうでも良い気もした。
求められないよりは求められる方が良いだろう。
誰からも何も求められないことことが一番つらい。痛いよりももっと。
自分という存在が消えてなくなってしまうような気がするから。
だから、求められればそれはそれで良いかと思う。
「――リーゼロッテ様」
そんなことを考えていたら、タニヤが急に名前を呼んだので、私は咄嗟に自分が呼ばれたと気づかず「あ」と間抜けな声を上げた。
そうすると、ぴしゃりと手の甲を叩かれた。
「あなたは、リーゼロッテ様なのです。呼ばれたらすぐに反応なさい」
「――申し訳ありません」
頭を下げるとまた手の甲を叩かれる。
「姫がそのような態度を召使に対してとらないでください」
では、どう返事をするのが正解だったんだろうか。私は黙り込んで、ため息をついた。
畑が続く道を抜け、やがて馬車は石垣の連なる国境の門のところへ着いた。
タニヤが外へ出て門番に扉を開けさせる。
私たちはルピア王国の外へと出た。
門の外は何もない草原に道が続いている。その道の先に、馬に乗った兵士のような人が数人と、馬車が2台見えた。1つは飾りのついた豪華な馬車だ。タニアは馬車を止めさせると、私に外に出るように促した。
「――リーゼロッテ様、外へ」
「は、はい」
私は頷くと、彼女に手を引かれて馬車を降りた。
「あなたが、ルピア王国の姫君のリーゼロッテ様ですか」
馬から降りた兵士の恰好をした一人が私たちに近づく。
女の人だ。と私は目を見開いた。
兵士のような恰好をしているけれど、長い茶色の髪を後ろで結っている女の人だった。
頭には大きいふわっとした毛並みの耳が生えている。
「そうです」
「私はレオナと申します。よろしくお願いいたします」
レオナはそう言って頭を下げると、私の手を豪華な方の馬車へと引いた。
「私も一緒に」
そう言いかけたタニアを、レオナは後ろのもう一つの馬車の方へと案内する。
私は豪華な馬車の階段を昇った。
「――あなたがリーゼロッテか」
低い落ち着いた声に顔を上げると、大柄な男が私に視線を向けていた。
鋭い青い瞳に思わずたじろいで、「……はい」と答えた。
男は困ったような表情をして、銀色のやや長めの髪をわしゃりと掻いた。
同じく銀色の毛の耳が髪の毛の中から生えている。
ふわふわしていて触りたくなるような耳だった。鋭い見た目とその耳の対比に困惑して黙っていると、彼は大きく息を吐いて、私に手を伸ばした。
「そう怯えないでくれ。我々の要望に応え、遠路はるばる来て頂き、有難い。俺がえぇと、テネスの新国王……になるのか……、アーノルドと言う」
私は差し出された手を握り返した。手のひらは人間の手だった。がっしりした指が大きく、温かかった。
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