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【3】九十九(つくも)
43. 『……次は、先に、鬼にしよう――次は』
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(はるは今、私を恐れている)
美味そうな恐怖の感情の気配が鼻先に漂って、九十九は自分の中に湧き上がってくる『喰いたい』という衝動に落胆した。 もし、自分が彼女を「愛して」いるなら、「喰いたい」などと思わないはずだ。
愛し合う人間同士というのは、相手のために自分の命を捨てて身を捧げたりするのだから。つまり、自分が彼女に対して感じていたのは「愛」ではなく、ただの物に対する執着のようなものだったのだろう。
――そして同時に九十九は落胆していた。彼女が自分を恐れていることに。
『私が怖いか?』
言葉が出ないのだろう。蒼白の表情でコクリとようやく頷いた彼女の胸ぐらをつかんで持ち上げた。
『自分の夫をなぜ怖がる? 私たちは祝言を上げて夫婦になったはずだ』
(はるは私を愛していなかった?)
自分を愛していたのであれば、何故今これほど怖がってるのか。
『旦那様は、妖だったのですか……』
『そうだ、私は妖だ』
『今までも、ずっと、こんなことをしていたのですか』
蒼白の表情で彼女は問う。
九十九は深くため息を吐いた。
『そうだ。――こんなことと言われても、これが私にとっての食事なのだから、仕方ないだろう』
『私の、料理を食べてくださっていましたが』
はるは震える声で言葉を続けた。
『食べることはできる。しかし、腹は膨れないのだ』
『美味しい、美味しいと、おっしゃってくれていたのは、――嘘だったのですか』
はるは目に涙を浮かべて、消え入りそうな声でつぶやいた。
九十九はどう返事をしようか逡巡した。
人間の食事はどれを食べても味がしなかった。
ただ『美味い』と言えば、はるが嬉しそうにしたので、その方が関係が円滑になるかと思ってそう言っていただけだ。
その事実を伝えたら、彼女は泣き崩れるだろうか。
(もう、会話する意味がないな)
自分を見つめる妻の表情に九十九は落胆した。
人間にはやはり妖を理解することなど無理だということを悟る。
理解し合えないのであれば、『愛』など生まれるはずもない。
こんな表情で自分を見つめるこの女の顔を見ていたくなかった。
――それならば。
『はる、お前も妖になれ』
彼女も妖になれば、自分のことを理解してくれるのではないか。
はるの頭をつかむと、精神に入り込む。
『旦那様! 嫌です!!!』
手足をばたつかせる彼女の身体を抑え込んで、精神に、身体に妖力を送り込む。
――と同時に彼女の考えが流れ込んできた。
だんなさま、優しい、私なんかに、妖、あやかし?、怖い、でも、優しくて、
どうして、このまま、いっしょに、なぜ、
九十九は思わず手を引っ込めた。
彼女の身体は、半分鬼に変容していた。
――しかし。変容した部分が形を保てず、どろどろと床に溶けていってしまう。
『――はる、喰らえ、人を!!!!』
そう声を上げると、九十九は足元で虫の意識になっているごろつきの男の腕を持ち起こすと、そのまま腕をもいだ。あまりの痛みに意識を取り戻したのか、男は悲痛な叫び声をあげる。九十九ははるの様子を見つめた。――通常であれば、鬼と化した人間は、この悲鳴に込められた恐怖の感情を吸収して、活力を得るはずだが――。
『はる』だったそれは、九十九の腕から溶け出して床に広がってしまった。
『何故』
呆然と九十九は呟いた。
人間を鬼にする時は――誰かが憎い、何かを滅ぼしたい――そんな負の感情を増幅させ、鬼にしていた。鬼になった人間は、その感情の赴くまま、周りの人間を襲い、喰らい鬼として完成する。
しかし、はるは。彼女の中にはそのような誰かに向けられる負の感情がなかった。
それ故、身体が変容しても、鬼を鬼たらしめる原動力が足りず、形を保てなかったのだ。
半分人の形を残した顔を上に向けて、はるは呟いた。
『だんな、さま』
消え入りそうなその声を最後に、はるの身体から生命力が感じられなくなった。
『……』
九十九は呆然と床に広がった彼女の残骸を眺めていた。
今までに味わったことのない『何か』を胸に感じた。
ぽっかりと気持ちに穴が空いたような空虚感。
『もう少しで、私も、『愛』がわかったかもしれないのに』
九十九は足元に転がったごろつきの頭を何度も何度も踏みつぶした。
それが原型がなくなり、踏みつける感覚もなくなったころ九十九は空を見上げて呟いた。
『……次は、先に、鬼にしよう――次は』
家族になるならば、相手は自分と同じ感覚を有しているべきだ。
人を喰らうことを理解してくれる者でなければ相いれない。
自分を恐怖の目で見つめたはるの表情を思い出す。
あんな顔で見られるのは嫌だ。
人間の娘をまず鬼にしよう。その娘が妖として適合するならば、妻に迎えよう。
『……大人しく、家で寝ていればよかったものを』
九十九は冷たくなったはるを見下ろして呟いた。
着物をできるだけ整えてやると頬を撫でた。
そして鵜原 百助の身体から抜け出した。
もはやこの男の身体で暮らす必要はない。
死体に戻った百助の身体を地面に転がして、九十九はその場を去った。
美味そうな恐怖の感情の気配が鼻先に漂って、九十九は自分の中に湧き上がってくる『喰いたい』という衝動に落胆した。 もし、自分が彼女を「愛して」いるなら、「喰いたい」などと思わないはずだ。
愛し合う人間同士というのは、相手のために自分の命を捨てて身を捧げたりするのだから。つまり、自分が彼女に対して感じていたのは「愛」ではなく、ただの物に対する執着のようなものだったのだろう。
――そして同時に九十九は落胆していた。彼女が自分を恐れていることに。
『私が怖いか?』
言葉が出ないのだろう。蒼白の表情でコクリとようやく頷いた彼女の胸ぐらをつかんで持ち上げた。
『自分の夫をなぜ怖がる? 私たちは祝言を上げて夫婦になったはずだ』
(はるは私を愛していなかった?)
自分を愛していたのであれば、何故今これほど怖がってるのか。
『旦那様は、妖だったのですか……』
『そうだ、私は妖だ』
『今までも、ずっと、こんなことをしていたのですか』
蒼白の表情で彼女は問う。
九十九は深くため息を吐いた。
『そうだ。――こんなことと言われても、これが私にとっての食事なのだから、仕方ないだろう』
『私の、料理を食べてくださっていましたが』
はるは震える声で言葉を続けた。
『食べることはできる。しかし、腹は膨れないのだ』
『美味しい、美味しいと、おっしゃってくれていたのは、――嘘だったのですか』
はるは目に涙を浮かべて、消え入りそうな声でつぶやいた。
九十九はどう返事をしようか逡巡した。
人間の食事はどれを食べても味がしなかった。
ただ『美味い』と言えば、はるが嬉しそうにしたので、その方が関係が円滑になるかと思ってそう言っていただけだ。
その事実を伝えたら、彼女は泣き崩れるだろうか。
(もう、会話する意味がないな)
自分を見つめる妻の表情に九十九は落胆した。
人間にはやはり妖を理解することなど無理だということを悟る。
理解し合えないのであれば、『愛』など生まれるはずもない。
こんな表情で自分を見つめるこの女の顔を見ていたくなかった。
――それならば。
『はる、お前も妖になれ』
彼女も妖になれば、自分のことを理解してくれるのではないか。
はるの頭をつかむと、精神に入り込む。
『旦那様! 嫌です!!!』
手足をばたつかせる彼女の身体を抑え込んで、精神に、身体に妖力を送り込む。
――と同時に彼女の考えが流れ込んできた。
だんなさま、優しい、私なんかに、妖、あやかし?、怖い、でも、優しくて、
どうして、このまま、いっしょに、なぜ、
九十九は思わず手を引っ込めた。
彼女の身体は、半分鬼に変容していた。
――しかし。変容した部分が形を保てず、どろどろと床に溶けていってしまう。
『――はる、喰らえ、人を!!!!』
そう声を上げると、九十九は足元で虫の意識になっているごろつきの男の腕を持ち起こすと、そのまま腕をもいだ。あまりの痛みに意識を取り戻したのか、男は悲痛な叫び声をあげる。九十九ははるの様子を見つめた。――通常であれば、鬼と化した人間は、この悲鳴に込められた恐怖の感情を吸収して、活力を得るはずだが――。
『はる』だったそれは、九十九の腕から溶け出して床に広がってしまった。
『何故』
呆然と九十九は呟いた。
人間を鬼にする時は――誰かが憎い、何かを滅ぼしたい――そんな負の感情を増幅させ、鬼にしていた。鬼になった人間は、その感情の赴くまま、周りの人間を襲い、喰らい鬼として完成する。
しかし、はるは。彼女の中にはそのような誰かに向けられる負の感情がなかった。
それ故、身体が変容しても、鬼を鬼たらしめる原動力が足りず、形を保てなかったのだ。
半分人の形を残した顔を上に向けて、はるは呟いた。
『だんな、さま』
消え入りそうなその声を最後に、はるの身体から生命力が感じられなくなった。
『……』
九十九は呆然と床に広がった彼女の残骸を眺めていた。
今までに味わったことのない『何か』を胸に感じた。
ぽっかりと気持ちに穴が空いたような空虚感。
『もう少しで、私も、『愛』がわかったかもしれないのに』
九十九は足元に転がったごろつきの頭を何度も何度も踏みつぶした。
それが原型がなくなり、踏みつける感覚もなくなったころ九十九は空を見上げて呟いた。
『……次は、先に、鬼にしよう――次は』
家族になるならば、相手は自分と同じ感覚を有しているべきだ。
人を喰らうことを理解してくれる者でなければ相いれない。
自分を恐怖の目で見つめたはるの表情を思い出す。
あんな顔で見られるのは嫌だ。
人間の娘をまず鬼にしよう。その娘が妖として適合するならば、妻に迎えよう。
『……大人しく、家で寝ていればよかったものを』
九十九は冷たくなったはるを見下ろして呟いた。
着物をできるだけ整えてやると頬を撫でた。
そして鵜原 百助の身体から抜け出した。
もはやこの男の身体で暮らす必要はない。
死体に戻った百助の身体を地面に転がして、九十九はその場を去った。
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