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【3】九十九(つくも)
40. 『可哀想』『可哀想』『可哀想』『可哀想』
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いつものように狩りをしたある日のこと。その日喰おうとしたのは幼い子どもを持つ母親だった。母親というのは目の前で子どもを痛めつけてやれば、それはそれは美味い恐怖の感情を溢れさせてくれる。夕暮れに買い物をして手をつないで帰る母子。父親が病で早世したのか、忘れ形見の子どもと母子ふたりっきり。数日前から目をつけていた。良い獲物を見つけたと思った。
いつものように子どもの命乞いをする母親から十分に恐怖の感情を喰らい尽くしたところで、その子を切り刻み絶命させた。母親は金切声を上げて子どもの名前を何度も叫んだあと、何もかも失ったような虚無の顔で空中を見上げた。
(空っぽになった)
妖は人間の生気を感じ取れる。目の前の女はもはや生きる気力を失った、何の感情もない人形のような状態だった。もう痛めつけたところで、妖が求める『恐怖』の感情を絞り出すこともできなそうだ。こうなってしまっては、もはや餌としての価値はない。『恐怖』の感情は『生きたい』という生気から生まれるのだから。だから『生きたい』という希望を失わせずに人間を痛めつけることが妖の狩りのやり方だった。
(放っておこう)
とどめを刺すのは容易だろうが、そうしたところで手間なだけだ。
(それにそのうちまた子どもでも作って、餌になるかもしれない。そういえば人間も小魚や子どもの動物は逃がすと本に書いてあったな。それと同じか。この場合は親を逃がすのだが)
そんなことを考えながら九十九はその場から立ち去ろうとした。
その時女が問いかけた。
『……あなたに親や子どもはいないの?』
振り返れば、女はぼろ雑巾のようになった我が子の亡骸を抱えて、空中を見ながらひとりごとのように呟いていた。
九十九は答えた。人と会話するのは好きだった。いつも人間に混ざる時は、社交的にふるまっている。このような状態の人間がどのような会話をしてくれるのか興味深く感じた。
『妖には親も子もない。気がついたらそこに在るだけだ』
『――可哀想に』
とだけその女は言った。
『可哀想?』
九十九は首を傾げた。
『可哀想』という言葉を人にかけられたのは初めてだった。
『ただ人を喰らって生きるだけ――愛する相手もいないのね――可哀そう』
『――? それが、可哀想?』
全てを失った女は、子の亡骸を抱きしめて呆けたように『可哀想』と呟き続けた。
『可哀想』『可哀想』『可哀想』『可哀想』
九十九はその言葉を不快に感じた。
『黙ってくれると嬉しいのだが』
『可哀想』『可哀想』『可哀想』『可哀想』
『黙ってくれ』
いつまでたっても黙らないので、九十九は女の首を掻っ切った。
血を浴びながら九十九は呟いた。
『私には足りない――?人間にあるものが、ない――?』
九十九は自問自答した。
(どうしてこんなに不快なんだ?)
ただ立ち去れば良かったのに。女に『可哀想』と言われ続けたまま去るのが嫌だったのだ。
『自分が人間より劣る部分がある』
――それは、妖こそ人より上位の存在だと考えていた九十九にとって許しがたい事実だった。しかし一方で、それは長年の九十九の抱いていた疑問に対する答えでもあった。
妖には人間にあるものが欠けている。
それ故、人間は数を増やし発展しているのに、妖はいつまでも変わらないままなのだ。
妖に欠けているもの――それは。
『愛する相手』
女の言葉を九十九は復唱した。
(――『愛』か)
それは自己を犠牲にしてまでも、相手を優先するそんな感情のようだ、と九十九は解釈していた。解釈はしていたが、全く理解できない感情だった。
しかし、考えてみれば。人間はその『愛』に基づいた関係性を発展させ、社会をつくっている。
(『愛』が理解できれば、妖は本当の意味で人に勝る)
九十九は手始めに「九十九」という名前を自分でつけた。
「百」というのは「欠けたもののない満ちた状態」を示すと、本で読んだ。
だから、「九十九」という名前を自分につけた。
いつの日には、「百」になってやるという思いを込めて。
(百になった時、私は完全な存在になる)
それから、九十九は喰らう前の人間に問いかけるようになった。
『君の愛する人は? 君がどれくらいその人を愛しているのか、教えてくれれば、私は君の命を助けたくなるかもしれない』
『家族』と答える人間が多かった。
『妻』『夫』『子ども』『親』
「ふむ」と九十九は考えた。
観測したところによると、人間は多くの場合男女で結婚して子どもが生まれ、家族になるようだ。結婚は大体の場合、親が決めた相手とするようだが、『恋』をいた者同士が一緒になる場合もあるらしい。その『恋』を主題にした物語――小説というものも、特に若い女性の間で人気があるということを学んだ。
(「家族」というのは妖にはない概念だ)
妖は雨が降るように、水が凍るように自然発生的に生まれる。
親はいないし、子もいない。
『――私も『家族』を持てば、『愛』という感情を持つことができるかもしれない』
九十九はその結論に至った。
妖として生まれた時、初めに取り憑いたのが人間の男だったためか、九十九は自分自身を『男』だと認識していた。
『家族を作るためには「妻」を探さねば』
九十九は考えた。
『「妻」を探して、子を持ち、家族を作る』
それを目標とした。
いつものように子どもの命乞いをする母親から十分に恐怖の感情を喰らい尽くしたところで、その子を切り刻み絶命させた。母親は金切声を上げて子どもの名前を何度も叫んだあと、何もかも失ったような虚無の顔で空中を見上げた。
(空っぽになった)
妖は人間の生気を感じ取れる。目の前の女はもはや生きる気力を失った、何の感情もない人形のような状態だった。もう痛めつけたところで、妖が求める『恐怖』の感情を絞り出すこともできなそうだ。こうなってしまっては、もはや餌としての価値はない。『恐怖』の感情は『生きたい』という生気から生まれるのだから。だから『生きたい』という希望を失わせずに人間を痛めつけることが妖の狩りのやり方だった。
(放っておこう)
とどめを刺すのは容易だろうが、そうしたところで手間なだけだ。
(それにそのうちまた子どもでも作って、餌になるかもしれない。そういえば人間も小魚や子どもの動物は逃がすと本に書いてあったな。それと同じか。この場合は親を逃がすのだが)
そんなことを考えながら九十九はその場から立ち去ろうとした。
その時女が問いかけた。
『……あなたに親や子どもはいないの?』
振り返れば、女はぼろ雑巾のようになった我が子の亡骸を抱えて、空中を見ながらひとりごとのように呟いていた。
九十九は答えた。人と会話するのは好きだった。いつも人間に混ざる時は、社交的にふるまっている。このような状態の人間がどのような会話をしてくれるのか興味深く感じた。
『妖には親も子もない。気がついたらそこに在るだけだ』
『――可哀想に』
とだけその女は言った。
『可哀想?』
九十九は首を傾げた。
『可哀想』という言葉を人にかけられたのは初めてだった。
『ただ人を喰らって生きるだけ――愛する相手もいないのね――可哀そう』
『――? それが、可哀想?』
全てを失った女は、子の亡骸を抱きしめて呆けたように『可哀想』と呟き続けた。
『可哀想』『可哀想』『可哀想』『可哀想』
九十九はその言葉を不快に感じた。
『黙ってくれると嬉しいのだが』
『可哀想』『可哀想』『可哀想』『可哀想』
『黙ってくれ』
いつまでたっても黙らないので、九十九は女の首を掻っ切った。
血を浴びながら九十九は呟いた。
『私には足りない――?人間にあるものが、ない――?』
九十九は自問自答した。
(どうしてこんなに不快なんだ?)
ただ立ち去れば良かったのに。女に『可哀想』と言われ続けたまま去るのが嫌だったのだ。
『自分が人間より劣る部分がある』
――それは、妖こそ人より上位の存在だと考えていた九十九にとって許しがたい事実だった。しかし一方で、それは長年の九十九の抱いていた疑問に対する答えでもあった。
妖には人間にあるものが欠けている。
それ故、人間は数を増やし発展しているのに、妖はいつまでも変わらないままなのだ。
妖に欠けているもの――それは。
『愛する相手』
女の言葉を九十九は復唱した。
(――『愛』か)
それは自己を犠牲にしてまでも、相手を優先するそんな感情のようだ、と九十九は解釈していた。解釈はしていたが、全く理解できない感情だった。
しかし、考えてみれば。人間はその『愛』に基づいた関係性を発展させ、社会をつくっている。
(『愛』が理解できれば、妖は本当の意味で人に勝る)
九十九は手始めに「九十九」という名前を自分でつけた。
「百」というのは「欠けたもののない満ちた状態」を示すと、本で読んだ。
だから、「九十九」という名前を自分につけた。
いつの日には、「百」になってやるという思いを込めて。
(百になった時、私は完全な存在になる)
それから、九十九は喰らう前の人間に問いかけるようになった。
『君の愛する人は? 君がどれくらいその人を愛しているのか、教えてくれれば、私は君の命を助けたくなるかもしれない』
『家族』と答える人間が多かった。
『妻』『夫』『子ども』『親』
「ふむ」と九十九は考えた。
観測したところによると、人間は多くの場合男女で結婚して子どもが生まれ、家族になるようだ。結婚は大体の場合、親が決めた相手とするようだが、『恋』をいた者同士が一緒になる場合もあるらしい。その『恋』を主題にした物語――小説というものも、特に若い女性の間で人気があるということを学んだ。
(「家族」というのは妖にはない概念だ)
妖は雨が降るように、水が凍るように自然発生的に生まれる。
親はいないし、子もいない。
『――私も『家族』を持てば、『愛』という感情を持つことができるかもしれない』
九十九はその結論に至った。
妖として生まれた時、初めに取り憑いたのが人間の男だったためか、九十九は自分自身を『男』だと認識していた。
『家族を作るためには「妻」を探さねば』
九十九は考えた。
『「妻」を探して、子を持ち、家族を作る』
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