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【2】婚約披露宴と余波

33. 「これからも、よろしくお願いします」

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「綾子さん、母さん……」

 綾子と砂羽さわが席へ戻ると、彰吾は何か言いたげにちらちらと砂羽の方を見た。

(何で遅かったか気になるけれど、『お手洗い』と私が言ったから詳しく聞けない……のよね)

 彰吾の考えが読み取れて、綾子はふふっと笑った。

「少し寄り道をしていたのよ」

 砂羽は彰吾に悪戯っぽく笑った。

「お父さまの書斎にある、あなたの写真を見てもらったの」

「――俺の写真? 父さんの書斎にそんなのあった?」

 彰吾に驚いたように顔を向けられて、雅和は「む」と表情を険しくして妻を見た。

「――砂羽。勝手に書斎に人を――」

「いいじゃないですか。食事が終わったら、彰吾も一緒に見に行きましょう」

 砂羽は「さあ、お飲みになって」と夫の空いたグラスに酒を注いだ。

***

「今日は、ありがとうございました」

 綾子と彰吾は鈴原家を出ると、歩きで藤宮家に向かった。
 少し距離はあるが、歩けない距離ではない。

「すいません、車でお送りしようと思ったのに飲んでしまって」

 彰吾は頭を掻いて詫びると、綾子はぶんぶんと首を振った。

「いえいえ、私がお酒を注いでしまったので」

 彰吾は最初は飲んでいなかったのに、自分が勧めてしまったから断れなかったのかもしれない、と綾子は申し訳なくなった。すると、今度は彰吾が首を振った。

「いえいえ、綾子さんに注いでいただいたお酒、とてもおいしかったです」

「いえいえ、そんな、とても良いお酒を出していただいて……」

 そこで「いえいえ」の応酬にはっと気がついた二人は、目を合わせて一瞬の沈黙の後噴出した。

「あはは、きりがないですね、いえいえ」

「いえいえ、そうですね」

 ひとしきり笑った後、綾子はぺこりと頭を下げた。

「今日はとても楽しかったです。ありがとうござました」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 彰吾は少し考えこむようにうつむいてから、顔を上げて綾子を見つめた。

「――養父ちちが、俺の写真をあんなに書斎に飾っていたの、俺知らなかったんですよ」

 「本当に知らなくて」と彰吾は呟く。

「養父の書斎に自分から行くことなんて、ありませんでしたから。――俺のことなんて、どうでも良いのかと思っていました。何か、ずっと距離があるような気がして……」

「でも」と綾子を見つめる。

「距離を勝手に作っていたのは俺自身だったかもしれないですね」

「――お二人は、彰吾くんのことをとても大切に思っていると、私は思いましたよ」

 綾子は自分の感じた感想をそのまま伝えた。
 彰吾は少し聞きずらそうに聞いた。

「……養母ははと何か話しましたか?」

 綾子はなんと答えたものか一呼吸逡巡しゅんじゅんして、

「……彰吾くんがお孫さんだということを聞きました」

「――そうですか。では、母のことも」

「――はい」

 少しの間、沈黙が流れた。
 彰吾は少し視線を泳がすと、意を決したように綾子を見つめて口を開いた。

「俺は、2年前、中央公園で鬼になりかけた時、あの通りすがりの親子の何気ない会話を聞いて、羨ましい、どうして俺は……と思ったところで、妖に取り憑かれてしまったんです。俺は、普通に親に愛されているように見えた、通りすがりの子どもが妬ましくて鬼になりかけました。――情けない、ですが」

 「でも」と彰吾は真っすぐに綾子を見つめる。

「でも、俺は、自分が情けないですけど、そういう知らない子どもを妬むような情けない部分を含めて俺だって思えるから、もうこれからは鬼になることはないと思っています。――綾子さんが鬼になりかけた俺を『あなたは悪くない』と言って人間に引き戻してくれた時、初めて俺は、俺で良かったんだ、って思えたんです。俺は悪くないって、人に真っすぐに受け止めてもらえたのは初めてでしたから」

 綾子は頷いた。彰吾は胸の内を自分に伝えようとしてくれている。そのことが嬉しかった。

「それまでは、家紋が憎くて仕方ありませんでした。俺が菊門家の家紋を持っていれば、父は俺も母も大事にしたかもしれないし、――むしろ、いっそ家紋持ちでない普通の家に生まれていれば、普通に両親がいて、捨てられることもなかっただろうって。――でも家紋の力で人を守る綾子さんの姿を見て、家紋って格好良いんだなと思えたんです」

「――話してくれて、ありがとうございます」

 綾子はそう言って頭を下げると、彰吾の瞳を見つめた。

「彰吾くんは、いつも前向きで、私みたいにうじうじと悩むことなんてないのかな、なんて思っていたんですけど――彰吾くんが、悩んでいることを知れて、良かったです」

 話しながら、綾子は(こんな言い方で良かったかしら)と焦ってしまった。

「いえ、あの、彰吾くんが悩んでいることが良いわけではないんですけれど――、話してもらって、嬉しかったんです。彰吾くんには、私の話ばかり聞いてもらっていたような気がしたので、私でも彰吾くんの力になれるのかな、と思って――」

 「あはは」と彰吾は頭を掻いた。

「俺なんか、うじうじしてばかりですよ。綾子さんには、情けない姿を見せたくなくて、虚勢を張ってるだけです」

「私で力になれることがあれば、いつでもお力添えしますから。だから――」

 綾子は彰吾の手をとった。

「これからも、よろしくお願いします」

 彰吾は驚いたように目を見開くと、何度かしぱしぱと瞬きをして呟いた。

「――こちらこそ、……です……」

 それから照れたように片手で顔を押さえて呟いた。

「すいません、憧れていた人に、そんな風に言ってもらえるなんて……」

 耳まで赤くなっている。
 その様子を見て、綾子は思わず「ふふふ」と笑い声を漏らした。
 彰吾は焦ったように手をわたわたと動かした。

「何か、俺、おかしなこと言いましたかっ?」

「違うんです。――ちょっと、可愛らしいなと……。すいません、男性には失礼ですよね」

 綾子はくすくすと肩を震わせた。
 夜風が吹き抜ける。

「かわいいのは綾子さんですよ……」

 彰吾はそう呟くと、綾子の前髪に触れた。
 そのまま彰吾の顔が綾子に近づく。唇と唇が触れ合う感触があった。

「――」

 驚いて彰吾を見つめると、一瞬の沈黙のあと、彼自身も驚いたように後ろに飛びのいた。

「すすすいません」

「いえいえいえ、こちらこそ」

 綾子はぶんぶん首を振ると、うつむきがちに呟いた。

「――その、嬉しかったです――」

 一瞬の沈黙のあと、ふわりと彰吾の手が綾子の頬を包んだ。
 ゆっくりと顔が近づく。綾子は自然と目を閉じた。
 今度は一瞬ではなく、穏やかに彰吾の温もりを感じた。

 目を開けると、彰吾が微笑んでいた。

「――帰りましょうか。妹さんたちに心配されてしまいますよね」

 そう言うと、綾子の手を引いた。

「そうですね」

 綾子も微笑み返すと、彰吾の手のひらをぎゅっと握り返した。
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