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【1】婚約破棄とおためし交際
19. 「安心してください。私はまだ死ぬ気はありません」
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(『お祖母さまに話す』って桜には言ったけれど)
その日の夜、佳世が寝た後、綾子は客間で手紙を仕分ける幸を見つめながらため息を吐いた。
(どう、切り出そうかしら)
桜が自分のことを気にしてくれる気持ちはとても嬉しかった。
母が実家に戻ったことで、急に転校した華族の子女が通う女学校。
幼稚舎から一緒の生徒ばかりでなかなか馴染めなかった綾子を同級生に橋渡ししてくれたのが前の席に座っていた桜だった。
父母が妖に殺されてから、藤宮の家の居心地はさらに悪くなったが、学校に行って桜と話す時間は父母と下町で暮らしていたころの本当の自分に戻れたような気がしていた。
(桜の言う通り、お祖母さまが反対したとしても、気にすることじゃないわ)
祖母を前にすると萎縮してしまうのは、自分の弱さが原因で妖につけ入られ、父と母がいなくなってしまったという想いが頭の中にあるからだと思う。
祖母は一人娘の母を溺愛していた。頑固な人だから、頑なな態度をとって娘が家を出たことを後悔していたのだろう。
藤宮の家に帰ってから、母と佳世を見ると相好を崩す幸の姿に綾子は驚いたものだった。
(でも、)
『あなたは悪くない』
彰吾の言葉と重ねられた手の温かさを思い出すように、自分の胸に手を重ねて、綾子は深呼吸をした。
「お祖母さ……」
そう声をかけたのと同時に、幸が顔を上げた。
「綾子」
「はい!」
タイミングが合ってしまい、驚いた綾子は元気よく返事をしてしまい、幸は少し目を丸くして、咳払いをした。
「神宮司さんの婚約披露宴の招待状、来てるよ」
幸は手に手紙を持っている。
「――来てたんですね!」
自分が話そうとしたこんなタイミングでちょうど手紙来ることがあるのかと驚いた綾子は、また元気よく応答してしまい、幸は目をしぱしぱとさせた。
「なんだい、随分嬉しそうだね」
「いえ、そんなことはないのですけど。すごくタイミングが良いなあと……」
「たいみんぐ」
祖母は咳払いをした。
「お相手は間宮家のお嬢さんだそうだね。医療部隊所属だとか。お前のように、ぼさぼさの身なりでいつ死ぬんだかわからない仕事に汗水垂らしてる娘よりも、神宮司さんも間宮のお嬢さんのような娘の方がやっぱり奥さんには良いんだろうねえ」
「――お祖母さま」
綾子は初めて幸に言葉を返した。
「私は隊妖防衛隊での仕事にやりがいを持っています。死ぬつもりはありませんし、そのために日々鍛錬も積んでいます。――そのような言い方をしてほしく、ありません」
「お前――私に口ごたえするんだね」
幸はわなわなと手を震わせた。
「お前のせいで――静江は死んだのに。誰のおかげで、藤宮家にいられると思ってるんだ。どこの馬の骨ともわからない男の家紋を持った娘など、うちにはいらないのに!」
『あなたのせいでは、ありません』
その言葉とともに、彰吾が握ってくれた手のひらの温かみがじわりと蘇った。
「私のせいでは、ありません」
「は?」
「――妖のせいです。お母さまとお父さまが死んでしまったのは、妖のせい」
(――もう「私のせい」と思うのは、やめよう)
綾子はじっと幸を見つめなおした。
いつも声をかければ小さく背を丸め、うつむいて「ごめんなさい」と言う孫娘に、上から見据えられて、小柄な老婆は狼狽えたように身を引いた。
(この人は、かわいそうな人なんだわ)
祖母には母しか子どもがなかった。
祖父には他に妾がいて、正妻としての立場を守る唯一の心の砦が母だったのだろう。
祖母にとって、綾子は、「娘を自分から奪った」象徴だったのであろうと思う。
(目に見えない、手の届かない妖を憎むよりも、毎日目に入る私にあたることで、気持ちを保っていたのかしら)
「お祖母様は――目に見える誰かのせいにしないと気が済まなかったんですね」
「――わかったような口をきくんじゃ――」
子どものように視線を逸らした祖母の手を綾子は握った。
「お母さまとお父さまを奪った妖は私がこの手で討ちます」
「―――お前が、今度は死ぬよ――」
吐き捨てるようにそう言った祖母に、綾子は笑いかけた。
「安心してください。私はまだ死ぬ気はありません、お祖母さま」
幸は呆けたように綾子を見つめてから、顔を背けた。
「……そんなことを言って、お前も死ぬんだよ……」
(お祖母様は――私にいなくなってほしいと思っているわけではないわ)
悪態をつきつつ、綾子が結婚し防衛隊をやめることを勧めるのは、身内が亡くなることを恐れてのことだというのはわかっていた。
「お祖母様は、私に死んでほしくないから、防衛隊を辞めてほしいんですね……?」
幸はわなわなと小柄な体を震わせて、呻くようにぼやいた。
「――そうだよ。お前は静江の娘――佳世の姉――私の、孫なんだから、死んでほしくない」
それから綺麗に結った髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「わかってる……わかってるんだよぉ。――私がお前を産むのを反対したせいであの子は家を出た――最初から認めてやれば良かった――そうすればもっと長い時間一緒にいれたのに――」
綾子は幸の背中をさすった。骨が浮き出た痩せた老人の身体。
いつも視線を恐れていた祖母はこんなに弱弱しい老婆だったのかと綾子は瞳を閉じて思った。
目を開けると、一呼吸置いて告白した。
「お祖母さま、私、紹介したい方がいるんです。修介さんの婚約披露宴に一緒に行ってくれると言ってくれた方で――」
「――披露宴に一緒に行く?」
ぴくりと綾子を見上げた幸に、綾子は告げた。
「――婚約者としてです」
幸は目を白黒させた。
「――どこの誰だい」
「鈴原 彰吾さん」
「鈴原――【疾風】の家紋の」
彰吾の実家、鈴原家は優秀な防衛隊員を歴代輩出している家として有名だったので、幸が知っているのは頷けた。
「入隊試験を首席で合格した方だね」
「ご存じでしたか」
「もちろん」と言った幸は、ふだんの厳格な祖母の顔に戻っていた。
「確か養子の子だね」
祖母は頷いた。
「――相手として、申し分ないじゃないか」
綾子はほっと胸を撫でおろした。
正式に婚約するには父母の――父母がいない綾子は祖母の同意が必要だ。
幸は少し気まずそうに、しかし唇の端を少し上げて呟いた。
「――綾子、お前が選んだ相手なら、きっと素敵な人だろう」
その日以後、幸から「お前は」という小言は聞かなくなった。
その日の夜、佳世が寝た後、綾子は客間で手紙を仕分ける幸を見つめながらため息を吐いた。
(どう、切り出そうかしら)
桜が自分のことを気にしてくれる気持ちはとても嬉しかった。
母が実家に戻ったことで、急に転校した華族の子女が通う女学校。
幼稚舎から一緒の生徒ばかりでなかなか馴染めなかった綾子を同級生に橋渡ししてくれたのが前の席に座っていた桜だった。
父母が妖に殺されてから、藤宮の家の居心地はさらに悪くなったが、学校に行って桜と話す時間は父母と下町で暮らしていたころの本当の自分に戻れたような気がしていた。
(桜の言う通り、お祖母さまが反対したとしても、気にすることじゃないわ)
祖母を前にすると萎縮してしまうのは、自分の弱さが原因で妖につけ入られ、父と母がいなくなってしまったという想いが頭の中にあるからだと思う。
祖母は一人娘の母を溺愛していた。頑固な人だから、頑なな態度をとって娘が家を出たことを後悔していたのだろう。
藤宮の家に帰ってから、母と佳世を見ると相好を崩す幸の姿に綾子は驚いたものだった。
(でも、)
『あなたは悪くない』
彰吾の言葉と重ねられた手の温かさを思い出すように、自分の胸に手を重ねて、綾子は深呼吸をした。
「お祖母さ……」
そう声をかけたのと同時に、幸が顔を上げた。
「綾子」
「はい!」
タイミングが合ってしまい、驚いた綾子は元気よく返事をしてしまい、幸は少し目を丸くして、咳払いをした。
「神宮司さんの婚約披露宴の招待状、来てるよ」
幸は手に手紙を持っている。
「――来てたんですね!」
自分が話そうとしたこんなタイミングでちょうど手紙来ることがあるのかと驚いた綾子は、また元気よく応答してしまい、幸は目をしぱしぱとさせた。
「なんだい、随分嬉しそうだね」
「いえ、そんなことはないのですけど。すごくタイミングが良いなあと……」
「たいみんぐ」
祖母は咳払いをした。
「お相手は間宮家のお嬢さんだそうだね。医療部隊所属だとか。お前のように、ぼさぼさの身なりでいつ死ぬんだかわからない仕事に汗水垂らしてる娘よりも、神宮司さんも間宮のお嬢さんのような娘の方がやっぱり奥さんには良いんだろうねえ」
「――お祖母さま」
綾子は初めて幸に言葉を返した。
「私は隊妖防衛隊での仕事にやりがいを持っています。死ぬつもりはありませんし、そのために日々鍛錬も積んでいます。――そのような言い方をしてほしく、ありません」
「お前――私に口ごたえするんだね」
幸はわなわなと手を震わせた。
「お前のせいで――静江は死んだのに。誰のおかげで、藤宮家にいられると思ってるんだ。どこの馬の骨ともわからない男の家紋を持った娘など、うちにはいらないのに!」
『あなたのせいでは、ありません』
その言葉とともに、彰吾が握ってくれた手のひらの温かみがじわりと蘇った。
「私のせいでは、ありません」
「は?」
「――妖のせいです。お母さまとお父さまが死んでしまったのは、妖のせい」
(――もう「私のせい」と思うのは、やめよう)
綾子はじっと幸を見つめなおした。
いつも声をかければ小さく背を丸め、うつむいて「ごめんなさい」と言う孫娘に、上から見据えられて、小柄な老婆は狼狽えたように身を引いた。
(この人は、かわいそうな人なんだわ)
祖母には母しか子どもがなかった。
祖父には他に妾がいて、正妻としての立場を守る唯一の心の砦が母だったのだろう。
祖母にとって、綾子は、「娘を自分から奪った」象徴だったのであろうと思う。
(目に見えない、手の届かない妖を憎むよりも、毎日目に入る私にあたることで、気持ちを保っていたのかしら)
「お祖母様は――目に見える誰かのせいにしないと気が済まなかったんですね」
「――わかったような口をきくんじゃ――」
子どものように視線を逸らした祖母の手を綾子は握った。
「お母さまとお父さまを奪った妖は私がこの手で討ちます」
「―――お前が、今度は死ぬよ――」
吐き捨てるようにそう言った祖母に、綾子は笑いかけた。
「安心してください。私はまだ死ぬ気はありません、お祖母さま」
幸は呆けたように綾子を見つめてから、顔を背けた。
「……そんなことを言って、お前も死ぬんだよ……」
(お祖母様は――私にいなくなってほしいと思っているわけではないわ)
悪態をつきつつ、綾子が結婚し防衛隊をやめることを勧めるのは、身内が亡くなることを恐れてのことだというのはわかっていた。
「お祖母様は、私に死んでほしくないから、防衛隊を辞めてほしいんですね……?」
幸はわなわなと小柄な体を震わせて、呻くようにぼやいた。
「――そうだよ。お前は静江の娘――佳世の姉――私の、孫なんだから、死んでほしくない」
それから綺麗に結った髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「わかってる……わかってるんだよぉ。――私がお前を産むのを反対したせいであの子は家を出た――最初から認めてやれば良かった――そうすればもっと長い時間一緒にいれたのに――」
綾子は幸の背中をさすった。骨が浮き出た痩せた老人の身体。
いつも視線を恐れていた祖母はこんなに弱弱しい老婆だったのかと綾子は瞳を閉じて思った。
目を開けると、一呼吸置いて告白した。
「お祖母さま、私、紹介したい方がいるんです。修介さんの婚約披露宴に一緒に行ってくれると言ってくれた方で――」
「――披露宴に一緒に行く?」
ぴくりと綾子を見上げた幸に、綾子は告げた。
「――婚約者としてです」
幸は目を白黒させた。
「――どこの誰だい」
「鈴原 彰吾さん」
「鈴原――【疾風】の家紋の」
彰吾の実家、鈴原家は優秀な防衛隊員を歴代輩出している家として有名だったので、幸が知っているのは頷けた。
「入隊試験を首席で合格した方だね」
「ご存じでしたか」
「もちろん」と言った幸は、ふだんの厳格な祖母の顔に戻っていた。
「確か養子の子だね」
祖母は頷いた。
「――相手として、申し分ないじゃないか」
綾子はほっと胸を撫でおろした。
正式に婚約するには父母の――父母がいない綾子は祖母の同意が必要だ。
幸は少し気まずそうに、しかし唇の端を少し上げて呟いた。
「――綾子、お前が選んだ相手なら、きっと素敵な人だろう」
その日以後、幸から「お前は」という小言は聞かなくなった。
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