上 下
18 / 64
【1】婚約破棄とおためし交際

17. 「佳世もお姉さまと一緒に出かけたいです」

しおりを挟む
 彰吾と「お試し」の交際を初めて二カ月が経った休日、綾子は自室で手帳を見つめていた。
 週に1度は休務日があるが、この二月は彰吾と予定を合わせて休み、出かけることが多かった。さすがに異変に感づいた他の隊員を代表して、副隊長の波佐間はざまに『隊長、――その、鈴原と最近――いえ、なんでも――』と気まずそうに聞かれたため、さすがに今回は休みをずらしたのだった。

(――1人でも、やることはたくさんあるのだけれど)
 
 もりっと膨らんだ手帳を眺めてため息を吐く。

 もともとこの手帳には日記をつけていた。
 彰吾と交際を始める前は事務的な内容しか書いていなかったのだが――最近は。
 彰吾と出かけた際に見た映画の半券などを貼り付けていたら、薄かった手帳が大きく膨らんでしまった。

(何だか、やる気がしないわ。彰吾くんは今働いているのよね)

「様子を、聞きに行こうかしら。私は、隊長なのだし。休みでも行ってもいいわよね」

 ぼんやりとそう独り言ちたところで。

「――お姉さま、何をしているんですか?」

 後ろを見ると、佳世が襖から顔をのぞかせていた。

「あら、佳世。どうしたの?」

 綾子はさっと手帳を隠した。
 妹は指をくるくる回しながら言った。

「お姉さま、最近お休みの日はどちらに行っているのですか? 佳世もお姉さまと一緒に出かけたいです」

「佳世――」

 綾子は自分が恥ずかしくなった。

(私ったら、浮かれて、家族のことを忘れてたなんて)

 以前は休みの日は佳世を街に連れて行くことが多かったのに、最近はぜんぜん相手をしてあげられていなかった。
 佳世自身の口からこんなことを言わせてしまって、胸が痛い。

 綾子は急いで妹の手を取ると、言った。

「出かけましょう! あなたの行きたいところ、どこへでも! どこに行きたい?」

「えぇと……、お姉さまと一緒ならどこでも……」

「――」

 綾子は少し瞳を潤ませた。

「新しいお洋服を買いましょうか。それから美味しいものでも食べましょう」

 妹の手を引いて玄関を出ると、「ワン」と声がした。
 見れば、武蔵が散歩用の紐を口に咥えて尻尾を振って門の前に立っている。

「――あなたのことも、最近構ってあげられていなかったものね」

 綾子は愛犬の頭を撫でて微笑んだ

「武蔵も一緒なら『さくら』に行きましょう」

 武蔵を連れて百貨店などに出かけるのははばかられる。『さくら』なら連れて行っても歓迎してくれるだろう。

***

 愛犬と妹と連れ立って友人の店を訪れた。

「開店前なのにごめんね」

 暖簾のれんをくぐると、桜は夜の料理の仕込み中だったのか割烹着姿で奥から出てきた。横から3歳になる息子がひょこりと顔をのぞかせる。

「綾子ならいつでも歓迎よ。あら、佳世ちゃん、武蔵久しぶりね」
 
「お久しぶりです」

 佳代は礼儀正しくちょこんと頭を下げた。桜は息子にも「挨拶しなさい」と促す。
桜の幼い息子は「こんにちわ」と佳世の動きを真似するように頭を下げた。

武蔵を店の中庭につなぎ、縁側に腰掛ける。

「『菊屋』のお饅頭よ。佳世ちゃん、好きだったでしょう」

 桜が百貨店に入っている菓子屋の饅頭を持ってきてくれた。
 佳世は「わぁい」と両手を上げると飛びつこうとしてから、自分を見つめる桜の息子の視線に気がついて立ち止まった。それから、こほんと咳払いをして、彼に微笑んだ。

「お姉さんと一緒に食べましょう」

 そんな光景を見ながら、綾子は目を細める。

「佳世ったらお姉さんぶっちゃって……」

「佳世ちゃん、うちの子の面倒見てくれて助かるわぁ。ありがとうね」

 仕込みがひと段落したのか、桜は割烹着を脱いで「よいしょ」と綾子の隣に腰掛けた。

「お疲れ様。お茶を飲む?」

 店の中は勝手知っている。綾子は立ち上がると、厨房に入ってやかんを持って、佳世に声をかけた。

「佳世、お水出してくれる?」

「はい」

 佳世は手をくるりと回して、【清流】の家紋を発動した。
 やかんの中にとぽとぽと水が湧き出る。
 綾子も【焔】の家紋を発動すると、やかんの周りを炎で包んだ。
 あっという間にお湯が沸く。

「おかーさん、すごい」

 桜の息子は口をぽかんと開けてその様子を見ていた。

「本当、便利よねえ。家紋術って」

 桜は呆れたような感心したような微妙な表情で呟いた。

「私も家紋が使えたら料理が捗るのだけど。【清流】なら洗い物が楽そうよねえ。【焔】なら火をつけるのが楽だし……学校でも、放課後にお餅焼いてくれてたものねえ、綾子」

 綾子は友人の口を押えた。

「ちょっと、そんな話しないでよ。恥ずかしい」

 佳世はずいっと桜の方に身を乗り出した。

「桜さんって、お姉さまと同級生なんですよね?」

「そうよ。いつもあなたのお姉さまには勉強を教えてもらっていたわ」

 目を細める桜に、佳世はもじもじしながら聞いた。

「――桜さんの旦那様って、婚約者だったのですか?」

 桜は少し目を丸くした。

「こら、佳世。いきなりそんなことを聞くものではないわよ」

「いいわよ、いいわよ。気になるのよね、佳世ちゃんも」

 桜は「ふふふ」と微笑んだ。

「私の夫は婚約者ではないわ。奉公先でお勤めしていた人よ」

「奉公……」

 桜の家も家紋を継ぐ華族だが、桜は家紋を持っておらず、妾の子だったため女学校卒業後は奉公に出されていた。奉公先はしっかりとした料亭ではあったが。

「そういう話に関心が出てくる年頃よねえ」

 佳世は恥ずかしそうに指をくるくると回す。

「お友達には婚約者がいる人もいるんですけど……、私はそういう人はいないですし……」

綾子はお茶を運びながら補足した。

「そんな小さいころから婚約だのなんだのは早いんじゃないかって、お祖母様も言っているわ」

 実母に婚約を強制して家出されたことへの反省なのだろう。
 幸は綾子についても、佳世についても婚約者を急いで決めることはしなかった。
 全く結婚の素振りを見せない綾子については見るに見かねて修介との縁談を持ってきたのだが。

「そうよねえ。そうでなくたって最近は本人たちの意思で自由に交際っていうのも流行りだし……。ねえ、綾子」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

虹の騎士団物語

舞子坂のぼる
ファンタジー
昔々、神様は世界をひとつにできる架け橋、虹を作りました。 けれど、世界はひとつになるどころか、いつまで経っても争いがなくなりません。 悲しんだ神様は、一筋の涙を流しました。 涙が虹に落ちると、虹は砕け、空から消えました。 それから、虹が空に現れることはありませんでした。 でもある日、砕けた虹のカケラが、ある国の9人の少女の元にとどきます。 虹の騎士団と呼ばれた彼女たちが世界をひとつにしてくれる、最後の希望になった。そのときのお話です。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

姉の身代わりで冷酷な若公爵様に嫁ぐことになりましたが、初夜にも来ない彼なのに「このままでは妻に嫌われる……」と私に語りかけてきます。

恋愛
姉の身代わりとして冷酷な獣と蔑称される公爵に嫁いだラシェル。 初夜には顔を出さず、干渉は必要ないと公爵に言われてしまうが、ある晩の日「姿を変えた」ラシェルはばったり酔った彼に遭遇する。 「このままでは、妻に嫌われる……」 本人、目の前にいますけど!?

竜焔の騎士

時雨青葉
ファンタジー
―――竜血剣《焔乱舞》。それは、ドラゴンと人間にかつてあった絆の証…… これは、人間とドラゴンの二種族が栄える世界で起こった一つの物語――― 田舎町の孤児院で暮らすキリハはある日、しゃべるぬいぐるみのフールと出会う。 会うなり目を輝かせたフールが取り出したのは―――サイコロ? マイペースな彼についていけないキリハだったが、彼との出会いがキリハの人生を大きく変える。 「フールに、選ばれたのでしょう?」 突然訪ねてきた彼女が告げた言葉の意味とは――!? この世にたった一つの剣を手にした少年が、ドラゴンにも人間にも体当たりで向き合っていく波瀾万丈ストーリー! 天然無自覚の最強剣士が、今ここに爆誕します!!

処理中です...