病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで

北上オト

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1.眠れる鴉を起こすのは

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「それにしても、よく俺のこと、見つけられたね」

 二日ほど何も口にしていないということで、急いで近くから食べられるものを仕入れ、あまりの食べっぷりに三人が三人ともあっけにとられていた。
 正直言って、その美しい外見とは全く見合わない口調、食べっぷりに戸惑わないわけじゃない。
 リュディガーとミハエルはその戸惑いが顔にしっかりと出ていたが、クレメンスは数々の修羅場を渡ってきただけあって、相変わらずうっすらと笑みを浮かべて対応していた。

「伝書鳥が殿下の情報も一緒に載せてきましたので。それを基に探知機を生成しました」
「よひゅか」

 口いっぱいに頬張り、何事かをつぶやいた皇子をそれぞれが見つめる。
 リュディガーたちがその言葉を正確に読み取っていないことを理解した皇子は、それでもゆっくりと咀嚼し、確実に呑み込み、それから再度発する。

「ヨシュカ。──殿下はやめて」

 どうやら自分の名前の訂正をしていたらしい。

「外ではその敬称はもちろん、名前も口にできないし、たとえ内々でも日頃そうして呼んでいたらボロがでちゃうでしょ」

 残っていた肉をさらにかっ込み、また咀嚼して、呑み込んで、それから続ける。

「俺の名前はヨシュカ・モルガン。長いこと母さんも『ヨシュカ』としか呼んでいなかったし。──そもそもヨシュカって名前、すんごい気に入っているからさ」

 そっちでよろしくとにっこり笑ってそう告げる皇子──ヨシュカは、リュディガーの想像していた『皇子』とはあまりにかけ離れていて、どう接していいのかわからずにいた。
 恭しく、敬意をもって。そう念頭に置いて向かった先にいたのは、容姿は別として、全く皇子らしくない、実に庶民的な少年だった。

「それで? 公爵閣下は? 俺、まずは公爵閣下と話したいんだけど」
「当主は今こちらへ向かっているところです」
「──ふぅん」

 少々の間の後、ヨシュカは何事か考え込んでいたが、気のない返事を返しただけだった。
 それからふと我に返った顔をして、ぐいっと距離を詰めてきた。

「あ! そういえば俺、あなたたちの名前聞いてないな」
「私が、ウルリケの夫、クレメンスです。これがその息子、リュディガー。こちらが息子付きの騎士、ミハエル・フォン・ヴァルハイトです」

 ヨシュカはクレメンス、リュディガーと紹介を受けて、うんうん頷いていたものの、ミハエルの名前を聴いた途端に険しい顔をした。

「ヴァルハイト?」
「はい。私は貴方のお母様、ナディーネ皇妃の弟となります」
「──カーティスの弟」

 思わぬ名前が出てきて、ミハエルとリュディガーは目を見張る。

「どうして兄の名を」

 ヨシュカから見れば伯父にあたる。知っていてもおかしくはないが、今この場で、ミハエルの名を聞いて一番に出てきたのが『カーティスの弟』という状況に違和感を覚えるのはおかしいことではない。
 咄嗟にリュディガーは父へと視線を投げたが、どうやらクレメンスは事情を把握しているようで、黙ってやり取りを見つめていた。

「カーティスは、俺たちの護衛をしてた」

 思わぬ言葉にすぐさま返す言葉もない。

「あ、違うか。正確には母さんのかな……。いやそれも違う気がする。あいつ、いつもそばにいたわけじゃないから」

 ミハエルにしてみれば、ほとんど音信不通の兄の名前がここで出てくるとは思っていなかったのだろう。

「兄は今どこに」

 勢い詰め寄ってくるミハエルにヨシュカは顔をゆがめた。
 先ほどまで皇子らしからぬあっけらかんとした態度であったのに、沈痛な面持ちはカーティスが決していい状態でいるわけではないことを示していた。

「ごめん。残念だけど多分もう生きていない」

 心痛な面持ちをしていながら、率直に事実を述べてくる。
 ミハエルは一瞬、怒りに満ちた表情を浮かべたが、すぐさまそれを押し隠し、うつむいた。
 リュディガーはミハエルがどれだけ家族を大切にしていたか知っている。亡くなった姉を偲び、行方知れずの兄を捜し、心を痛めていたことを。
 あまりに突然の通達にやりきれない思いがよぎる。

「それは確かなことですか」

 押し黙るミハエルに代わり、リュディガーが詰め寄る。
 ヨシュカはリュディガーを見て、ミハエルをみて、それから少々考え込みつつも口を開いた。

「メッツァーハウンドから俺を逃がすために盾になったから。暫くしてからあいつらが追ってきたということはカーティスはすでにやられている」

 ヨシュカは立ち上がり、項垂れるミハエルの前に屈み、握りしめた両手の上から自分の手を重ねた。

「すまない」

 ミハエルは反射的にその手を押し返し、咄嗟にしてしまった拒否に自分自身が戸惑っているようだった。

「──いえ、こちらこそ、失礼しました。私は、少し外を見回ってきます」

 ミハエルが慌てて去った室内は何とも重苦しい空気が流れていたが、それをがらりと切り替えたのはクレメンスだった。

「先ほどおっしゃっていた『メッツァーハウンド』は、使役魔法の『メッツァーハウンド』ですか?」
「そう。さっきリュディガーが倒したのにはここに魔導石が仕込まれていた」

 額に手を当ててから、ほら、と、先ほどの砕けた石を広げてみせる。

「母さんが逃がしてくれた時にはまだいなかった。部屋を出たところで待ち伏せを喰らったんだ。小柄な魔法士が一人。その前に『メッツァーハウンド』が三体」
「間違いないのですか」
「間違えるはずないよ。三体とも魔導石がぎらぎらしていた」

 クレメンスは険しい顔をした。
 メッツァーハウンドの話はリュディガーも耳に挟んだことがある。
 魔法大国として名高いフロイデン皇国において、ノーデンシュヴァルトは実に異質だ。
 ノーデンシュヴァルトの領域内では魔法が一切効かないし、使えない。それは土地にも人にも言える。そしてその代償なのか、北部の者は驚異的な身体能力を持って生まれてくる。
 魔法とは縁がないが彼らは、実に魔法に対して無頓着だ。
 しかし使役魔法だけは少々異なる。
 人や、ゴーレム、魔獣などを従属させ、それを北部にぶつければ十分な攻撃になる。
 物理攻撃は北部の者にも有効だからだ。
 その中でもメッツァーハウンドは高度使役魔法として有名だ。
 もともと存在する物質──人間やゴーレムなど──を使役するのとは異なり、魔導石から自分の思うままの形の使役物を創造し、思うままに動かす。
 それがどれだけ高度な技術で、どれだけ大量の魔力を消費するか、魔法の講義でイグナーツが熱く語っていたことがあったからだ。

「確か、一体使役するだけでもかなり大変なのでは」

 リュディガーのつぶやきにうんうんとヨシュカが頷く。

「おそらく魔力の消費が並みじゃないと思う。状況によって人と犬とどちらにでも変身可能なタイプだった。あんなの今まで見たことない」
「厄介ですね……。魔法士の存在もだが、それだけの魔導石を三つもそろえられるなど、かなりの財力がなければ無理ですから」

 それに呼応するかのようにヨシュカは頷きながらつぶやいた。

「つまり。赤子のころから俺を殺そうと躍起になっている奴の可能性が高いってことだね」

 今までの軽い口調とは異なり、その時だけ、ぞっとするような凄みを感じた。
 淡々と語るその顔に感情は見えないが、近づいてはいけないような張り詰めた空気が流れていた。

「メッツァーハウンドを使っているならばすぐにでもこの場を離れなければいけません」

 ヨシュカは先ほどの殺気など気のせいといわんばかりにぱっと再び軽い調子で答える。

「うん。そうなんだよね。それはわかっているんだ。おそらく相手の魔法士も魔力が枯渇してるんだと思う。俺を追っているときに途中1頭だけになったから。逃げるには今がチャンス。わかっているんだけどさぁ」
「──もしや『マーキング』されましたか」

 クレメンスの指摘にヨシュカは苦笑いしながら首を傾げた。

「最初の一発でやられた」

 左袖をまくり上げ、巻いていた布を解くや、その下からはざっくりと裂けた傷が出てきた。
 その傷のひどさに思わずリュディガーもクレメンスも前のめりになる。

「なんで先に言わないんですか!」

 慌てて救急セットを引き寄せて、腕を引き寄せる。

「いやぁ、一応止血はしたし、それどころじゃなかったし」

 とりあえずこれ以上酷くはならないだろうからとあっけらかんというには傷が深すぎる。
 リュディガーもそれなりに応急処置の技術は持っていたが、あまりにも深い傷にクレメンスが変わって処置を始めた。

「治癒薬は」
「俺、魔法効かないよ。母君の──、あ、生みの親の方ね。ナディーネ皇妃、そっちの血が濃くてさ。だから魔法も一切使えない」

 外見はこんななのにねと言うヨシュカに悲壮感は全くない。
 傷は上腕部にまで至っており、クレメンスは黙々と服を脱がせていく。
 そもそも腹が減ったとそちらを優先して食事を先に取らせていたから、ヨシュカの服は薄汚れ、ぼろぼろのままであった。
 ほとんどボロ雑巾のようなそれを脱がせ、あらわになった上半身を目の当たりにしてリュディガーもクレメンスも息を呑んだ。
 あまりに、惨い傷跡だった。火傷の引き攣れた痕のような、切り傷のような、鞭で打たれた痕のような。何とも言い難い傷が幾重にも重なっていた。

「あー。これ、ほとんどが小さいころの傷でさ。ほら、一家で襲撃された時の? その傷だから。記憶もないし、辛いとかってないんだよ。痛くもないし。だからそんな顔、しなくていいよ」
「じゃああんたも平気な顔するの、やめろよ」

 咄嗟に出てしまったリュディガーの強めの言葉にヨシュカは目を丸くし、本当に平気なんだけどなぁと呟いた。
 一方そんな顔、と言われてリュディガーは自分がどんな顔をしていただろうと反芻する。
 同情だろうか。
 確かに少しは同情心もあるかもしれない。
 でもそれ以上に感じるのは目の前の少年のすごさだった。
 魔法が効かないということは治癒魔法も攻撃魔法も使えない。周りは敵かもしれないと常に気を張りながら、頼れる者もほとんどいない状況で、シュトレイルの特徴的な外見を晒しつつ異国で過ごす。
 それがどんなに過酷な状況か、理解できるなどと簡単には口にできない。
 そんな過酷な状況がたとえ日常となっていたとしても、平気だ、慣れてしまったなんてことはないはずだ。
 事実、強大な敵を認識して怒りを表していたではないか。
 本当はもっといろいろな感情が渦巻いているだろうに、それを押し込めて平気だよと笑う必要なんてないのだ。
 もっともっと。もっと自分の感情に素直になればいいのに。
 そんな風に思うものの、実際はかける言葉もなく、リュディガーはついと視線をそらして無言のまま新しい服を用意するしかできなかった。

「それより、この後どうするか、早急に対策を打たないと」

 ヨシュカの言葉はもっともで、手立てを考えなければならない状況であることは間違いなかった。

「というわけで、とりあえず公爵殿と天才魔法使いとお話がしたいんだけど」

 それがウルリケとイグナーツのことであるのは明白であった。
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