病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで

北上オト

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1.眠れる鴉を起こすのは

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 警告音が鳴ったのは、闇夜がほんの僅か解けてきた、朝方近くのことだった。
 その音に三人とも即座に反応し、剣を握りしめる。
 探知機はクレメンスと直接つながっているため、リュディガーもミハエルもクレメンスからの指示を待つ。

「──北東からだ。私が正面から、ミハエルは西側にそって後ろに回り込め。建物自体は左回りでらせん状になっている。気配がしたら広場の方へ追い込め。──いや」

 クレメンスはこうした指揮が非常に得意だ。
 今でこそ魔物討伐はウルリケに全面的に任せているが、ウルリケが当主に治まる前までは、前線で総指揮を執っていたくらいの策略家だ。
 その手腕は現宰相に匹敵する。
 そのクレメンスが指示出しに迷走することなどそうはない。

「父上?」
「──難しいな。皇子の気配が独特だ。追手を巻こうとしているのか、ノイズが入ってわかりづらい」

 クレメンスが使っている探知機は、特殊なノイズで交信する植物を基に作られている。
 魔物をより簡単に探知できるように開発されたもので、探知機を使う者はイヤーカフでそのノイズを拾うことができる。

「いい。先ほどの指示通りで。ミハエルは十分に気を付けて。無理だけはせず、少しでもおかしなことがあったらすぐに戻ってくるんだ」

 撤退優先の指示を出すということは、何か嫌な予感がしているのだろう。
 こういう時にクレメンスは無理はしない。

「リューはここから、あの地点」

 唯一ある窓辺からクレメンスが指さしたのはまさしく合流場所として指定された広場のど真ん中だった。
 まだ暗いそこは、申し訳程度の街灯一つだけで、その真下くらいしか視界は開けていない。

「いつでも打てるように用意していてほしい」
「──俺が?」

 こういった時に最後の一撃を担うのは非常に難しい。
 追い込まれてここにたどり着くのが皇子か、はたまた敵か。瞬時に判断して仕留めなければならない。下手したら誤射の可能性もある。
 通常ならば追い込むのはリュディガーでミハエルかクレメンスが最後の一撃を担うところだ。

「お前は夜目が効く。この役目に最も適している」

 二人は寝る前に組み立てていた短刀を持ち、窓辺に足をかけた。

「くれぐれもお気をつけて、リュディガー様」

 軽く頷くと、それが合図であるかのように、同時に窓辺からするりと飛び降りた。
 二人は広場を背にして左右に分かれ、暗闇へと紛れていった。
 リュディガーはというと、手早く、それでも正確に弓をセットしていく。
 銃の方が狙いも正確だし効率的でもあるが、発砲した時の音が騒ぎの原因となりかねないので、今選ぶならクロスボウだ。
 組むのには大して時間もかからず、窓を全開にして静かに待つ。
 リュディガーは深呼吸し、気配を闇へと紛れ込ませる。
 明け方近い、でもまだ闇が解けないこの時間帯独特の閉塞感があたりを包む。
 こうして闇に溶け込むような瞬間は嫌いじゃない。
 余計なことを考えずに済むから。
 静かに。とても静かに、闇に溶けるその瞬間が。
 目は開いているものの、意識が少しずつ落ちていくことを自覚しながら、されるがままに任せていた。
 その静寂に、ゆらりと気配が揺れるのを感じた。
 左側。上部。力強い足取りがはねて、除けて、こちらに向かってくる。
 明るい気配だ。そしてその背後を負う黒い気配。いまいち何が追いかけているのか理解しづらい。人にしては、動きが異なる、気がする。
 そのさらにあと。父とミハエルの気配が遅れてくる。
 動きが予測からはずれたのか。まかれたのか。
 理由は定かではないが、おそらくあと数十秒で広場になだれ込んでくる。
 今ここにいるのは自分だけで、そして対処できるのも自分だけ。
 瞬時にそう思考を切り替えて平静を保った。
 少しも動揺してはならない。
 敵にも、味方にも悟られてはならない。
 気配が近づくにつれて、ゆっくりと広場に向かって矢を構える。
 ぴんと張り詰めた空気の中、鴉のけたたましい鳴き声があたりに響く。
 それと同時に街灯の下に人が現れた。
 黒のケープを纏っていたその人物は、リュディガーと同じように鴉の声に反応して振り向く。
 気配は消していたはずなのに、何ら迷うことなく、射抜くかのようにこちらにまっすぐに視線を送ってきた。

 その拍子にフードが落ちた。
 夜目にもはっきりと判別できるほどの、まばゆいばかりの金髪。
 そして街灯に照らされた瞳は紫色にきらめいていた。
 これだけの距離、瞳の色などわからぬはずなのに、はっきりとわかった。
 深い深い紫の瞳。あれは。

 ──あれが、マティウス殿下だ。

 何の根拠もなく、そう、理解する。
 リュディガーが『そう』だとわかったと同じく、あちらも『そう』と理解していた。
 鴉の一声が、二人をつないだ。
 そこからの動きは早かった。
 こちらの気配に気を取られた皇子の背後から、闇に紛れて黒い腕が伸びる。
 ほんのわずかの隙を見逃されることなく、首元を締め上げられた。
 皇子と刺客の距離は非常に近く、なおかつ暗闇の中、頼りになるのは街灯のみという、矢を撃つには全く適していない状況だった。
 だが、それでもリュディガーは弓を絞る。
 目を凝らすとそこには皇子の紫眼と、その横に、真っ赤な──石?
 それが首を絞めている刺客の根源と直感し、そこに向けて矢を三本立て続けに放つ。
 果たしてあたったのかどうかも定かではないが、そのまま弓を投げ捨てて広場へと飛び降りる。
 着地と同時に左手で短刀を構える。
 矢を放たれ、さすがに羽交い締めした敵にほころびができたのだろう。
 首をしっかりと絞められていたはずの皇子は、絞めている腕を軸にして身体を回し、勢いで相手を地面にたたきつけた。
 なかなかに、身軽。
 あまりの電光石火に、そしてあまりの美しい動きに目を奪われたリュディガーであったが、それよりもさらに驚かされたのはたたきつけたはずの敵が一気に闇に霧散してしまったことだった。
 なぜ。

 「左っ、だ!」

 咳き込みながらも絞り出された声に、即座に反応して左側へ視線を走らすと、黒い霧はそのまますぐ左隣でなにかの形を形成している。

 まずい。

 何がまずいかわからないが、『まずい』ことだけは理解できていた。
 禍々しい何かが、すぐ左で形成されようとしている気配。それは先ほど遠目で確認した赤い石を中心に浮かび上がってこようとしている。
 人ではない。石の先から鼻先、ノズル、牙──犬? しかも、猟犬。
 ぞわりと嫌な予感が全身を駆け巡る。

 だめだ。この赤い石を、そのままにしておいてはいけない。
 本能がそう告げてきて、咄嗟に握りしめた短刀の柄頭を石へ叩きつける。
 見た目にも頑強そうなその石が果たして割れるか自信がなかったが、鈍い音の後ひびの入る音がして、そのまま砕け散った。
 それと同時に黒の霧は崩れ落ちる。
 とりあえず禍々しい気配は消えた。
 あのなじみの気配。あれは魔物のそれと一緒だった。
 呼吸を整えていると、すいと目の前に手が差し出された。
 その手の先には金髪紫眼の少年。
 北部から出たことのないリュディガーにとっては見たことがない──美しい人だった。その色も、造作も、表情も。
 あたりは闇の色を少し薄めたようだった。
 朝が近い。
 目の前の少年の手を取ると、ぐっと引き上げられる。

「一目でわかった。北部の狼の息子だな」

 そのまま相手は手を放そうとしなかった。
 いや。放さなかったのはリュディガーの方かもしれない。見惚れていて、力を抜くことができなかったからだ。

「会える日を待ち焦がれていたよ」

 艶やかな笑みでそういって、相手は握りしめた手に力を入れてきた。
 
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