2 / 11
1.眠れる鴉を起こすのは
1
しおりを挟む漆黒の大鴉が飛び込んできたのは、いわゆる『逢魔が時』と呼ばれる、夕暮れの最中だった。
父とたまっていた決裁書類を黙々とこなしていたリュディガーはその大鴉に一瞬視線を奪われ、それから反射的に剣へと手を伸ばし、鞘から抜こうとする。
「大丈夫だ、リュディガー」
それを静かに止めたのは父、クレメンスだった。
クレメンスは複雑な表情を浮かべ、大鴉へと近づいて手を差し伸べた。
大鴉はまるで品定めをするかのようにクレメンスを眺め、それから大きく翼を広げた。
威嚇するようなそのしぐさに、リュディガーは再び剣をにぎりしめたが、大鴉は一向に気にすることはなかった。
そしておもむろに口を開く。
『見つかった。仔鴉はそちらに向かった。あとは頼む』
威圧感満載の姿とは異なり、美しい女性の声が響く。
口調と声音でわかる。
かなり身分の高い女性だ。
その声に耳を奪われ、それから視線がかち合う。
ゆっくりと、瞬く瞳に感情の色は見えない。
──見えない? 本当に?
吸い込まれるような瞳はまっすぐにリュディガーへと向けられていた。
鷲掴みされるような感覚に、無意識にその大鴉の方へと引き寄せられそうになったその時。
大鴉は弾けるように霧散した。
突然のことにリュディガーもクレメンスも目を見張る。
身動きすることなく、なんとかその場に耐えられたのは、それなりに魔物討伐で実戦の経験があったからだろう。
魔物の動きはいつも予想外であることが多い。それに比べたらかわいいものだ。
それより。
伝令鳥の一種であるのだろうが、まるで意思を持っているかのような視線が気になった。
──いや、伝令鳥には意思はないのだから、気のせいだろう。
たかが伝令鳥に心がざわつくことに、一抹の不安を感じながらも口には出さず父の様子を窺う。.
クレメンスは一連の様子にますます思案顔となったが、すぐさま魔法具を取り出した。
それは余程の緊急時にしか使わない道具で、それがまた事の重要性を証明しているかのようだった。
魔道具は起動するやすぐさま反応した。
遠くにいる人物とやり取りができるそれは、結構高価なものなうえに強大な魔力を消費するので、北部の者たちにとっては無用の長物であったが、魔法師がいれば話は別だ。
『はいはーい。──あ、クレメンス卿どうです? 見えてますかね?』
神妙な面持ちのクレメンスとは打って変わって、実に能天気な答え方をしてきたのは北部随一の魔法師、イグナーツであった。
面食らったのはリュディガーだけで、クレメンスは一つも顔色を変えることはなかった。
いつものようにうっすらと微笑み、読めない表情で目の前に映し出された男を見つめている。
虚空に浮かび上がった映像は意外にも鮮明で、音も明瞭だ。
『ああ。いい感じですね。映像も音も問題なし、今って卿一人ですか? あ、いやリュディガー様もいらっしゃるのかな。他は? 魔法師とかはいないですかね?』
「そうだな。先ほどこちらにきた大鴉の件だから、必要最低限の人間しかいないな」
口調は穏やかだし、笑みも絶やしていないが、少々苛立っていることは間違いない。
『へぇぇぇ。実は私、今、魔物討伐の最中でして』
確かに、イグナーツはこちらに視線を向けてはいるが、身体は別な方向を向いており、盾を形成している姿が映し出されている。
『大鴉のメッセージをそちらに転送した後、通信機に魔力をためておいて、まぁ、こちらの討伐の方に専念していたんですけどね。これってつまり、魔道具に魔力をプールしておけば、魔力のない人間でも魔道具を扱えるってことですよ! これ、すごい発見だと思いませんか!? ねえねぇ卿。これで北部の生活がまた少し楽になると思いません? ひいては予算を』
「その話はまたあとで。それより大鴉の件が先だ。──ウルリケは傍にいないのか」
イグナーツはとかく魔力やら魔導のことになると周りが見えなくなるくらいに夢中になってしまう。
中央で天才としての名をほしいままにしていたイグナーツは、魔力の効かない北部に興味を持ち、北部専属の魔法師になったくらいの変わり者で、そして魔法狂いだ。
今も当初の目的を放っておいて、自分の発見を熱心に語ってくる。
「ウルリケは」
尚も熱く語るイグナーツの言葉にかぶせるように、そしてかなり強めに声を上げると、それに呼応したかのように視界からイグナーツが消えた。
ああっ、閣下ひどいぃぃぃ、というイグナーツの声がフェイドアウトしていき、数秒後に黒髪の女が映る。
『すまない、クレイ。伝言は観たか』
どうやら通信機からイグナーツを無理矢理引き離し、放り投げたらしい。
そんなことができるのは北部には一人しかいない。
ウルリケ・フォン・ノーデンシュヴァルト。
北部の主。ノーデンシュヴァルト公爵にてクレメンスの妻。リュディガーの母である。
今ウルリケは当主としての務めを果たすべく、魔物討伐の真っただ中だった。
事実、通信機に映ったウルリケの顔には魔物のどす黒い血が飛び散っていた。
黒髪青眼、雪に負けないほどの白い肌にその血が鮮やかに映る。おそらく漆黒の髪にも血がべっとりとついているのだろう。単に髪の色に同化してわかりづらいだけで。
普通ならば眉をひそめて目を背けるような生々しさだが、クレメンスは勿論、まだ少年であるリュディガーも平然としている。
それが北部を護る公爵家の日常だから。
「ああ。あれが来たということは送り主は」
『もう生きてはいないだろうな』
淡々と告げてくるが、リュディガーは母のわずかな変化に気が付いていた。
ほんの一瞬だけ、いつも寡黙で冷静な母ではない顔をした。
悲しんでいるわけでは、ない。苛立ちでも、責めているわけでもなく。
リュディガーにはその表情をどう表現していいのかわからず、もやもやとした気持ちのまま二人のやり取りを見つめている。
「伝言が来たのはいつだ」
『そちらに送る二時間前。あれを受け取った時は少々手が離せなくてな。幾分片付いてから送った』
魔物討伐のことを言っているのだろう。
「討伐はまだかかるか」
『そうだな……。いつもより数が多いのも問題だが、2体ほど厄介なヤツがいてな。私とイグナーツがいて五分というところだ』
その返答にクレメンスはまたも考え込む。
「状況はわかった。いずれにせよ、大鴉の方は私が先行して合流地点に行くしかないだろう」
『タイムリミットは3日だ。それ以上伸びればリスクが伴う』
「──わかっている」
母と父の間に奇妙な沈黙が落ちたことにリュディガーは気が付いた。
その沈黙が、リュディガーにいやな予感を抱かせる。
中央などではこうした直感めいた感覚は抑えがちだと聞く。きちんと明確な根拠を得てから発言、行動するものだと。
しかし北部では違う。
厳しい自然と突如現れる魔物を相手にしなければならない北部において、直感は極めて重要な感覚だと、そう教わってきた。
だからこそリュディガーはとっさに通信機に割り込んだ。
「お久しぶりです、母上」
『ああ。元気そうだな、リュー。また大きくなったか』
「成長期ですから。それより先ほどの父上とのお話ですが」
わざわざ二人の会話に割り込んできたのだから、当然先ほどの話に介入しようとしていることはわかっていたのだろう。
『却下だ』
「──まだ何も言っていません」
『いわなくても解る。どうせクレイについていくというつもりだろう? これは魔物討伐とはわけが違う案件だ。お前が関わっていい問題ではない』
無情なウルリケの言葉に、さらに追い打ちをかけるようにクレメンスも同意する。
「リュディガー。今回はだめだ」
ウルリケがこんなふうに頭ごなしに否定してくることはそうはない。そして理由を口にしないクレメンスも。
二人はいつも言う。
人づてではない、自分の目で確かめて判断しろと。
では。
「では俺が同行できない理由を説明してください」
多分そう簡単に口にできない何かが関わっているということはわかる。
二人がここまで言葉を濁すことなどそうあることではないから。
そして伝令鳥をわざわざイグナーツを使ってまで転送してきたということは、重要な件であることを暗に示している。
だからこそ、真正面から正論を吐く。
「状況からするにノーデンシュヴァルトが負わなければならない用件なのですよね? なのにそこから俺が除外される明確な理由をお教えください」
北部では十四を過ぎれは成人と同じ扱いを受ける。
それを何の説明をせずに除外することはリュディガーを侮辱しているに等しい。
リュディガーの指した一手をどう処理をするべきか二人は考えあぐねているようだった。
わずかな沈黙のあとにおもむろに口を開いたのはウルリケだった。
『大々的に動いてばれるわけにはいかないからだ』
「ばれるって、何がです?」
『二人の存在だよ。大鴉を送ってきたのはフロイデンの皇女、ベアトリクスだ。あいつが言っていた仔鴉とは皇太子の一人息子、マティウス殿下のこと』
思いもよらない言葉にさすがにリュディガーも目を瞬かせた。
皇女? しかもマティウス殿下?
咄嗟に父の顔を見ると、困りはてた顔をしつつも大きく頷いた。
だが、皇女も皇子も──。
「お二人とも皇太子一家襲撃事件で亡くなられたと教わりましたが」
クレメンスははっきりと首を振った。
そしてそれをダメ押しするかのようにウルリカははっきりと告げた。
『生きているよ。皇女も、皇子も』
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

王道にはしたくないので
八瑠璃
BL
国中殆どの金持ちの子息のみが通う、小中高一貫の超名門マンモス校〈朱鷺学園〉
幼少の頃からそこに通い、能力を高め他を率いてきた生徒会長こと鷹官 仁。前世知識から得た何れ来るとも知れぬ転校生に、平穏な日々と将来を潰されない為に日々努力を怠らず理想の会長となるべく努めてきた仁だったが、少々やり過ぎなせいでいつの間にか大変なことになっていた_____。
これは、やりすぎちまった超絶カリスマ生徒会長とそんな彼の周囲のお話である。

使命を全うするために俺は死にます。
あぎ
BL
とあることで目覚めた主人公、「マリア」は悪役というスペックの人間だったことを思い出せ。そして悲しい過去を持っていた。
とあることで家族が殺され、とあることで婚約破棄をされ、その婚約破棄を言い出した男に殺された。
だが、この男が大好きだったこともしかり、その横にいた女も好きだった
なら、昔からの使命である、彼らを幸せにするという使命を全うする。
それが、みなに忘れられても_

例え何度戻ろうとも僕は悪役だ…
東間
BL
ゲームの世界に転生した留木原 夜は悪役の役目を全うした…愛した者の手によって殺害される事で……
だが、次目が覚めて鏡を見るとそこには悪役の幼い姿が…?!
ゲームの世界で再び悪役を演じる夜は最後に何を手に?
攻略者したいNO1の悪魔系王子と無自覚天使系悪役公爵のすれ違い小説!

目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

愛人は嫌だったので別れることにしました。
伊吹咲夜
BL
会社の先輩である健二と達哉は、先輩・後輩の間柄であり、身体の関係も持っていた。そんな健二のことを達哉は自分を愛してくれている恋人だとずっと思っていた。
しかし健二との関係は身体だけで、それ以上のことはない。疑問に思っていた日、健二が結婚したと朝礼で報告が。健二は達哉のことを愛してはいなかったのか?
学園の天使は今日も嘘を吐く
まっちゃ
BL
「僕って何で生きてるんだろ、、、?」
家族に幼い頃からずっと暴言を言われ続け自己肯定感が低くなってしまい、生きる希望も持たなくなってしまった水無瀬瑠依(みなせるい)。高校生になり、全寮制の学園に入ると生徒会の会計になったが家族に暴言を言われたのがトラウマになっており素の自分を出すのが怖くなってしまい、嘘を吐くようになる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿です。文がおかしいところが多々あると思いますが温かい目で見てくれると嬉しいです。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる