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4.超過勤務
4.<side 樋口>
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何、あいつ。
いくら仕事とはいえ、あんな言葉吐くか? しかもあんなことがあったあとで。
聞いている間は俺も随分とハイな気持ちになっていたし、勢いづいて返答していたが、よくよく考えてみればかなり思わせぶりな言葉だ。
しかもたちの悪いことに、言った本人は全く自覚がない。
だが、いつもならば破天荒な言動を諌める俺も、この時だけは妙に海藤の言葉に納得させられていた。
海藤とならば不可能では、ない。
「樋口くん、何? 打開策でた? ウチが納得いく形なんだろうねぇ? ボク、一服してくるから、それから帰ってきたらゆっくり聞かせてもらうからねぇ」
変な余韻に浸っていた俺を現実に戻したのは、皮肉にも目玉オヤジの甲高い声だった。
相変わらずいろいろな意味で絶妙だな、この人は。
俺は軽く会釈をして山下さんを見送った。
その体制のまま黙り込んでいる俺が気になって仕方がないのか、武藤は窺うようにちらちらと俺に視線を送ってきた。
「武藤」
「はい」
「お前、これから4台のバックアップログをとったら帰れ」
そう言った時、武藤はすまなそうな、しかし一方で安堵したような複雑な表情を浮かべた。
こういうところ、瞬間出てしまうあたりがまだ甘い。
そもそも人間なんて皆が皆、正直なわけじゃない。むしろこうして嫌なことは極力回避しようとする人間のほうが多いと思う。
自分の犯したミスを誰かが後始末してくれれば、自分は解放された、よかったと瞬間的に思ってしまっても無理はない。
ただ。うちの部のまとめ役はそういった行為をずるさとみなし、そしてそのずるさをことさらに嫌う。
おそらくオフィスに戻った後、葛原さんの説教が武藤を待ち受けているはず。
そして当然俺も、そんな武藤を見逃すつもりはなかった。
「当然ログとる前に山下さんへ事情は説明することになるから。覚悟しろよ」
その言葉に武藤はみるみるうちに目に涙をため、唇をかみ締めた。
ああこいつ、本当にわかっていない。
覚悟がいったい何の覚悟なのか。
今、武藤の頭の中には自分に向けられるであろう負の感情に関しての恐怖だけしかない。
俺はPCにむいていた身体を武藤のほうへむけて、はっきりと言った。
「山下さんは、そのあたりとても敏い。お前のちょっとした言動から、その裏にあるものを敏感に察知するぞ」
「何を、ですか」
何をときたか。
そこで俺は言葉を濁すことはなかった。はっきりと、逃げ場のないように言い聞かせる。
「お前が新人という立場に甘えていること。自分の責務から逃げようとしていることも、ただ謝っておけばいいと思っていることもすべてだ」
「俺、そんなつもりは!」
「ないって言い切れるのか? だとしたらお前、世間も俺もなめてかかっているとしか思えないな」
おそらくこんなふうに面と向かって、強い口調で追いつめられたことなんてなかったのだろう。武藤は逃げるに逃げられず、自分の足元に視線を落とすだけだった。
「どうする武藤? このまま逃げるか? それはお前の自由だ。ただここできちんと仕事と向き合わないとこの先同じようなことがあったときまた逃げることになるぞ」
確かにこの手のミスは逃げ出したくなる。俺だって逃げ出したいと思うことはたくさんある。
だが、常に自分が今できる最大限の責務は果たそうとしていた。
たとえその後を誰か別の人間に委ねることになったとしても、その瞬間まで真摯であろうとした。またそうでなければいけないとも思っている。
それを武藤に押し付けるつもりはないが、これだけ逃げ癖のついているやつならば、このくらい強固なほうが丁度いいだろう。
「逃げるな、武藤。お前が逃げない限り、うちの人間はお前を見捨てるようなことはしない」
俺の言葉は武藤に届いただろうか。それはよくわからなかった。
ただ俺はそれ以上何も言わず、山下さんにいかに説明をするかということに神経を集中させた。
山下さんが戻ってきたのはそれから5分後。
俺は覚悟を決めて説明を始めた。
こちらの不注意でログを消してしまったこと。その後すぐに復旧し、メインマシンには何も問題のないこと。武藤が行っていたほうの仕事はすでに修理完了していること。そして、ログの収集ができないため、今回のトラブルの原因を正確な形では解明できないこと。ただ、推測の範囲ではあるがエラーの原因がどこにあるかなど説明した。
その段階まで山下さんとしては辛抱強く黙って聞いてたと思う。
というよりも、怒りのあまり声も出なかったというところが正解かもしれない。
「で、私のほうでみていた障害の件ですが、エラーの内容がわからない状態なので、連動するマシン含めて計5台、今から予防交換をしたいと思っています。そのため残り4台分のバックアップログを集計させていただきたいのですが」
そこで山下さんの怒りは爆発した。
「はぁ!? 全取替え? 何それ、樋口くんそれ一人でやるつもりなの?」
「いえ、今から部品をもって弊社の海藤がヘルプでくる予定です。処理自体は私と海藤の二人で行わせていただきたいと思っています」
海藤の名前が出るや、山下さんの顔はますます曇った。
「なに、海藤くん来るの? だったらさぁ、最初から海藤くん連れてくればよかったじゃない? 何もこんなできない新人連れてこないでさぁ」
侮蔑の篭った視線を向けられた武藤はびくりと肩を震わせて、足元に視線を落とした。
いかにも気弱そうな武藤の様を見て、山下さんの加虐心に火がついたのか、それともログを消されて修理が延びて、ついでに残業になっている原因を思い出したのか、そこから山下さん特有の攻撃が始まった。
「ねぇ樋口くん。きみんところはさぁ、代々優秀な人間がきていたからねぇ、ボクも信用していたわけ。なのに何これ。この状態ってひどくないかなぁ。ウチはきみんとこの会社の研修所じゃないわけだしぃ、こんなできない新人連れてこられても困るわけよ。だいたいさぁ、ログ消しちゃうなんて技術以前の問題でしょー? ボクだって、いや、素人さんだってやらないようなミスだよね」
全く返す言葉もない、が。
「その点は私の監督不行届きだと思っています。本当に申し訳なく思っています」
「すみません……」
震える声で武藤が続く。
ようやくしぼり出した武藤の声は山下さんの神経をさらに逆なでしたらしい。そのまま武藤の前に一歩踏み出し小言を始めた。
「君さぁ、技術畑には向いていないんじゃない? ねぇ何考えてんの? あんたがなーんにも考えないで行ったほんの一瞬の作業が会社に重大な損失を与えちゃうかもしれないってこと、わかっている? つーか、今現在与えているよね。どうすんの? なぁ樋口さん、ちゃんと会社にいっておきなよねぇ。こんな使えない新人回してくんなってさ」
このままいくと延々と山下さんの小言が続くことは簡単に予想ができた。
どうしても山下さんの場合、現実の問題を通り越して精神論になりがちなのだ。
いつもならば気の済むまで言うに任せていただろうが、今日はそうは行かない。できるだけ早くログを取り、作業に取り掛かる状態を作り上げておきたい。
「本当に申し訳ありません。武藤に関しては私の指導力の足りなさからきていることです」
「すみません……」
「ほらそれ。『すみません』ばーっかりで、誠意って全く感じられないんだよねぇ。技術がないならせめてもうちょっと本気で謝ったら? 責任とって辞めますとか、土下座とかさぁ」
正直俺は苛立っていた。
ここで誠意だのなんだのについて聞いている暇は本当にない。
早いところ実務的な仕事の話に入りたい。
だからといって今、山下さんが言うように武藤を排除するつもりはなかった。どんなにできなかろうが、逃げるのが得意であろうがこれは俺が預かった後輩だ。ここで俺が見捨てるわけにはいかない。
だが。仕事は前に進めたい。
ならば。
俺は幾分神妙そうな顔で眉を寄せ、それからおもむろにその場に膝をついた。
いきなりの行動に山下さんは勿論、武藤も目を見張っていた。
頭なんていくらでも下げてやるし、膝をついて土下座をすることも厭わない。
「本当に、申し訳ありません。武藤に関しては山下さんの仰るとおり、まだ社会人としてエンジニアとして未熟な状態だと思います。私の指導が至らなかったと反省もしています。そしてそのために御社に多大な御迷惑をかけていること、心から申し訳なく思っています」
今時土下座。
なんて前時代的だと思ったし、まだ新人の武藤にしてみれば土下座なんて行為は莫迦らしいと思うかもしれない。
だが山下さんはこういう時代の人なんだよな。
そしてこうすることで山下さんがわずかばかりでも罪悪感を覚え、作業に入らせてくれればそれでいいと俺は計算していた。
何となく誰もが次の動作をどうするべきか謀りかねて、そのままの体制でいたときだった。
「失礼しまーす。おそくなりまし、た? あれ?」
とても呑気な状態でドアを開けてやってきたのは、海藤だった。
一瞬きょとんとした顔をして、それからみるみるうちに顔を強張らせた。
俺を見て、山下さんを見て、それから武藤を見て、俺を見て、最後に武藤に視線を戻した。
間違いなく海藤は怒りに眉を寄せたが、それが何に対する怒りなのか、俺にはいまいち判断つきかねる。
が。
視線の止まった先が武藤ということから考えると、武藤に対してなんだろう。
やばい。
暴れるゴールデンレトリバーのモードに入っていないか?
俺が慌てて立ち上がり、海藤の前に立ちはだかった。
「ありがとう海藤。だが申し訳ない。まだログはとり終わっていないんだ」
俺が先に動いたせいでとっさに反応することができなかったのか、海藤は目を見張ったままだった。
「樋口」
「すまない海藤。まだ、山下さんに納得していただいていない」
そこにはこれ以上話を大きくしないでくれ、という俺の思いが多大に含まれていた。
そのことに気がつかないほど海藤は鈍感ではないはず。
目の前の海藤はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、唇をかみ締めて幾分節目がちになった。
何でお前がそんな顔をする。
屈辱的な顔をするべきは、本来俺であってお前ではないだろう?
そう言いたかったがそのことを口にすることはためらわれて、俺は押し黙った。
「すみません、山下さん、ちょーとっきゅーできたんですけど」
一応にっこり笑っているんだが、こいつが完全なポーカーフェイスができるはずもなく、いまいち目が笑っていないという恐ろしい顔になっていた。
「久々だねぇ、海藤くーん。何? ウチの仕事が嫌になっちゃったわけー? いつも君がきていたのに今回は嫌になって新人に押し付けたんだと思っていたよ」
軽い山下さんの嫌味も海藤は軽くいなす。
「いやいや。仕事立て込んでたんすよー。こちらに来る前に2件仕事してきちゃいました」
「へぇ。ウチより重要?」
「やだな山下さん。俺は仕事選ばないですよ。先着順ですもん。故障した順に片付けてきますよ」
そういうと部品をおろし、周囲を見回して挑戦的に笑う。
「で。どこからはじめましょうかね? 俺、今日はすんげーやる気満々なんですけど」
湿って沈みがちだった空気が突然からりと晴れ渡ったものに変化するのを俺はしっかりと感じ取っていた。
本当、こいつはすごい。
山下さんがこいつを気に入っている意味がよくわかる。
一瞬にして場の雰囲気を変えてしまうだけの力技を発揮する。当然俺には真似できない。
さすがに山下さんも海藤のこの屈託のない様子を前にして態度を軟化した。
「事情、わかってんでしょ、海藤くん」
「もっちろんです。だから、俺と樋口で完璧に仕上げて見せます。当然、時間内で」
海藤は強引に俺の肩を引き寄せて山下さんに詰め寄る。
全くこいつの自信はどこから出てくるんだ?
しかも海藤がはったりでもなんでもなく、本気でそんなふうに思っているところがありありと見て取れる。
だから山下さんもこれ以上は嫌味を続けることができない。
そして山下さんはついに折れる。
「いいよ。ログとりはじめてよ。俺も早く帰りたいし」
それがGOサイン。
海藤は俺にちょっとだけ笑顔を向けて部品の梱包を解き始めた。
いくら仕事とはいえ、あんな言葉吐くか? しかもあんなことがあったあとで。
聞いている間は俺も随分とハイな気持ちになっていたし、勢いづいて返答していたが、よくよく考えてみればかなり思わせぶりな言葉だ。
しかもたちの悪いことに、言った本人は全く自覚がない。
だが、いつもならば破天荒な言動を諌める俺も、この時だけは妙に海藤の言葉に納得させられていた。
海藤とならば不可能では、ない。
「樋口くん、何? 打開策でた? ウチが納得いく形なんだろうねぇ? ボク、一服してくるから、それから帰ってきたらゆっくり聞かせてもらうからねぇ」
変な余韻に浸っていた俺を現実に戻したのは、皮肉にも目玉オヤジの甲高い声だった。
相変わらずいろいろな意味で絶妙だな、この人は。
俺は軽く会釈をして山下さんを見送った。
その体制のまま黙り込んでいる俺が気になって仕方がないのか、武藤は窺うようにちらちらと俺に視線を送ってきた。
「武藤」
「はい」
「お前、これから4台のバックアップログをとったら帰れ」
そう言った時、武藤はすまなそうな、しかし一方で安堵したような複雑な表情を浮かべた。
こういうところ、瞬間出てしまうあたりがまだ甘い。
そもそも人間なんて皆が皆、正直なわけじゃない。むしろこうして嫌なことは極力回避しようとする人間のほうが多いと思う。
自分の犯したミスを誰かが後始末してくれれば、自分は解放された、よかったと瞬間的に思ってしまっても無理はない。
ただ。うちの部のまとめ役はそういった行為をずるさとみなし、そしてそのずるさをことさらに嫌う。
おそらくオフィスに戻った後、葛原さんの説教が武藤を待ち受けているはず。
そして当然俺も、そんな武藤を見逃すつもりはなかった。
「当然ログとる前に山下さんへ事情は説明することになるから。覚悟しろよ」
その言葉に武藤はみるみるうちに目に涙をため、唇をかみ締めた。
ああこいつ、本当にわかっていない。
覚悟がいったい何の覚悟なのか。
今、武藤の頭の中には自分に向けられるであろう負の感情に関しての恐怖だけしかない。
俺はPCにむいていた身体を武藤のほうへむけて、はっきりと言った。
「山下さんは、そのあたりとても敏い。お前のちょっとした言動から、その裏にあるものを敏感に察知するぞ」
「何を、ですか」
何をときたか。
そこで俺は言葉を濁すことはなかった。はっきりと、逃げ場のないように言い聞かせる。
「お前が新人という立場に甘えていること。自分の責務から逃げようとしていることも、ただ謝っておけばいいと思っていることもすべてだ」
「俺、そんなつもりは!」
「ないって言い切れるのか? だとしたらお前、世間も俺もなめてかかっているとしか思えないな」
おそらくこんなふうに面と向かって、強い口調で追いつめられたことなんてなかったのだろう。武藤は逃げるに逃げられず、自分の足元に視線を落とすだけだった。
「どうする武藤? このまま逃げるか? それはお前の自由だ。ただここできちんと仕事と向き合わないとこの先同じようなことがあったときまた逃げることになるぞ」
確かにこの手のミスは逃げ出したくなる。俺だって逃げ出したいと思うことはたくさんある。
だが、常に自分が今できる最大限の責務は果たそうとしていた。
たとえその後を誰か別の人間に委ねることになったとしても、その瞬間まで真摯であろうとした。またそうでなければいけないとも思っている。
それを武藤に押し付けるつもりはないが、これだけ逃げ癖のついているやつならば、このくらい強固なほうが丁度いいだろう。
「逃げるな、武藤。お前が逃げない限り、うちの人間はお前を見捨てるようなことはしない」
俺の言葉は武藤に届いただろうか。それはよくわからなかった。
ただ俺はそれ以上何も言わず、山下さんにいかに説明をするかということに神経を集中させた。
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俺は覚悟を決めて説明を始めた。
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その段階まで山下さんとしては辛抱強く黙って聞いてたと思う。
というよりも、怒りのあまり声も出なかったというところが正解かもしれない。
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「いえ、今から部品をもって弊社の海藤がヘルプでくる予定です。処理自体は私と海藤の二人で行わせていただきたいと思っています」
海藤の名前が出るや、山下さんの顔はますます曇った。
「なに、海藤くん来るの? だったらさぁ、最初から海藤くん連れてくればよかったじゃない? 何もこんなできない新人連れてこないでさぁ」
侮蔑の篭った視線を向けられた武藤はびくりと肩を震わせて、足元に視線を落とした。
いかにも気弱そうな武藤の様を見て、山下さんの加虐心に火がついたのか、それともログを消されて修理が延びて、ついでに残業になっている原因を思い出したのか、そこから山下さん特有の攻撃が始まった。
「ねぇ樋口くん。きみんところはさぁ、代々優秀な人間がきていたからねぇ、ボクも信用していたわけ。なのに何これ。この状態ってひどくないかなぁ。ウチはきみんとこの会社の研修所じゃないわけだしぃ、こんなできない新人連れてこられても困るわけよ。だいたいさぁ、ログ消しちゃうなんて技術以前の問題でしょー? ボクだって、いや、素人さんだってやらないようなミスだよね」
全く返す言葉もない、が。
「その点は私の監督不行届きだと思っています。本当に申し訳なく思っています」
「すみません……」
震える声で武藤が続く。
ようやくしぼり出した武藤の声は山下さんの神経をさらに逆なでしたらしい。そのまま武藤の前に一歩踏み出し小言を始めた。
「君さぁ、技術畑には向いていないんじゃない? ねぇ何考えてんの? あんたがなーんにも考えないで行ったほんの一瞬の作業が会社に重大な損失を与えちゃうかもしれないってこと、わかっている? つーか、今現在与えているよね。どうすんの? なぁ樋口さん、ちゃんと会社にいっておきなよねぇ。こんな使えない新人回してくんなってさ」
このままいくと延々と山下さんの小言が続くことは簡単に予想ができた。
どうしても山下さんの場合、現実の問題を通り越して精神論になりがちなのだ。
いつもならば気の済むまで言うに任せていただろうが、今日はそうは行かない。できるだけ早くログを取り、作業に取り掛かる状態を作り上げておきたい。
「本当に申し訳ありません。武藤に関しては私の指導力の足りなさからきていることです」
「すみません……」
「ほらそれ。『すみません』ばーっかりで、誠意って全く感じられないんだよねぇ。技術がないならせめてもうちょっと本気で謝ったら? 責任とって辞めますとか、土下座とかさぁ」
正直俺は苛立っていた。
ここで誠意だのなんだのについて聞いている暇は本当にない。
早いところ実務的な仕事の話に入りたい。
だからといって今、山下さんが言うように武藤を排除するつもりはなかった。どんなにできなかろうが、逃げるのが得意であろうがこれは俺が預かった後輩だ。ここで俺が見捨てるわけにはいかない。
だが。仕事は前に進めたい。
ならば。
俺は幾分神妙そうな顔で眉を寄せ、それからおもむろにその場に膝をついた。
いきなりの行動に山下さんは勿論、武藤も目を見張っていた。
頭なんていくらでも下げてやるし、膝をついて土下座をすることも厭わない。
「本当に、申し訳ありません。武藤に関しては山下さんの仰るとおり、まだ社会人としてエンジニアとして未熟な状態だと思います。私の指導が至らなかったと反省もしています。そしてそのために御社に多大な御迷惑をかけていること、心から申し訳なく思っています」
今時土下座。
なんて前時代的だと思ったし、まだ新人の武藤にしてみれば土下座なんて行為は莫迦らしいと思うかもしれない。
だが山下さんはこういう時代の人なんだよな。
そしてこうすることで山下さんがわずかばかりでも罪悪感を覚え、作業に入らせてくれればそれでいいと俺は計算していた。
何となく誰もが次の動作をどうするべきか謀りかねて、そのままの体制でいたときだった。
「失礼しまーす。おそくなりまし、た? あれ?」
とても呑気な状態でドアを開けてやってきたのは、海藤だった。
一瞬きょとんとした顔をして、それからみるみるうちに顔を強張らせた。
俺を見て、山下さんを見て、それから武藤を見て、俺を見て、最後に武藤に視線を戻した。
間違いなく海藤は怒りに眉を寄せたが、それが何に対する怒りなのか、俺にはいまいち判断つきかねる。
が。
視線の止まった先が武藤ということから考えると、武藤に対してなんだろう。
やばい。
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「ありがとう海藤。だが申し訳ない。まだログはとり終わっていないんだ」
俺が先に動いたせいでとっさに反応することができなかったのか、海藤は目を見張ったままだった。
「樋口」
「すまない海藤。まだ、山下さんに納得していただいていない」
そこにはこれ以上話を大きくしないでくれ、という俺の思いが多大に含まれていた。
そのことに気がつかないほど海藤は鈍感ではないはず。
目の前の海藤はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、唇をかみ締めて幾分節目がちになった。
何でお前がそんな顔をする。
屈辱的な顔をするべきは、本来俺であってお前ではないだろう?
そう言いたかったがそのことを口にすることはためらわれて、俺は押し黙った。
「すみません、山下さん、ちょーとっきゅーできたんですけど」
一応にっこり笑っているんだが、こいつが完全なポーカーフェイスができるはずもなく、いまいち目が笑っていないという恐ろしい顔になっていた。
「久々だねぇ、海藤くーん。何? ウチの仕事が嫌になっちゃったわけー? いつも君がきていたのに今回は嫌になって新人に押し付けたんだと思っていたよ」
軽い山下さんの嫌味も海藤は軽くいなす。
「いやいや。仕事立て込んでたんすよー。こちらに来る前に2件仕事してきちゃいました」
「へぇ。ウチより重要?」
「やだな山下さん。俺は仕事選ばないですよ。先着順ですもん。故障した順に片付けてきますよ」
そういうと部品をおろし、周囲を見回して挑戦的に笑う。
「で。どこからはじめましょうかね? 俺、今日はすんげーやる気満々なんですけど」
湿って沈みがちだった空気が突然からりと晴れ渡ったものに変化するのを俺はしっかりと感じ取っていた。
本当、こいつはすごい。
山下さんがこいつを気に入っている意味がよくわかる。
一瞬にして場の雰囲気を変えてしまうだけの力技を発揮する。当然俺には真似できない。
さすがに山下さんも海藤のこの屈託のない様子を前にして態度を軟化した。
「事情、わかってんでしょ、海藤くん」
「もっちろんです。だから、俺と樋口で完璧に仕上げて見せます。当然、時間内で」
海藤は強引に俺の肩を引き寄せて山下さんに詰め寄る。
全くこいつの自信はどこから出てくるんだ?
しかも海藤がはったりでもなんでもなく、本気でそんなふうに思っているところがありありと見て取れる。
だから山下さんもこれ以上は嫌味を続けることができない。
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