彼誰時のささやき

北上オト

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4.超過勤務

3<side 海藤>

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 実地研修はつつがなく、実に和やかに終了した。

「しっかしなぁ。本橋さんのところって、こんなガタイのいいやつばっかなわけー? まるでドカタ要員だなー。あははー」

 つられて俺も本橋さんも笑っていた。まぁ、部品の中にはすさまじくでかくて重いものもあるわけだから、それなりに体力は必要だったりする。
 ドカタ要員は確かに言い得て妙。

 一息ついて、挨拶を済ませて、荷物を車に運び込んでいるときだった。

 本橋さんのスマホが軽やかになり、その軽やかさとは裏腹にべらんめぇ口調で本橋さんは電話に出た。
 俺はというと、笑いを抑えるので精一杯。

「おう。──んだよ、葛原かよ。てっきり部長かと思ったぜ」

 会話の内容から察するに、オフィスからのようだったがその着信音が笑えてならなかった。
 あわねー。笑えるー。かつてはやった美少女戦隊ものの主題歌?
 俺はかまわず片付けて、運転席に乗り込もうとした。が。寸でのところで本橋さんに止められる。

「まて海藤。俺が運転する」
「だって本橋さん電話」
「お前、換われ。──結構話が込み入っている」

 本橋さんの目がやたらと真剣で、俺はその指示に素直に従った。

「目玉オヤジんとこで、新人がちょんぼったらしい」

 そのまま席を交代し、スマホを受け取りながら俺は眉をしかめた。

 目玉オヤジって、あれを怒らせたってことか?

 本名山下。うちの重要顧客のシステム担当。声が目玉オヤジに似ているため、俺たちは影でそう呼んでいる。
 とにかく仕事には厳しい人で、ミスも妥協も怠惰も一ミリたりとも許さない。
 ある種、完璧主義。
 それゆえに、少しでも予測した時間を越えたり、イレギュラーなことが起きるとヒステリ気味になるんだよな。

 通常、どこの顧客にもシステム担当という、要はマシンに何かあったときの窓口になる人間はいるものだが、大抵は浅く知っているという程度。
 しかし目玉オヤジに関しては、結構な知識を持っているものだからなんともやりづらいのだ。

 正直、こちらが何かミスってもごまかしの利く相手ではない。
 そして非常に付き合いづらい。

 だからこそ、山下さん絡みの仕事の時には極力俺が行くことになっていた。担当を固定していたほうが、話がスムーズに進むからだ。

「お疲れさまです。海藤です」
『海藤? すまん、仕事はもう終わったんだよな』
「終わりました。軽くメシ食ってからオフィスに戻ろうと思ってたんですけど」

 時間は19時ちょい前。

 どうせ独り身。そして輪番。どうせなら食事してからオフィスに戻って今日の実地研修のまとめでもしようかと思っていたのだ。

『悪い、海藤。そのまま山下さんのところに回ってもらえないかな』

 葛原さんの声は切羽詰っていて、これは本当にやばいことが起きているらしいと、さすがの俺でも気がつく。

「何が起きてるんですか?」

 助手席に乗り込んで、俺は事の概略を聞いた。

 多重障害が発生していたこと。新人のほうはディスクの交換という単純作業だったが、何を考えてたのか、メインマシンのディスクを引っこ抜いてそのまま初期化してしまったこと。
 そしてそのためにログが取れなくなり、樋口が抱えているほうの障害の内容が不明となってしまっていること。

 簡単に言ってしまえばそんなところらしい。

『何せ相手は山下さんだろ? さっき話したが、もー、ヒステリー最高潮で。とにかく明日の朝にはシステム再稼動させなきゃいけないのにどうしてくれるとその一点張り』

 電話越しでやり取りしている葛原さんだってこんなに疲労困憊しているくらいである。
 じゃあ、現場で矢面に立たされている樋口は?
 そりゃ、樋口がこの程度でめげてしょげるようなタイプじゃないことはわかっている。だけど。

 とても、気になった。

「わかりました。とりあえず樋口に状況確認してから動きます」



  コール7回目にしてようやく樋口は電話に出た。

「はい」

 感情の読めない声はいつものことだったが、コールの回数に、今樋口の置かれている状況が表れているようだった。

 そもそもいつもの樋口ならば、コール3回以内に応答する。

 こうして樋口とまともに口をきくのはいつぶりだろう。

 いろいろと思いは廻るが、今はそれどころじゃねぇ。この状況は決して許されるものじゃない。
 それでなくても、今樋口が見ている顧客はうちの部担当の中では1、2を争うほどにうるさい。

「状況は」

 名乗ることもなくさっさと切り出した俺に対し、諌める余裕もないらしい。
 作業をしているのか、メールのやりとりをしているのか、キーボードを叩く音が響いてきた。

『とりあえず武藤の方はディスクの交換をした。メインマシンのほうは俺も確認したがしっかり初期化されていた。ログは跡形もなく消去。仕方がないからそっちは保留して俺の方の障害チェックに入っている』

 隣に武藤がいるのだろう。涙声ですみませんを連呼する声がスマホごしに聞こえてくる。

「まぁ、武藤のほうの作業はおいといて。問題は樋口のほうのマシンだろ? あれ、24時間以上とめらんねーはずだけど」
『ああ』
「この辺が原因かなー、っていうあたりはついてんの?」
『ディスクが大元なことは間違いなさそうだ』

 樋口の返答はとても簡素で、らしくないといえばらしくない。
 原因について予測のたたない男ではない。
 ならば今、答えられない状況にあるということか。

「もしかしてすぐそばに山下さんとかいる?」
『ああ』

 あー。やっぱりなぁ。うちの新人がミスっているということは既にばれているのだろうから、これ以上のミスを見逃すものかとすぐそばで見張っていることは十分考えられる。
 じゃあ、こちらの推測だけでは納得しないな。それに変わる具体的な代替案も提示しなければならないということか。

 俺は軽くあごに手をやり、一瞬だけ考え込んだ。

「──原因の詳細がわからないってことは、障害ディスクは完全にだめだめちゃんで、エラーログをとることはできないってことか?」
『ああ』

 参ったなー。

「あー。山下さん、ヒステリ起こしてる?」
『ああ』
「思い切り?」
『聞くまでもなく』

 だろうな。
 んー。あー。うーん。

「……おそらくそのマシン単独の障害だよなー。通常ならばそれの分だけ交換修理を行えばいいんだろうけど。そうは行かない状況だよな」
『仰るとおり』

 きっとそんなことを言ったら、また多重障害が起きないとどうして言える? とかヒステリ最高潮になりそうだしなぁ。

 問題は、樋口のかかわっているマシンが他4台と連動してしているということだ。そもそもログが消えてしまったこと自体、山下さんの怒りの大元となっているだろうから。

 ……山下さんが納得する方法はただ一つ。それはとてつもなく強引な力技だが。

 でも。

 俺一人では無理だが、樋口となら。

「樋口ー。山下さん、そろそろ限界?」
『当の昔に超えている』

 じゃあ、超特急で。

「樋口。とりあえずこのままオフィスによって部品一式もってそっちに向かう。──5台分、予防交換で全部取り替えよう」

 俺の回答があまりにも突拍子もないものに思えたのか、さすがに樋口も黙り込んだ。
 さっきまでテンポよく相槌打ってたくせに。

「樋口。聞いてる?」
『その案には賛成しかねる』

 おー。即答。確かに樋口らしい回答だよ。だがな樋口。

「でもそうするしか竹下さんは納得しない」

 そのことを一番よくわかっているのは間違いなく樋口自身だろう。電話では平静を装っているが、あの山下さんのヒステリ下に置かれて既に2時間は経っているはずだ。普通の人間ならば泣き出して、ごめんなさいしたいか、そのまま逃げ出してしまいたい状態のはずだ。

 実際俺は泣いたことがある。
 ああ泣いたさ。
 泣いて逆切れして見せたさ。
 それでもきっちり作業はしたけど。

 大の男がそんな状態に陥ってしまうくらいなんだから、いくら樋口ができる社員とはいえ、辟易しているはず。

 その証拠に樋口は押し黙る。

 まぁ、論理的思考を重んじる樋口にしてみれば、納得がいかない力技だろう。

 しかしマシンを止めて既に5時間。通常稼動に2時間見たとして、残りは13時間。ただ、翌日の8時には稼動しろといっているわけだから、実質は11時間しか残っていない。そして時間はどんどん過ぎていく。

「俺さ。お前と組んでだったら、10時間で5台予防交換して、再セットアップして、通常稼動にこぎつける自信あんだけど」

 樋口はなおも口を開かない。そして考えているはずだ。今まで俺と組んでして来た仕事を。

『無茶を言う』

 無茶? 俺はそんなことは思っていない。

「俺一人じゃ心もとないけど、少なくとも樋口と組んだ仕事は常にパーフェクトだって自信はあるなぁ」

 それは樋口だって感じているはずだと俺は自負している。
 葛原さんでも本橋さんでもない。樋口と俺なら、やれる気がする。
 それだけの実績もある。経験もある。互いの得手不得手もクセも動きも呼吸もしっかりと叩き込んでいる。

 黙り込む樋口に俺はやたらと自信満々に伝える。

「他の人間じゃ駄目だ。でも、俺とお前ならできるとおもわねぇ? 少なくとも俺は、お前とだったらなんだってできる気がする」

 これが最良の方法。
 だから、覚悟を決めてくれ、樋口。

 固唾を呑んで樋口の回答を待っていた俺の耳元から、規則正しくキーを打つ音が突然やんだ。

 スマホの向こうで、樋口が薄く笑う気配を俺はしっかりととらえた。

『こちらに一組。予備の一組を持ってくるとして、残りの部品は』
「チャーター便でかき集めれば2時間でくるだろ」

 比較的在庫の多い部品だ。集めるのにそれほど苦労はない。

『本気だな』
「勿論」
『──それで動くぞ』

 動く、ということはそれで竹下さんを説得する、ということだろうな。
 一度口にしたら、ひくことはできない。もし時間内に稼動ができなければ、会社自体にかなりの損害を与えることは間違いない。

「了解。ちょーとっきゅーでそっち向かうけど、4台分のログとりと、できるだけ竹下さんを説得しておいてくれ」
『最善は尽くす』

 そういって、樋口は電話を切った。

 久々に、気持ちが高揚していた。
 いわゆる臨戦態勢。
 樋口とする仕事は達成度が高くて、終わったあとに得る達成感はこの上ない。
 常習性のあるそれを俺は待ち望んでいたのかもしれない。

 不謹慎だとは思ったが、俺は思わずこぼれる笑みを押さえることができなかった。
 そんな俺にむかって運転席からやたらとにやにやした笑いが襲ってきた。

「なんですか? 本橋さん」

 なんで本橋さんまでにやにやしてんの?

「いや。今の言葉、事情を知らない人間が聞いたら誤解しそうな内容が一部含まれていたなあ、と」
「誤解?」

 きょとんとした俺の顔を見て、本橋さんは大笑いした。

「おれぁ、プロポーズでもしてんのかって笑い出しそうになったぜ」

 いまいちどこの言葉をもってしていっているのか俺には理解できなかったが、プロポーズと言われて、俺は反射的に頬に熱が帯びるのを感じた。

 そしてそれをごまかすかのごとく、外へと目を向けた。

 どうせあたりはもう暗い。

 俺の顔に赤みが差していることなど、本橋さんにはばれないだろう。
 
 
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