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3.色は思案の外
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しおりを挟む「あの美女はこの間の電話の相手かよ」
思っていたのとは異なり、言葉はすんなりと口から吐き出されていた。
意外にもいつもの通りの俺だった。
トイレのドアを開けて真っ先に目に飛び込んできたのは、洗面所で手を洗う樋口の後姿だった。
鏡越しに俺を見つめ、それから再び目線を降ろした。
あ。無視した。
「ひーぐちー」
「お前には関係ないだろう?」
これまたいつもの冷たい態度。
まぁいつもの通りなんだけど、先ほどの表情なんて見ちゃっているからすげぇ違和感。というかいらいら感。
そう返されれば俺だって反論する。
「だってこの間お前、俺のせいで言い訳しなきゃならなくなったってぼやいていたじゃねぇ? そりゃ俺だって気になるだろーが」
その指摘はとても的を射たものだったようであの樋口が黙り込んだ。
しかも面倒くさがってのことでなく、次の言葉が出てこなくて、というあまりあり得ない展開。
こんなことが今まであったか? いやなかったぞ。間違いない。
「俺、説明しよーか?」
俺の申し出に樋口は凄まじい勢いで睨みつけてきた。
「いい。話が余計にややこしくなりそうだ」
「なんだ。やっぱりこの間の彼女なんだ」
そこで樋口はまた黙り込んだ。
何だか今日の樋口はいつもの樋口でない。俺がこれだけ優勢に押し切っているなんて今までに経験がないぞ。
これはやはりあの美女に夢中ってこと?
普通だったら樋口を黙らせている現状に優越感を覚えていもおかしくないだろうに、何故だか気持ちが晴れずにいた。
それどころか、何となくもやっとしたものが沸き起こってくる。
もやっ?
もやって、何に対して?
今度はこちらが黙り込むと、樋口は盛大な溜息をついた。
「あれを彼女には持ちたくないな」
苦々しく言い捨てる樋口の様子に嘘はなさそうだった。
彼女じゃ、ないのか?
ここでさらに突っ込んでもよかったのだが、そのまま俺の横を通り過ぎようとする樋口の横顔は、明らかに疲労感満載だった。
職業柄か、もともと持っている資質か、樋口はポーカーフェイスが異様に得意だった。
常に自信満々で余裕にあふれていて、弱いところなんて全く見せることのないヤツだ。
だからこそ、こんな樋口は初めてだった。
そんな樋口を見て、俺は反射的に腕をつかんだ。
自分の抱えているわけのわからない感情より、樋口の常でない状況のほうが気になって仕方がなかった。
「なぁ樋口。本当に大丈夫か?」
樋口はつかまれた腕をまじまじと見つめて、それからゆっくりと俺へと視線を向けた。
なんだこれ。
樋口は、ほんのわずか、なんとも言い難い表情を浮かべた。
疲労感と、動揺と、苛立ちと、そして絶望したかのような。
なんで、そんな。
思わず握る手に力がこもる。
「人の心配をするよりも自分の心配をしたらどうだ?」
突然話の矛先を返されて、反応が遅れる。
「……俺?」
「そうお前。彼女といるときには彼女に集中しろよな。さっきから彼女がやたらと不機嫌な態度をとっていること、いくら鈍感なお前でも気がついているだろう?」
痛いところを指摘され、俺は押し黙った。
不機嫌な王子様と呼ばれている男に自分の連れの不機嫌さを指摘されるってのもなんだか癪に障る。
そして樋口はさらに追い討ちをかけるようなことを言い放つ。
「それとも? 彼女以上に俺のことが気になるのか?」
「別に気になってなんか」
「あんな殺意みなぎる視線を向けられて気がつかないほど俺は鈍感じゃない」
あ、そう。
というより気がついていてお前、無視していたわけだ。
「あんなことがあった後で平気でいられる人間なんてお前くらいだよ」
苛立ちを込めて投げつけた言葉にも樋口は反応しなかった。
ただ、仕方ないなといった風情で大きく溜息をついた。
「そう大したことじゃないだろう?」
おいおい。大したことじゃない、だと?
一緒にホテルには泊まるわ、一つベッドで眠るわ、あげくキスマークをつけられて『大したことじゃない』?
とっさに浮かんだのは怒りか、口惜しさか。
とにかく、俺が気にかけているほどには気にかけていない。それどころか樋口にとっては些細なことだったってわけだ。
なんだか俺って、莫迦?
俺はつかんでいた樋口の腕を乱暴に放した。
「お前って、すげぇむかつく」
それが八つ当たりだということも、やけにこどもっぽい行為だということもわかっている。
どうせ樋口はまた単純莫迦が勝手に怒っている程度の冷めた目をして俺を見ていることだろう。
わかっている。
でもよくわかっていない。
いったい俺は何をこんなに怒っているのだろう?
歯止めのかけられない感情を持て余しながら、俺はその場を後にした。
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