彼誰時のささやき

北上オト

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3.色は思案の外

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 最悪。

 まさかこんなところで会うとは。

 お互い目が点。

 だが立ち直りが早かったのは樋口のほうだった。
 ついと視線をそらし、隣の美女の背に手を回してさっさと席に着いた。

 俺はというとグラスを持ったまま、樋口の動きをじっと見つめていた。

 相手の女性は樋口のそらし方が上手かったのか、俺のほうには気がついていない。

「何? 海藤くんの知り合いでもいた?」

 先ほどまで陽気に話していたのに、突然黙り込んであらぬほうを見ていたからだろう。
 俺の向かいに座る『彼女』はちょっとだけ苛立ちを含ませてそう聞いてきた。

「あ? ああ。まぁ、知り合い……」

 最後のほうはほとんどフェイドアウトして言葉にならなかった。

 樋口が連れていたのはえらく美人な、しかも年上、そして明らかにセレブ感満載な女性だった。
 なんというか、昔酒の席で樋口の彼女はこんな感じじゃねーかと噂したままの女性が隣にいた。

 何だよあいつ。自身のスペックも高けりゃ、彼女のスペックも高いのかよ。隙がねぇぞ。つか、お前に弱点はないのかおい。

「海藤くんっ。あたしの話、聞いてる!?」

 目の前の春香にそういわれて、俺はようやく我に返った。

 う、わ。怒ってる。

 そりゃ怒りもするだろう。

 今日はクリスマスから年始にかけてどう過ごすかの見極め、正直にいうならばカップルあふれる年の瀬に一人寂しく過ごすか否かが決まる重要な局面なわけだから。

「悪い。ちょっと飛んじゃってた」

 春香の怒りを納めようと、俺はできる限り明るい調子で切り替えした。

 もうこういうときにはとにかく笑うしかない。

 笑顔のごり押しは結構効いたみたいで、相変わらず膨れながらも春香は怒りを納めた。

 春香に呼び出されたのは昨日のことだった。 

 別れる、といわれたきり、音信不通状態が2ヶ月も続けばこれは本当に振られたんだろうなと思っていたところに、これまたタイミングよく電話がかかってきた。

 それが間近に迫ったクリスマス対策だってことは俺でもわかっていた。

 俺だって人並みに普通の若い男なわけで、こんな浮かれきった12月に一人で過ごすのはやはり寂しい。
 ついでにいうと、何だかわからないもやもやした気持ちを払拭したかったということもある。

 だからこそそのまま誘いに乗った。

 相手と同じように俺にも打算的なところがあってもいいだろう? おあいこだ、おあいこ。

 というわけで、金曜の夜、俺は早々に仕事を切り上げて彼女と会っていた。

 久々に華やかな気持ちになればこのもやもやしたものもどこかに飛んでいくだろうと思っていたのに。
 何でその根源とこんなところで会わなきゃならないんだよ。

「気になるの?」

 唐突な春香の物言いに俺はちょっと動揺した。

「え? 何が?」
「だから、さっきの人」
「あー。まぁ、同僚だから」
「ふぅん」

 ちょっと含みを持たせた春香の『ふぅん』はそれなりに恐ろしい。

 何を含んでいるのか俺には読めないからだ。

 だが春香はそれ以上樋口たちの話題を振ることはなかった。

「せっかく久々に会えたのに、どこまでいっても会社のことを忘れられないのね」

 軽い嫌味と共に突っ込まれた話題に俺は苦笑いを浮かべた。

 春香が別れを切り出した時、これと同じことを言われたなと思い出していた。

 春香の思惑をわかっていて、それに乗ったのも自分だというのに、どうにも目の前の春香に集中できない。
 耳にはちゃんと春香の声が入っているのに、中身をしっかり捉えることができない。
 目はきちんと春香の姿を捉えているのに、目の端で樋口とその彼女を捕らえている。
 本当は気にしたくなんかないのに、全ての神経がそちらに向いてしまう。

 神経は全部樋口のほうに向いていて、平気な顔をして春香と会話をする。んな器用なこと、樋口ぐらい頭のいい男なら可能かもしれないが、俺じゃあそう長くは持たない。

 けど。気になって仕方がなかったのだ。

 この間の件を樋口はどうやって説明するのだろうかと考えてしまう。

 目の端に映る樋口はいつも目にする樋口とは少々違った印象だった。

 不機嫌そうな態度は相変わらず。

 彼女相手でも会社のそれと変わらないってちょっと問題だろう? 

 なんて思いつつ、一方でほんのわずかだが、居心地の悪そうな、そう、この場をどう扱うべきか戸惑っているような表情を浮かべているのが気になった。

 あの樋口のそんな表情に俺こそ戸惑い、そして考え込んでしまう。

 もしかしてこの間の一件が原因なんじゃないか。

「やだ。冗談よ。そんな本気で怒らなくてもいいじゃない」

 春香の困惑した声で俺はようやく我に返った。

 えーっと。
 あれ?

 俺はきょとんとし、目の前でうかがう様な表情を浮かべる春香をまじまじと見つめた。

 俺、かなりの形相だったってこと、か。

 そういや葛原さんも言っていたっけ。そんなに俺の顔はひどいのか? 樋口のことを考えるとどうも複雑に感情が絡み合うらしくて、表情が強張るんだよな。

 いかんいかん。

 俺は曖昧に笑った。

「いや、怒ってない怒ってない」

 ふるふると首を振り、俺は笑って見せた。

「ちょっと仕事疲れ。ごめんな。いやな思いをさせた?」

 こういうときに素直に謝ってしまうのは俺の信条で、まぁ大抵の場合はこれで相手は折れてくれる。
 折れてくれないのはごくわずか。それこそ樋口とか。竹内女史とか。そのあたり。

 案の定、春香も仕方ないわねといった顔をして許してくれた。

 何とか春香の機嫌をとる俺の目の端に、立ち上がる樋口の姿が映った。

 つられて俺も条件反射のように立ち上がってしまっていた。

 それでも春香に一言断りを入れるのだけは何とか忘れずにいた。

「ちょっとごめん」
 
 懸命に浮かべた笑顔は数歩進んですぐさま強張る。

 俺、何しているんだよ。
 そもそも追いかけて、そして何を言うつもりだ?

 そう自分を諌めつつも、樋口を追うという行動を抑制することはできなかった。
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