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3.色は思案の外
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しおりを挟む「海藤ってさぁ、そんなに樋口のことイヤなん?」
店に入ってから1時間ほどすぎたころだった。
酒は人の口を滑らかにする。
いつもは他人様の人間関係に口を挟むことのない葛原さんの言葉に、俺はちびちびと口をつけていた度数高めの焼酎をそのまま一口で飲み干してしまった。
……何で樋口の名前がでてくるんだ?
自然と顔が強張り、俺はぎこちなく葛原さんを見つめ、何とか言葉をしぼり出した。
「えーっと。……なんでいきなり?」
そこまで言うのがやっと。葛原さんはそんな俺の態度をどう捕らえたのか、俺には想像できない。が。葛原さんは見るからに俺の言葉に満足していなかった。
「何で……って、お前なぁ、ここ最近、樋口が視界に入るたびに凄まじい視線を送っているだろ。皆恐がって近づけないってぼやいてるんだけど」
凄まじい視線って、俺が?
「俺、そんなこと──」
「自覚なしであんな強烈な睨みを利かせているんだとしたら、それってお前の人格上どうかと思うぞ。皆気がついてて、お前だけ自覚なし? そりゃないぜ」
葛原さんに呑みに誘われることは結構あった。葛原さんにどうも彼女ができたあたりから付き合いが悪くなって、こうして呑むことはたまにしかなくなっていたが。
そうか。もしかして今日誘われたのは、俺のそんな様子を諌めるため、だったのかも。
「俺、そんな迷惑かけてますか?」
「迷惑っつーか。皆恐がっている」
ゴールデンレトリバーが土佐犬になっちゃったって泣きつかれてさぁ。
葛原さんはそういうと心底疲れた顔を見せた。
土佐犬? そんなに恐ろしいってことかよ。
そういや最近皆が遠巻きに見ていたかも。声をかけられることもほとんどなかった気もする。
「あー。すみません」
とりあえず、謝っておこう。
俺としては睨みつけているわけでも喧嘩を売っているつもりでもないんだが、思考が空回りしているから表情も空回りしてしまうんだろう。うん。きっとそうだ。
俺の殊勝な態度に葛原さんは少々態度を軟化させた。
「何かあったのか? もし俺が仲裁に入れるようなことだったら遠慮なくいってくれよ」
仲裁、は無理だよなぁ。
まさか一緒にホテルに泊まってキスマークつけられて、どうやら樋口の彼女にゲイだと疑われてお互いなんだか痛みわけのような状態なんですけどいまいち納得いきませんなんて絶対に言えない。
「まぁ、何とか大丈夫、だと」
遠まわしに話をそらそうとする俺の様子に気がついたのか、葛原さんはまじまじと見つめた。
「……ふぅん。やっぱりあの噂は本当なのかな」
わざと独り言のようにつぶやく葛原さんの言葉はなぜか不穏な趣を漂わせていた。
噂って。
まさか俺と樋口の?
「あのぅ。噂って」
おそるおそる聞くと葛原さんは待っていましたとばかりに勢いついて俺に耳打ちした。
「課内じゃその話で持ちきりなのに、やっぱり本人の耳には届かないものなんだなぁ」
思わせぶりににやにやとしている葛原さんの顔がやけに恐ろしく感じる。
まさかホテル一泊の話に尾ひれがついているわけじゃねーよな。
なんとなく冷汗をかいてしまう。
落ち着け俺。
「海藤の首筋に熱烈キスマークをつけた女性が突然樋口に心変わりをして愛のトライアングル状態って噂」
キスマーク、の言葉に過剰に反応した俺はそのままあご近くの首筋を手で押さえつけた。
そのしぐさを見て葛原さんはますます笑う。
「もう薄くなって見えねーよ」
「……気づいていたんすか」
「気づいていましたよ。つか気づかないほうが莫迦じゃん。そもそもあんなところにバンソーコーってベタ過ぎ」
そういわれても隠すにはそれしかなかったわけだし。どの道意味がないといわれても、あれを堂々とさらす勇気は俺にはない。
「あれは樋口とは、……関係ないです」
大嘘。
やった張本人です。
とはいえず、ようやく搾り出した言葉に当然葛原さんが納得しているとは思えなかった。
「つか、彼女がらみで樋口とどうのとかないし、そもそも俺、2カ月前に彼女から一方的に別れるって──あ」
そこまで言うことねーよ俺!
と思ったものの後の祭り。
しかしその件に関しては触れられたくないと思っていることを察してくれたらしく、葛原さんは相変わらず笑ったままでグラスを一気に空け、少しだけ会話をそらしてくれた。
「まぁな。お前にあんなに睨みつけられて平然としている樋口も異様っちゃー、異様なんだけどね」
そう。確かに樋口はいつもと変わりない。淡々と仕事をこなし、普通に会話を交わし、そしてあの飲み会後の一件については全く触れてこない。
ホテルを出る時だって、淡々としていた。
そうなんだ。あいつは全く何にも変わりがない。気にしているのは俺だけだ。
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