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1.深夜勤務
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甘く見ていた。そのことを否定するつもりもない。
それは樋口が『サポ部の王子様』と呼ばれているゆえか、それとも自分と5センチほどしか変わらないのに俺よりも華奢に見える線の細さ故か、正直わからない。
なんにせよ、俺が甘く見ていた事実は変わらない。あるのは俺が倒されたという事実だけだ。
不機嫌で、そう滅多に笑うことのない──というよりコイツが大口開けて笑う姿なんて到底想像もつかない──樋口がゆっくりと唇を三日月形にして俺を見下ろしていた。
蛍光灯をしょっている樋口のその姿はなんだか俺の知らない樋口だった。
「サポ部の不機嫌な王子様」
俺がそういいながら缶コーヒーをなげると、樋口はそれを上手く受け取った。
「いきなりなんだ?」
樋口は表情を変えることなくそう切り替えしてきた。
深夜4時。
夜勤明けにはまだまだ間がある。
俺と樋口はこうしてペアで夜勤につくことが非常に多い。俺より年下だが、同期。ちなみにいうと樋口は俺たち同期の間では抜群に間違いなく出世頭な男だ。
「知らないのか? お前、コールセンターの女性陣からそう呼ばれている」
まぁ、女性陣からだけでなくそれこそ部内でも有名な代名詞になっているが。
樋口は客には極上の笑みを見せるが、それ意外においてはいつも不機嫌そうな無愛想ぶり。
仕事帰りにのみに誘おうと、休みの日に遊びに誘おうと一切応じない。同じ部の女性が、誘うような笑みを見せようとも表情一つ変えない。
それこそ『男女平等』に無愛想な男。
とはいえその整った顔立ちは普通にサラリーマンをやるには惜しいほどのものだった。
そこでついた代名詞が『サポ部の不機嫌な王子様』。
「聞いて呆れる」
どうやら樋口自身の耳にもその代名詞は届いていたらしい。さらに不機嫌度をまして俺にそう返してきた。
「でも王子様だぜ? いいじゃん。あー、なんで仕事以外じゃ不愛想極まりないこんなヤツが王子様なんだよ……」
俺は樋口の一つ隣に腰を下ろし、そのままPCの上につっぷした。
「俺なんてサポセンの女子(主に独身)に避けられまくりだもん……」
日勤のみの女性社員が多いサポセンにはちょっと目を引く女性もちらほらいる。
そうともなればほら、やっぱりちょっと声をかけて飲みにでも、と思うのが20代男子のサガってもんで。
昼休憩の際、たまたま自販機で鉢合わせたサポセンの職員に声をかけたものの、体よくあしらわれた。
そんな昼の一件を思い出し、がっくり落ち込む俺のことなんぞ、いつものように切って捨てられるだろうと思いきや。
「そういうな。お前だってゴールデンレトリバーみたいでかわいいって噂だろう? サポセンの竹内女史のお気に入りになるくらいは」
突然の切り返しに俺はちょっと意表を突かれた。
通常樋口はこんな雑談には乗ってこない。大抵夜勤の時には仕事の資料をまとめて時間をつぶしているか、新規のシステムの資料を読み込んでいるかだ。
それがまた何の気まぐれだろうか。
いやそれよりも。
俺は恨みがましく樋口を見つめる。
「お前、わかっていっているだろう? その代名詞の前には『暴れる』ってつくってさ」
フルトップを空け、熱い缶コーヒーを啜る姿を注視する。
『暴れるゴールデンレトリバー』。それが俺の代名詞だといわれた時、正直反論のしようもなかった。
もともと一度スイッチが入るとあっという間に頭に血が上る質であることは自覚している。
先日もそれでサポセンの古参の職員とひと悶着起こしかけたところだったのだ。
俺の形相はかなりのものだったらしく、統括マネージャーを務める竹内女史がとりなしてくれなければ周囲に迷惑をかけていたかもしれない。
『いつもニコニコして人当たりのいい海藤くんにこんな一面があるとはねぇ』
そういって丸く収めてくれたものの、それ以来、サポセンのメンバーが一歩引いて接してきていることは間違いない。
「仕方ないだろう? あの時の海藤は正直周囲全員が引くほどに恐ろしかった」
恐ろしい?
嘘つけ。どうせ本気でそんなことを思っちゃいないくせに。
そもそも女史がとりなす前に割って入ってきたのは樋口だった。
首根っこをつかまれて、距離を取らされた姿は犬というより猫のようだったと、先輩である本橋さんにゲラゲラ笑われつつ、からかわれた。
恐ろしいと思っている奴がそんなふうに仲裁に入ってこられるわけない。
樋口という男は常に冷静、常に感情のブレが見えない奴だった。あの時だって、冷静に割って入り、冷静に俺の弁護をしてた。
あの時樋口はどういうつもりで俺を弁護したのだろう。
面倒ごとを早く収めたかったのか、仲間意識からなのか。
本当にまったく感情が読めない。
今だって冗談なのか、本気なのかわからないほどの抑揚のない調子で言い放ってくる。
「おまえさぁ。同じ皮肉を言うならもうちょっとこう、いじわるそーな顔をするとかしろよ」
俺の指摘にも樋口は表情を変えない。今だって資料をつくる手を止めようとせず、キーボードを打つ音は相変わらず規則正しく室内に響いている。
しかし、俺の発言を受けて、樋口のきれいな眉がほんの僅かだけ寄せられた。
「俺の顔についてとやかく言われる筋合いはない」
そう。なぜか顔のことを言われると、頑なな樋口がさらに頑なになる。不機嫌度は2倍ましだ。
座っていた椅子をゴロゴロと足ですすめ、樋口の横に詰める。
「いや、もったいないだろ? それだけ整っている顔だもんさぁ、こう、もうちょっと表情豊かになったらもっと──」
もっと、……もてるなぁ、多分。
樋口は相変わらず不機嫌で、そして、──きれいだった。
そう。格好いいではなく、美人。きれい。そんな表現のほうが似合う。
同じように不機嫌にしたら、ビビられる俺とは大違い。
「なんつーか……、樋口ってどうしてそんなに美人なわけ?」
俺の心底からの素直な感想に、樋口は怪訝そうな顔をした。
不機嫌度はさらに増す。
おいおい。どうしてそこで反応するんだよ。
俺はデスクにべったりと頬つけ、なんとはなしに樋口から視線を外せずに固まっていた。
「海藤はどうしてそう脈絡ない会話をするんだ?」
脈絡ないって言われても、そう思っちゃったんだから仕方ない。
でもなんとなく気恥ずかしくて、俺は自分のデスクへ後ずさりしながら言葉を続ける。
「脈絡ないわけじゃない、だろ。お前、美人。正直そこらの着飾っている女性だってしっぽ巻いて逃げ出しちゃうような美貌だって再認識しただけのこと──って、え!?」
その動きは電光石火。
音もなくするりと立ち上がり、俺の胸倉をつかむや、そのまま俺は反転。
気がついたときには俺の背中には乱雑な俺のデスク、俺の真上には蛍光灯をしょって、意外な表情を浮かべていた樋口の顔があった。
それは樋口が『サポ部の王子様』と呼ばれているゆえか、それとも自分と5センチほどしか変わらないのに俺よりも華奢に見える線の細さ故か、正直わからない。
なんにせよ、俺が甘く見ていた事実は変わらない。あるのは俺が倒されたという事実だけだ。
不機嫌で、そう滅多に笑うことのない──というよりコイツが大口開けて笑う姿なんて到底想像もつかない──樋口がゆっくりと唇を三日月形にして俺を見下ろしていた。
蛍光灯をしょっている樋口のその姿はなんだか俺の知らない樋口だった。
「サポ部の不機嫌な王子様」
俺がそういいながら缶コーヒーをなげると、樋口はそれを上手く受け取った。
「いきなりなんだ?」
樋口は表情を変えることなくそう切り替えしてきた。
深夜4時。
夜勤明けにはまだまだ間がある。
俺と樋口はこうしてペアで夜勤につくことが非常に多い。俺より年下だが、同期。ちなみにいうと樋口は俺たち同期の間では抜群に間違いなく出世頭な男だ。
「知らないのか? お前、コールセンターの女性陣からそう呼ばれている」
まぁ、女性陣からだけでなくそれこそ部内でも有名な代名詞になっているが。
樋口は客には極上の笑みを見せるが、それ意外においてはいつも不機嫌そうな無愛想ぶり。
仕事帰りにのみに誘おうと、休みの日に遊びに誘おうと一切応じない。同じ部の女性が、誘うような笑みを見せようとも表情一つ変えない。
それこそ『男女平等』に無愛想な男。
とはいえその整った顔立ちは普通にサラリーマンをやるには惜しいほどのものだった。
そこでついた代名詞が『サポ部の不機嫌な王子様』。
「聞いて呆れる」
どうやら樋口自身の耳にもその代名詞は届いていたらしい。さらに不機嫌度をまして俺にそう返してきた。
「でも王子様だぜ? いいじゃん。あー、なんで仕事以外じゃ不愛想極まりないこんなヤツが王子様なんだよ……」
俺は樋口の一つ隣に腰を下ろし、そのままPCの上につっぷした。
「俺なんてサポセンの女子(主に独身)に避けられまくりだもん……」
日勤のみの女性社員が多いサポセンにはちょっと目を引く女性もちらほらいる。
そうともなればほら、やっぱりちょっと声をかけて飲みにでも、と思うのが20代男子のサガってもんで。
昼休憩の際、たまたま自販機で鉢合わせたサポセンの職員に声をかけたものの、体よくあしらわれた。
そんな昼の一件を思い出し、がっくり落ち込む俺のことなんぞ、いつものように切って捨てられるだろうと思いきや。
「そういうな。お前だってゴールデンレトリバーみたいでかわいいって噂だろう? サポセンの竹内女史のお気に入りになるくらいは」
突然の切り返しに俺はちょっと意表を突かれた。
通常樋口はこんな雑談には乗ってこない。大抵夜勤の時には仕事の資料をまとめて時間をつぶしているか、新規のシステムの資料を読み込んでいるかだ。
それがまた何の気まぐれだろうか。
いやそれよりも。
俺は恨みがましく樋口を見つめる。
「お前、わかっていっているだろう? その代名詞の前には『暴れる』ってつくってさ」
フルトップを空け、熱い缶コーヒーを啜る姿を注視する。
『暴れるゴールデンレトリバー』。それが俺の代名詞だといわれた時、正直反論のしようもなかった。
もともと一度スイッチが入るとあっという間に頭に血が上る質であることは自覚している。
先日もそれでサポセンの古参の職員とひと悶着起こしかけたところだったのだ。
俺の形相はかなりのものだったらしく、統括マネージャーを務める竹内女史がとりなしてくれなければ周囲に迷惑をかけていたかもしれない。
『いつもニコニコして人当たりのいい海藤くんにこんな一面があるとはねぇ』
そういって丸く収めてくれたものの、それ以来、サポセンのメンバーが一歩引いて接してきていることは間違いない。
「仕方ないだろう? あの時の海藤は正直周囲全員が引くほどに恐ろしかった」
恐ろしい?
嘘つけ。どうせ本気でそんなことを思っちゃいないくせに。
そもそも女史がとりなす前に割って入ってきたのは樋口だった。
首根っこをつかまれて、距離を取らされた姿は犬というより猫のようだったと、先輩である本橋さんにゲラゲラ笑われつつ、からかわれた。
恐ろしいと思っている奴がそんなふうに仲裁に入ってこられるわけない。
樋口という男は常に冷静、常に感情のブレが見えない奴だった。あの時だって、冷静に割って入り、冷静に俺の弁護をしてた。
あの時樋口はどういうつもりで俺を弁護したのだろう。
面倒ごとを早く収めたかったのか、仲間意識からなのか。
本当にまったく感情が読めない。
今だって冗談なのか、本気なのかわからないほどの抑揚のない調子で言い放ってくる。
「おまえさぁ。同じ皮肉を言うならもうちょっとこう、いじわるそーな顔をするとかしろよ」
俺の指摘にも樋口は表情を変えない。今だって資料をつくる手を止めようとせず、キーボードを打つ音は相変わらず規則正しく室内に響いている。
しかし、俺の発言を受けて、樋口のきれいな眉がほんの僅かだけ寄せられた。
「俺の顔についてとやかく言われる筋合いはない」
そう。なぜか顔のことを言われると、頑なな樋口がさらに頑なになる。不機嫌度は2倍ましだ。
座っていた椅子をゴロゴロと足ですすめ、樋口の横に詰める。
「いや、もったいないだろ? それだけ整っている顔だもんさぁ、こう、もうちょっと表情豊かになったらもっと──」
もっと、……もてるなぁ、多分。
樋口は相変わらず不機嫌で、そして、──きれいだった。
そう。格好いいではなく、美人。きれい。そんな表現のほうが似合う。
同じように不機嫌にしたら、ビビられる俺とは大違い。
「なんつーか……、樋口ってどうしてそんなに美人なわけ?」
俺の心底からの素直な感想に、樋口は怪訝そうな顔をした。
不機嫌度はさらに増す。
おいおい。どうしてそこで反応するんだよ。
俺はデスクにべったりと頬つけ、なんとはなしに樋口から視線を外せずに固まっていた。
「海藤はどうしてそう脈絡ない会話をするんだ?」
脈絡ないって言われても、そう思っちゃったんだから仕方ない。
でもなんとなく気恥ずかしくて、俺は自分のデスクへ後ずさりしながら言葉を続ける。
「脈絡ないわけじゃない、だろ。お前、美人。正直そこらの着飾っている女性だってしっぽ巻いて逃げ出しちゃうような美貌だって再認識しただけのこと──って、え!?」
その動きは電光石火。
音もなくするりと立ち上がり、俺の胸倉をつかむや、そのまま俺は反転。
気がついたときには俺の背中には乱雑な俺のデスク、俺の真上には蛍光灯をしょって、意外な表情を浮かべていた樋口の顔があった。
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