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ところでロペス嬢はあれからどうなったのでしょう

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 息の詰まる間が続く……かと思われたが、ヒューバート殿下の息を吐くような笑いによって張り詰めた空気は弛緩した。

「……ま、概ね及第点だな。お前たちが考えた通り、確かに帝国が首謀国だった。七年前アシュレイを殺害出来なかった帝国やつらは暗殺そのものは諦めたようだが、次は祖父が元帝国貴族だったロペス男爵に目をつけて接触を図り、娘を王家の婚約者として送り込む事で我が国の情報を得ようと画策したようだ。 ……と言ってもその娘があまりにも不出来すぎて結局は上手くいかなかったが。ま、悪巧みをしたいのなら引き入れる仲間もそれなりに有能でなければならない事と、当初の主目的を忘れ欲をかけば碌でもない結果を招くという良い例だな」

 は、と呆れたように笑って、ヒューバート殿下が肩を竦める。

「ちなみにアデライ帝国自体は罪を認めたのでしょうか」

 と訊くと、

「確たる物的証拠はない、かつて祖国を裏切った卑怯者の証言など信憑性に乏しい、と突っぱねられればな。それ以上の追求は難しい。 ……だが」

 片方の口角を引き上げ、皮肉げな顔を作った。

サウスフェリうちはこれまで帝国から特に喧嘩をふっかけられていなかったから幾らか取引もあってな。地方の貧困化が進む帝国に穀物の輸出、あとは鉄やら亜鉛やらの鉱物類を輸入していたが、北で足止めを喰らっていた父上たちから届いた書簡によると、この度帝国からしか手に入れられなかった鉱物類を北から輸入出来る事になったそうだ。そういうわけで、帝国との輸出入全面禁止及び帝国の商会の入国禁止が決定された。……謂わゆる経済制裁というやつだな」
「あらあ……当然、同盟国には通達と根回し済みなのよね?」

 にこにこと小首を傾げるジークリンデおねえさまの波打つ髪を指で弄って遊びながら、ヒューバート殿下が悪巧みする悪党みたいな顔をする。
 
「もちろんだ。 ……うちの可愛い弟を散々傷つけやがったんだ、これでも甘いくらいだろ」
「兄上……」

 苦笑するアシュレイ様だけど、嬉しい気持ちが隠せていない感じが可愛い。
 ……と。そういえば。

「あの、ヒューバート殿下。ところでロペス嬢はあれからどうなったのでしょう」

 思い描いていた煌めく展望が崩れ、更に疑うことさえなかった父親の愛情が偽りであり、父親が己の欲望のために自分を利用していたと知って、突発的に命を投げ打とうとした彼女を咄嗟に止めてしまったのは私だ。

「聴取が終われば父親共々裁かれる。幼少の頃より虐待を受けていたと思われるが、王家に対して虚偽を働いたうえに侯爵家子息及び第二王子の婚約者を殺害しようとした罪は非常に大きい。とはいえデビュタント前の未成年でもあるから、その辺りも考慮されるだろうが。 ……して、エメはどうするのが妥当だと考える?」

 ぞんざいに足を組み、ソファの肘掛けにだらしなく頬杖をつくヒューバート殿下だけれど、その瞳の奥の鋭さは紛れもない為政者のそれだ。また試されている。そう思うと背中に緊張が走った。

「私は…………」

 唇を噛んで俯く。
 正直、正解がわからない。
 死んでいた方がマシだった、なんて状況は幾らでも転がっている世の中だから、生きてこそなどと綺麗事は言えない分、助けてしまった責任が肩にのしかかる。
 生きてこそ、と言うのはその当人であるべきであって、私が言うべき事ではない。もちろん、生き延びた事でこの先良かったと思える事があって欲しいと願うけれど……そんな保証はどこにもないし、出来ないから。
 
 無責任に助けてしまったし、偽善と言われれば否定も出来ない。
 とはいえ、彼女に殺されそうになっていた私がそこまで責任を負う必要はないだろうし、アシュレイ様やヒューバート殿下、他の皆もきっとそう言うだろうけど……それでもなあ。

 それとこれとは別というか。
 けど、彼女が殺そうとしたのがアシュレイ様や他の人だったら私もきっとこんなふうには思わなかっただろうな。
 別に殺されて平気な訳はないし、もちろん死にたくなんてないけど……私の育った場所には身近な人で私を利用しようとする大人はいなかったし、むしろきちんと人としてあるべき事を教えられて育った。育てて貰った。それに偽りではない愛情をも与えて貰ったから。
 だから同じ年数を生きていても、彼らの下で得た学びによって、自身の言動には責任が伴う事や、自身の言動がどういう影響を及ぼし得るか、そしてどういう結果を招くかを想像したり気づいたりする事が出来るのだと思う。
 要は自分の話した言葉を、やった行動を、その都度褒められたり叱られたり諭されたりする事を積み重ねていく事でひとつずつ学んでいくのだと。

 だけど、彼女にはついぞその機会が与えられなかった。愛玩動物に対するようにただ可愛いと言われるばかりで言動を成功させるために導かれる事も、失敗や失態を叱られる事もなく育ってしまった。 
 熟した大人とは言えないけれど子供でもない年齢に達していたから、自分で気づける事もたくさんあったと思うし、気づくべきだったとも思うけれど、それでもそうした“気づき”の得られる機会を幼少から尽く潰されてきたら、いったいいつ気づけるのだろうか、とも思う。
 私だってセレッサ嬢のように育てられたら同じ気質になって、自身についても、周りについても客観的に見られたか、そのおかしさに気づけたかどうかわからない。

 同じような環境で育っても、確かに気づける人もいると思う。そういう人は素直に凄いなと思うし、尊敬する。けれど、自分も同じように出来るかと言えば、自信を持って出来ると言い切る事なんて到底出来ない。

 彼女自身の引き起こしてしまった事はとても大きいので同情するわけにはいかないし、情状酌量を求めてしゃしゃり出るような真似もしないけれど、どうにも後味が悪いというか、彼女を裁いてザマアミロ、はい終わり、というのも違うと思うし……。

 なんともやりきれない思いで悶々としていると、知らず眉間に皺が寄っていたようで、気づいたアシュレイ様が人差し指でそこをつん、と突いた。

「エメ、また難しく考えていない?」

 はたと我に返って、ムム、と口を尖らせながら眉間の皺を指で擦る。

「……実際難しいです。 ――あ。あの、ヒューバート殿下」
「なんだ?」
「あの……もし可能でしたらロペス嬢に会う事は出来るでしょうか?」
「会ってどうする」
「確認したい事がありまして。それによって答えが出ると思います」

 どうかお願いいたします、と深く頭を下げる。

 思案する気配がするも、そう間を置かずして頭を上げろ、と命じられたのでそうすると。
 あーと声を上げたヒューバート殿下が、がしがしと頭を掻いた後、指でこめかみを揉みほぐしていた。

「……許可する。但し、アシュレイの同行は許さん。代わりにブラッドとジスランを連れて行け」

 私は再度、深く頭を下げて感謝した。

「承知いたしました。願いを聞き入れてくださりありがとうございます」


 ――と、いうわけで呼び出されたブラッド様とジスラン様を伴って、私たちは王宮の外れにある罪を犯した貴族が、調べられた後裁かれるまでの間収容されるという石造りの収容棟へやって来ていた。
 ここで罪が確定すれば囚人牢へ移され、潔白が証明されれば釈放されるらしく、環境のよろしくない囚人牢に比べれば狭くとも清潔の保たれた部屋で過ごせるとの事。

 既に話をつけてあったためかすんなり中へ通された私たちは、面会用の部屋へと案内された。中は鉄格子の仕切りが設けられており、面会人と物理的接触を図れないようになっているようだ。
 実際、手を伸ばされても触れられない距離にぽつりと椅子が置かれている。
 こちら側も椅子が一脚置かれていたので、私を縦抱きでここまで連れて来てくれたジスラン様がそこへ丁寧かつ慎重に下ろして座らせてくれた(慣れない男性に触れられると身体が硬直してしまうのだけど、緊張で私以上にガチガチになっているジスラン様を見たら妙に安心して力が抜けた)。

「ありがとうございます、ジスラン様」
「……いえ、お気になさらず」

 礼を言うと、私の左足へ複雑そうな視線を一瞬走らせた後、すぐに逸らされた。

 つい先程の事だけれど、ヒューバート殿下に呼び出されてサロンへやって来た二人が、私の左足の失った部分を見て思わず息を呑んだのを思い返す。

「どうりで何もないところで躓いてたはずだ……」

 と納得したように呟いたのはブラッド様だった。
 オリエンテーリングで躓いた時、ブラッド様が助けてくれたからね。鈍臭いなあと思ってただろうな……すみません驚かせて。
 対してジスラン様は片手で口を覆い隠し、言葉を失っていた。 
 ……うーん、そんなに思い詰めないでほしいんだけどなあ。まあ急には無理か。おいおい慣れていってもらおう……。

 苦笑している間に、アシュレイ様に七年前の女の子が私だったと聞かされたブラッド様が感極まった末に、その身を犠牲にしてまでも我が主人あるじをお救いくださったあなた様に生涯の忠誠を誓います……、と跪かれてしまって慌てふためくという一幕があったりも。

 しかも、身につけていたのはアシュレイ様が十代前半の頃着ていた服をお直ししたものだったため、ドレスの裾にではなくズボンの裾に誓いの口づけをされてしまった。
 狂おしいほどの美貌を持つブラッド様なので、これがドレスの裾だったらさぞかし絵になっただろうけれど、何せズボンだからちょっと微妙だった気がする。
 ……いやでも、見ようによっては足に直に口づけされているみたいだったから……あ、だからジークリンデおねえさまが妙にはしゃいでいたのか。

「決して叶わない恋心を忠誠の中に隠しひたすら忠義を捧げる美貌の騎士と婚約者である優しき王子との間で揺れる乙女……切ない三角関係……良いわ……あの子に手紙を送って書いてもらわなきゃ……次の新作はこれよ……」

 となにやらひとり、ぶつぶつ呟いていたけど……あれはなんだったんだろう? アシュレイ様もヒューバート殿下も見て見ぬ振りしてたな、そういえば……。うん、深く聞かんとこ。危うきに近寄らず、だ。

 とまあ、それは良いとして。
 是非俺が! と意気込むブラッド様を無視して私をそっとジスラン様へ預けたアシュレイ様に見送られ、こうして三人で収容棟へやって来たのだけれど……。

 果たして待つ事十分弱、鉄格子の向こう側にある扉が開いて、ふらふらとセレッサ嬢が入って来た。
 未だ衝撃が冷めやらぬままの様子で目も虚ろだ。

 看守らしき人に促され、崩れ落ちるみたいに椅子に座る。腰には逃げ出さないよう縄が結ばれており、看守の手に繋がっていた。

「……セレッサ・ロペス様」

 呼びかけると、のろのろと顔を上げた彼女の目が次第に焦点を結んでいき、やがて私という一点を見据えた。
 途端。

「――あんた……っ! なんでここに!?」

 水色の瞳が驚愕に染まった。
 








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