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私、女の子を泣かせる人はキライなの

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 妃殿下への興味は尽きないけれど、まずはそれよりも。
 私はヒューバート殿下へ深々と頭を下げた。

「お気遣いいただきありがとうございます。体調は大丈夫です。それよりヒューバート王太子殿下、この度は多大なるご迷惑とご心配をおかけして申し訳ありません」

 すると、ヒューバート殿下は嫌そうに顔を顰める。

「やめろやめろ。心配はさせられたが迷惑なんぞ僅かもかけられていない。むしろエメ、お前は長年未解決だったロペス家絡みの事件を解明してくれたのだぞ。感謝こそすれ謝られる謂れはない」
「いえ、しかし……元を辿ればそもそもの元凶は私ですし……」
「あのな。元凶はお前じゃなくてお前の殺害を企んだ奴だろうが。不必要なものまで背負おうとするな。お前が自身のせいだと責める気持ちはわからんでもないが、だがお前ともあろう者がひとつ見落としている点があるぞ?」

 え、と虚をつかれた私は顔を上げる。
 ……見落とし……?

「騎士団の調書を調べた日の事はまだ覚えているか」
「はい」
「あの時クリス、 ――クリスティアンが証言しただろうが。なぜアシュレイがひとりで校舎裏へ向かったのかを」

 私は思わずあっ、と声を上げた。
 ――そうだった……! 自分のせいだという思いに囚われてすっかり忘れていた……。

「クリスティアン様の元同僚……っ」
「そうだ。あいつの元同僚の騎士が借金のにアシュレイを校舎裏へ行くよう誘導させられただろう」

 私は愕然としながら頷いた。

「はい……そうでした。確かにクリスティアン様はそう仰っていました。そして、元同僚を脅したのがのある人物だった、と。 ……つまり、私だけでなくあの時アシュレイ様も同じく命を狙われていた……」
「そうだ。それもお前を殺害せんとする企みを知った奴が、当時のお前とアシュレイの背格好が似ているのを良い事におそらく便乗しやがったんだ。お前を殺すはずだった犯人がお前とアシュレイを取り違えたように、アシュレイ殺害を企てた奴はまさにを狙ったという事だ」

 横を向けば、目が合ったアシュレイ様が頷く。

「私もクリスティアンの証言を失念していた。すぐに思い出せていれば君を思い詰めさせずに済んだのに……ごめんね、エメ」

 へにょ、と申し訳なさそうに眉が下がる。私は慌ててかぶりを振った。

「いえ、そもそも私が見落としていたので……! こちらこそごめんなさい!」

「そういう事だ。まあ、アシュレイの場合はあわよくばというところだったのだろうが……しかし実際にそのが起こりかけたわけだ。もしエメがアシュレイを助けなければ、必然そうなっていただろうよ。それにエメ自身も王子殺害の目撃者だ、どうあっても無事では済まなかったはずなのだが……」

 と一旦言葉を切ったヒューバート殿下が、私を見て苦笑する。

「今のウィルフレッドと同じ年齢だったお前が、襲い来る大人を前に恐怖しなかったはずはない。だというのに、自分が助かるためではなくその日が初対面のほぼ見ず知らずの少年アシュレイを助けるために少年の上着を自ら着て囮になるなど……大人顔負けの判断力に行動力、勇敢さ……いや、無謀さか? 全く、お前は昔から度を越したお人好しだな。 ――だがアシュレイを、我が王家の、俺の大切なおとうとを守ってくれた。令嬢にとってその身の一部を失う事がどれほどの犠牲だったかわからぬはずもない。この度の働きと共に改めて心から感謝申し上げる。エメ・リヴィエール嬢」

 ヒューバート殿下が胸に手を当て、厳粛な面持ちで腰を折った。
 畏れ多すぎて慌てふためきながらアシュレイ様を見れば、彼も至極厳かに礼をしてくる。

「ヒューバート王太子殿下もアシュレイ殿下もどうか顔をお上げください……っ、昨夜もアシュレイ殿下に言いましたが、これが逆の立場だったらアシュレイ殿下だとて私を守ったはずです。ですから……」

 やっと頭を上げてくれたヒューバート殿下が、呆れたようにやれやれと肩を竦めた。
 
「助けたいという気持ちはあっても実際にそう出来るかどうかは別だと思うがなあ。王族を守る近衛騎士とて、日々血を吐くような訓練をひたすら繰り返した果てにようやく有事の際、咄嗟に身体が動くようになるのだぞ。人には本能的にどう足掻いても自身を守ろうとする働きが備わっているからな。それを覆す行為はその実、とてつもなく難しい事なのだが……軍事国家であるアデライ帝国を毎度敗走させるようなリヴィエール辺境騎士団の中で育った弊害なのか……?」

 なんだか一転して残念な子を見るような目で見られる私。 ……ええ……そんな事言われましても。
 戸惑っていると、アシュレイ様まで困ったように微笑んだ。
 
「エメ。何度も言うけど、あの時出会ったのがエメじゃなかったら私は今頃ここにはいないはずだよ。だから、どうか自分の成した事を軽く考えないでね」

 私はハッとなった。
 
「……確かに。軽く考えてしまうという事はアシュレイ様の命の価値も軽視してしまう事になるのですよね……」
「うーん……私としてはそこにエメ自身の命の価値も入れてほしいのだけどね……」
「今後、このお人好しにそれを理解さわからせるのが目下の課題だな」

 はあ、と溜め息を吐いてこめかみに指を当てたヒューバート殿下だったけれど、気を取り直すように軽く頭を振った。

「まあ良い。まだ話さねばならん事があるが、ひとまず食事にしよう。チビたちがもう限界だ」

 その言葉に合わせるみたいに、ウィルフレッド殿下とルイス殿下と私のお腹がクルルル……、と合唱した。
 皆で顔を見合わせ、きっかり三秒後。
 弾けるように笑い声が部屋中に響いた。
 そうしてひとしきり笑った後、ようやくお待ちかねの朝食の時間となったのだった。

 結論。朝食は最高に美味しかったです。
 朝採れ野菜のサラダ、旬のそら豆のポタージュ、チーズ入りふわふわオムレツにカリカリベーコン、焼きたてパンにバターや蜂蜜やジャム……あ、このジャム絶対アシュレイ様お手製のやつだな。とすぐにわかった私である。そろそろどれがアシュレイ様お手製のものか当てられるのではなかろうか。なんなら利きジャムやら利き菓子やら出来る自信がある。
 と、ちょっと得意げに胸を張ったら、なに言ってるそれなら俺の方がわかるぞと悪ノリして来た偉い人が、面白そうだから今度皆でやるか、と更にノリノリになられてしまったので、近々本当に利きジャム(プラス利き菓子)大会が催されれるかもしれない。
 
 それはともかく、朝食メニュー自体は珍しいものではなかったけれど、ひとつひとつの素材と調理法が素晴らしく良いせいかそれはもう美味しかった……。
 昨日のお昼から何も食べていなかったのもあって余計美味しく感じたのかもしれないけど。いや、絶対美味しいに決まってた。何せここは王宮なのだから。

 そうしてウィル君とルー君(二人にそう呼べとお願いされて即落ち)の「エメちゃん、これおいしいよ食べてみてください」「エメちゃんぼくねえ、アシュレイにーさまのジャムがだいすきなの~」等、言葉からしぐさまで全ての可愛さに胸を撃ち抜かれメロメロになりながらの朝食が終わり、この後お勉強だという二人とお別れした私たちは、サロンのひとつへ移動して話を再開する事になった。
 え? 移動? もちろんアシュレイ様の抱っこでですけどそれが何か(やけくそ)。

 年嵩の侍女さん数名がお茶の用意をしてくれ、テーブルに整うとヒューバート殿下が侍女さんたちを下がらせる。黒に近いこっくりと艶のある濃茶の革張りソファに私とアシュレイ様が並んで座り、向かい側にヒューバート殿下が座って長い足をゆったり組んでいる。

 ……朝食の席でも感じたのだけれど、ヒューバート殿下って今も紅茶を飲む一連の動作が極めて優雅で洗練されている。本当にこの人王太子なんだなあと実感するというか。実感するとこそこ? とツッコまれそうではあるけどこういう所作の美しさは一朝一夕には身につかないからね。ただの美しいではなく“極めて”美しいんだよ、ヒューバート殿下。アシュレイ様も言わずもがなだけど。
 これ、テーブルマナーがあまり必要とされない平民の人たちが見てもおそらく違いがわかると思う。この方は只者ではないな、ってね。

 そういえばリヴィエール家も、王弟だった祖父様がそうなんだよね。豪胆豪快を絵に描いたようような人なのに所作は完璧でひときわ美しいという。今も衰えていないから、もう下手になりようもないほど幼少期より徹底的に身に覚えさせられた結果なんだろうなあ。

 とまあ、蛇足はそれくらいにして。

 それぞれが紅茶に口をつけたところでヒューバート殿下が話を切り出した。
 
「さて、話の続きだが。最近ようやくアシュレイ暗殺未遂の便乗犯がわかったのだが……だと思う?」

 ? ではなく? という事は即ち、反王政派のような派閥もしくは組織集団か……いや反王政を掲げる派閥や組織があるとしても、第二王子を弑したとて王政は揺るぎなく存続するわけだから全くメリットがない。なら、本人に知られれば壊滅間違いなしの王太子推進派……いやでも、すでにヒューバート殿下にはウィル君ルー君という後継がいるからなあ。わざわざアシュレイ様を暗殺するメリットがないし。
 だとすると考えられるのは。

「――国、ですか。どこかの」

「殺害したとてあまり意味を成さない私が死んでなんらかの得をするところ、という事ですよね……」

 アシュレイ様も顎に手を当て、思考に耽る。

「アシュレイ様がいなくなって得をする国……それはなぜ? ……なぜ……、あ。ヒューバート殿下、そういえばクリスティアン様の同僚を脅した人物、外国訛りだと言っていましたよね。どこの国の訛りか特定出来たのでしょうか?」

 ヒューバート殿下がニヤリと片側だけ口角を上げた。

「ああ。 ――エストーラだ。そして更に言うなら、エストーラ国西端にある一地方で話されている方言が混じっていた」
「えっ」
「は?」

 私とアシュレイ様が同時に声を上げる。

「まさか……」
「リヴィエール辺境伯領……そんな……」
 
 私とアシュレイ様の間に緊張が走る。私たちの困惑に対して、ヒューバート殿下は依然楽しげな表情を崩さない。

「これをどう思う?」

 どう思う、と言われても……。

「今は根拠を提示出来ず主観でしかないのですが、ミスリードだとしか思えません」
「ほお、して理由は」
「友好国であるサウスフェリの第二王子を暗殺する理由がそもそもありません」

 ヒューバート殿下がスッと目を細めた。直後、醸す雰囲気がガラリと変わり、殺気にも似た威圧感に気圧される。
 
「本気で言っているのか? ……お前、自国を恨んでいるのだろうが」

 ぞっとするほど冷酷な声色だった。僅かでも偽りを言えば即座に斬って捨てられそうな鋭い視線に射抜かれる。

「兄上……?」

 アシュレイ様が唐突な兄の変化に狼狽している。それを横目に、私はその恐ろしい視線を受け止めた。

「恨んでいないと言えば嘘になるかもしれませんが……それでも滅べとまでは思いません。私がされた事はエストーラの多くの民にとっては無関係ですから」
「お前がそうでもお前の家族縁者はそうではないとすれば?」

 私は全身の震えを堪えながらかぶりを振る。

「いいえ……! 余計にあり得ません。彼らはその道を選ぶくらいならリヴィエールそのものを捨てるでしょう。国への忠誠ゆえにではなく、自分たちの信念に付き従う、その誇り高き矜持プライドの故に。彼らはそういう人たちです」

 私とヒューバート殿下が睨み合う。
 背中に幾筋もの冷や汗が流れる。座っていながら息切れしそうだ。勝手に震える指先を握り締めて誤魔化す。
 千にも万にも感じる時間、実際は十秒にも満たなかっただろうが、その遥かに思える時間の後。

「――あら、ヒュー? いい大人がなあに幼気いたいけな可愛い女の子こねこちゃん虐めてるの。サイテー」
 
 不意に、背後からつややかな声がした。と同時に、ふっと殺気の籠った威圧も消失する。更に、ふんわりと涼やかな花の香りと共に後頭部に柔らかな感触が当たり、背後からにゅっと突き出た細腕に抱き締められた。

 驚きのあまり固まっていると、ヒューバート殿下が私の頭上に視線をやって……その紅茶色の瞳を
 
 ――んんん!? なに? どういう事?

 混乱しながら私をバックハグしている人を振り返れば。
 にこ、と微笑みかけるとんでもなく妖艶な美女がそこにいた。緩く波打つ栗色の髪に少し垂れた緑灰色の瞳。紅く彩られた唇はたっぷり潤って柔らかそうで……同性でもドキッとさせられる。

「――やあジーク」

 声まで甘々なヒューバート殿下の呼びかけにもかかわらず、妖艶美女の反応は冷たい。

「私、女の子を泣かせる人はキライなの。知ってるでしょう?」
「……ジークリンデ義姉上……」

 アシュレイ様の呟きに思わず瞠目する。髪色と瞳の色とヒューバート殿下の反応で、ひょっとしてそうかな、とは思ったけど……! 想像以上にすっごくセクシーおねえさんだった! 柔らか~い……いい匂い~……お姉様とお呼びしたい……。

 いやしかし、どんな方だろうと興味津々ではあったけど……なるほど、そりゃあ学園の女生徒相手にヒューバート殿下がガキ共には興味ねえんだわ、な態度になりもするわな、これだけの大輪の花のような美女が妻ならば。

 色気ムンムン夫と色気ムンムン妻…………少なくとも夫は妻にべた惚れ進行形みたいだし……え、なにそれ凄くない? しかも最強に可愛いお子さん付きよ? 

 私は振り返ったまま暫くぽかんと放心していたのだった。










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