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まさか
しおりを挟む「フランクリン先生、なぜここに……?」
誰か先生、呼んだ? セレッサ嬢を誘き寄せるためここにポイントを絞っていたから、私たち以外は誰もこの場所に来ないはずなのに。
先生は長い脚を生かしてざかざか歩み寄って来ると、ジスラン様たちのそばにあった木の幹に背中を預け、逞しい腕と長い脚(二回目)を組んだ。
唖然とする私と目が合うと片手を軽くひらりと振って、悪戯っぽいと言うには些か可愛げなくにやりと笑う。
「リヴィエールがなかなか面白いことをやると聞いたから抜け出して来た。ま、俺のことは気にするな」
気にするだろ。
ていうか誰に聞いたの? 普通、こういうの先生なら止めない? いや、止められない方が良いんだけども。
……ん? ジスラン様の表情が若干強張ってる……? どうしたんだろう。ブラッド様は……うん、普通。
頭の中を疑問符だらけにしながらも、そして先生の圧倒的な存在感に困惑しつつも、私は先へ進む事にした。
「えーっと……なんでしたっけ。あ、そうそう、ナイフでしたね。そう、ブラッド様がセレッサ様に直接手渡されたナイフが何よりの物的証拠です。 もう何をどう足掻いてもあなたの言い訳は通りませんし、あなたの犯してしまった罪も覆りませんよ。 ……それにしても、なぜ直接手渡ししちゃったんです……? よりにもよって決定的な証拠を…………ああ、なるほど。あなた、イキリ君を裏切ったみたいに簡単に人を裏切る割にはディディ様――もとい、ブラッド様の事は疑いもなく信じきっていたのですね……」
その道の達人である、ディディ様に扮したブラッド様の手のひらでくるくるダンスを踊らされたセレッサ嬢。その単純さや素直さが他人を蹴落とす愚行にではなくもっと別の良い方向に伸びていれば、と思わずにはいられない。
見下ろせば、言い訳の全てを一蹴された彼女は今は俯いてずっと「嫌よ……こんなの嫌……こんなはずじゃ……」とぶつぶつ呟いている。
いずれにしても、七年の時を経て真相は明らかになった。
セレッサ嬢がアシュレイ様を庇って傷を負ったのは偽りだった、という一点のみだけれど。
とはいえ、最も明らかになってほしい事が解明されたのだから大成功じゃないかな。
「まあまだ不明な点は幾つもあるが……それにしてもリヴィエール、お前よく刃物の断面形状なんて知ってたな。貴族の令嬢なら刃物すら持ったことのない奴ばかりだろうに」
そう言って、フランクリン先生が器用に片眉と片側の口角を上げる。
「ああ……何せ年がら年中帝国と諍いのある辺境領にいましたので、刀創の観察には困らないんですよね。それに帝国側の御遺体はどう交渉してもお持ち帰りいただけないので、ならばとリヴィエール家お抱えの医師団と騎士団衛生班によってありがたく有効活用させてもらっていまして、おかげさまで去年、『死因究明大全』という医学書が出版されました」
種明かしをすると、フランクリン先生が目を剥いて口をあんぐりさせた。
「おまっ…………待て待て。それ、お前のとこが出してたのか。それこそグラインドの種別やら血痕鑑定集やら……それが出版されてからどれだけうちの騎士団が助かってるか……特に第一と第二が……おっと」
ぽふ、と片手で口を押さえる。 ……え……怪しい。思わず胡乱な目つきを先生に向けてしまった。
いやだって、一介の数学教師がうちのなんて言う? うちの、って。王国騎士団を“うちの”扱い。それになんで一教師が騎士団の内情に精通して……? ……って、そういえばさっきブラッド様が私の口の悪さが誰かさんに似てるって言って……似てるって……ブラッド様、私がクソって言ったのをえらく気に入って反応してたな……? 私以外で似たような発言した人なんていたっけ?
うーん? と首を傾げた瞬間だった。今朝の光景が脳裏に甦る。
……そうだ。いた。ひとりだけ。『クソ眠い』って大欠伸しながらぼやいてた人が。
私はバッと勢いよく顔を上げると、長い手足を持て余しているその人を――いや、その方を凝視する。
――まさか。
背中に冷や汗が沸いて、じわりと這い上がる緊張でごくりと喉がなった。
――ま さ か。
なぜ、この方が、ここに……?
私が気づいたからだろう。その方は、 ――バートランド・フランクリン先生だった方は、いつものだだ漏れ大放出なムンムンの色気はどこへ仕舞った!? とツッコみたくなるくらい、まるで悪戯に大成功した子供みたいに私を見てにんまりと笑った。
……あ、その顔ちょっと似てる。悪戯っ子の顔。アシュレイ様も時々してるから。
もう、そんなことってある? 現実逃避しても良いかな!?
私は、頭がなんでとかどうしてとかで渦巻く中、渾身の力を発揮して最上級の礼をするため膝を屈め……、ようとしたところを面倒くさそうな声に遮られた。
「ああ、そういうのは今はいらん。楽にしておけ、リヴィエール……いや、俺の可愛い弟の婚約者殿よ」
「――っ!! ………………お気遣いいただきありがとうございます。また、初対面ではありませんが……お初にお目にかかります、エストーラ王国リヴィエール辺境伯家が娘、エメ・リヴィエールにございます…………王太子殿下」
うっっっっっっっそでしょ!!! と声高らかに叫びたい。出来るものなら。
てか、王太子ともあろうお方が何やってるんですか!!? って! 叫びながら詰め寄りたい! 胸ぐら掴んでガクガク揺さぶりたいよ、ほんとに!!
次代の国王なんだから最も安全に守られていないと駄目でしょうが!?!? なに学園に潜り込んで……数学教師ってなに!? 授業楽しいし教え方めちゃくちゃ上手くてびっくりだよ!
じゃなくて!
「王太子殿下ともあろう尊きお方が、なに諜報員の真似事なんてされてるんです……」
へなへなと地面に崩折れたいのをなんとか堪えて力なく訴えれば、
「その言葉そっくりそのまま返してやる。お前も似たようなことやっただろうが」
したり顔で笑う王太子――ヒューバート・レイフ・サウスフェリ第一王子に、ジスラン様は苦いのと酸っぱいのを同時に飲んだみたいな顔をしたし、セレッサ嬢や元取り巻き三人衆は揃って目玉が飛び出るんじゃないかってくらい驚愕して固まっている。
ブラッド様だけが興味なさげに飛び立つ野鳥を眺めていた。 ……あ、彼の忠誠はアシュレイ様だけに向いてるんだね。ある意味わかりやすいけど恐れ知らずすぎて見てるこちらが震えそうだけどね。
「巷に出回ってる肖像画と全然違うじゃないですか……」
そう。王太子殿下と今の今まで気づけなかったのは、このせいでもあるのだ。
現実は騎士と見紛うほどバキバキに鍛え上げた、ちょっと野生みのある色気ムンムンな美丈夫なのだけれど、肖像画は線の細い儚げな優男風なんだよ。そして実際には角度によって色を変える神秘性が特徴的な澄んだ紅茶色の紅柱石の瞳に赤みの強い艶やかな茶髪で、先生、じゃなかった、王太子殿下はいつも肩の上辺りまである髪をハーフアップにしてるけど、なんと肖像画はくるくるの巻き毛。くるっくる(強調)。瞳ものっぺり塗り潰したみたいな茶眼。
……だれ? っていうね……! ほんと、これ誰だよ、ってなもので。もはや別人。詐欺レベルに別人。お茶飲んでる時だったら確実に噴いてたからね!?
がっくり項垂れる私に、喉をくつくつ鳴らして笑う王太子殿下。
「何せ、ちょくちょく色々なところに顔を出すのでな。世を忍ぶ仮の姿というやつだ」
忍びすぎだ。そしてなぜそんなに得意げなのか。
護衛の人たち大変だろうな……主に心労で。胃薬差し入れてあげたい。 ……あ、でも過激派がいたのだった。王太子専属の近衛騎士クリスティアン様が。王太子殿下に忠誠を誓いなにやらクソでか感情を抱えていそうな王太子強火担が。彼なら王太子殿下がどこへ行こうと何をしようとも喜んでお供するだろう。 ……ひょっとして、だから専属なのか……? あれ、待てよ。専属ということはクリスティアン様ももしや変装してずっと学園にいた……?
まあアレだ、クリスティアン様は良いとして、たぶんその他の人たちからは、王宮で大人しくしててくれないかな……、って絶対陰で言われてると思うんだよね……王太子殿下……。
遠い目をしかけたけれど、なんとか気を取り直して軽く頭を振る。
「それにしても、学園は貴族家の令嬢令息ばかりですよ? さすがに王太子殿下とばれるのでは?」
「王太子業の時は髪型も衣服も、それに言葉遣いからしぐさ、立ち振る舞いと何から何まで変えてるからなあ。 ……まあ、やってみたらこれが面白いほど気づかれなくてな。堂々としていれば意外とばれないもんだ。そんなわけで誰が最初に気づくかと楽しみにしていたのだが……」
お前だったな、と王太子殿下は実に愉快そうだ。
「いえ、あれだけヒントを出されては、さすがに……」
逆にヒントがなかったらまだ気づいてないと思う。 ……そうだ、アシュレイ様もなんで言ってくれなかったんだろ…………いや、言えるわけないか。兄とはいえ王太子だもんね……規格外の兄弟がいるって親近感しかない。
「お前は散らばった断片の情報から物事の事象を推理し、繋ぎ合わせ、そうやって答えを見出すのが得意のようだ」
「恐縮です。 ……ですが、買い被りかと」
いやいや、誰だってわかる事しかわからないと思うよ。今回の件はたまたま去年出版された医学書の内容を知っていたからわかっただけで。我が弟が憧れるメィタンテーとやらのようにどんな事件や謎をも解決出来る自信はない。大体が迷宮入りのままだし真実をひとつに絞れないだろうし、恐ろしくて祖父様の名にかけるなど出来るわけがない。
無理無理。だってワタシ、チョットベンキョウデキル貴族の娘ってだけだからね。
「お前は卑屈ではない癖に妙な謙遜をするな」
「……そうですか……? 本当のことだと思っただけなのですが……」
小首を傾げると、初めて王太子殿下が苦笑した。
「……まあ良い。俺としては短い間でも担任としてお前を見てきたからな。 ……アシュレイのためにこれほど動き、囮となり、盾となってくれた事、心から感謝する」
深々と頭を下げられ、私は泡を食った。食いまくった。いや、食うだろこんなの。ただの一貴族の娘が王太子に頭を下げさせるとか! 無理! 精神が保たないって!!
「王太子殿下! お願いですから頭をお上げください……っ」
私がめちゃくちゃ焦っているからだろう、肩を揺らしながら王太子殿下が顔を上げてくれた。
「なら、これから俺のことはヒューバートと呼んでくれ、エメ」
変わらず先生でも、それか義兄でも良いぞ、とか面白がって宣うので、
「承知いたしました、ヒューバート殿下」
とやけくそで呼ばせてもらう。
もう良いんだ。こういう人に抵抗したって無駄なんだ。私、知ってる。
いちいち気にしてたら身が保たん、と気を強くもった、その時だった。
「……もう終わりよ……全部終わり……パパはあたしのこと愛してなかったの? 全部嘘だったの……? アシュレイ様があたしを愛してるってパパ言ってたのに……お前は王子様のお嫁さんになるんだよって……うそ……ぜんぶ……ぜんぶ……あ、ああ……うああああーーー!!」
ぶつぶつ呟いていたセレッサ嬢が、華奢な身体のどこにそんな力があったのか、ジスラン様の拘束を振り解くと勢いよく立ち上がると同時にこちらへ目掛けて猛然と駆け出して来た。
「……しまった!」
愕然とするジスラン様に、
「リヴィエール嬢!」
「エメ!」
顔色を変えて叫ぶブラッド様にヒューバート殿下。
言葉もなくただ茫然とするがままの元取り巻き三人衆。
すべての音が、動きが、ひどく緩やかに感じる。
セレッサ嬢の視線が私に向かっているわけではないと気づいた時には、もう彼女が私を通り過ぎた後で。
「――セレッサ様!!」
咄嗟に振り返った私は、崖から身を躍らせようと地面を蹴った彼女の腕を掴んで、渾身の力を込めて思い切りこちら側へ引っ張った。
反動で、彼女と入れ替わるように自分の身が崖へ放り出される。
なんでこんなに景色がゆっくり流れるんだろう、なんて呑気に思う。視界の向こうで茫然と倒れ伏すセレッサ嬢が、血相を変えて駆け寄って来るジスラン様、ブラッド様、ヒューバート殿下の姿がやけに鮮明に見えた。
刹那の浮遊感。直後、私の身体は崖下へと落下して行った。
応援ありがとうございます!
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