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絶対、甘やかされている。

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 セレッサ嬢に絡まれてから早くもひと月が経ち、通常通り生徒会の執務を終えた後。

 いつもはアシュレイ様と私とでゆっくり話をする時間なのだけれど、今日はセシル様にセヴラン様、そしてクレア様も一緒だ。
 なぜこの面子がここにいるのか、と言えば、セレッサ・ロペス対策会議を開いているのである。

 ひと月前、私がセレッサ嬢にあらぬ噂を流した犯人に仕立て上げられそうになったのだけれど、その日の放課後に事の顛末を聞いたセシル様たち幼馴染組は揃ってセレッサ嬢に対して憤慨し、同時にその場にいたら擁護出来たのにと嘆いてまでくれたのだった。
 そしてもうどうにも他人事ではないと、もうすぐ一学年のオリエンテーリングが近い事から会議を開く事にしたようで、幼馴染組によればどうやらその行事イベントでセレッサ嬢が仕掛けて来るのでは、と懸念しているとのこと。
 
 とはいえセレッサ嬢、あれから接触して来ることもなく意外にも未だに表面上は大人しくしているようで、どんと来いセレッサ・ロペス! と張り切って待ち構えていたのに、すっかり肩透かしを喰らい続けている日々である。

 とはいえ、アシュレイ様やセシル様たちに言わせれば「直情的に突撃して来ない方が何か企んでいそうで危険度が高い」らしいので警戒を怠らないように気をつけている。

「考えられるとすれば、イベントまでせっせとエメ君の悪評を流すのに余念がないか、もしくは自分に同調する者を増やしているところか、あるいはその両方か、とかかなあ」

 そう言ってアシュレイ様の淹れた紅茶を洗練された所作で飲むのはセシル様だ。隣ではセヴラン様がアシュレイ様手作りの苺のギモーブを黙々と食べ進めている。どうやらセヴラン様は甘いものがお好みらしい。紅茶にも苺ジャムをたっぷり投入していたし。甘いものに甘いものとは生粋の甘い物好きと見た。うちの国の激甘郷土菓子もイケる口ではなかろうか。
 そしてギモーブはかなりお好みに合っていたようで、相変わらずの無表情でありながらも醸す雰囲気がいつもよりほわっとしている。美味しくてご機嫌なようだ。わかる。アシュレイ様の手作りお菓子ってご機嫌になるよね。

 反対に甘いものが苦手らしいクレア様は、スコーン・サレ――具はドライトマトとベーコンとチーズ――がお気に召したようで、驚くべき早さでスコーンが次から次へと消えていく。
 仕草は優雅でおっとりだし動いている手も口もゆっくり見えるのになぜ……。山盛りに積まれていたスコーンが消える速度とクレア様の動く速度が噛み合っていないせいで、見ていると段々頭が混乱しバグッてくるな……。
 なんだろう、一種の奇術イリュージョンかなにかかな。

 とりあえず、ここにいる幼馴染四人組はアシュレイ様の手作りお菓子も紅茶を含めた給仕もすっかり慣れたもののうえに好きならやれば、の立ち位置らしい。 

 とまあ、それは良いとして。
 セシル様、セヴラン様、クレア様。彼らはアシュレイ様を筆頭に子供時代散々セレッサ嬢に振り回された面々なだけあって、彼女の手口にもそれなりに精通しているとのことで、相談役として頼もしい事この上ない。
   
 セシル様が言う私の悪評を流しているのでは、という見解に妙な確信が込められているのも、そういう理由のようだ。現に、頷くアシュレイ様の目が秒で死んだ。
 
「……あれは本当に参ったよね。私たちがセレッサ・ロペス嬢を取り合って大喧嘩したとか……何がどうなったらそうなるのか訳がわからなかったよ……」

 紅茶のポット片手にアシュレイ様がげっそりとした表情をした。そしてフルネーム呼び。名前だけで呼ぶの嫌だったんだね……そうだよね。嬢をつけるあたりに良い人みが出てるけど。
 セヴラン様も心なしか顔を青褪めさせて何度も頷いている。「アレは……恐ろしい女だ……」って……喋った! 

「なぜかわたくしが大好き(笑)な殿下を取られて嫉妬するあまり彼の方をいじめた、なんて噂も広められましたわねえ」

 おっとり、こてんと首を傾げるクレア様。その仕草が胸にギュンとくる。可愛い。(笑)を入れてくるあたりに心の強さを感じるけど。あとセレッサ嬢の名前、口にするのも嫌なんだろうなあ。そりゃあそうだ。だってクレア様がされた噂も本当に悪質だものな。私がされかけたことと同じ種類のやつだし。

 とはいえ、彼女にとっての敗因はこの幼馴染四人の仲が何があっても壊れなかったことだよなあと思う。

「殿下は従兄弟ですし、幼い頃からの親しい仲ですけれど……わたくし、殿下は好みタイプじゃありませんの」

 ごめんなさいませ、と華やかに笑う。

「なんでわたしが振られたみたいになっているのかわからないんだけど」

 苦笑しながらも、皆に甲斐甲斐しく紅茶のおかわりを注ぎ足してくれるアシュレイ様は、注ぎ終えるとすかさず私の皿に乗っていた温め直されて熱々のプレーンスコーンを手際良く半分に割り、ほこほこと湯気の立つその上にクロテッドクリームと手作り苺ジャムをたっぷり乗せてくれた。しかも片方はクリームを先に、もう片方はジャムを先に乗せて、それぞれ味の違いを楽しめるようにしてくれるというサービスっぷりだ。
 なんという細やかさか。
 ちなみに私は、クリームが先かジャムが先かにこだわりはない。
 
「あー、それ良いなあ。僕のスコーンにもやってよアシュレイ。どっちもクリームが先で」
「やだよ。自分でやって」

 セシル様のお願いをアシュレイ様が一瞥もせずノールックで一刀両断する。 ……わあ、幼馴染特有の気安い距離感だあ。態度も口調も素っ気ないアシュレイ様、初めて見たかも。
 けち、と頬を膨らませながらも気分を悪くした様子もなく、自分でこれでもかとこんもりクリームとジャムをスコーンに乗っけているセシル様と、自分の皿とを見比べた私は、そろそろとアシュレイ様の顔を窺い見た。

 こっそりのつもりだったのにバチッと目が合ってしまい。
 途端に緩むまなじりから、シロップが滴りそうなくらいに甘い視線が私を見つめてくる。
 
 あの……。
 なんか……なんか……どう考えても私、すごくすごーーーーく甘やかされていないだろうか……?
 気のせいなんかじゃなく明らかに甘やかされて……るよね……? 
 
 いや、もう潔く認めよう。絶対、甘やかされている。

 振り返ってみれば、このひと月あまりずっとこんな感じだったからか、自分でもこれがさも当たり前であるかのように受け入れてたよね……。
 あまりにも……あまりにもアシュレイ様が自然ナチュラルに甘やかしてくるものだから……。
 
 チョ……チョロ……ッ。私、チョロすぎだ。
 まあ、そうは言ってもアシュレイ様限定だけどね。 ……恥ずかしいから言わないけど。
 
 あれ、でも待って。これ、気づかないうちにドロドロのデロデロに甘やかされて最終的にはアシュレイ様なしでは生きられない身体に……とかって……いやあ、まさかねえ……?
 
 よし、物騒なことは考えんとこ。ノーモアヤンデレ。私は切り替えの早い女なのである。

 気を取り直してクリームとジャムたっぷりのスコーンを頬張る。 

「美味しい……っ、外はサックリなのに中の生地はふんわりしっとり……噛むとホロリと崩れて……バターとミルクの優しい香り……甘酸っぱい苺のジャムとこってりクリームが溶け合って……もうこれは苺ジャムが主役と言っても過言ではない美味しさ……口の中がしあわせ過ぎる……はー今日もアシュレイ様が天才だ……」

 我が国で果物をお菓子にしたらもれなく甘さしかない砂糖のかたまりにされるのだけれど、この苺ジャムは……ジャムなのに酸味が! しっかり甘いのに酸味もちゃんとあって! 甘酸っぱさがたまらない! 甘酸っぱいってなんて美味しいんだろう……。

 ほう、と恍惚の吐息を漏らす。

 ――と、目の前に影が差して急に視界が暗くなったと思ったら。

「……こら。そういう顔は私にしか見せたらいけないよ……?」

 耳元からとろりと入り込む甘い声と吐息の熱。
 
 だから! 耳元はだめだと何度言ったら! ゾワッとするんですってば、腰が!
 ていうか、そういう顔ってどういう顔よ?

 身動みじろぐことで、喉から出そうになった変な声とかその他色々を誤魔化し……って、セシル様たちいるんですから……ほんと離してほしいのだけど……は、恥ずかし……。
 それに眼鏡が……! 眼鏡がずれるじゃないか、と思ったらいつの間にか外されていたから驚いた。手際良すぎだってば。
 
 両手で視界を覆うものを掴めば、アシュレイ様が背中ごしに回した手のひらだった。耳を擽る吐息は熱かったのに、手のひらは冷んやりしている。
 アシュレイ様の手、意外と大きいんだな。 ……じゃなくて。

「……わお、独占欲すっごい」

 見えない視界の向こうでセシル様の面白がっている声がする。いつもより口調まで崩れて、なんだか年相応の少年っぽい。幼馴染四人組の間では案外これが通常なのかもしれない。落ち着いていて大人びた人だと思っていたけど、セシル様って三男で末っ子だから本来は弟気質だったりして。

 クレア様なんて「キャッ」て言った。小声だけどはしゃいだ感じで。「キャッ」って可愛くない? うん、可愛い。
 
 しかし独占欲かあ……否定出来ないのがなんとも。アシュレイ様も私も互いに自分の気持ちにも相手の気持ちにも無自覚鈍感なタイプではないから、気づかないまま素通りしてなかったことに出来ないのが……こう、むずむずするというかなんというか。
 
 特に、私が過呼吸を起こして倒れた辺りから明らかにアシュレイ様の態度が変わった……と思う。

 甘さレベルが最大値を十としてこれまでがレベル五くらいだったとするでしょ? それでも十分私からすれば甘々なんだけど、あれからもう……レベル二十はいっちゃってるんだよね……最大値はどうした、ってね。あっさり天井ぶち抜いてるというか。

 もう甘くて甘くて甘いんだ、これが。全身血液のかわりに蜂蜜流れてない? って言いたくなるくらい。

 何せスキンシップが増えた。二人きりでいる時とか、特に。
 息をするように肩とか腰とか抱き寄せられるし、流れるように頭のてっぺんとか指先とかにキスしてくるし、抱きしめるついでに頭をよしよし撫でてくるし。
 
 以前、私が男性に触れられるのが苦手と話したからか、毎回触れる度に「これは大丈夫?」「嫌じゃない?」って訊いてくれるし。
 労られ、心を尽くしてくれているって、これでもかと思い知らされるから、アシュレイ様の腕の中は心があったかくなってとても安心出来る。たぶん、そこで眠れるほどに。
 
 困ったなあ……。こういう事をされるの、困らないというか、むしろどんどん物足りなくなっていって、もっと触れてほしい、なんて思ってしまう事が……もう本当にどうしよう。困る。

 ここまで心を溶かされるとは思わなかった。いつだって引き返せるだなんて、どうしてそんな事思えていたんだろう。余裕ぶって。なんにもわかっていなかった。

 甘やかされて大切に大切に扱われて。
 溺愛されるって、ひょっとしてする方よりされる方が文字通りその愛に溺れるんじゃないだろうか。
 優しく甘い糸に絡み取られたら、もうそれを振り解くなんて出来ない。気づいた時にはもう遅い。腕の中で溺れている。息も出来ないくらい愛されて。

 このままいけば確実にそうなる未来が待っている。 ……と、そう思う。思わされる。
 今よりもっと溺れるように愛されるってどんな……?

 そう考えるとちょっと身体が震えた。怖くもあり、期待に胸が高鳴るでもあり。
 
 とはいえ、増えたのはスキンシップだけではない。

 あれからほぼ毎日、私たちは長い時間ではないけれどたくさんの話をしてきた。
 
 アシュレイ様の好きなものや得意な事は、お菓子作りと給仕、紅茶、猫(飼ってみたいらしい)、オランジェット、ナッツ、ペーパーナイフ、読書、夜更かし、乗馬、ピアノ、雪の積もった朝。
 嫌いなものや苦手な事は、野菜の酢漬けピクルス、甘いソース、早起き、夜会、匂いのきつい香水、絵を描くこと。
 卵はオムレツが好き。パンケーキには塩気の効いたバターと蜂蜜。本当はやや人見知りで生真面目、几帳面。怖い女性が怖い。

 私の好きなものや得意な事は、アシュレイ様の作るお菓子、珈琲、犬(飼ってみたい)、昼寝、そば粉のガレット、芋、勉強、読書、暗記、早起き、石の図鑑、雨音。
 嫌いなものや苦手な事は、甘すぎるお菓子 、激辛料理、裁縫、夜会、ダンス、乗馬。
 卵は半熟の茹で卵が好き。パンケーキにはフルーツと山盛りホイップクリーム。ご覧の通り大雑把で面倒臭がり。大丈夫な人以外の男性に触れられると硬直する。

 アシュレイ様から見た私の好きなところは、猫みたいに大きくて意志の強い天青石の瞳、手触り抜群の猫っ毛、凛とした佇まい、自分の作ったお菓子をしあわせそうに食べてくれる、色々面白い(……面白い?)、話しても話さなくても自然体でいられる空気感、抱き心地が良すぎて離れたくなくなるところ、飄々としているようで照れ屋なところ、柔軟で察しの良いところ、案外口の悪いところ、思いやり深い(……と延々言い続けようとしたところを恥ずかしさのあまり「も、もうこれ以上は!」と止めたのでわかったのはここまで)。

 私から見たアシュレイ様の好きなところは、麗しのかんばせ(石の図鑑と同じく何時間でも見ていられる)、見る角度によって色を変える澄んだ菫青石アイオライトの瞳、蕩けるような眼差し、ケーキを切り分け、紅茶を淹れる丁寧で洗練された美しい手つき、高すぎもせず低すぎもしない優しく柔らかな声、誠実で穏やかな気性、勤勉で努力家なところ、意外と笑いの沸点が低いところ、人を見下さないところ、卑屈じゃないところ、生真面目だけど割とが良いところ、抱き締められると良い匂いがしてすごくホッと落ち着くところ、それから……と言った辺りで「と、とりあえずはそこまでで大丈夫だから……」と耳を真っ赤にしたアシュレイ様に止められた。
 
 こうして話してみると、お互い正反対だったり共通点があったり。
 たったひと月くらいでは全然話は尽きなくて、生まれてからこれまでの歴史を少しずつ聞かせてもらっている現在、ようやくアシュレイ様が超絶可愛い悶絶必至な二歳の頃の話に到達している途中なのだ。

 今日は対策会議のため続きを聞けなく残念だけど、そうやって少しずつアシュレイ様のことを知っていけることがなにより嬉しい。
 アシュレイ様も同じ気持ちだと良いな。

 



 
 


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