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その言葉を、あなたはアシュレイ殿下の前で言えるのですか
しおりを挟む「……で、でもそんなの……おかしいわ! 責任と義務でがんじがらめなんて、そんな人生のなにが良いって言うの!? そんなの全然楽しくないし息苦しいだけじゃない! どうして貴族だからって結婚相手まで勝手に決められないといけないの? どうして嫡男だけしか家を継げないの? そんなの損してる! 人生はもっと楽しく、自分のしたいように生きなきゃ意味がないわ!」
人生はもっと楽しく、か。一理あるしそれ自体は確かに正しい。誰だって生きるなら楽しく幸せに暮らしたいのだから。
……だけど。
「なら、あなたは今すぐ貴族をおやめになって平民になると良いかと。そうすれば義務も責任もなく自由に生きられますから」
そう言えば、ぎょっとした顔をした。
「なんでよ!? あたしはただ、自分が正しいと思うことをすれば良い、って言ってるだけじゃない! 何が間違ってるって言うのよ!」
カッと瞬間的に込み上げて来たものを喉の奥で押し留めると、一度深く息を吸い、それをゆっくり吐き出してから長い前髪の奥から彼女を睨め付けた。
「………………その言葉を、あなたはアシュレイ殿下の前で言えるのですか」
自分でも声が低く出たのがわかった。彼女が一歩後退って狼狽える。
「はあ? な、なによ……、」
「あなたは第二王子殿下と将来の約束をしていると仰っていますが……それが真実だとしたら、将来夫となる方になぜあなたは自分の好きなように楽しく生きろだなどと無神経な事が言えるのですか?」
「はあ!? どこが無神経なのよ!」
「あなたは王族が毎日贅沢三昧に面白おかしく暮らしているとでも思っているのですか? あなたはご存知のはずです、その目で見たはずです、いずれ臣下に降るとわかっていながら、殿下が子供の頃よりどれだけ毎日毎日、欠かさず王子教育や勉学や鍛錬に励み続け、自身を律し、我が儘のひとつも零さずあなたの言う意味のない事に心血を注いでこられたのかを。そうされたのはなぜですか? 自国の民が少しでも豊かに楽しく暮らせるようになるためです。この世に王子として生まれ落ちたその瞬間から殿下は生き方を定められています。自由に選べるはずもないその人生において葛藤や苦悩や覚悟がどれほどかなんて王族ではない私たちには知り得ようもないですが、私はこの一週間殿下を間近に拝見し、殿下がひたむきに努力し続けておられる姿勢に胸を打たれました。 …………そんな殿下にあなたは、それでも自分の思うがまま感じるがままに好きに生きよ、とそう言うのですか? だとしたらあなたは殿下と愛し合っていると言うその口で殿下の王族としてのお覚悟をどれだけ軽んじるおつもりですか。なぜ殿下を愛しているのなら殿下が許してもいないのに殿下を不敬にも軽々しくお名前で呼ぶのですか? 本当に馬鹿にしている。 ……だから無神経だと言ったのですよ。 ――おわかりいただけましたか?」
落ち着け、と思いながらも言いたい事を捲し立ててしまった。だって、めちゃくちゃ腹が立って仕方がなかった。アシュレイ様をなんだと思ってるんだ、って。馬鹿にするな、と思ったらつい立板に水の如くべらべらと……。
おわかりいただけましたか、なんて格好つけちゃったよ……たぶん何年かしたら突如思い出して転がりたくなるんだろうな…………まあ良いや。反省はするけど後悔はしていない。していないったらしていない。
そう開き直ったところで、ようやく全体が驚くほど静まり返っていることに気がついた。
……あれ?
きょろ、と辺りを見回せば、その場にいる殆どが真剣に考え込むような顔をしていた。
「俺、今まで殿下の努力とかそういうの考えた事なかった……」
「おれも。 ……でもそうだよなあ……公務だってあられるのに生徒会までやって、しかもハンコック様と僅差とはいえずっと首席だもんな……そんなの並大抵の努力じゃないに決まってるのに……」
「殿下ってさ、全然偉ぶらないし物腰柔らかくて、いつも笑顔でさ……それって全部僕らのためなんだよね……」
そんなふうに囁き合う声がじわじわと広がっていく。
――アシュレイ様、どこかで見ていないかな。皆、本当はちゃんとわかってるんですよ。見てたんですよ。あなたのその誠実さを。払ってきた努力を。
「ねえ、お聞きになりまして? 私は確かに聞きましてよ、殿下がご自身のお名前を呼ぶ事を男爵令嬢にお許しになられていない、って。これってどういう事ですの?」
「あの方、ずっと堂々と殿下の事を名前で呼んでらしたわよね……?」
「……じゃあ殿下と愛し合っているとか結婚の約束をしているとか仰っていたのは? それは本当なの?」
「男爵家とはいえ貴族の端くれですのに、あの程度の認識ではねえ……お考えが貴族というより平民に近いのではなくて?」
彼女を見る目もまた、変化していく。彼女の言葉を鵜呑みにしていた人たちが少し疑い始めたようだ。
疑惑の目を向けられ始めたセレッサ嬢が、身体をわなわな震わせると目を吊り上げた。
「何よ……何よ! 何なのよ! みんな騙されているのよ! 大体、あなただって貴族の責任だの義務だの偉そうな事を言った癖に、その格好は何!? 貴族令嬢がそんな男の格好して髪だって短くして! そんな人の言うことなんて信じてはダメよ!」
再び周囲が騒めいた。戸惑いと困惑、様々な思いで揺れている様子に、セレッサ嬢がちらりとほくそ笑む。
……まあ、うん。それは言われると思っていたし、言われても仕方がないんだよね。
なので、私は深々と頭を下げた。
「はい。それにつきましては返す言葉もありません。殿下が何も言わずに許してくださっている現状に甘えきっているのは私の不徳の致すところです。 ……そうですね、まずは自身の事をきちんとすべきでした。偉そうな事を言って申し訳ありません。この格好については必ず改善するとお約束いたしますので、もう少々お待ちくださいますか? ……ですが、私がこのような身なりをしている落ち度があるとはいえ、先ほどの言葉を撤回するつもりはありませんので悪しからず」
「……なんですって!?」
セレッサ嬢が金切り声を上げた。
――と、その時。
「……今朝は迎えに行けなくてごめんね、エメ」
柔らかな声と、身体を包み込む温もり。
振り返れば、そこには背後から私をやんわり抱き締めるアシュレイ様、その人の姿があったのだった。
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