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あたしはアシュレイ様とけっこんします!
しおりを挟む王宮招集決定への現実逃避も兼ねて、やや強引に話を元に戻す。
「そういえば校舎の廊下と階段に血痕が残されていたそうですが、それはその場だけだったのでしょうか?」
「血痕? 確か……うん、そうだったと思うよ。行く先に点々と続いていればそれを追って見つけられていたかも、と調査を担当していた騎士が言っていたのを覚えてるから」
なるほど、と相槌を打つ。
「あと二つ不可解な点があるのですが。殿下の記憶で彼女に庇われた場所と実際に彼女が暴漢に斬られたであろう場所がなぜ違うのか。そして彼女はなぜ、斬られたあと誰にもなにも告げず助けを求めることもなく姿を消したのか。八歳の女の子ですよ? どれだけ勇敢だったとしても自分より遥かに身体の大きい大人が襲って来るのです、しかも傷を負わされてどれほど痛くて苦しくて恐ろしかったことか。そんな女の子がたったひとりでどうやって犯人から逃れたのでしょう? どこかに隠れられたのなら少なくともそこに多少なりとも血痕が残されていてもおかしくはありませんし、あるいは死に物狂いで走れたとしても、それならなぜ血痕は廊下と階段のみに留まっていたのでしょうか……血が流れないよう腕を押さえながら走ったとすれば、そこまで速くは走れなかったでしょうから犯人にすぐに追いつかれてしまいますよね……」
そう言うと、虚をつかれた顔をしたアシュレイ様が唸りながら腕を組む。
「確かに……。エメの言う通り不可解だな……」
「当時のセレッサ嬢自身の証言はどうなっていますか?」
「それも騎士団に保管されてある資料に残されているはずだから、エメが言ってくれた事を踏まえて要確認だね」
「はい。 ……ちなみにアシュレイ様はセレッサ嬢のことをどう見ておられますか?」
なんとなく聞いてみただけなのに、なんでそんなことを訊くんだ愚問だろう、とでも言いたげな、答えるのも嫌そうな顔をされてしまった。
「そうだね……出来れば遠く離れたところにいてほしい人、かなあ。距離で言えば大陸の端と端くらい」
つまり、絶対に関わりたくないと。
「……理由をお聞きしても?」
「さっき、そこからがもっと酷かった、って言ったの覚えてる?」
「はい。 ……え、まさか彼女が何かやらかしたとか……?」
驚いてぱちぱち瞬いていると、アシュレイ様は心底うんざりした顔で溜め息を吐いた。
「そのまさかだよ……。女の子だし、貴族のご令嬢なら特に傷を他人に見られるなんてすごく屈辱だろう? なのに涙を浮かべて震えながらも毅然と傷を見せたんだ。だから初めはなんて勇気があって健気でしっかりした子なんだろう、なんて思ったんだよ。そう、初めのほんの一瞬はね。でも……」
言葉を切って言い淀むアシュレイ様に、相槌を打って先を促す。
「……あれは、彼女への礼を兼ねて王宮へ招待した時だった。礼とは言っても彼女が本当に私を庇った結果傷を負ったのか、彼女の証言以外で証明出来るものがなかったから王家側としては彼女がどういう反応をするか試すつもりだったみたいなんだ。そこで、王宮へやって来た彼女にこう言った。第二王子を助けたと言うロペス嬢に褒賞を与えたいのだが何を望むか、と。そうしたら、彼女……なんて言ったと思う?」
「うーん……なんでしょう……話の流れを考えるとだいぶ不穏なのですが……」
単純に考えるなら、八歳の女の子が喜びそうなものといえば……ドレスとかアクセサリーとか、絵本に出て来るお姫様になれそうなキラキラしたもの? とかかなあ……? 私が小さい頃、近所の女の子たちがお姫様になりたい! って言ってたし。普通はそういうのなんだろうけど……でも十中八九違うんだろうな……。今朝のアシュレイ様へ向けるセレッサ嬢の粘度の高い視線……未だにああということは、望むものなんて一択しかないだろうな……。
「彼女はね、こう言ったんだ。 ――『あたしはアシュレイさまとけっこんします!』と」
で・す・よ・ねー! だと思った! むしろそれ以外ないよね!? うん、わかってた……!
と、胸中で叫びつつも、アシュレイ様には慎重に訊ねる。
「それで……どうなったのですか……?」
固唾を呑んで返答を待っていると、アシュレイ様はそんな私を見てほんの少し嬉しそうな顔を、 ……と思ったのも束の間、彼女との顛末を思い出したようで眉間に深い皺が刻まれた。
「まず許されてもいないのに馴れ馴れしく王子を名前で呼んだ挙句、結婚したい、じゃなくて、結婚します、だよ? 望みを訊いたとはいえ、なぜ彼女はあたかも自分に決定権があるだなんて勘違いしたのだろうね。国王陛下も王妃殿下も、兄上も姉上も、そしてその場にいた殆どがぽかんとしたし、開いた口が塞がらなかった」
「ああー……それは……そうなりますよね……」
八歳の子供であることを差し引いても……ないな。うん、ないな。
私的な場ならまだしも、公の場でそれは……ない。子供らしい無邪気さと捉えてくれるとしたらよほどのことだし、王家に対してなんの力も縁もない下位貴族の、しかもただの子供がそれを言って気前良くあいわかった、なんてなるはずがないだろうに。
男爵家とはいえれっきとした貴族なのだからその辺のことはきっちり教え込まれていて然るべきなのになあ……どうなってるんだ……主に親。
我が家も他と比べたら相当破天荒な人たちだけど、そういうのは礼儀や貴族としての義務等まずやるべきことをやってこそ許される、という認識のもとだったから、リヴィエールにかなりの力が偏っている現状にもかかわらず引き摺り降ろされずに済んでいるのはきっちり押さえるべきところは押さえているからだろうと思っている。まあ、もちろんそれだけじゃないけどね。
それはともかく、彼女が初等学校に通っていたということは、おそらく家庭教師を雇う経済的な余裕がなかったか、もしくは雇う必要性を感じていなかったか。そして学校の生徒は殆どが平民の子供たちだから、その中での価値観やマナーしか知らなかった……という可能性はあるけれど……。
とはいえ、だよなあ……。王宮に招待されたという事実をこれでもかと重く受け止めるべきだったんだよ……招待状が届いてから実際に招待されるまでの日数は十分にあったはず。なら付け焼き刃でも良いからせめて最低限のマナーや口の利き方くらいは教えておくべきだったと思うんだよね。
…… なんて、もしかするとよほどの事情があったのかもしれないから、あまり決めつけてもいけないか。
……いやでも、よほどの事情があっても……やっぱないよなあ……うん。だって王宮に招待される以上のよほどな事情ってある……? 招待と言ったって強制力最大値の王命よ? 絶対ないとは言わないけど……家族が危篤とか領地が災害で、とかね、あったかも……だし? でもそうじゃなかったとしたら、そこは死に物狂いで頑張るところだったと思うんだ……王子のお嫁さんになりたかったのなら、なおさら。
「もし本当に彼女が私を助けてくれたのだという証明がなされたうえで、彼女自身の性格が非常に好ましいのであれば、傷の責任を取ると言う名目で男爵家ではあっても彼女を私の婚約者に、という意見もあったのだけどね……まあ……一瞬で立ち消えたよね……」
「そうでしょうねえ……」
そんな子を王子妃として一から教育したとして、果たしてどこまで成長してくれるのか、その可能性に賭けるにはリスクがあまりにも大きいものなあ。たとえ本当に王子を助けていたとしても、だ。傷を負わせた責任を取って結婚させるという判断は悪手以外のなにものでもない。将来、もし彼女が王子妃としてまともに育たなかったら。
あの調子で社交の場に出られたら国内外に与え得る影響を考えると恐ろしいし、王子が臣籍降下し公爵となってもそれは同じだろう。王家に対する求心力の低下、及び諸外国との外交、友好関係にひびを入れかねない。それならひと時の間でも王家は非道にも令嬢の傷の責任を負わなかったと非難される方が断然マシというものだ。
それになにも責任を取る行為が絶対に結婚でなければならないわけでもない。そうせざるを得ないのは貴族社会の中にあって傷を負った令嬢が良縁に恵まれなくなる可能性が高くなるからだ。
ならば、良い結婚相手を紹介するなどしてそこを達成出来れば良い話だし、あるいは令嬢がその後悠々自適に暮らしていけるだけの潤沢な金銭の補償を行うという手だってある。身体と共に心にも傷を負ったであろう感情が絡む複雑な事態を、金銭で解決するしか方法がないというのもなんともな話だけれど、だからと言って王子自身の悪行によってそうなったわけではないので、その方法だって決して悪くはないはずだ。
援助の手立てはなにも結婚一択に絞らずとも、幾通りもあって良いはずなのだ。
だって、彼女は巻き込まれたんじゃない。自ら助けに入ったのだから。
もし傷を盾に結婚を無理強いするとしたら、せっかく王子を助けたという美談も台無しになってしまうだろう。見返りを期待して助けたと思われても仕方がない。傷を負ってまでというその闘志だけはすごいと思うけどね。
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