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アレがそうか

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 翌朝、寮の食堂で朝食を食べたあと身支度を済ませ、学園へ行くために部屋を出れば、エントランスの方から何やら令嬢たちのきゃあきゃあとはしゃぐ声が響いている。

 何事かと訝しみながら外へ出て、原因がわかった。人垣の向こうから見えるきらめきよ。さもありなん、と私は小さく肩をすくめた。笑顔共々、朝から何かと輝かしいことだ。
 
「おはよう、エメ。迎えに来たよ」
「おはようございます、アシュレイ様」

 特待生こんやくしゃとはいえ、どこの馬の骨とも知れない隣国から来た新入生を王子が自ら迎えに来たことと、その新入生がいきなり王子の名前を呼んだことで周りは騒然とした。まあ、そうなるよね。

 昨日の朝の顛末を知らない令嬢たちは愕然としていたり呆然としていたりで、知っている令嬢は羨望と嫉妬が半々といったところだろうか。
 悔しそうに眉をしかめている令嬢、私の身なりについて嘲笑を浮かべながら隣の令嬢と小声で話す令嬢、驚愕して「なんで……」とぽかんと口を開けた令嬢が、「違う......」と言う形に唇を動かす......ん? 違う、とはどういうことだ? いかにもあり得ないことが起きた、あるいは信じられないものを見たという様子なのが妙に引っかかる。
 
 目線だけで窺えば、癖のない長い金髪をハーフアップにしたたいそうな美少女だった。
 空色の大きな瞳と華奢で小柄な身体つき、ここにいるどの令嬢よりも熱く潤んだ視線をアシュレイ様に向けていながら、兄弟なのか他人なのか不明だがなぜか令息に肩を抱かれている。見た感じ不調というわけでも足が不自由というわけでもなさそうなのに。
 
 恋人ならまあお幸せに勝手にどうぞ、だけれど、その割にアシュレイ様への視線がめちゃくちゃ意味ありげにねっとり絡んでるんだよなあ……。どうも一方的な感じだし。なんだろう……なーんか臭うな……。こいつやべえ奴だ近寄らんとこセンサーがびしびし反応するぞ。
 なんであんなにヤバい感じなのに周りの人たちは気づかないのかなあ。 ……と思ったら、ヤバい美少女を数人の令嬢が囲んで……何か必死で慰めてるな……? 

 んん? なんであの人たち私を睨んでるんだ? ひそひそ話す声がまったくひそひそしていないので、「なぜあんなのが」とか「……様というものがありながら」「…‥様の方が婚約者に相応しいですのに」とか言ってるのが丸聞こえなんですけど。
 ……肩を抱いているご令息は良いのかな? なんか若干、顔色がよろしくないのですが。知らんけど。
 
 あ、もしや。
 あれじゃないか? アシュレイ様が釘を刺しておきたい相手。彼女じゃなかろうか。だって、なんか一人だけ異質なんだよ。目つきとか雰囲気とかが、なーんか。
 
 いやあしかし、ニコルの睨みが子猫ちゃんだったと思えるくらいにこちらを憎々しい目で睨んでくるなあ。どえらい美少女なのに顔がすごいことになってるけど大丈夫かな。隣の令息に見られたら引かれない? ほんと、良いの? 

 例のアレか? という意味を込めて、ちら、と確認のために上目遣いで見上げれば、見下ろすアシュレイ様もひとつ瞬いて肯定する。

 がそうか。なるほどなあ。確かに早々釘を刺しておかないと後手に回ったらなんかヤバそうな気配がするぞ。

 制服が真新しいので新入生なのだろうが、昨日、教室で見かけなかったからSクラスでないことだけは確かだ。良かった……Sクラスの平和は守られた。

 一見、清楚で清純そうな雰囲気なんだけど、あれだけもの凄い形相しちゃったら幾らなんでも擬態だってばればれなのにな……良いのかな……? 周りの人の、あの特に肩を抱いてる令息の目は節穴かな? もしくはそういうキワモノが好きな性癖とか? まあ好みは人それぞれだからその辺はどうでも良いけど。

 前髪に隠れて目も合っていないし、とりあえず彼女のことは知らぬふりをしておこう。
 
 そして今日も今日とて、一部の御令嬢方による狩人の目がコワイのなんのって。ギラッギラである。でも、私が男物の制服を着ているとはいえ女子寮から出て来たの、見ていたはずなのに......なぜだ。それに前髪とぶ厚い黒縁眼鏡(度なし)で武装しているというのに。
 
「男装少女と王子様……妄想が滾りますわぁ」とか「あのモッサリの中身は美少女なのがお約束、様式美というやつですわね」とか色々こそこそ囁かれているけど、「イケる、女体化」とは?
 私は生まれた時から女だが?

 ともかく、王子の婚約者となったからにはこういう視線や態度にも気を配らねばならないということか。
 しかしやはり、そこは未だ成熟しきれていない十代の少女たち。そんなに露骨に表情に出しては足元をすくわれかねないだろうに。そんなことでは今後悪意渦巻く社交界の荒波を乗り越えて行けないぞ。なんて、かく言う私も小娘に過ぎないから人のことは言えないのだけれど。

 とりあえず例の彼女に限らずゴリゴリに悪意がありそうなものはしっかり覚えておこう。そういうご令嬢たちの顔をさりげに記憶中枢へ送っていたところでピンと閃いた。

 よっしゃ、いっちょ挑発かけてみるか。


 王子の制服の袖を可愛らしくちょいちょいと引っ張って振り向かせる。その仕草だけで周囲が騒めいた。よしよし。

「アシュレイ様、お迎えくださってありがとうございます。ひょっとしてだいぶ待たせてしまいましたか?」

 いっちょやったるか、なんてフカシたは良いものの。
 ……私に儚げ少女の演技は……無理ですね! これじゃ単に上司を待たせた部下じゃないか。

 しかしそこはさすが、しっかり意図に気づいたアシュレイ様は、ほんの一瞬面白そうに口角を上げたと思うと、すぐに王子らしい爽やかお兄さんの微笑みへ切り替えた。

「いや、私も来たばかりだから。それに可愛い婚約者のためなら何時間でも待つよ?」
「嬉しいですが、無理は禁物ですよ?」
「婚約者として当然のことだから気にしないで。 ......それじゃあ行こうか、エメ」
「はい、アシュレイ様」

 差し出された手に自分のそれをそっと重ねると、優しく握られる。ついでに王子の親指が意味ありげに私の手の甲をすりすりと撫でるものだから、再び黄色い悲鳴と共にざわりと空気が揺れた。
 数多の感情を伴ってバチバチに視線が刺さる。この視線が刃物だったら私はめった刺しだろう。謂わゆる「オーバーキル」というやつだ。
 
 なんか特に例のヤバい令嬢の辺りからもの凄い殺気が飛んで来るんだが。 ……振り返らんとこ。

 だが良し、ひとまず悪意炙り出し作戦は成功のようだ。何せ、王子の婚約者の癖にこの洗練とは程遠い外見だから余計餌の喰いつきが良い。
 
 嫉妬くらいは可愛いものだからそれは省くとして、今後何かしら仕掛けてきそうな色味を持つ視線や表情を見る。顔はしっかり記憶したから後で要調査だなあ。
 案外、放っておいても向こうから仕掛けてくる可能性もあるけれど……うん、でも何事も先手を打っておくのは大切だろう。
 
 アシュレイ様の足を引っ張らないためにも足元を掬われないよう常に注意を怠らず、だ。自衛は大事。自衛もせず何か起きてから事に当たろうなど愚の骨頂、それに何か起きる度にめそめそ泣いてアシュレイ様に守ってもらうのも本意ではない。というよりそうなったら、あまりの甘っちょろさに自分で自分が許せないと思うし。
 
 もちろん万能ではないから完璧に出来ないのも理解しているし、むしろこんな小娘程度、出来ないことの方がほとんどに決まっている。それでも出来る限り自分の身は自分でなんとかしたいのだ。可愛げ? 知らん。怖い怖いと震えて相手にべったり甘えるのが可愛げならそんなものは期待しないでほしいし、そんな大口叩いておいて実際には産まれたての子鹿のように足がプルプルしていても出来れば見ない振りをしていてほしい。
 
 けれど、たぶん。 ……たぶん、アシュレイ様は、儚げで庇護欲を唆るような、そういう可愛さを求めるような人ではないと......思うんだよなあ。単に私がそう思いたいだけかもしれないけど。でも、そうだったら素直に嬉しいな、と思った。

 ひと通り確認し終えたので、もう良いですよ、とアシュレイ様を見上げれば、にこっと微笑まれた後なぜかいっそう強く手を握られてしまった。

「えっと……手……」
「あ、そうだよね……だけど……このままじゃダメかな……?」
「うっ……」

 首を傾げながら捨てられた子犬の目で見てくるの狡くない? ねえ狡くない? 思わずギュッと握り返してしまったじゃないか。

 ……なぜそんなに嬉しそうなんですか、アシュレイ様。




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