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母様の目はなんかマジだった
しおりを挟む我が家には、家訓がある。
と言ってもそれは代々受け継がれるような仰々しいものではなく、単なる注意事項のようなものであり、そのうえその家訓とやらを知ったのは私が留学のため隣国へ出発する前日のことだった。
それで、家訓と言ったら家訓なんだから絶対厳守するのよ! としつこく母様が念を押すそれを、今、私──エメ・リヴィエールは、隣国はサウスフェリ王立学園の門扉を潜りながら、若干の緊張感と共に思い返していた。
曰く、王子には決して近づいてはならぬ。目を合わせてもならぬ。逃げろ。
曰く、王子の近くに侍る高位貴族にも以下同文。逃げろ。
曰く、おもしれー女判定に気をつけろ。逃げろ。
曰く、ヤンデレには頭突きをかませ。全力で逃げろ。
思わず、「無理じゃない?」と言った私は悪くないと思う。
なんか全部に逃げろってあるんだけど物騒すぎない?
闇を背負ってる系な母様の過去はともかく、なぜどの内容もピンポイントなのか。王子とその取り巻きになんかわからん判定してくる奴にヤンデレだと……。
特に王子。そんな比類なき高貴なお方、普通、近づくより前に近づけなくない? いくら学生でも護衛とか側近とかついてるだろうし、幼馴染とかならまだしも知らんやつが馴れ馴れしく近づいて来るのに警戒しないとか、そんなことある? 仮に近づけたとしても出来たところでせいぜい挨拶程度では? むしろひと言も交わすことなく学園生活を終える方が現実的だと思うんだけどなあ。
なんて言ったら、そんな暢気なこと言ってられるのも今のうちだからね……と脅してきた母様の目はなんか本気だった。凄いマジだった。
「か、考えすぎじゃない……?」と言いながらも慄く私に、私や弟という子持ちでありながらなお可憐さ(外見限定)を失わない母様は「その時が来たらわかるわ……」とどこか遠い目をしながら答えたのだった。
その時とは? と訝しんだのだが……。
たった今、眼前に立つ青年をして、これが「その時」なのだと私は半ば確信している。
青年の周囲にキラキラと星屑のように輝く粒子が瞬いているのが見える気がする。もしこれに効果音をつけるとするなら、文字通り“キラキラ”か、あるいは“シャララ”、といったところだろうか。
美青年だ。美青年がおる……。
これはまごうかたなき美青年。思わず息を呑むほどの圧倒的美貌が目の前におるやないかい。
あまりの眩しさに目が潰れてしまいそうだ。
「すまんがその美しをしまってくれんかの……ワシには強すぎる……」と言いたくなるのを目をしぱしぱさせることで堪えていると、にこやかな笑みを湛えた件の美青年が話しかけてきた。
……ていうか……え、待って。この人……いや、この方は。
『曰く、王子には決して近づいてはならぬ。目を合わせてもならぬ。逃げろ。』
脳裏で響く警告音と共に、家訓(疑)がちかちかと点滅を繰り返す。
「やあ、君が隣国エストーラから来た留学生で特待生の子?」
なんということだ。
母様、大変です。決して近づくなと念を押された相手が出会い頭二秒の勢いで近づいて来た場合はどうすればいいですか。
逃げればいいですか? それとも頭突きかましますか?
──いや、待て。頭突きは駄目だ。
どう見ても目の前のノーブルを極めし青年に頭突きをすれば確実に私の命はない。それどころか下手をすれば一族郎党ミナゴロシの刑のうえに両国開戦の狼煙が上がってしまうかもしれない。規模が大き過ぎる。コワイ。命は大事だ。いのちだいじに。
かと言って逃げるのも不敬が過ぎるだろうし、噂が広がってこれからの学園生活で肩身の狭い思いをし続けることになりそうだ。それも嫌だ。きらめく青春とびだせ青春などと贅沢は言わないが、せめて多少なりとも友人を作ってそれなりに快適に過ごし、何より無事に卒業したい。
しかし詰んだ。これは詰んだぞ。どうするエメ。戦略的撤退すら敵わないこの状況。
後退りすることすら出来ず、制服の下で冷や汗をだらだら流しながら目の前に立つ長身の青年を、黒く長い前髪とぶ厚い黒縁眼鏡の奥から見上げた。
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