君はスイートハート

篠宮華

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番外編「君はプライベートラバー」

後編

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「この上に部屋をとってある」

 食事を終えて一息ついたところで、上司は言った。
 もし私がプロポーズを断っていたら一体どうなっていたのか尋ねると、笑いながら「断らせないよ」と一言だけ言われた。気付かないうちに囲い込まれていたようで、我が上司ながらぞっとする。
 予想していなかったわけではないけれど、いざそうなってみると不安とドキドキが9:1くらいだった。下世話な話だけど、そんなこともご無沙汰だったから。

 会計を済ませて店を出ると、自然に手が繋がれる。いわゆる恋人繋ぎ。
 静寂に包まれたエレベーターの中で、気付かれないように深呼吸をすると、くつくつと笑う声が右上から聞こえた。

「日下部さん、緊張し過ぎ」
「…緊張するなっていう方が難しいと思いますけど」
「ははっ、そりゃそうだね」

 私とは対照的に、目の前の人はなんだか浮かれているようにも見える。
 カードキーを通した上司に促されて、案の定豪華な部屋に入ると、直後に後ろから緩く抱き締められた。
 背が高い上司が私の頭の上に顎を乗せて言う。

「シャワー、先に浴びておいで」
「はい、でも」
「うん」
「このままだと、入れません」
「…一緒に入る?」
「は、入りません!」

 焦って腕の中から抜け出し、上司の「まぁ、ゆくゆくはね」という恐ろしいセリフを背中に受けながら脱衣所に飛び込む。
 昨日、いや、つい何時間か前までは、上司と部下だったのに、今は二人でホテルのスイートルームにいるなんて未だ実感が全くない。夢なのではないかと感じるほどだ。しかもその関係は口約束とは言え大きく異なっている。
 これからの展開を想像して身悶えたせいでシャワーの水がばしばしと飛び散って髪がかなり濡れた。体を拭いて髪を手早く乾かしてから置いてあったバスローブを着て脱衣所を出る。その人はノートパソコンを開いて難しい顔をしていたけれど、私の姿を見ると微笑んで、すぐに入れ替わりでバスルームに消える。
 ディスプレイを見るとまた何か新しい案件についてのデータが表示されていた。こんなときまで仕事、と言いたいところだけど、それが上司の通常運転なのだから仕方ない。

 ベッドの上にへたり込むように座って、ぼうっとテレビの画面を見るともなしに見ていると、同じくバスローブを纏った上司が頭を拭きながら出てきた。
 普段は後ろに撫で付けてある髪が前に下りてきている上に、眼鏡を外しているせいかあどけなさを感じる。そういえば、かけなくてもある程度は見えると言っているのを聞いたことがあった。若いと甘く見られるから、と苦笑していたことも思い出す。
 無意識のうちにぽかんと眺めていたのか、上司はそのときと同じく苦笑しながら隣に座った。ベッドのスプリングが軋む。

「視線が痛い」
「ごめんなさい」

 頤を持ち上げられ、攫うようなキスをされた。

「君が好きだ」

 小さく頷くと、今度は啄むような口付けをされ、次第にそれは深いものへと変わっていく。
 追いかけられるように舌を絡められて、息が上がる。溶けるような甘い時間を味わいながら、私は目の前の上司の髪を撫でるように指をさし入れる。

「…んっ」
「澪」

 もう随分前からそうされていたように名前を呼ばれて、薄く瞳を開く。

「名前、呼んでくれる?」
「な…まえ…」
「春馬」
「春馬…さん」

 口に出すと、それは特別な言葉になる。
 彼は満足そうに笑ってから、私のバスローブの前を開く。私の胸に手を這わせ、やわやわと揉み上げる。胸の尖りをつままれて、我慢できずに上げた声はやや乱暴な口付けに飲み込まれた。
 初めて体を重ねるのに、目の前の人は私の弱いポイントを的確についてくるから、あっという間に体がぐずぐずになる。素敵な人だからやっぱり場数を踏んでいるのかな、と余計なことを考えた瞬間を上司は見逃さなかった。
 私の手首を片手でひとまとめにして、頭の上に押さえ込んで彼は耳元に口を寄せる。

「上の空になるなよ」
「え」
「今、君は僕のことだけ考えていればいい。全身でね」

 耳を甘噛みされた後、鎖骨に感じた小さな痛みに目を閉じると、彼の手が私の太ももを這う。その手はゆっくりと私の体の中心にたどり着き、指先で引っ掻くように蕾を刺激されて、その快感の大きさに体が跳ねた。そんな私の様子を見て彼は口の端を上げて、指を上下に動かした。

「んっ、も、はぁ……んっ」

 私の反応をじっと見つめてしばらく、彼は指で弄っていたそこに唇を寄せた。
 熱い舌で蕾を弄ぶように舐め上げる。聞いたこともないような水音に自分で驚くけれど、逃げ出そうにも押さえ込まれていて喘ぐことしかできない。そこを執拗に攻められて、腰が勝手に動く。

「は、る…まさん…も、むりです…」

 私の必死な声に彼が顔を上げて、頭を優しく撫でた。柔らかいキスが与えられる。
 でも行為が止まるわけもなく、指が中に入れられたのを感じる。いつもはキーボードを叩く指が、書類を捲る指が、眼鏡を外して眉間を押さえる指が、今は私の中を掻き混ぜている。容赦ない愛撫は続き、何度も押し寄せる大きな快感の波で力の入らなくなった体をもっと追い詰める。

「ふっ…やぁん…」
「もっと、感じて、澪」

 入り口に熱い塊があてがわれた。生理的な涙でぼやけた瞳を彼に向けると、甘く蕩けるような視線とぶつかった。

「大切にするよ」

 その言葉の直後、私の体を割り広げるように彼が入ってきた。
 その大きさに一瞬体が強張るけれど、頭を撫でながらされたキスの優しさに力が抜ける。それを見計らってぐっと腰が進められる。最奥に当たった感触の直後、体中に甘い痺れが広がる。

「あっ、ふぅ…っん!」
「っ…くっ……」

 心から、気持ちいいと。一緒になることの意味を初めて感じる。
 目の前の彼が眉間に皺を寄せて快感に耐える姿は、こちらがあてられそうになるほど色気に溢れていた。火照った体にじりじりとゆっくりとした律動は、もどかしさが募る。

「春馬…さん、」
「澪…」

 自分の視線に愛しさを込めて名前を呼べば、彼の瞳が嬉しそうに細められて、途端に、腰の動きが激しいものになる。

「あぁん!あぁっ…やっ、あん!」
「澪っ、愛してる…っ」

 いやらしい喘ぎ声が部屋の中に響く。頭がおかしくなりそうなほどの官能に、声を抑えようとすることなど、とうに諦めている。
 がつがつと熱情をぶつけられるような行為に、私はあっという間に意識を手放した。



* * *



 汗ばんだ体を寄せ合ったベッドの上。
 上司は私の肩を何度も撫でながら、時折こめかみに静かなキスを落とす。
 情事の名残が充満するような部屋の中で、まるで以前からそうしていたかのような甘い時間が過ぎる。

「喉、渇きませんか」
「渇いたね。ちょっと待ってて」

 上司は私の頬に唇を押し当ててから、ベッドから抜け出した。
 その背中を見送りながら心の中でひとりごちる。デスクワークがほとんどなのにこの人はどうしてこんなにスタイルがいいのかと首を捻ってしまうほど、すらりと美しい体だ。

 ミネラルウォーターを持って戻ってきたその体を見上げていると、上司はまた元の位置にもぞもぞと入り込んできて私を抱き締めた。そのやり方は本当に何時間か前からは予想もつかないような愛おしさに溢れていて、こっちが恥ずかしくなる。
 ぎゅっと抱き締めたままで、一向にミネラルウォーターを渡してくれない上司に、いたたまれなくなって声をかけた。

「じょ…あの、水、飲めません」

 その時、空気が一瞬凍った。

「…澪、今‘常務’って呼びかけたね?」
「え、いや、まぁ…はい」

 ふぅん…と不満げにじっと私の顔を見つめた後、上司…いや、春馬さんは、ミネラルウォーターの蓋を開けて自分だけごくごくと飲み始める。その様子に唖然としていると、急に頬に手を添えられた。

「何…んむぅ…っ!」

 唇が触れ合った次の瞬間、口内に流れ込んでくる水。
 それを素直にごくんと飲み込むと、春馬さんはシニカルな笑みを浮かべて額を合わせた。

「澪は、‘常務’とこんなことするんだね」
「…春馬さんだから、するんです」

 それを聞いて、再び私をぎゅっと抱き締める。 
 意外と子どもっぽい。
 この何時間かで、上司の新たな面が次から次へと見えて、若干混乱気味ではあるけれど、それもなんだか新鮮でドキドキするなんて、私の思考もかなりヤラれている気がする。

「君を、誰よりも幸せにするよ」

 柔らかな声、甘いセリフ。
 額を合わせたまま頭を撫でる手が徐々に下りていき、背中を撫で上げられる。それは、行為を予感させる触れ方。
 同じように背中に手をまわすと、それを同意ととった彼にふわりと押し倒された。
 くすくすと笑いながら唇を重ねる。深くなる口付けに身を任せながら、私は静かに目を閉じた。



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