君はスイートハート

篠宮華

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 一息ついたところで、秋斗のお腹が鳴った。まさに完璧なタイミング。
 確かに、時計の針はもうすぐ昼を知らせようとしていた。一緒に食べようという提案に頷くと、秋斗はさっさと立ち上がる。

「俺、コンビニで適当に買ってくるから、その間に風呂入ったり着替えたりしてきなよ」
「え、秋斗は?」
「俺は夜中にシャワー浴びたし、すぐ近くのコンビニだからちょっと空けても大丈夫だろ」

 確かに、昨日の格好のままなのは嫌だ。恐ろしいことにメイクをしたまま眠ってしまったのもあって、瞳がごろごろしている。お風呂に入ってすっきりしたいと思っていたけれど。
—— あれ?さっき、‘私が秋斗を離さなかった‘って言わなかったっけ?
 疑問符が頭の上にたくさん浮かんで考え込んでしまった私を見て、秋斗はそれを察したようにぽんと手を打った。

「ああ、さっきの話は半分嘘。確かに離してくれなかったけど手じゃなくて服だったから脱いでそこに置いてった」
「な、なんだ…そうだったんだ」

 服を脱いだということに少しどきっとしたけれど、実際に見てはいないから考えることができない。お酒を飲んで記憶を失うなんてありがちだけど、やっぱり普段の自分の行動し得る範囲のこと以外のことは起こらないのだとほっと気が抜けて、肩が下がった。
 そして、そこで再び生まれた睡魔に、私は大きな欠伸を噛み殺す。

 ポケットにキーケースと財布と携帯を詰め込んだ彼の後姿をぼんやりと眺めていると、なんだか不思議な感覚になる。突然の再会を果たした幼馴染みと急速に縮まった距離は、決して嫌じゃなかった。それどころか、なんだか安心する。初めての感覚だった。
 中高と女子校に進学し、思春期以降は家族以外の異性と触れ合った経験自体ほとんどないし、そもそも男の子と付き合ったこともないから比べようがないけれど、きっと他の人ならこうはならなかったと、妙な確信が持てる。
 自分でもよくわからない思考をストップさせるように、ふぅ、と息をついて、膝にかかっていたブランケットを畳もうと手を広げた瞬間。

「ああ、そうだ」

 当の本人が踵を返してベッドに座り込んだ私にすっと歩み寄る。
 何かと思って首を傾げると、伸びてきた手にふわっと頭から耳にかけて優しく撫でられた。
 耳元に口を寄せ、囁かれた言葉に頬が一瞬にして熱くなる。

「でも、抱き合ってキスしたのは事実だよ」
「う、うそ…」
「ほんと。今度は素面のときにさせてね」

 恥ずかしさのあまり、畳み掛けたブランケットにがばっと顔を埋める私を見て、楽しそうに笑ってから秋斗は部屋を出て行った。



*   *   *



 シャワーを浴びて、ふんわりした長袖のチュニックとレギンスに着替えた。

 ただ隣の部屋に行くだけなのに、髪形はおかしくないか、気合いが入っていると思われるとなんだか恥ずかしいから、丁度良く可愛らしい格好はどんなものなのか…妙に考え込んでしまう。
 それは、いつもと会う場所が違うからなのか、それとも…。
 結局髪は丁寧に梳かして、メイクは薄めにした。
 スマホのアプリの通知が、隣の部屋の主が帰宅を知らせる。
 まだ気持ちがそわそわしているけれど、あまり遅くなると不自然かと思い、玄関でパンプスを履く。自分の家の玄関を出て9歩くらいでたどり着くそこは、昨日までほとんど未知だった。それなのに、一晩を過ごしてしまったのだから不思議なものだ。
 チャイムを鳴らすと、足音が近付いてきてまもなく、ドアがすっと開く。

「おかえり」

 嬉しそうな甘い微笑みが私の心を満たして、頭がぼぅっとする。
——だ、だめだめ!見惚れてる場合じゃない!
 秋斗はTシャツに紺色の綿のパンツに着替えていた。再会したときと同じ、何の変哲もない格好なのに、なんだかどきどきしてしまう。こうして見てみると、改めてそのスタイルの良さに気付かされる。

「たっ…ただいま…?」
「そう、それでいいんだよ。おかえり」

 当たり前のように頭をふわりと撫でた手は、同じく当たり前のようにあっという間に離れていき、ほんの少しだけ名残惜しさを覚えた。
——…名残惜しいってどういうことよ!
 浮かんできた煩悩を振り払うようにぺしん!と掌で自分の頬を叩く。意外と派手な音が立ったけれど、幸いなことに、秋斗には気付かれなかった。平常心を保つことがこれほど大変だとは。
 心の中があまりにも忙しい。なんだかどっと疲れてしまい、ため息をついた。


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