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9 sideA
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『あ、もしもし?突然すみません。ええと、私、沙耶の友人の工藤と言います。今日一緒に飲んでいたんですけど、沙耶がかなり酔ってしまって、一人で帰すのが心配なので迎えにきていただけないでしょうか』
唐突にかかってきた電話にすぐに出たのは、ディスプレイに表示された名前が愛しい人のものだったから。
通話ボタンを押したと同時に聞こえてきたのは、用件だけ述べる工藤さんの冷静な声と、その後ろで小さく聞こえる好きだなんだと言う沙耶の甘ったるい声。
一瞬何が起きているのかわからなかったけれど、場所と事情を説明する工藤さんの声で、大体のことは理解した。
——なんて危なっかしい。
酒に弱いやつが無闇に飲むことほど危険なことはない。女の子なら尚更。しかも今回の場合はよりによって想いを寄せる相手だ。
幸いなことに、うちのマンションからその居酒屋までは、走ったら5分くらいで到着できる距離だった。俺は、スマホと鍵と財布だけ持って、電話を切った10秒後には部屋を飛び出していた。
* * *
隣をなぜだか愉快そうに歩く沙耶の手を引っ張りながら、日が落ちて少し冷えた夜道を歩く。
当の本人はというと、まるで子どものように、独り言を言ったりひっきりなしに話し掛けたりしてくる。
「ねぇー、秋斗ー」
「ん?」
「ねむいー」
「そりゃそうだろうな。酒弱いのにたくさん飲んだんだろ?」
「そーなのー、カシオレと、カルピスサワーも飲んだぁ」
「えっ!それだけでこんなに酔ったのかよ」
ただでさえ酒に関しては強い家系で、ざると言ってもいいくらいの自分からすると、その程度の量でこんなにべろべろに酔ってしまう人間がいるということに驚愕してしまう。
なぜ酒に弱いのに飲み屋に行ったのか、まったくもって不可解で、ため息をつきながら隣を引き摺られるように歩いていた沙耶を見て、思わず足を止めた。
店内が暑かったのかどうかは知らないが、緩くアップにした髪の毛は細い首筋をあらわにしている。襟刳りが少し大きめに開いたカットソーはよく似合っているけれど、外灯に照らされて、そのしなやかな細さと頼りなさが浮き上がってやけに女性らしくて。
上気した頬と、欠伸をして潤んだ目元はそれだけで破壊力抜群なのに、にへっとした柔らかな笑顔に耳が熱くなった。
——こんな無防備な姿で夜道を歩くかもしれなかったかもしれないなんて。
嫉妬か苛立ちか、それとも焦燥感か。
暢気に笑っているその姿に小さな嗜虐心が煽られた。
思わず掴んでいた腕を引くと、元々足元の怪しかった沙耶は案の定そのまま倒れ込むように腕の中におさまった。後頭部を優しく支えて、背中を何度か撫でると、ふぅと力が抜けたように息を吐く。
…そこで安心するなよ。
首筋に顔を埋めると、沙耶はもぞもぞと身動ぎする。
「んっ…秋斗、くすぐったい」
「沙耶」
「ん?なあに?」
耳元に唇を寄せて、名前を呼ぶ。
楽しそうにくすくすと笑う沙耶とは対照的に、思ったより硬い声が出た。
余裕がない。
「俺は沙耶のことが好きなんだよ。もうちょっと今のシチュエーションに危機感とかないの?」
「ききかん?どーして?」
「どうしてって…」
「私も秋斗のこと好きだから、いいの」
「……」
沙耶の言葉にかっと顔が熱くなるが、それも一瞬。
——‘好き’
それは果たして、俺の抱く種類の‘好き’と一致しているだろうか。
それは、ずっとほしかった甘いセリフなのに、嬉しさよりもどかしさが募る。
——今、どこまでなら、受け入れてくれる?
体を離し、視線に想いを乗せて、愛しい人の顔を正面から見ると、こちらを柔らかく見つめ返してくるとろんとした瞳とぶつかった。
頤に手をかけ、少し上を向かせる。
「目、瞑って」
俺の言葉に素直に従って、沙耶は大きな瞳を静かに閉じるから、ゆっくりと顔を近付ける。
どちらのものかわからない熱い吐息を感じてからまもなく、唇に触れた柔らかな感触。抱き締めたその体が一瞬強張ったのがわかったけれど、もう止めることは出来ない。
角度を変えて何度か押し付けるように重ねたそれは、溶けるように熱い。歯列をなぞるように舌を差し込むと、何かをこらえるように腕を強く掴まれた。
「んっ…ふぅ……っ」
鼻にかかったような声に、理性が吹っ飛びそうになる。
今だけ、と。
人通りのない道で、俺は、恋焦がれた人との触れ合いに酔いしれた。
唐突にかかってきた電話にすぐに出たのは、ディスプレイに表示された名前が愛しい人のものだったから。
通話ボタンを押したと同時に聞こえてきたのは、用件だけ述べる工藤さんの冷静な声と、その後ろで小さく聞こえる好きだなんだと言う沙耶の甘ったるい声。
一瞬何が起きているのかわからなかったけれど、場所と事情を説明する工藤さんの声で、大体のことは理解した。
——なんて危なっかしい。
酒に弱いやつが無闇に飲むことほど危険なことはない。女の子なら尚更。しかも今回の場合はよりによって想いを寄せる相手だ。
幸いなことに、うちのマンションからその居酒屋までは、走ったら5分くらいで到着できる距離だった。俺は、スマホと鍵と財布だけ持って、電話を切った10秒後には部屋を飛び出していた。
* * *
隣をなぜだか愉快そうに歩く沙耶の手を引っ張りながら、日が落ちて少し冷えた夜道を歩く。
当の本人はというと、まるで子どものように、独り言を言ったりひっきりなしに話し掛けたりしてくる。
「ねぇー、秋斗ー」
「ん?」
「ねむいー」
「そりゃそうだろうな。酒弱いのにたくさん飲んだんだろ?」
「そーなのー、カシオレと、カルピスサワーも飲んだぁ」
「えっ!それだけでこんなに酔ったのかよ」
ただでさえ酒に関しては強い家系で、ざると言ってもいいくらいの自分からすると、その程度の量でこんなにべろべろに酔ってしまう人間がいるということに驚愕してしまう。
なぜ酒に弱いのに飲み屋に行ったのか、まったくもって不可解で、ため息をつきながら隣を引き摺られるように歩いていた沙耶を見て、思わず足を止めた。
店内が暑かったのかどうかは知らないが、緩くアップにした髪の毛は細い首筋をあらわにしている。襟刳りが少し大きめに開いたカットソーはよく似合っているけれど、外灯に照らされて、そのしなやかな細さと頼りなさが浮き上がってやけに女性らしくて。
上気した頬と、欠伸をして潤んだ目元はそれだけで破壊力抜群なのに、にへっとした柔らかな笑顔に耳が熱くなった。
——こんな無防備な姿で夜道を歩くかもしれなかったかもしれないなんて。
嫉妬か苛立ちか、それとも焦燥感か。
暢気に笑っているその姿に小さな嗜虐心が煽られた。
思わず掴んでいた腕を引くと、元々足元の怪しかった沙耶は案の定そのまま倒れ込むように腕の中におさまった。後頭部を優しく支えて、背中を何度か撫でると、ふぅと力が抜けたように息を吐く。
…そこで安心するなよ。
首筋に顔を埋めると、沙耶はもぞもぞと身動ぎする。
「んっ…秋斗、くすぐったい」
「沙耶」
「ん?なあに?」
耳元に唇を寄せて、名前を呼ぶ。
楽しそうにくすくすと笑う沙耶とは対照的に、思ったより硬い声が出た。
余裕がない。
「俺は沙耶のことが好きなんだよ。もうちょっと今のシチュエーションに危機感とかないの?」
「ききかん?どーして?」
「どうしてって…」
「私も秋斗のこと好きだから、いいの」
「……」
沙耶の言葉にかっと顔が熱くなるが、それも一瞬。
——‘好き’
それは果たして、俺の抱く種類の‘好き’と一致しているだろうか。
それは、ずっとほしかった甘いセリフなのに、嬉しさよりもどかしさが募る。
——今、どこまでなら、受け入れてくれる?
体を離し、視線に想いを乗せて、愛しい人の顔を正面から見ると、こちらを柔らかく見つめ返してくるとろんとした瞳とぶつかった。
頤に手をかけ、少し上を向かせる。
「目、瞑って」
俺の言葉に素直に従って、沙耶は大きな瞳を静かに閉じるから、ゆっくりと顔を近付ける。
どちらのものかわからない熱い吐息を感じてからまもなく、唇に触れた柔らかな感触。抱き締めたその体が一瞬強張ったのがわかったけれど、もう止めることは出来ない。
角度を変えて何度か押し付けるように重ねたそれは、溶けるように熱い。歯列をなぞるように舌を差し込むと、何かをこらえるように腕を強く掴まれた。
「んっ…ふぅ……っ」
鼻にかかったような声に、理性が吹っ飛びそうになる。
今だけ、と。
人通りのない道で、俺は、恋焦がれた人との触れ合いに酔いしれた。
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