君はスイートハート

篠宮華

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『任せて!あたしが取ってくる!』
『沙耶、危ないよ~、大人の人を呼んでこないと・・・』
『だいじょうぶだいじょうぶ!あたしは木登りが得意だからっ!』

 気が強いおてんば娘と、ちょっと気弱で優しい男の子。
 周りからは、私が秋斗をぐいぐい連れ回しているように見えていたみたいだけど、あくまでも私は秋斗のことを守っているつもりだった。おっとりしていて、頼りなくって、でも思いやりのある秋斗とは不思議と気が合ったのだ。いつもどちらからともなく一緒にいて、どんなことをしても楽しかった。

 その時もそうだった。むしろいつもよりも盛り上がっていた。
 いつもなら、虫を探したり鬼ごっこをしたりするのに、その日は珍しくボール遊びがしたいと言い出した秋斗と公園で遊んでいた。
 私が投げ上げたボールが、木に引っかかったのだ。だからその時、本当に何の迷いもなく私はそれを取りに木にしがみついた。
 右側に足をかけて、左手を上に伸ばして。
 もう少しで手が届くところで、ふわっと体が後ろに傾いだ。

『きゃっ…!』
『沙耶っ!危ないっ!!』

 地面に落ちたときの痛みはそこまで大きなものではなかった。
 それでも、下にいる幼馴染みの苦しそうな声でやっと我に返るほど気が動転していた。

『うう…』
『あっ、秋斗!ごめ…』

 急いで退くと、捲り上がったTシャツから細い腹部が見えた。そこには明らかに今の衝撃で新しく出来た大きな傷があって。

『秋斗っ、血…どうしようっ』
『い…たい…っ』

 今考えてみても、大変な出来事だったと思う。自分の下敷きになった友達、しかも腹部から出血している。幼心に、その光景は鮮明に焼き付いた。

―― 私のせいで、大切な友達が怪我をした。

 偶然にも通りがかった秋斗のお母さんが、泣きじゃくる私と秋斗を発見して、すぐに手当てをしてくれた。放心状態だった私は、その後のことを覚えていない。
 そうして、次の日、秋斗は転校して行ったのだ。



*  *  *



「気にしてないわけ…ないじゃない」

 絶交だと言い渡されるよりも、黙って去られたことの方がショックが大きかった。
 その時のことがあってから、もちろん木には登らなくなったし、勢いだけで行動するようなことはなくなった。だから私と中学生以降に出会った人たちは皆、口を揃えて私のことを「文化系」とか「女の子らしい」というだろう。本を読むようになったのもその頃からだ。実際、読書のおもしろさに気付いてからは、趣味のひとつとして没頭していったけれど。
 秋斗がいなくなった理由を私が知っていたらそんなことはなかったかもしれない、と考えてから、いや、やっぱり罪悪感でいっぱいになっていただろうと思った。自分にとって、秋斗がそれほど大きな存在だったのだと気付いたのは、皮肉にも彼がいなくなった後だった。

「ちゃんと謝りたかった」
「沙耶…」
「私のせいで、秋斗が怪我して、ちゃんとごめんって言いたかったのに、次の日、もう、いなくて、私、」

 だめだ、涙が出る。
 でも伝えなくては。

「ごめんなさい」

 そう言った瞬間、頭に大きな手が置かれて、くしゃくしゃと掻き混ぜられた。
 秋斗は、そのまま私の頭を何度も撫でる。

「はいはい、落ち着いてー。大丈夫大丈夫」

 意を決した私の謝罪に対して、軽い調子で返された返事と、小さい頃にされたそのやり方に、思わず口調が強くなる。

「私、本気でずっともやもやしてたのに。秋斗が引っ越しちゃったのは、私のせいかもしれないって…!」
「そんなわけないだろ。子どものわがままで次の日に引越しなんて」
「でもそう思ってたの!」

 その様子を見てくすくすと笑われたから、私は秋斗の胸を軽く叩いた。
 すると彼は、照れたようにますます笑うから、私はその綺麗な顔を睨みつける。

「何がそんなにおかしいの」
「いや、嬉しいなあと思って」
「は?」
「だってほら、それだけ俺のこと忘れないでいてくれたってことだから嬉しい。俺が思ったより、沙耶は俺のことを好きでいてくれたんだなぁってわかって」
「すっ…!」

 思わず顔が熱くなるのがわかる。
 なんてことを言い出すのか。
 いや、確かに秋斗のことは嫌いじゃない、けど。

 さらに彼は誇らしげに言う。

「しかも、これは俺にとっては名誉の負傷だから。この傷があったら、沙耶のこと絶対に忘れない。もちろん、大好きな女の子のことだから、こんな傷がなくても忘れないけど」

 今、さらっと何か言われたような気が…。
 今日は一気にたくさんのことが起きて、わけがわからなくなっているような気がする。
 何かの間違いだと納得させ、聞き流そうと背後にあったダンボールに手をかける。このまま秋斗を見ていたらますます混乱しそうだったから、背中を向けて、荷物整理に取り掛かった。

「もっ、もういいから!大丈夫ならよかった!荷物片付けちゃおうよ」

 でも、そんなに簡単にこの話が終わるわけもなく。
 すっと動いた気配。
 時間を置かずに、背中に感じたぬくもりと、お腹に回された意外と逞しい腕、そしてそのまま腕に沿ってぎゅっと握られた手に、思考が停止した。

「春野沙耶さん、俺と、結婚を前提にお付き合いしてください」

 時間が止まったのか、止まっていた時計が動き出したのか。
 少なくとも私は、目の前のこの人にずっと心を掴まれたままなのかもしれない。


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