君はスイートハート

篠宮華

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 時が経ったことで「過去」になってしまうのは、仕方ないことだと思っていた。
 でも、過去のことになるのは、自分が納得できたときだけ。
 私の場合は、時計が止まってしまっていただけだったのかもしれない。
 何かのきっかけで動き出すことがある、きっと。



*  *  *



 私が通う大学のキャンパスは、都心から少し外れたところにあるからか、まだ自然がたくさん残っている。
 そんな自然の中に建てられた図書館はなかなか大きく、蔵書が多いことで有名だ。それも、志望理由の一つだった。
 なんだかんだでサークルには入らなかったし、高校から同じ大学に進学した友達とは、学部が違うせいかあまり顔を合わせない。それでも、仲の良い友達は何人か出来た。大学進学を機に一人暮らしをはじめ、大変なことも多いけれど、とても充実した穏やかな日々だった。

 昨日までは。

春野沙耶はるのさやさん、ですよね?」

 その日は2限までしか講義がなかった。図書館で予約した本を取りに寄って、家で洗濯でもしようと思った帰り道。

 突然、後ろから呼ばれた自分の名前に振り返ると、そこには柔らかな微笑みを浮かべる男の人がいた。
 昼休みが終わって、次の授業が始まったばかり。おまけに、図書館の裏道だからか、人通りがとても少ない。理由はそれだけじゃないけれど、不思議な存在感を感じた。
 少し長めの前髪、その間からのぞく綺麗な瞳。
 何の変哲もない白いポロシャツと、デニムのパンツは、背が高く、すらっとした体躯を引き立てていて、ちゃんと着飾ったら、モデルさんのように見えるのではないかと考える。
 ぼんやりしていた私を目覚めさせるように、もう一度名前を呼ばれて、はっとする。

「すっ、すいません!そうです…けど」 
「そうですよね、よかった。俺のこと、覚えてますか?」

 はて。
 そもそも、物心ついてから男友達など皆無に等しかった私は、その質問に答えることなどもちろんできない。

「ごめんなさい…」

 私が謝ると、その人は思いっきり残念そうな表情を浮かべながら小さく溜息をつくから、とんでもなく申し訳ないことをしてしまったと、罪悪感と緊張で体が強張る。

 でも、それもあっという間に違う焦りに変わる。
 なぜなら、その人の顔に、さっきの微笑みとはまったく違う黒い笑みが広がったから。
 おまけに「じゃあ、思い出してもらおう」などという言葉と共に、手首を掴まれた。

「へっ!?や、えっ!ちょっと…っ!」
「大丈夫、変なことはしないから」

 口調は爽やかに聞こえるけれど、笑い方はさっきと変わらず、なんだか怖い。
 ますます人通りが少なくなるような芝生の茂みの方へずんずんと進んでいく。

「いや、ちょ、ちょっと困ります!離してください!!」

 怖くなって抵抗しようとするけれど、男の人の力にはかなわない。茂みまで連れてこられて、やっと立ち止まり、掴まれていた手首が解放される。
 手首にじんじんとした鈍い痛みが残って、あまりにも理不尽な行動に腹が立った私は思わず大きな声を上げてしまう。

「ちょっと!強引過ぎます!一体何…!!」
「逃げない?」
「はっ?」
「話、聞いてくれますか?…まぁ、逃がさないけど」

 あまりに物騒な発言に恐怖で体が硬直し、声が出なくなる。
 固まった私の様子を見て、安心(?)したのか、その男の人は白いポロシャツの裾を捲り上げた。うっすらと割れた腹筋が露わになって、私は手で顔を覆う。
 すると、その手を掴まれて、顔を覗き込まれる。

「沙耶、見て」
「なっ…!」

 露出狂だったのか。
 急に茂みに連れてこられ、会ったこともないような人に名前で呼び捨てにされ、おまけに見るように強要されるなんて、涙が出そうだ。
 でも、彼の声がなんだか必死なものに思えて、薄く目を開ける。

「これ。これ見ても思い出せない?」

 そこにあったのは、3センチくらいの小さな古い傷跡。

 よく目を凝らして見なければわからないけど、心当たりがあったらすぐにそれと認めることができる。

「え…………あ、秋斗?」

 その時の嬉しそうな顔を、私は今でも忘れることができない。

——野宮秋斗のみやあきと
 何も言わずに引っ越していった、私の大切な、幼馴染みだった。
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