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彼女と過ごしたある日の話
2.推しの熱愛
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「先生、こいつ今日まじでやばい」
「…どうした?」
放課後。
授業が終わってから、職員室にノートを提出しに来た3人の男子生徒のうちの一人が妙に落ち込んだ様子だったから尋ねる。
「なんかあるなら聞くぞ。ここじゃ話しづらい?」
「いや…大丈夫です。もうトレンドワードに入ってたし」
「トレンドワード?」
その言葉に、こちらの心配とは裏腹に、わいわい盛り上がり始める。
「こいつ推しの熱愛報道で超沈んでんの」
「は?」
「…もうなんも手につかないっす」
個人名を出されたが全くわからず、その「推し」が所属するというアイドルグループの名前を出されて、ようやく認識した。
聞けば、自分が応援しているアイドルが週刊誌に撮られ、ゴシップ記事が一気に拡散されて騒ぎになっていたところ、双方が交際を認めたということらしい。
受験勉強や友人関係の悩みかと思ったらそんなことかとちょっと拍子抜けする。まあ、そういう推しの存在をモチベーションに頑張っている生徒も多いから、大変なことではあるのだろうが、有名人に疎いこともあって微妙な反応になってしまう。
複雑な気持ちでその様子を見ていると、「まあ、流れでそのうち結婚しちゃうかもしんないけど、ドンマイ!」とからかうように肩を叩かれた男子生徒が「うぅ…」と項垂れ、恨みがましい視線を向けた。
「そういう適当なこと言ってると後で返ってくるぞ…お前の彼女だって、卒業したら一緒にいる時間が減って、もっと何か大人の…金持ちの社長とかと浮気するかもしんないんだからな!」
「はぁ?俺の彼女はそんなことしませーん」
「どうせイケメンの上司とか、取引先の御曹司とかと結婚するよ」
「んなわけねーだろ!」
「おいおい、ここで変な言い争いするなよ…」
呆れたように声を掛けると、二人はひととき睨み合い、溜め息をついてから「すいません…」と小さく頭を下げる。
「北川先生は推しとかいないんすか?」
「推しねぇ…」
映画やゲームなど、趣味や好きなものはたくさんあるが、「推し」かと言われると違う気がする。「北川先生のこと推してる女子は結構いるよ」と、よくわからない情報をもらったが、全く興味がない。
「ほら、こう、この人のためなら嫌なことあっても頑張れるとか、この人と会うためなら仕事めちゃくちゃ捗っちゃうとかさ」
「んー…」
それを聞いて浮かんだのは、やっぱり愛するその人の顔。
思えば、親しくなったのは趣味嗜好が似ていることからだったから、比較的「推し」が被っていたことはきっかけのひとつだったかもしれないが、今はそれらを一緒に味わうことそのものが楽しいのだ。
…確かに、彼女との時間を確保するためなら頑張れそうだと思う。
「あっ、何か間がある」
「先生もいるんだ、推し。誰ですか?」
「…個人情報なので答えません」
「うわっ、まじ?えー!教えてくださいよー!」
「教えるわけないだろ。ノートありがとな。こんなところで油打ってないでさっさと帰りなさい」
適度に抑圧されたコミュニティーなこともあってか、所謂「恋バナ」に必要以上にはしゃぐ年頃だ。俺が妙なことを口走ったら、一気に広まっていき、下手すると別の教員にまでいじられかねない。そして中には彼女のことを知っている人間もいるわけで。
別に在学中から付き合っていたわけじゃないんだし、誰かに知られたところで、俺自身は何の後ろめたさも感じないが、彼女はそうではないらしく『文哉さんは、自分の生徒人気と噂話の恐ろしさをよく考えて、慎重に行動してくださいね』などと言う。
正直、生徒人気に1ミリも興味はないが、彼女がそう言うならその意向をきちんと尊重したい。
しかし。
『お前の彼女だって、卒業したら一緒にいる時間が減って、もっと何か大人の…金持ちの社長とかと浮気するかもしんないんだからな!』
生徒同士の軽口が、妙に頭に残る。
恋人としての贔屓目なしに、彼女はモテると思う。現に在学中、同級生の男子生徒から好意を寄せられているという話を度々聞くことがあった。俺が彼女のことを認識したのもそういう類いの噂話から。本人曰く『そんなのは一度も聞いたことない』だそうだが。
浮気は…多分ないと思う。ないと信じたい。ただ、いろいろな出会いはあるだろう。
「イケメンの上司とか、取引先の御曹司ね…」
前途有望な彼女の未来に、俺はどのように描かれているのだろうか。
「俺が神経質になってどうする…」
提出されたノートの束を手に、俺も小さく溜め息をついた。
「…どうした?」
放課後。
授業が終わってから、職員室にノートを提出しに来た3人の男子生徒のうちの一人が妙に落ち込んだ様子だったから尋ねる。
「なんかあるなら聞くぞ。ここじゃ話しづらい?」
「いや…大丈夫です。もうトレンドワードに入ってたし」
「トレンドワード?」
その言葉に、こちらの心配とは裏腹に、わいわい盛り上がり始める。
「こいつ推しの熱愛報道で超沈んでんの」
「は?」
「…もうなんも手につかないっす」
個人名を出されたが全くわからず、その「推し」が所属するというアイドルグループの名前を出されて、ようやく認識した。
聞けば、自分が応援しているアイドルが週刊誌に撮られ、ゴシップ記事が一気に拡散されて騒ぎになっていたところ、双方が交際を認めたということらしい。
受験勉強や友人関係の悩みかと思ったらそんなことかとちょっと拍子抜けする。まあ、そういう推しの存在をモチベーションに頑張っている生徒も多いから、大変なことではあるのだろうが、有名人に疎いこともあって微妙な反応になってしまう。
複雑な気持ちでその様子を見ていると、「まあ、流れでそのうち結婚しちゃうかもしんないけど、ドンマイ!」とからかうように肩を叩かれた男子生徒が「うぅ…」と項垂れ、恨みがましい視線を向けた。
「そういう適当なこと言ってると後で返ってくるぞ…お前の彼女だって、卒業したら一緒にいる時間が減って、もっと何か大人の…金持ちの社長とかと浮気するかもしんないんだからな!」
「はぁ?俺の彼女はそんなことしませーん」
「どうせイケメンの上司とか、取引先の御曹司とかと結婚するよ」
「んなわけねーだろ!」
「おいおい、ここで変な言い争いするなよ…」
呆れたように声を掛けると、二人はひととき睨み合い、溜め息をついてから「すいません…」と小さく頭を下げる。
「北川先生は推しとかいないんすか?」
「推しねぇ…」
映画やゲームなど、趣味や好きなものはたくさんあるが、「推し」かと言われると違う気がする。「北川先生のこと推してる女子は結構いるよ」と、よくわからない情報をもらったが、全く興味がない。
「ほら、こう、この人のためなら嫌なことあっても頑張れるとか、この人と会うためなら仕事めちゃくちゃ捗っちゃうとかさ」
「んー…」
それを聞いて浮かんだのは、やっぱり愛するその人の顔。
思えば、親しくなったのは趣味嗜好が似ていることからだったから、比較的「推し」が被っていたことはきっかけのひとつだったかもしれないが、今はそれらを一緒に味わうことそのものが楽しいのだ。
…確かに、彼女との時間を確保するためなら頑張れそうだと思う。
「あっ、何か間がある」
「先生もいるんだ、推し。誰ですか?」
「…個人情報なので答えません」
「うわっ、まじ?えー!教えてくださいよー!」
「教えるわけないだろ。ノートありがとな。こんなところで油打ってないでさっさと帰りなさい」
適度に抑圧されたコミュニティーなこともあってか、所謂「恋バナ」に必要以上にはしゃぐ年頃だ。俺が妙なことを口走ったら、一気に広まっていき、下手すると別の教員にまでいじられかねない。そして中には彼女のことを知っている人間もいるわけで。
別に在学中から付き合っていたわけじゃないんだし、誰かに知られたところで、俺自身は何の後ろめたさも感じないが、彼女はそうではないらしく『文哉さんは、自分の生徒人気と噂話の恐ろしさをよく考えて、慎重に行動してくださいね』などと言う。
正直、生徒人気に1ミリも興味はないが、彼女がそう言うならその意向をきちんと尊重したい。
しかし。
『お前の彼女だって、卒業したら一緒にいる時間が減って、もっと何か大人の…金持ちの社長とかと浮気するかもしんないんだからな!』
生徒同士の軽口が、妙に頭に残る。
恋人としての贔屓目なしに、彼女はモテると思う。現に在学中、同級生の男子生徒から好意を寄せられているという話を度々聞くことがあった。俺が彼女のことを認識したのもそういう類いの噂話から。本人曰く『そんなのは一度も聞いたことない』だそうだが。
浮気は…多分ないと思う。ないと信じたい。ただ、いろいろな出会いはあるだろう。
「イケメンの上司とか、取引先の御曹司ね…」
前途有望な彼女の未来に、俺はどのように描かれているのだろうか。
「俺が神経質になってどうする…」
提出されたノートの束を手に、俺も小さく溜め息をついた。
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