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4.あなたと過ごす未来の話
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窓の外はぼんやりと明るい。
私はベッドの中で寝返りをうちながら、愛しい人の胸に顔を埋め、同時に、素肌に触れる柔らかくて暖かいブランケットの感触を堪能する。この毛布は、彼と同棲を始めた時に一緒に買った物だ。一緒に使うだろうと、ダブルサイズにした。
服は…だぼだぼのTシャツを着せられている。彼はいつも、激しい行為の後にふらふらになっている私の体を拭いてから、自分には大きすぎるというこのTシャツを着せてくれる。それはもちろん私にとっても大きくて肩がずり落ちそうになるし、私が着ると短いワンピースのようになるけれど、どうやら彼はそれが好きらしい。
「……理穂…?」
すりすりしていると、腕枕をしてくれていた彼に、掠れた声で名前を呼ばれた。
「ごめんなさい、起こしちゃった」
「あれ……?あー……」
彼は薄く目を開けて、ぼーっとしている。どうやら寝ぼけているようだ。
「朝…」
「おはようございます」
「…あー、やべ…変な夢見てた」
「どんな夢?」
「いや…うーん、どんな、と言われると…」
珍しくいい淀む様子の彼の顔を、その腕の中から上目遣いで見つめる。
彼はこうして、私にじーっと視線を送られることに弱い。以前、「先生だからしょっちゅう生徒に見られてるのに」と言ったら、「授業中に生徒の視線を集めることと一緒にするな」と、照れ隠しのように抱き締められたのを思い出す。
「聞きたいなー」
視線を合わせたままにっこりすると、彼は観念したようにため息をついた。
「……理穂が」
「私が?」
「まだ制服着てて、高校通ってて…」
なんだ、ただの懐かしい夢ではないか。そう思いながら頷く。しかし。
「よくわからん男子生徒と付き合ってた」
「えっ」
「で、結婚式に出席してほしいって手紙が来て、参加するか欠席するかどうしようって悩んでる夢」
「…なんですかそれ」
思わず眉間に皺を寄せると、私のことを抱き締めていた腕にキュッと力がこもる。軽い感じで話す彼とは裏腹に、私はなんだかとてももやもやしている。
「ほら、絶対そういう顔するだろうなって思ったから」
「だって、やな夢じゃないですか」
「あっ、なんだよ自分で聞いたくせに」
彼は私の眉間の皺をぐりぐりと伸ばしてから、毛布を肩までかけ直す。私の顔にかかっていた髪を後ろによけるように頭を撫でて、額を合わせた。
「なんだろうなあ、新生活が不安なのかな?俺も」
「不安?」
「いや、理穂の就職が決まってるのは俺もすごい嬉しいよ。でも、これからいろんな出会いがあるだろうしさ。すげえイケメン上司に告白されたり、取引先の御曹司とお見合いすることになったりするかもしんないじゃん」
「そんなこと…」
まるで漫画のような話だ。彼らしくない突飛な想像にちょっと呆れる。第一、私がそんな誘いに乗ると思っているのだろうか。
「そりゃ出会いは…あるだろうけど、でも私には文哉さんという人がいるじゃないですか」
「それはそうだけどさ。正直、昨日だって、体調ももちろん心配だったけど、理穂にちょっかい出すやつがいないか見張りに行ったようなとこあるし」
自嘲するように「とにかく狭量な男なの、俺は」と笑って、彼は小さく溜め息をつく。
ただ、そんなことを言い出したら、私だって彼が自分の知らない誰かのところへ行ってしまうなんて絶対に嫌だ。想像もしたくない。
でも、不思議と今までそういうことを考えたことはなかった。きっと、ずっと一緒にいると思ってきた。
そこで気付く。
——…この人が、ちゃんと愛してくれていたから、不安に思うことがなかった。わかるように伝えてきてくれていたから、不安など抱かずにすんできたのだ。
ということは、彼が不安を感じるとしたらそれは……
「文哉さん、えっと…」
「んー?」
「わ、私…文哉さんとの関係を、青春の1ページ的な何かで終わらせるつもりないです」
いつの間にか私の髪を指に巻き付けたり、頬をつんつんとつついたりするのに夢中になっている彼に、一生懸命伝える。
「これから先、誰に好意を寄せられても、文哉さんがいるから無理ってはっきり言うし…」
「どうした急に」
私の背中を撫でながら、「嬉しいけどとりあえず落ち着け」と笑う8歳年上の彼に、自分の思いの強さと大きさをアピールするためには、どんな言葉が一番適切だろうか。
ぐるぐると考えに考えて、これからの未来の約束をするための言葉がポンと頭に浮かぶ。まだちょっぴり眠そうな彼の顔を、むにっと両手で挟む。
「……けっ」
「ん?」
「……けっ、こん…とか、してみますか?」
「えっ」
会話が止まってしーんと静まり返る。
私の顔を見つめる文哉さんは、目を丸くしてぽかんとしている。
その反応に、さすがに言葉のチョイスを間違えたかもしれないと思う。タイミング的にも、あまりに突拍子がない。思わず目を逸らして、うつむいてしまうけれど、しかし、勢いで言ったとは思われないようにしないといけないと思い、言い訳のようにどうにか言葉を続ける。
「私、きっとまだ世間知らずだし、これからも迷惑かけちゃうことあると思うし、いろいろ変化もあるかもしれないけど、こう…私たち2人の関係っていう意味では文哉さんが不安になるようなことはないって、わかってほしくて」
私が安心しているのと同じくらい、安心していてほしい。
続く沈黙の中で、緊張しながら顔を上げると、愛する人がじっとこちらを見つめる熱い視線とぶつかった。
眩しいものを見るように目を細めて、心から慈しむように私の頭をゆっくりと撫でるので、私は彼の顔から手を離す。
——これは、ちゃんと伝わった。多分。
「だからその…文哉さんさえよければ…」
「……理穂さん」
「あ、はい」
起き上がった彼に、ゆっくりと抱き起こされたので、なんとなくベッドに正座する。彼はゆるっとした白いTシャツにチャコールグレーのスエットを履いていた。
「結婚は、試しに‘してみる’ものじゃないよ」
「そ、そうですけど」
「あと、そういうことは……いや、そうじゃないな。ごめん、ちょっと待ってて」
そう言うと、彼は寝室の壁に取り付けられた小さな棚に向かった。上から2段目の抽斗から、何かを取り出す。
「ほんと敵わないな」と独り言のように言いながら戻ってきた彼の手にあったのは、小さくて四角い、綺麗な装飾が施された上品な箱。その箱をそっと開くと、そこには、カーテンの隙間から差し込む光を反射してきらきらと輝くものがひっそりとおさめられていた。
「指輪…?」
「…仁科理穂さん」
「は、はいっ」
その呼び方を聞いて、これは真面目なテンションかも、と背筋を伸ばすけれど、お互いにどうしようもないくらい気の抜けた格好だ。
でも、彼の表情はすごく真剣で、ただ事ではない様子が伝わってくる。
「なんか後出しじゃんけんみたいで情けないんだけど…」
——文哉さんのこんな顔、初めて見た。
やっぱり好きだなあと思いながら、その先の言葉を待っていると、するりと左手を握られた。
「俺と、結婚してください。もう、めちゃくちゃ幸せにします」
彼から一生懸命紡がれた言葉に、胸がきゅっとなる。
手の中の指輪の煌きとそのセリフは、やっぱり彼の寝起きの格好とあまりにもちぐはぐで、なんだかちょっぴりおかしい。
でもなぜだか、夜景をバックに高級なスーツを着て言われるよりも、断然幸せになれそうな気がして、自然と顔が綻ぶ。それと同時に、じわっとこみ上げてきた涙を誤魔化すように、ぱちぱちと瞬きをした。
「……わ、私なんかでよければ」
「そういう言い方しない。理穂がいいの。理穂じゃなきゃだめなんだよ」
握られていた左手を持ち上げられる。
毎日私に触れる節くれだった指が、私の左手の薬指に指輪をゆっくりと通した。
「きれい…」
少しひんやりとしたそれがつけられた手が、なんだか自分のものではないように見えてきて、まじまじと眺めてしまう。細身でシンプルで、でも上品で可愛らしいピンクゴールドのその指輪は、ものすごく私好みのデザインだった。彼は慣れたように私の寝癖を撫で付けながら言う。
「これはプロポーズリングだから。結婚指輪と婚約指輪は今度一緒に選びに行こう」
「プロポーズリング……え、これ、いつ買ったんですか…?」
「何か月か前かなあ。出張帰りに、たまたま店にに飾ってあるの見かけて、気付いたら買ってた」
「気付いたらって…」
「付き合い出してから結構経つのに、一度もアクセサリーとかあげたことなかったし」
「それは私が…そういうものあんまりつけないしいらないって言ってたから…」
「んー、それはそうなんだけど、なんかすごい似合いそうだったから思わず…」
似合いそう、という言葉にもう一度指輪を見つめると、それはやっぱりすっごく素敵で、私の趣味をよくわかっているなあと感心する。
「でも、安い買い物じゃないのに…」
「俺そんな甲斐性無しに見える?家族が何人か増えても養うくらいの稼ぎはあるからそこは安心して」
そういえば以前、副業もできるように公立から私立の学校に転職したと言っていたのを思い出す。時々、教育系のアプリ開発のようなことをしていて、大学時代はそっちが専門だったということも。
でも、「あ、でも、だから家に入れってことではないよ。就活頑張ってたし、理穂の仕事もちゃんとサポートしたいし」と付け加えられる。
なんだか随分先の未来が急にクリアになってきたことにドキドキしていると、彼はにやっと笑ってから私のことを抱き締め、そのままベッドに倒れ込んだ。二人分の勢いで、ベッドのスプリングが軋む。
「いつ言おうかって、俺がずっともたもたしてたことを、理穂はこんなにあっさり提案してくれちゃうんだもんな」
「それは、文哉さんが私に普段からちゃんとその…好きって伝えてくれてたから…」
「えー?ほんとにちゃんと伝わってる?俺結構重いけど」
うんうんと何度も頷くと、「それならよかった」と心底嬉しそうに笑うから、私もふふっと笑う。
「今日どうしよっか。とりあえず朝飯かな」
明日も、明後日も。
同じ部屋で過ごす彼との日々はすっかり「日常」になったけれど、毎日ちょっとずつ違う。
「お互いの両親にも挨拶に行かないといけないですね」
「あー…俺の両親、理穂に早く会わせろってうるさかったから喜んじゃうなあ」
「喜んでもらえるなら嬉しいですけど…」
「喜び過ぎて 絶対おかしなテンションになるね。俺もスーツ新調した方がいいかな…ちょっと気合い入れて」
「じゃあ、私は見惚れないようにしないと…文哉さんのスーツ姿好きだから」
「なんだよー、嬉しいことばっかり言うじゃん」
「あれ、言ったことなかったですか?」
ベッドの上でごろごろと転がりながら一緒に笑う。時々、ちゅっと瞼や鼻先に唇が触れる。その触れ合いは、これ以上ないくらいの多幸感に満ちていた。
これからも、未来の話をたくさんしよう。
私は、嬉しそうに微笑む彼を、力いっぱい抱き締めた。
私はベッドの中で寝返りをうちながら、愛しい人の胸に顔を埋め、同時に、素肌に触れる柔らかくて暖かいブランケットの感触を堪能する。この毛布は、彼と同棲を始めた時に一緒に買った物だ。一緒に使うだろうと、ダブルサイズにした。
服は…だぼだぼのTシャツを着せられている。彼はいつも、激しい行為の後にふらふらになっている私の体を拭いてから、自分には大きすぎるというこのTシャツを着せてくれる。それはもちろん私にとっても大きくて肩がずり落ちそうになるし、私が着ると短いワンピースのようになるけれど、どうやら彼はそれが好きらしい。
「……理穂…?」
すりすりしていると、腕枕をしてくれていた彼に、掠れた声で名前を呼ばれた。
「ごめんなさい、起こしちゃった」
「あれ……?あー……」
彼は薄く目を開けて、ぼーっとしている。どうやら寝ぼけているようだ。
「朝…」
「おはようございます」
「…あー、やべ…変な夢見てた」
「どんな夢?」
「いや…うーん、どんな、と言われると…」
珍しくいい淀む様子の彼の顔を、その腕の中から上目遣いで見つめる。
彼はこうして、私にじーっと視線を送られることに弱い。以前、「先生だからしょっちゅう生徒に見られてるのに」と言ったら、「授業中に生徒の視線を集めることと一緒にするな」と、照れ隠しのように抱き締められたのを思い出す。
「聞きたいなー」
視線を合わせたままにっこりすると、彼は観念したようにため息をついた。
「……理穂が」
「私が?」
「まだ制服着てて、高校通ってて…」
なんだ、ただの懐かしい夢ではないか。そう思いながら頷く。しかし。
「よくわからん男子生徒と付き合ってた」
「えっ」
「で、結婚式に出席してほしいって手紙が来て、参加するか欠席するかどうしようって悩んでる夢」
「…なんですかそれ」
思わず眉間に皺を寄せると、私のことを抱き締めていた腕にキュッと力がこもる。軽い感じで話す彼とは裏腹に、私はなんだかとてももやもやしている。
「ほら、絶対そういう顔するだろうなって思ったから」
「だって、やな夢じゃないですか」
「あっ、なんだよ自分で聞いたくせに」
彼は私の眉間の皺をぐりぐりと伸ばしてから、毛布を肩までかけ直す。私の顔にかかっていた髪を後ろによけるように頭を撫でて、額を合わせた。
「なんだろうなあ、新生活が不安なのかな?俺も」
「不安?」
「いや、理穂の就職が決まってるのは俺もすごい嬉しいよ。でも、これからいろんな出会いがあるだろうしさ。すげえイケメン上司に告白されたり、取引先の御曹司とお見合いすることになったりするかもしんないじゃん」
「そんなこと…」
まるで漫画のような話だ。彼らしくない突飛な想像にちょっと呆れる。第一、私がそんな誘いに乗ると思っているのだろうか。
「そりゃ出会いは…あるだろうけど、でも私には文哉さんという人がいるじゃないですか」
「それはそうだけどさ。正直、昨日だって、体調ももちろん心配だったけど、理穂にちょっかい出すやつがいないか見張りに行ったようなとこあるし」
自嘲するように「とにかく狭量な男なの、俺は」と笑って、彼は小さく溜め息をつく。
ただ、そんなことを言い出したら、私だって彼が自分の知らない誰かのところへ行ってしまうなんて絶対に嫌だ。想像もしたくない。
でも、不思議と今までそういうことを考えたことはなかった。きっと、ずっと一緒にいると思ってきた。
そこで気付く。
——…この人が、ちゃんと愛してくれていたから、不安に思うことがなかった。わかるように伝えてきてくれていたから、不安など抱かずにすんできたのだ。
ということは、彼が不安を感じるとしたらそれは……
「文哉さん、えっと…」
「んー?」
「わ、私…文哉さんとの関係を、青春の1ページ的な何かで終わらせるつもりないです」
いつの間にか私の髪を指に巻き付けたり、頬をつんつんとつついたりするのに夢中になっている彼に、一生懸命伝える。
「これから先、誰に好意を寄せられても、文哉さんがいるから無理ってはっきり言うし…」
「どうした急に」
私の背中を撫でながら、「嬉しいけどとりあえず落ち着け」と笑う8歳年上の彼に、自分の思いの強さと大きさをアピールするためには、どんな言葉が一番適切だろうか。
ぐるぐると考えに考えて、これからの未来の約束をするための言葉がポンと頭に浮かぶ。まだちょっぴり眠そうな彼の顔を、むにっと両手で挟む。
「……けっ」
「ん?」
「……けっ、こん…とか、してみますか?」
「えっ」
会話が止まってしーんと静まり返る。
私の顔を見つめる文哉さんは、目を丸くしてぽかんとしている。
その反応に、さすがに言葉のチョイスを間違えたかもしれないと思う。タイミング的にも、あまりに突拍子がない。思わず目を逸らして、うつむいてしまうけれど、しかし、勢いで言ったとは思われないようにしないといけないと思い、言い訳のようにどうにか言葉を続ける。
「私、きっとまだ世間知らずだし、これからも迷惑かけちゃうことあると思うし、いろいろ変化もあるかもしれないけど、こう…私たち2人の関係っていう意味では文哉さんが不安になるようなことはないって、わかってほしくて」
私が安心しているのと同じくらい、安心していてほしい。
続く沈黙の中で、緊張しながら顔を上げると、愛する人がじっとこちらを見つめる熱い視線とぶつかった。
眩しいものを見るように目を細めて、心から慈しむように私の頭をゆっくりと撫でるので、私は彼の顔から手を離す。
——これは、ちゃんと伝わった。多分。
「だからその…文哉さんさえよければ…」
「……理穂さん」
「あ、はい」
起き上がった彼に、ゆっくりと抱き起こされたので、なんとなくベッドに正座する。彼はゆるっとした白いTシャツにチャコールグレーのスエットを履いていた。
「結婚は、試しに‘してみる’ものじゃないよ」
「そ、そうですけど」
「あと、そういうことは……いや、そうじゃないな。ごめん、ちょっと待ってて」
そう言うと、彼は寝室の壁に取り付けられた小さな棚に向かった。上から2段目の抽斗から、何かを取り出す。
「ほんと敵わないな」と独り言のように言いながら戻ってきた彼の手にあったのは、小さくて四角い、綺麗な装飾が施された上品な箱。その箱をそっと開くと、そこには、カーテンの隙間から差し込む光を反射してきらきらと輝くものがひっそりとおさめられていた。
「指輪…?」
「…仁科理穂さん」
「は、はいっ」
その呼び方を聞いて、これは真面目なテンションかも、と背筋を伸ばすけれど、お互いにどうしようもないくらい気の抜けた格好だ。
でも、彼の表情はすごく真剣で、ただ事ではない様子が伝わってくる。
「なんか後出しじゃんけんみたいで情けないんだけど…」
——文哉さんのこんな顔、初めて見た。
やっぱり好きだなあと思いながら、その先の言葉を待っていると、するりと左手を握られた。
「俺と、結婚してください。もう、めちゃくちゃ幸せにします」
彼から一生懸命紡がれた言葉に、胸がきゅっとなる。
手の中の指輪の煌きとそのセリフは、やっぱり彼の寝起きの格好とあまりにもちぐはぐで、なんだかちょっぴりおかしい。
でもなぜだか、夜景をバックに高級なスーツを着て言われるよりも、断然幸せになれそうな気がして、自然と顔が綻ぶ。それと同時に、じわっとこみ上げてきた涙を誤魔化すように、ぱちぱちと瞬きをした。
「……わ、私なんかでよければ」
「そういう言い方しない。理穂がいいの。理穂じゃなきゃだめなんだよ」
握られていた左手を持ち上げられる。
毎日私に触れる節くれだった指が、私の左手の薬指に指輪をゆっくりと通した。
「きれい…」
少しひんやりとしたそれがつけられた手が、なんだか自分のものではないように見えてきて、まじまじと眺めてしまう。細身でシンプルで、でも上品で可愛らしいピンクゴールドのその指輪は、ものすごく私好みのデザインだった。彼は慣れたように私の寝癖を撫で付けながら言う。
「これはプロポーズリングだから。結婚指輪と婚約指輪は今度一緒に選びに行こう」
「プロポーズリング……え、これ、いつ買ったんですか…?」
「何か月か前かなあ。出張帰りに、たまたま店にに飾ってあるの見かけて、気付いたら買ってた」
「気付いたらって…」
「付き合い出してから結構経つのに、一度もアクセサリーとかあげたことなかったし」
「それは私が…そういうものあんまりつけないしいらないって言ってたから…」
「んー、それはそうなんだけど、なんかすごい似合いそうだったから思わず…」
似合いそう、という言葉にもう一度指輪を見つめると、それはやっぱりすっごく素敵で、私の趣味をよくわかっているなあと感心する。
「でも、安い買い物じゃないのに…」
「俺そんな甲斐性無しに見える?家族が何人か増えても養うくらいの稼ぎはあるからそこは安心して」
そういえば以前、副業もできるように公立から私立の学校に転職したと言っていたのを思い出す。時々、教育系のアプリ開発のようなことをしていて、大学時代はそっちが専門だったということも。
でも、「あ、でも、だから家に入れってことではないよ。就活頑張ってたし、理穂の仕事もちゃんとサポートしたいし」と付け加えられる。
なんだか随分先の未来が急にクリアになってきたことにドキドキしていると、彼はにやっと笑ってから私のことを抱き締め、そのままベッドに倒れ込んだ。二人分の勢いで、ベッドのスプリングが軋む。
「いつ言おうかって、俺がずっともたもたしてたことを、理穂はこんなにあっさり提案してくれちゃうんだもんな」
「それは、文哉さんが私に普段からちゃんとその…好きって伝えてくれてたから…」
「えー?ほんとにちゃんと伝わってる?俺結構重いけど」
うんうんと何度も頷くと、「それならよかった」と心底嬉しそうに笑うから、私もふふっと笑う。
「今日どうしよっか。とりあえず朝飯かな」
明日も、明後日も。
同じ部屋で過ごす彼との日々はすっかり「日常」になったけれど、毎日ちょっとずつ違う。
「お互いの両親にも挨拶に行かないといけないですね」
「あー…俺の両親、理穂に早く会わせろってうるさかったから喜んじゃうなあ」
「喜んでもらえるなら嬉しいですけど…」
「喜び過ぎて 絶対おかしなテンションになるね。俺もスーツ新調した方がいいかな…ちょっと気合い入れて」
「じゃあ、私は見惚れないようにしないと…文哉さんのスーツ姿好きだから」
「なんだよー、嬉しいことばっかり言うじゃん」
「あれ、言ったことなかったですか?」
ベッドの上でごろごろと転がりながら一緒に笑う。時々、ちゅっと瞼や鼻先に唇が触れる。その触れ合いは、これ以上ないくらいの多幸感に満ちていた。
これからも、未来の話をたくさんしよう。
私は、嬉しそうに微笑む彼を、力いっぱい抱き締めた。
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