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第五話 結構、好き
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店を出て、すっかり暗くなった道を並んで歩く。
ざわざわしているのに、二人分の靴音だけが特別大きく聞こえるような気がする。熱くなった頬に、風が気持ちいい。肌寒さを感じる日も増えてきて、季節の変わり目を感じる。
ちょっとだけ飲んでしまったハイボールのせいで、まだなんだかふわふわしている。でも、吐き気があるわけでもないし、むしろなんだか気分がよくて、歩きながら隣を歩く矢野くんのことを盗み見る。
——この人、私のこと好きなんだ。
嬉しいような、恥ずかしいような、浮き足立った気持ちがなんだかおかしくて、顔がにやけそうになるのをごまかすために頬をぺちぺちと叩いた。すると、矢野くんが尋ねる。
「で、試してみてほしいことってなんですか?」
そうだった。
辺りを見回すと、偶然にも人の波が途切れたような瞬間だった。
意を決して伝える。
「き」
「き?」
「…キスをしてみてほしくて」
「…はい?」
矢野くんは眉を寄せて、明らかに困惑している。
沙織が言っていたことを慌てて伝えると、呆れたような表情が、納得したようなしていないような微妙な表情に変わった。「それ、まさか告白されたとき毎回やってるってことないですよね?」と確認するように聞かれ、一生懸命否定する。
賑やかな通りから、人気のないところに移動したくて、たまたま通りかかった小さな公園のベンチに並んで座った。矢野くんは腕を組んで考え込み始める。
「もし今キスをしようとしたとして、直前で拒否された場合の俺の気持ち想像出来ます?」
髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら「生理的に無理ってことでしょ、正直振られるよりキツくないですか」とため息をついている。
「それは…あ、でも拒否は、しないかな…?多分」
ぴたっと動きを止めて、歯切れの悪い表現をする私を横目で見ながら矢野くんが言う。
「…どういうことですかそれ」
「うーん…どういうこと、と聞かれると…私もよくわかんないけど…」
緊張はしそうだけど、嫌ではないような。
嫌だったら、告白された時点で食事を続けることなんか出来ないはず。ましてやキスなんて想像もできない。
「でも、好きでもない、付き合ってもいない相手と、俺はキスなんか絶対しないですよ」
「そりゃそうでしょ。私だってそうだよ」
「それなのに俺は試していいんですか?」
あれ?変だな。矛盾してる。
自分でも何を話しているのかよくわからなくなってきて、首を捻る。矢野くんは、神妙な顔つきでこちらをじっと見つめる。
「俺の希望的観測ですけど」
「うん」
「先輩も俺のこと結構好きなんじゃないですかね」
怪訝そうなのに、ちょっと嬉しそうにも見えるその顔がなんだか可愛くて。
一人立ちしてからバリバリ仕事に取り組んでいる時の様子と、まだ指導係をしていた時の、やや緊張したような様子が同時に頭を駆け巡る。
気付けば目で追っているし、なんだか放っておけないし、一緒にいたら楽しいし、明日会えたら嬉しいし。
——結構、好き。
なんだかそれがぴったりのような気がした。
「うん…そうなのかも」
そうなんだろうな、きっと。
急に腑に落ちる。そうか、私も矢野くんのことが‘好き’なのか。なんだかすっきりして、嬉しくなってふふふと笑ってしまう。
すると、隣で矢野くんが天を仰いで「あ゛―!!」と変な呻き声をあげた。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫です。結構そういうの、無意識でする人だっていうのは知ってますし、そういうところも…いや、いいや今は」
ぶつぶつ何かを呟いてから、矢野くんは、仕切り直すように言う。
「じゃあしていいですか」
「え?」
「キス」
そうだった。
「あ、はい」
「これ、お試しじゃないですよ」
「なんか…すごいやつってこと?」
「いやまあ、それは追々…って、そういうことじゃなくて」
肩にそっと手をかけられて、向き合う形になる。
こんな近くで顔を見ることはなかなかないと思って、ついつい見入ってしまう。目が切れ長で、意外と睫毛が長いんだなあなんてじっくり観察してしまってから、その瞳がものすごく緊張していることに気付く。
「これは恋人としてのキスになるんですかね」
「こ、こいびと…!」
「え、違うんですか?」
「い、いや!違わないです…ごめんなさい」
矢野くんは慌てる私を見て少し緊張がとけたのか、はははと笑う。そっと頭を撫でられて目を瞑ると、そのまま引き寄せられて唇が触れる。それは一回離れて、名残惜しそうにもう一度触れてから、離れていった。
もっと、してほしいような気がして、そう思ったことに誰よりも自分が驚く。
「……やばいな。外でよかった」
矢野くんは小さくため息をついてから、ゆるゆると何かを確かめるように私のことを抱き締めた。それがあまりにも優しくて、あたたかくて、自分も彼の背中に手を回すと、「お試しの結果、お付き合いはなかったことにってなったりしないですよね?」と、からかうように笑う声が耳元で聞こえる。
「ならないよ」
「そっか」
「矢野くんのこと、結構好きだと思ったけど、その…」
「うん?」
「思ってたより、かなり、‘好き’だったんだなって気付いた感じが、します…」
私の初めての恋人は、私の言葉に「それはよかったです」と、ものすごく嬉しそうに笑った。
ざわざわしているのに、二人分の靴音だけが特別大きく聞こえるような気がする。熱くなった頬に、風が気持ちいい。肌寒さを感じる日も増えてきて、季節の変わり目を感じる。
ちょっとだけ飲んでしまったハイボールのせいで、まだなんだかふわふわしている。でも、吐き気があるわけでもないし、むしろなんだか気分がよくて、歩きながら隣を歩く矢野くんのことを盗み見る。
——この人、私のこと好きなんだ。
嬉しいような、恥ずかしいような、浮き足立った気持ちがなんだかおかしくて、顔がにやけそうになるのをごまかすために頬をぺちぺちと叩いた。すると、矢野くんが尋ねる。
「で、試してみてほしいことってなんですか?」
そうだった。
辺りを見回すと、偶然にも人の波が途切れたような瞬間だった。
意を決して伝える。
「き」
「き?」
「…キスをしてみてほしくて」
「…はい?」
矢野くんは眉を寄せて、明らかに困惑している。
沙織が言っていたことを慌てて伝えると、呆れたような表情が、納得したようなしていないような微妙な表情に変わった。「それ、まさか告白されたとき毎回やってるってことないですよね?」と確認するように聞かれ、一生懸命否定する。
賑やかな通りから、人気のないところに移動したくて、たまたま通りかかった小さな公園のベンチに並んで座った。矢野くんは腕を組んで考え込み始める。
「もし今キスをしようとしたとして、直前で拒否された場合の俺の気持ち想像出来ます?」
髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら「生理的に無理ってことでしょ、正直振られるよりキツくないですか」とため息をついている。
「それは…あ、でも拒否は、しないかな…?多分」
ぴたっと動きを止めて、歯切れの悪い表現をする私を横目で見ながら矢野くんが言う。
「…どういうことですかそれ」
「うーん…どういうこと、と聞かれると…私もよくわかんないけど…」
緊張はしそうだけど、嫌ではないような。
嫌だったら、告白された時点で食事を続けることなんか出来ないはず。ましてやキスなんて想像もできない。
「でも、好きでもない、付き合ってもいない相手と、俺はキスなんか絶対しないですよ」
「そりゃそうでしょ。私だってそうだよ」
「それなのに俺は試していいんですか?」
あれ?変だな。矛盾してる。
自分でも何を話しているのかよくわからなくなってきて、首を捻る。矢野くんは、神妙な顔つきでこちらをじっと見つめる。
「俺の希望的観測ですけど」
「うん」
「先輩も俺のこと結構好きなんじゃないですかね」
怪訝そうなのに、ちょっと嬉しそうにも見えるその顔がなんだか可愛くて。
一人立ちしてからバリバリ仕事に取り組んでいる時の様子と、まだ指導係をしていた時の、やや緊張したような様子が同時に頭を駆け巡る。
気付けば目で追っているし、なんだか放っておけないし、一緒にいたら楽しいし、明日会えたら嬉しいし。
——結構、好き。
なんだかそれがぴったりのような気がした。
「うん…そうなのかも」
そうなんだろうな、きっと。
急に腑に落ちる。そうか、私も矢野くんのことが‘好き’なのか。なんだかすっきりして、嬉しくなってふふふと笑ってしまう。
すると、隣で矢野くんが天を仰いで「あ゛―!!」と変な呻き声をあげた。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫です。結構そういうの、無意識でする人だっていうのは知ってますし、そういうところも…いや、いいや今は」
ぶつぶつ何かを呟いてから、矢野くんは、仕切り直すように言う。
「じゃあしていいですか」
「え?」
「キス」
そうだった。
「あ、はい」
「これ、お試しじゃないですよ」
「なんか…すごいやつってこと?」
「いやまあ、それは追々…って、そういうことじゃなくて」
肩にそっと手をかけられて、向き合う形になる。
こんな近くで顔を見ることはなかなかないと思って、ついつい見入ってしまう。目が切れ長で、意外と睫毛が長いんだなあなんてじっくり観察してしまってから、その瞳がものすごく緊張していることに気付く。
「これは恋人としてのキスになるんですかね」
「こ、こいびと…!」
「え、違うんですか?」
「い、いや!違わないです…ごめんなさい」
矢野くんは慌てる私を見て少し緊張がとけたのか、はははと笑う。そっと頭を撫でられて目を瞑ると、そのまま引き寄せられて唇が触れる。それは一回離れて、名残惜しそうにもう一度触れてから、離れていった。
もっと、してほしいような気がして、そう思ったことに誰よりも自分が驚く。
「……やばいな。外でよかった」
矢野くんは小さくため息をついてから、ゆるゆると何かを確かめるように私のことを抱き締めた。それがあまりにも優しくて、あたたかくて、自分も彼の背中に手を回すと、「お試しの結果、お付き合いはなかったことにってなったりしないですよね?」と、からかうように笑う声が耳元で聞こえる。
「ならないよ」
「そっか」
「矢野くんのこと、結構好きだと思ったけど、その…」
「うん?」
「思ってたより、かなり、‘好き’だったんだなって気付いた感じが、します…」
私の初めての恋人は、私の言葉に「それはよかったです」と、ものすごく嬉しそうに笑った。
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