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6『レイトショー』
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千場店長に抱かれてから三日が経過していた。
身体の痛みは消えていたけれどキスマークはなかなか消えない。
入浴後に合わせ鏡をしてどれくらい薄くなったか、チェックするのが日課だ。
仕事を終えて帰ろうとした時、千場店長に呼び止められた。
「彩歩、明日休みだろ?」
「え……はい」
最後まで残っていたのは千場店長と私。
千場店長はロッカーに鍵をかけながら話しかけてくる。
「これからちょっと出掛けないか?」
夜なのにどこに行こうと言うのか。
千場店長を見つめる。
「飯食って、映画……レイトショーでも行かないか?」
なぜ、デートに誘うようなことを言うの?
びっくりして目を丸くする。
しかも、誘いづらそうにちょっと顔を赤らめているのだ。
鍵を全て施錠した千場店長は近づいてくる。
なかなか返事をしない私を睨む。
「交換条件だ。強制的に付き合え」
今日はそんなに原稿も切羽詰まっていないし、気分転換に一緒に行こうかな。
「わかりました。行きましょう」
一緒に来てもらったのは雑誌で見た串カツ屋さん。個室になっていて好きな分だけ取ってきてテーブルにあるフライヤーで揚げて食べるスタイルだ。
どこに行きたいか聞かれ、私のリクエストに答えて連れてきてくれた。
カップルや友達同士にオススメと書いてあり憧れていた。
「へぇ、彩歩も揚げ物とか食べるんだ」
「たまにはガッツリ肉って思う日もありますよ」
ビールで乾杯して早速フライヤーに入れると、じゅーっといい音がした。ふたりで覗き込んで、いい色に染まり取り出して千場店長の前に置いた。
「さんきゅー」
「いいえ」
「お、旨いな」
「ですね」
いままではふたりきりの空間があんなに嫌だったのに、気がつけば、のんびりと食事をできるほど落ちつている。
「レイトショーってどこでやってるんですか?」
「ここからすぐ近くにある映画館あるだろ?あそこ」
「そうですか」
実を言うと明日は三浦さんと会うからあまり遅くなりたくなかったけど、千場店長とこうして出掛けているのも楽しくてはやく帰る気にはなれなかった。
「ちゃんと送っていくから、心配するな」
ということは、うちに泊まるつもりなのだろうか。
食事を終えて映画館へ行く。金曜の夜であるせいか人がいっぱいいた。カップルが多いように見える。
千場店長がチョイスした映画はラブストーリーだった。こんなの観たくないのではないか?
私の趣味に合わせてくれたのかな。千場店長って意外に優しい。
ふたりで並んで座ったのは真ん中より後ろのほうだった。あんなにも苦手だった人でうざいとしか思わなかったのに、こうしていると幸せな気持ちになってくる。
寂しくなくて安堵感が溢れてくるのだ。
どうしてなのかわからない。とても不思議な気分だった。
映画を見終えるとタクシーで家まで送り届けてくれた。
「じゃあな」
「え?」
私の頭をポンポンと撫でて千場店長はタクシーで帰って行く。
離れる瞬間、寂しさが溢れた。
家に上がるとばかり思っていたのに拍子抜けする。
またすぐ会えるのに、胸に切なさが広がった。
*
朝になり目を覚ますと天気がよく、お出掛け日和だ。
今日は三浦さんと駅前で12時に待ち合わせて、ランチをすることになっている。
着替えをして、軽くメイクをして約束の時間の10分前に到着して待っていると、三浦さんは3分遅れてきた。
「ごめーん、ちょっと遅れちゃった」
「構いませんよ」
私を上から下まで見てくすくすと笑い出す三浦さん。
「彩歩ちゃんったら、会社に来る時とプライベートの格好、全く同じじゃない」
「え」
自分と三浦さんを見比べると、三浦さんは普段ブラウスとタイトスカートとかが多いけど、今日は春らしいピンクのワンピースを着ている。
私は、いつも通りシャツにカーディガンにふわっとしたスカートだ。
「もっとお洒落しなよー。元は可愛いんだから」
元は……。ハハハ……。
真剣な表情をした三浦さんは「ね?」と言ってくるから、とりあえず頷いた。
「じゃ、ランチしよう」
「はい」
元気いっぱいな三浦さんと私は違うタイプなのに、どうして構ってくれるのだろうと考えていた。
少し歩くと目的の場所に到着したようだ。
女子力溢れているカフェに連れて来られた。
「ここのカルボナーラ絶品なんだよ!あ、ふたりですー」
私に話しかけつつ、店員さんに返事をしている。器用な人だ。
席に案内されてオススメのたカルボナーラを注文した。
濃厚でとても美味しいし、楽しい。
食べ終えて紅茶とティラミスをいただく。
「似てんのよね。亡くなった妹に」
ポツリと呟くように言った。
三浦さんは切なげな笑顔を向けてくる。
「彩歩ちゃんってさ、大人しくて、一緒にいると真剣に話を聞いてくれて、地味で目立たない子で……。守ってあげたくなる。彩歩ちゃんは、うるさい私とは対照的な子だった妹にそっくりなのよ」
優しい眼差しを向けられて、ちょっと恥ずかしくなる。
でも亡くなったなんてどうしてなのか。そっとフォークを置いた。
「事故だったのよ」
「そうなんですか……」
「ええ」
切なそうに、それでいて妹さんを思い出しているのか優しい顔をした。
「彩歩ちゃんって、心を開かないでしょ?私のこと信用できると思ったら頼るのよ」
三浦さんが私を誘ってくれる理由を知ることができてよかった。
ありがたくて心が温かくなる。
三浦さんになら、小説を書いていること……言えるかな。
すごく恥ずかしいけど、自分の名前と同じくらい大事にしている『春月さくら』と言うペンネームを教えてあげられるだろうか?
「よし、行こう!」
ふたりでカフェを出て、三浦さんの好きだというブランドの服を見に行く。
デパートの中にあるピンク色のお店で、ふりふりしている服が多い。
女子力満開のお店に、バサバサまつ毛の店員さん。場違いだと心の中で苦笑いしつつ、三浦さんの試着にお付き合いしていた。
「私は、決定。彩歩ちゃんも着てごらんよ」
「えっ」
「これとか、超いいじゃない?」
桜の柄のミニワンピース……。いえいえと顔の前で手をブンブン振る。だって着たら買わなきゃいけないし。
「試着だけでもいいですよ」
「はあ……」
断りきれなくて結局試着をしてしまった。
三浦さんが選んでくれた服を着て鏡を見ると、短くてびっくりする。膝が出てるんですけど!
「着替えた~?」
「は、はい」
ドアを開けて恐る恐る出て行く。
「可愛い~」
三浦さんが抱擁してくる。
あははと愛想笑いをしていたのだが、次の瞬間、固まった。
千場店長が紙袋を持って立っている。
なんでこんなところに登場するの?
しかも、いつもと違う格好の姿を見られて恥ずかしい。
千場店長の隣には、綺麗な女性が私をほほ笑ましい顔で見ている。
千場店長はTシャツに細身のパンツにラフなジャケットを羽織っていて、隣に立っている女性はどこかで見たことがあるけど思い出せない。
薄い桃色のカットソーに花柄のパンツ。二重の線が太くて綺麗な瞳とグロスが丁寧に塗られていて美味しそうな唇……。誰だっけ?
なぜ千場店長はここにいるの?
抱擁を終えた三浦さんは千場店長を見る。
「千場店長も可愛いと思いません?」
「ああ、似合っていると思うけど、どうかしたの?こんなにお洒落して」
「デートの服を選んでいるんですよ~」
三浦さんがありえもしないことを言い出す。
「は?デートの服?」
千場店長は小さく呟いた。
「どうして千場店長がここに、いらっしゃるんですか?」
私は千場店長を真っ直ぐ見つめて聞くと、女性が答えた。
「私の買い物に付き合ってもらってるの。そうしたら、部下がいるって言って中に入ったらあなた達がいたのよ」
「はぁ……そうですか」
身体を重ね合わせた人が、美人と一緒に休日を過ごしている事実を知ってしまい頭が痛くなってくる。
明らかに私との抱き合いは愛がなかったと証明されるじゃないか。
ちょっとイラッとしていると、店員さんが「いかがいたしますか?」と聞いてくる。
「お、おいくらですか?」
「リーズナブルなんですよ。1万3800円です」
うわ、高っ、と顔に出てしまっただろうか。
店員さんはニッコリしている。
「えっと……」
返事に困っていると、千場店長が一歩前へ出てきた。
「天宮。どこの誰と、いつ、何時何分に、どこへ行くのか教えてくれたら買ってやってもいいぞ」
ふざけたように言って、笑っているけど。目はマジだ。
抱き合った仲だもの。周りの人はわからなくても私にはわかってしまう。
「それは、女の子の秘密だよねぇ」
三浦さんが面白おかしく言っている。
「そろそろ行きましょう。一樹」
その場の空気に飽きたかのように千場店長の隣にいる美人さんが言う。
よ……呼び捨て……。
仲が深いことを周りにアピールする作戦だ。
私の小説にも出てくる!
こういう女っ。って、私の彼氏じゃないのに勝手に嫉妬してしまう。
「秘密なんて、三浦も意地悪だな」
はははと笑っているが、乾いた笑いだ。
交換条件という拘束の関係。
私のことは、自分のおもちゃにしか思ってないのだろう。だから、私が自由にしているのが気に食わないのかもしれない。
典型的なワガママ王子だ。
店員さんの笑顔もだんだんひきつっている。
「可愛いですけど、また考えます……」
試着室に入ろうとすると、千場店長は「じゃあ。また」と言って美人さんと去って行った。
なんとも言えない切ない気分になる。
こういう時、小説ではどんな表現をするのだろう。胸にぽっかり穴が開いたようだ……とでも、書くのだろうか?
試着室で自分の服に着替えると、やたら地味に見える。
千場店長もやっぱり、さっきの女性みたく美人が本命なんだろうな。
がっくし落ち込みつつ、自信をさらに失った私は三浦さんと店を出た。
「あ、思い出した!企画課主任、佐々原藍子<ささはらあいこ>だ」
いきなり立ち止まった三浦さんが、ひらめいたように言う。
「さっき、千場店長と一緒にいた女の人、企画課の主任だよ!だから、見たことがあったんだ!」
「私も、見たことありました。話したことはなかったですけど」
平然と話しているけど、かーなーり、気にしている。
「お似合いカップルだったね」
ハキハキ三浦さんに言われると、さらに胸がズキズキと痛む。
「カップルじゃないかも、しれないじゃないですか。ただの会社仲間というか……」
「そう?左手の薬指にリングしてたよ。婚約中なんじゃない?婚約中の人が男性とふたりで買い物なんてありえないでしょ」
鋭い。小説家みたいに観察力がある。
ふたりはカップルなのか。
期待していたつもりはないけれど悲しみがじわじわと身体中に滲んでいく。
そして、思わずうつむいてしまう。そんな私の顔を覗きこんでくる。
「好きなんだ?」
「へ……?」
「千場店長を好きだったのかぁ~。てっきり郷田君かと思ってたよ。……まぁ、千場店長と彩歩ちゃんは長い付き合いだもんね。郷田君とは知り合って間もないし。そう簡単には好きになんてならないか」
「……まあ、はい」
思わず言葉に詰まってしまい、困惑してしまった。
三浦さんを信用していないワケじゃないけど、まさか交換条件をしていて、さらには流れで身体を重ねてしまったなんて言えない。
そもそも、なにの交換条件って聞かれたら答えられないし。
甘いシーンが多い小説だから、読まれるのは絶対嫌だし……。
「そんなに困った顔しないの。社内恋愛禁止じゃないんだし、いいんじゃない?」
ふわりと笑った顔と揺れるボブが、可愛いと思った。
三浦さんみたいな美人で明るい主人公の小説を書きたいな、なんて思ってしまう。どこにいても、なにをしていても、小説のことを考えちゃうのだ。
職業病?
いや、職業とまで言える立派なものじゃないけど。
「今日は付き合ってくれてありがとう。じゃ、また会社で!」
元気に手を振って去って行く三浦さんに頭を下げて、私も家に戻った。
家に帰ってソファーに座る。楽しい一日だったけど……。千場店長が女性といるのを見て、心にあるモヤモヤの中身がはっきりわかった気がした。
私は、あなたのことが好きになってしまったようです――。
胸に手を当ててドキドキしている心臓を確かめる。
自分の気持ちを口に出すことができたら、どれほど楽だろうか?
だけど、好きだと伝えたら、千場店長は喉を震わせながら笑うかもしれない。
「冗談はやめろ。交換条件だろーが」と言われるのがオチかもしれない。
そんなこと言われたらショックで生きていけないよ……。
*
その晩、7月締め切りの公募原稿を作っていた。
落選原稿になってしまうのは、何度経験しても悲しい。
息を吹き込んだキャラクターたちにも、悪い気がするのだ。
私の中では元気に動き回っている登場人物も、小説として世に出ないと幻の人物で終わってしまうのだ。
スマホが鳴り画面を見ると千場店長だった。
……なによ。
綺麗な彼女をお持ちなのに、私に連絡してくるなんて。
「はい」
冷たい口調で出る。
『デートってなに?いつの間にそんな間柄の男ができたんだよ』
ご立腹の様子だ。
突然束縛が始まり、さすがにイラッとした。
強く言い返したい気持ちをぐっと堪える。
「べつに。千場店長だってデートされてたじゃないですか?」
どうしてここまで束縛されなきゃダメなんだろう。
自分はデートしているくせに。
「交換条件の中に男性とデート禁止なんて聞いたことないですし、私だって地味な女ですけど、好きな人ができて、恋人になってデートすることだってあるかもしれませんし」
ありえない妄想を強がりでついつい言ってしまう。
「それに。遊び相手なら私じゃなくてもいいじゃないですか?」
誰かを好きになって嫉妬して、泣いたりして。
そんな恋愛なんてしたくない。
千場店長みたいなモテモテさんを好きになったら、そうなるのが目に見えている。
一気に言って少しスッキリしたが、千場店長の反論が始まる。
『一応、弁解しとく。昼間に会った女は彼女とかじゃない。企画課主任の佐々原藍子って言うんだけど……知ってるか?』
「お顔だけは、拝見したことがあります」
『あいつとは腐れ縁つーか……』
続きの言葉を選んでいるように感じた。
過去からの知り合いなんだろうか。それを聞いただけで胸がざわつく。
一言では簡単に説明できるような仲じゃないようだ。
電話を握る手につい力が入ってしまう。
『とにかく、勘違いされるような関係じゃないから。彩歩こそ、知らぬ間に三浦と仲良しになっていたんだな。いいことだと思うぞ。友達になれてよかったな』
「ええ」
気になって仕方がないけど、佐々原主任のことはこれ以上聞かないでおこう。
怪しまれるだろうから。
私が、千場店長を深く思い始めているのを知られてしまったら、もっと都合がいいようにされてしまうかもしれない。
『彩歩……好きな男でもできたのか?』
ドキンと心臓が跳ねて息を呑む。
寂しそうな千場店長の声に切ない気分になった。
「千場店長には関係のないことです」
『……関係ありすぎなんだけど』
とても不機嫌そうな声の千場店長だった。
「忙しいので切ります。では」
『おい、ちょっと』
話している途中だったけど通話終了ボタンを押した。
ふぅとため息をついてパソコンに向かう。
集中して書かなきゃ。
切ないけれど……私と千場店長は交換条件で繋がっていいるだけの関係なのだ。深入りしちゃイケない。
身体の痛みは消えていたけれどキスマークはなかなか消えない。
入浴後に合わせ鏡をしてどれくらい薄くなったか、チェックするのが日課だ。
仕事を終えて帰ろうとした時、千場店長に呼び止められた。
「彩歩、明日休みだろ?」
「え……はい」
最後まで残っていたのは千場店長と私。
千場店長はロッカーに鍵をかけながら話しかけてくる。
「これからちょっと出掛けないか?」
夜なのにどこに行こうと言うのか。
千場店長を見つめる。
「飯食って、映画……レイトショーでも行かないか?」
なぜ、デートに誘うようなことを言うの?
びっくりして目を丸くする。
しかも、誘いづらそうにちょっと顔を赤らめているのだ。
鍵を全て施錠した千場店長は近づいてくる。
なかなか返事をしない私を睨む。
「交換条件だ。強制的に付き合え」
今日はそんなに原稿も切羽詰まっていないし、気分転換に一緒に行こうかな。
「わかりました。行きましょう」
一緒に来てもらったのは雑誌で見た串カツ屋さん。個室になっていて好きな分だけ取ってきてテーブルにあるフライヤーで揚げて食べるスタイルだ。
どこに行きたいか聞かれ、私のリクエストに答えて連れてきてくれた。
カップルや友達同士にオススメと書いてあり憧れていた。
「へぇ、彩歩も揚げ物とか食べるんだ」
「たまにはガッツリ肉って思う日もありますよ」
ビールで乾杯して早速フライヤーに入れると、じゅーっといい音がした。ふたりで覗き込んで、いい色に染まり取り出して千場店長の前に置いた。
「さんきゅー」
「いいえ」
「お、旨いな」
「ですね」
いままではふたりきりの空間があんなに嫌だったのに、気がつけば、のんびりと食事をできるほど落ちつている。
「レイトショーってどこでやってるんですか?」
「ここからすぐ近くにある映画館あるだろ?あそこ」
「そうですか」
実を言うと明日は三浦さんと会うからあまり遅くなりたくなかったけど、千場店長とこうして出掛けているのも楽しくてはやく帰る気にはなれなかった。
「ちゃんと送っていくから、心配するな」
ということは、うちに泊まるつもりなのだろうか。
食事を終えて映画館へ行く。金曜の夜であるせいか人がいっぱいいた。カップルが多いように見える。
千場店長がチョイスした映画はラブストーリーだった。こんなの観たくないのではないか?
私の趣味に合わせてくれたのかな。千場店長って意外に優しい。
ふたりで並んで座ったのは真ん中より後ろのほうだった。あんなにも苦手だった人でうざいとしか思わなかったのに、こうしていると幸せな気持ちになってくる。
寂しくなくて安堵感が溢れてくるのだ。
どうしてなのかわからない。とても不思議な気分だった。
映画を見終えるとタクシーで家まで送り届けてくれた。
「じゃあな」
「え?」
私の頭をポンポンと撫でて千場店長はタクシーで帰って行く。
離れる瞬間、寂しさが溢れた。
家に上がるとばかり思っていたのに拍子抜けする。
またすぐ会えるのに、胸に切なさが広がった。
*
朝になり目を覚ますと天気がよく、お出掛け日和だ。
今日は三浦さんと駅前で12時に待ち合わせて、ランチをすることになっている。
着替えをして、軽くメイクをして約束の時間の10分前に到着して待っていると、三浦さんは3分遅れてきた。
「ごめーん、ちょっと遅れちゃった」
「構いませんよ」
私を上から下まで見てくすくすと笑い出す三浦さん。
「彩歩ちゃんったら、会社に来る時とプライベートの格好、全く同じじゃない」
「え」
自分と三浦さんを見比べると、三浦さんは普段ブラウスとタイトスカートとかが多いけど、今日は春らしいピンクのワンピースを着ている。
私は、いつも通りシャツにカーディガンにふわっとしたスカートだ。
「もっとお洒落しなよー。元は可愛いんだから」
元は……。ハハハ……。
真剣な表情をした三浦さんは「ね?」と言ってくるから、とりあえず頷いた。
「じゃ、ランチしよう」
「はい」
元気いっぱいな三浦さんと私は違うタイプなのに、どうして構ってくれるのだろうと考えていた。
少し歩くと目的の場所に到着したようだ。
女子力溢れているカフェに連れて来られた。
「ここのカルボナーラ絶品なんだよ!あ、ふたりですー」
私に話しかけつつ、店員さんに返事をしている。器用な人だ。
席に案内されてオススメのたカルボナーラを注文した。
濃厚でとても美味しいし、楽しい。
食べ終えて紅茶とティラミスをいただく。
「似てんのよね。亡くなった妹に」
ポツリと呟くように言った。
三浦さんは切なげな笑顔を向けてくる。
「彩歩ちゃんってさ、大人しくて、一緒にいると真剣に話を聞いてくれて、地味で目立たない子で……。守ってあげたくなる。彩歩ちゃんは、うるさい私とは対照的な子だった妹にそっくりなのよ」
優しい眼差しを向けられて、ちょっと恥ずかしくなる。
でも亡くなったなんてどうしてなのか。そっとフォークを置いた。
「事故だったのよ」
「そうなんですか……」
「ええ」
切なそうに、それでいて妹さんを思い出しているのか優しい顔をした。
「彩歩ちゃんって、心を開かないでしょ?私のこと信用できると思ったら頼るのよ」
三浦さんが私を誘ってくれる理由を知ることができてよかった。
ありがたくて心が温かくなる。
三浦さんになら、小説を書いていること……言えるかな。
すごく恥ずかしいけど、自分の名前と同じくらい大事にしている『春月さくら』と言うペンネームを教えてあげられるだろうか?
「よし、行こう!」
ふたりでカフェを出て、三浦さんの好きだというブランドの服を見に行く。
デパートの中にあるピンク色のお店で、ふりふりしている服が多い。
女子力満開のお店に、バサバサまつ毛の店員さん。場違いだと心の中で苦笑いしつつ、三浦さんの試着にお付き合いしていた。
「私は、決定。彩歩ちゃんも着てごらんよ」
「えっ」
「これとか、超いいじゃない?」
桜の柄のミニワンピース……。いえいえと顔の前で手をブンブン振る。だって着たら買わなきゃいけないし。
「試着だけでもいいですよ」
「はあ……」
断りきれなくて結局試着をしてしまった。
三浦さんが選んでくれた服を着て鏡を見ると、短くてびっくりする。膝が出てるんですけど!
「着替えた~?」
「は、はい」
ドアを開けて恐る恐る出て行く。
「可愛い~」
三浦さんが抱擁してくる。
あははと愛想笑いをしていたのだが、次の瞬間、固まった。
千場店長が紙袋を持って立っている。
なんでこんなところに登場するの?
しかも、いつもと違う格好の姿を見られて恥ずかしい。
千場店長の隣には、綺麗な女性が私をほほ笑ましい顔で見ている。
千場店長はTシャツに細身のパンツにラフなジャケットを羽織っていて、隣に立っている女性はどこかで見たことがあるけど思い出せない。
薄い桃色のカットソーに花柄のパンツ。二重の線が太くて綺麗な瞳とグロスが丁寧に塗られていて美味しそうな唇……。誰だっけ?
なぜ千場店長はここにいるの?
抱擁を終えた三浦さんは千場店長を見る。
「千場店長も可愛いと思いません?」
「ああ、似合っていると思うけど、どうかしたの?こんなにお洒落して」
「デートの服を選んでいるんですよ~」
三浦さんがありえもしないことを言い出す。
「は?デートの服?」
千場店長は小さく呟いた。
「どうして千場店長がここに、いらっしゃるんですか?」
私は千場店長を真っ直ぐ見つめて聞くと、女性が答えた。
「私の買い物に付き合ってもらってるの。そうしたら、部下がいるって言って中に入ったらあなた達がいたのよ」
「はぁ……そうですか」
身体を重ね合わせた人が、美人と一緒に休日を過ごしている事実を知ってしまい頭が痛くなってくる。
明らかに私との抱き合いは愛がなかったと証明されるじゃないか。
ちょっとイラッとしていると、店員さんが「いかがいたしますか?」と聞いてくる。
「お、おいくらですか?」
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うわ、高っ、と顔に出てしまっただろうか。
店員さんはニッコリしている。
「えっと……」
返事に困っていると、千場店長が一歩前へ出てきた。
「天宮。どこの誰と、いつ、何時何分に、どこへ行くのか教えてくれたら買ってやってもいいぞ」
ふざけたように言って、笑っているけど。目はマジだ。
抱き合った仲だもの。周りの人はわからなくても私にはわかってしまう。
「それは、女の子の秘密だよねぇ」
三浦さんが面白おかしく言っている。
「そろそろ行きましょう。一樹」
その場の空気に飽きたかのように千場店長の隣にいる美人さんが言う。
よ……呼び捨て……。
仲が深いことを周りにアピールする作戦だ。
私の小説にも出てくる!
こういう女っ。って、私の彼氏じゃないのに勝手に嫉妬してしまう。
「秘密なんて、三浦も意地悪だな」
はははと笑っているが、乾いた笑いだ。
交換条件という拘束の関係。
私のことは、自分のおもちゃにしか思ってないのだろう。だから、私が自由にしているのが気に食わないのかもしれない。
典型的なワガママ王子だ。
店員さんの笑顔もだんだんひきつっている。
「可愛いですけど、また考えます……」
試着室に入ろうとすると、千場店長は「じゃあ。また」と言って美人さんと去って行った。
なんとも言えない切ない気分になる。
こういう時、小説ではどんな表現をするのだろう。胸にぽっかり穴が開いたようだ……とでも、書くのだろうか?
試着室で自分の服に着替えると、やたら地味に見える。
千場店長もやっぱり、さっきの女性みたく美人が本命なんだろうな。
がっくし落ち込みつつ、自信をさらに失った私は三浦さんと店を出た。
「あ、思い出した!企画課主任、佐々原藍子<ささはらあいこ>だ」
いきなり立ち止まった三浦さんが、ひらめいたように言う。
「さっき、千場店長と一緒にいた女の人、企画課の主任だよ!だから、見たことがあったんだ!」
「私も、見たことありました。話したことはなかったですけど」
平然と話しているけど、かーなーり、気にしている。
「お似合いカップルだったね」
ハキハキ三浦さんに言われると、さらに胸がズキズキと痛む。
「カップルじゃないかも、しれないじゃないですか。ただの会社仲間というか……」
「そう?左手の薬指にリングしてたよ。婚約中なんじゃない?婚約中の人が男性とふたりで買い物なんてありえないでしょ」
鋭い。小説家みたいに観察力がある。
ふたりはカップルなのか。
期待していたつもりはないけれど悲しみがじわじわと身体中に滲んでいく。
そして、思わずうつむいてしまう。そんな私の顔を覗きこんでくる。
「好きなんだ?」
「へ……?」
「千場店長を好きだったのかぁ~。てっきり郷田君かと思ってたよ。……まぁ、千場店長と彩歩ちゃんは長い付き合いだもんね。郷田君とは知り合って間もないし。そう簡単には好きになんてならないか」
「……まあ、はい」
思わず言葉に詰まってしまい、困惑してしまった。
三浦さんを信用していないワケじゃないけど、まさか交換条件をしていて、さらには流れで身体を重ねてしまったなんて言えない。
そもそも、なにの交換条件って聞かれたら答えられないし。
甘いシーンが多い小説だから、読まれるのは絶対嫌だし……。
「そんなに困った顔しないの。社内恋愛禁止じゃないんだし、いいんじゃない?」
ふわりと笑った顔と揺れるボブが、可愛いと思った。
三浦さんみたいな美人で明るい主人公の小説を書きたいな、なんて思ってしまう。どこにいても、なにをしていても、小説のことを考えちゃうのだ。
職業病?
いや、職業とまで言える立派なものじゃないけど。
「今日は付き合ってくれてありがとう。じゃ、また会社で!」
元気に手を振って去って行く三浦さんに頭を下げて、私も家に戻った。
家に帰ってソファーに座る。楽しい一日だったけど……。千場店長が女性といるのを見て、心にあるモヤモヤの中身がはっきりわかった気がした。
私は、あなたのことが好きになってしまったようです――。
胸に手を当ててドキドキしている心臓を確かめる。
自分の気持ちを口に出すことができたら、どれほど楽だろうか?
だけど、好きだと伝えたら、千場店長は喉を震わせながら笑うかもしれない。
「冗談はやめろ。交換条件だろーが」と言われるのがオチかもしれない。
そんなこと言われたらショックで生きていけないよ……。
*
その晩、7月締め切りの公募原稿を作っていた。
落選原稿になってしまうのは、何度経験しても悲しい。
息を吹き込んだキャラクターたちにも、悪い気がするのだ。
私の中では元気に動き回っている登場人物も、小説として世に出ないと幻の人物で終わってしまうのだ。
スマホが鳴り画面を見ると千場店長だった。
……なによ。
綺麗な彼女をお持ちなのに、私に連絡してくるなんて。
「はい」
冷たい口調で出る。
『デートってなに?いつの間にそんな間柄の男ができたんだよ』
ご立腹の様子だ。
突然束縛が始まり、さすがにイラッとした。
強く言い返したい気持ちをぐっと堪える。
「べつに。千場店長だってデートされてたじゃないですか?」
どうしてここまで束縛されなきゃダメなんだろう。
自分はデートしているくせに。
「交換条件の中に男性とデート禁止なんて聞いたことないですし、私だって地味な女ですけど、好きな人ができて、恋人になってデートすることだってあるかもしれませんし」
ありえない妄想を強がりでついつい言ってしまう。
「それに。遊び相手なら私じゃなくてもいいじゃないですか?」
誰かを好きになって嫉妬して、泣いたりして。
そんな恋愛なんてしたくない。
千場店長みたいなモテモテさんを好きになったら、そうなるのが目に見えている。
一気に言って少しスッキリしたが、千場店長の反論が始まる。
『一応、弁解しとく。昼間に会った女は彼女とかじゃない。企画課主任の佐々原藍子って言うんだけど……知ってるか?』
「お顔だけは、拝見したことがあります」
『あいつとは腐れ縁つーか……』
続きの言葉を選んでいるように感じた。
過去からの知り合いなんだろうか。それを聞いただけで胸がざわつく。
一言では簡単に説明できるような仲じゃないようだ。
電話を握る手につい力が入ってしまう。
『とにかく、勘違いされるような関係じゃないから。彩歩こそ、知らぬ間に三浦と仲良しになっていたんだな。いいことだと思うぞ。友達になれてよかったな』
「ええ」
気になって仕方がないけど、佐々原主任のことはこれ以上聞かないでおこう。
怪しまれるだろうから。
私が、千場店長を深く思い始めているのを知られてしまったら、もっと都合がいいようにされてしまうかもしれない。
『彩歩……好きな男でもできたのか?』
ドキンと心臓が跳ねて息を呑む。
寂しそうな千場店長の声に切ない気分になった。
「千場店長には関係のないことです」
『……関係ありすぎなんだけど』
とても不機嫌そうな声の千場店長だった。
「忙しいので切ります。では」
『おい、ちょっと』
話している途中だったけど通話終了ボタンを押した。
ふぅとため息をついてパソコンに向かう。
集中して書かなきゃ。
切ないけれど……私と千場店長は交換条件で繋がっていいるだけの関係なのだ。深入りしちゃイケない。
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