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5『特別な感情』

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千場店長のマンションはタクシーで10分くらいで着いた。
途中、千場店長はコンビニに立ち寄った。
高層マンションで落ち着いた雰囲気の外壁からして、安くはないことが予想がつく。
社長賞がもらえるほどの成績を残しているのだから、ボーナスは相当もらっているに違いない。
オートロックを解除して、エレベーターに乗ると少しずつ緊張してきた。
これから私は千場店長に抱かれる。
玄関のドアを開けてくれて「どうぞ」と言われ中へ入ると、少しひんやりとしている。
後ろでドアがしまった音が聞こえ、鍵も閉じられる。
自ら選んだことなのに、閉じ込められたような気持ちになった。
靴を脱いで用意してくれたスリッパに足を通す。
すぐリビングに続く扉があって中に入ると、広くて驚いた。
「広いですねぇ」
「部屋はリビングに寝室だけなんだけど、開放感あっていいだろ。適当に座って」
室内はシンプルでローテブルとソファーとテレビがあるが、全て大きめのサイズだ。
キッチンはカウンターキッチンになっていて、ふたりがけの食卓テーブルがある。
ちらっと見えるキッチンには、我社の商品がずらりと並んでいて、店にいる時を思い出してしまいそうだ。青系のキッチン用品がいっぱいある。
黒・グレー・青で揃えられた部屋。
イケメンでこの片付いたルームときたら、この人の欠点を見つけにくい。
……まあ、性格に問題があるが、それも私に対しての限定っぽいし。
ソファーに座ると隣の寝室が目に入った。
PCデスク周りには資料が色々置かれている。
接客のマニュアル本だったり、料理本だったり。見えないところで努力しているんだと関心した。
「俺の部屋、面白いか?」
きょろきょろしている私に声をかけて、目の前にマグカップを置いてくれた。千場店長は私の隣りに座る。
「これもうちの商品……」
「お客様に売るものだからな」
温かいカプチーノだ。
千場店長に淹れてもらったなんて少し特別な気分になる。
ちらりと、壁にかかっている時計に目をやると0時を過ぎたところだ。
少しの沈黙が流れ、空気が変わった。
「彩歩。お前、のこのこついて来たけど……本気なのか?」
「……はい。決意は堅いです」
身体ごと千場店長に向けて真剣に見つめる。
「一回やったら、また交換条件とか言ってやりたいって言うかもよ?」
それは困るが、一度も二度も同じではないか。
そのうち、千場店長は私に飽きるだろう。
どんな目的で束縛しているのかわからないけど、普段寄って来なかったタイプの女と交わってみたいんじゃないのかな。
「もう遅いし寝不足になるから、日を改めてもいいけど……」
私は明日以降も今日みたく千場店長に抱かれてもいいと思うだろうか。
この気持ちはもしかすると、投げやりかもしれない。
でも、先延ばしにして心が変わるのが怖かった。
「千場店長さえよければ、お願いします」
「……そうか」
意思を曲げない私が意外だったのか、千場店長はマグカップに口をつけて気持ちを落ち着かせているように見えた。
「確認しておくけど……俺のことが好きになったとか?」
様子を窺ってくる。
もしや……ここで「はい」なんて答えたら「マジ?ごめん。重い」とか言われて、抱いてくれないかもしれない。
そうなると、本当に一生処女生活もありえる。
私が千場店長を好きになるはずがない。
好きになっても報われない恋はしたくないのだ。
「いえ。千場店長のことは尊敬していますが、男性としては私と合わないタイプですので、好きになることはありえません。……ですので、千場店長も遠慮なく他の女性を思い浮かべてなさってください」
無表情のまま淡々と言った。
千場店長の表情はみるみるうちに、怒りを含んでいく。
気に障ることを言ったのか、思いつかない。
「そんな悪趣味なことしねーよ。俺は天宮彩歩を見つめてお前を感じながら抱く」
鋭い視線に、突き刺された気分になった。

すっと千場店長が手を伸ばして、私の眼鏡を取った。ぼんやりと視界が悪くなり一気に不安が押し寄せてくる。
眉間を寄せて千場店長を見つめると、くすっと笑って目の間にできた皺を伸ばされた。
「そんな顔すんなって。可愛い顔が台無しだぞ」
「か、可愛い……?」
そんなこと言われたことがなくて、動揺している隙に唇が重なった。
舌を絡め取られた。
苦くて甘い味がする。さっき飲んでいたカプチーノだろう。
本気モードな口づけに、もう逃げられないことを悟り覚悟を決める。
「もっと、口開けろ」
あごを持たれて上を向かされると間近で目が合う。
ドキっとしたのは、千場店長の目が色っぽかったから。
言われた通り口を開けるとより深いキスをされる。
私のボーダーのカットソーの上から胸に触れた千場店長の手は、優しく包み込んで微かに力を入れて揉んだ。
ビクッと身体が震える。
恐怖心からではなくて経験のない感覚に驚いたのだ。
千場店長が様子を窺うように私を見る。
いちいち反応を確かめないでほしい。顔が熱くなってくる。
あまり大きくない胸を見られると思うと、嫌な気持ちになり、思わず手を胸の前にクロスさせた。
「今更、無理とか言うのはナシだぞ」
怒ったような口調に、私はコクリと頷いた。
「胸……小さいから」
「そんなの関係ねぇよ」
千場店長は私の背中と膝の裏に手を入れてひょいと持ち上げた。
乙女憧れのお姫様抱っこに感動していると、ベッドにストンと落とす。
スプリングが跳ねて痛くはない。
ベッドに倒された私に覆いかぶさってくる。
「シャ、シャワー貸して……ください」
いまにも消えてしまいそうな声で訴えた。
千場店長は右眉毛をピクッと動かす。
「……彩歩はいい。俺は浴びてくるからここで待ってろ。ベッドにいろよ」
上から避けた千場店長は明らかにイライラモードで部屋を出て行く。
静まり返った部屋でひとりベッドに取り残された。
落ち着かなくてベッドの端っこに腰をかけている。
水の流れる音が聞こえると、ついつい千場店長が裸になっているのを想像してしまう。
いま、逃げてしまえば未遂で終わるかもしれないけれど、千場店長を裏切りたくない。
でも、交換条件から始まった関係とはいえ飛躍しすぎな行動だ。
自分からお願いしたことなのだけど、ひとりにされると心が揺れてくる。
エッチをしてしまって、明日から普通に働けるのかな。
経験したいからって安易すぎるのではないか。ただ、経験をしたいだけじゃなく特別な感情がある気もする。
「やっぱり……こんなの、ダメだ……」
私はリビングに行って自分のバッグに手を入れた。
メモ帳とボールペンを出す。
『千場店長、申し訳ありません。今日は帰らせていただきます』
走り書きをして一枚破るとテーブルに置いた。
はやく、帰ろう。
立ち上がってバッグを持つとバスルームから、足音が聞こえる。千場店長は予想に反してあっという間に出てきた。
下着だけの千場店長と目が合う。
割れた腹筋に細マッチョ。腕が太くてガッチリしていた。裸でもカッコイイ……。
千場店長は怪訝そうな表情をしている。
「なにやってんの?」
「え、あのっ」
やる気満々の千場店長を見て、逃げようとしたことに罪悪感を覚えた。
帰ろうとしていたなんて知ったら千場店長は、機嫌をマックスに悪くするだろう。
慌ててメモを隠そうとするが、手をぎゅっと掴まれてしまった。
「ベッドにいろって言っただろ」
私は、威圧的に睨まれてぶるっと震え上がる。
千場店長はテーブルに視線を移した。
メモを隠そうと手を伸ばすが、一歩はやく奪われてしまう。無言でメモを見つめた千場店長は、グシャリと手の平に丸め投げつける。
「誘ったのは、彩歩だろーが……ったく!」
壁際に追い詰められて、私の顔の位置に両手をつく。
顔を傾けて、唇を合わせてきた。
入り込んできた舌に言い訳をしようとした言葉が溶かされて行く気がした。
どうして千場店長のキスってこんなに気持ちいいのだろう。
耳朶を舐められぬるっとした感触に体温が上がっていくのがわかった。
そのまま首筋に滑ってくる舌は、くすぐったくて、でも、恍惚として力が入らない。
背中を壁につけたまま、するすると座り込んでしまう。
しゃがんだ千場店長は、遠慮する素振りもなくカットソーを脱がせる。
キャミソールも頭から抜かれ、肩に吸い付いてきた。
「ひゃ、んっ」
器用にブラのホックを外されると、胸の圧迫がなくなった。カップが浮いて見えそうになる。
隠そうとする手を掴まれて頭上にロックされた。
ブラカップがずらされて顕になった胸の先っぽは、赤く膨れ上がっている。煌々と明かりがついた中で見えるので、ハッキリと確認できた。
もう片方の手で膨らみを包まれる。
形が変わるほど揉みしだかれると、心臓の動きが一気にはやくなった。
手の拘束を解かれて両手の親指で突起を擦られると、ビリビリと快感が全身に広がって行く。
目をぎゅっと閉じて千場店長の行動に集中する。
「あっ、んん、んんっ……」
誰かに触れられるのって、こんなに快感なんだ。。
もっと、もっと、弄ってほしい。
そう願うと千場店長は私を見てくすくすと笑う。
唇を舐める千場店長は艶っぽい視線で私を見る。
敏感になっている胸の先端を長い舌で舐めあげられた。
「……ああっ、ああんっ」
片方は舌に弄ばれて、もう片方は指先で突かれて、同時に来る感触に夢中になっていく。
音を立てて吸われると余計に快感が増す。
頬が焼けるほど熱くてじんわりとひたいに汗をかいてきた。
「あんっ、あん、あっん……、いやぁ、んっ」
甘ったるい声が溢れた。
我慢しても止まらない自分のエッチな声が恥ずかしい。
(こんなの自分じゃない……ヤダ……)
突然動きを止めた千場店長は真剣な瞳をしている。
なにが起こったのかと目を開けた。
息が荒くなっている。
物欲しげに見つめてしまう。
物凄く優しいキスをして、熱い視線を向けられる。
「気持ちよくする自信あるけど、どうする?」
いままでの行為はお試し的なことだったのだろうか。
私だけ熱くなっていたのかと思うと、羞恥心に襲われる。すごく悔しい。
目を背けるとあごを持たれて視線を合わせられた。
私に余裕がないのを悟ったかのように自信たっぷりに笑顔を向けてくる。
こんな中途半端に身体を熱くされて終わりだなんて……生殺しだ。ほんっと、千場店長って意地悪なんだから。
「どっちでもいいけど。彩歩が選んで?」
口元をクイッと上げた。答えはもう、見えているようだ。
「……続けてください」
消えてしまいそうな声でお願いをした。

千場店長は頷くと、脇の横に手を入れて立たせてくれる。
ベッドルームへ手を繋いだまま行く。
スカートはファスナーを降ろされて床に落ちた。腕に引っかかっていたブラジャーも外された。
ベッドに座るとそっと寝かされる。
リビングの明かりは消されて寝室の豆電気だけになった。
顔を近づけてくると、オレンジの光りにぼんやりと浮かび上がる。
真上からそっと重なった唇に、胸がキュンと疼く。
前髪を上げておでこにもチュッと小さなキスをしてくれた。
首筋に顔を埋めてくる千場店長は、執拗に唇を這わせてくる。
チクっと痛み顔を歪めた。
「ごめん、痛かった?」
「はい」
「悪い」
くるりとうつ伏せにされると、背中に重みがかかってきた。首筋にキスをされる。背中まで下がってきた唇の温かさにビクンと反応してしまう。
腰を持たれてお尻が突き出すような格好にされた。
恥ずかしくて枕に顔を埋めると、千場店長の香りがする。
なぜか、心がざわつく。
ヒップラインにまでキスをされると、くすぐったくて。腰を引こうとすると力強く掴まれる。
「彩歩のここ、舐めていい?」
ショーツの上からツーっとなぞられて「あんっ」と高音が出た。
私は首を振る。
「だ、だめです!」
千場店長はシャワーを浴びたからいいかもしれないけれど、私は浴びてない。汚いし、そんなところ舐められるなんて……。
小説ではそういうシーンを書くけど、実際には恥ずかしすぎて抵抗がある。
「やっぱり、顔見せて」
再び上を向かされた。嬉しそうな顔で見下ろしている。
妙に色っぽい千場店長。いままで何人くらいの女性を抱いてきたのだろう。
私は一生のうちで千場店長だけかもしれない。
なぜか切ない気持ちになった。
太腿に唇が這う。
思い切り脚を広げられて内腿に移動してきた唇は、ショーツのラインに優しく吸い付いてぬるっと舐めた。
蕩けてしまい、身体の中心から熱が溢れ出す。腰をくねくね動かしてしまう。どうして、こうやって勝手に動いてしまうの?
私の書くヒロインはこんな風になったことはない。
「ショーツ……汚れるから脱がすぞ」
降ろされてしまうと、一糸まとわぬ姿になってしまった。
裏太腿に手を入れられて思い切り開いた千場店長は、花弁をじっと見つめている。
何度も見たことがあるくせに。
そんなに……珍しい形でもしてるのかな。
でも、見られていると思うと興奮してくる。
「……綺麗だな……」
「見ないでくださいっ」
吐息混じりの声で抵抗するも、あまり真実味がない。
私の言葉を無視して千場店長は、花弁の形を指先でなぞっていく。
じゅわっと中心が熱くなった。
そして、濡れそぼった壺に指を一本埋められる。
「んっ」
怖くて力を入れたが意外にもあまり痛くなかった。ゆっくり指を沈めて、抜かれる。トプっと音がした。
「気持ちいい?」
「……っ」
答えない私を面白そうに笑った千場店長は、もう一度指を沈めていく。と、同時に親指で弾かれたのは敏感な部分だ。
「いやぁ……っ」
快楽の電流が走り抜ける。身体を揺らすと、数回続けて刺激を与えられた。ぐちゅぐちゅと音がする。私の中は蜜で溢れているのかもしれない。
誰の入ったことのない場所に千場店長の指があると思うと、気持ちが昂った。
「味見」
「えっ」
私の脚の間に顔を埋めた千場店長は、繊毛を掻き分けて唇を押し当てた。
「んんんっ……ああああっ」
ぬるりと敏感な部分を舌が滑っていく。
脚を思わず閉じてしまうが、千場店長の顔を挟み込んでしまうだけで、快楽の波は止まない。
手が伸びてきて胸にある突起を擦り出す。
性感帯を刺激され私は声を我慢できずに喘ぐ。
「あああ、あああんっ……千場……店長……っ。ああああん」
弾け飛びそうになり不安になって千場店長に手を伸ばした。動きを止めて優しく抱きしめてくれる。
いつも、抱きしめられると腹が立つのにいまは安心する。
唇を重ねると泣きたくなって目が熱くなった。
――どうして、こんな気持ちになるのかな。
私から離れた千場店長の温もりが消える。そばにいて……。そう言いそうになった時、戻ってきた。
避妊具をつけに行っていたようだ。
家にあったのかな……。
「いつも、誰か連れ込んでこういうことしてるんですか?」
つい、口に出してしまうと千場店長はニヤリとした。
「気になる?」
「初めて抱かれる人だからであって、特別な意味で聞いたわけじゃないです」
「本当に俺が初めてなんだな」
私の髪を一束持って呟いた。
「コンビニに寄って買ったんだ。彩歩のために」
頬が赤く染まっているかもしれない。
千場店長を見つめる。
「俺は生でもいいし、子供ができてもいいけど。どーせ彩歩は嫌だろうから」
寂しそうに言って脚を割って近づいてくる。
フィルムに被った千場店長のモノが私の果実をなぞっていく。再び体温は上がってくる。
「少し……我慢してくれよ」
いよいよ来ると身構えてしまうと、千場店長は優しい目で私を見てほほ笑んだ。手を伸ばして頬を撫でる。手の平は冷たくなっていた。
「ごめんな。俺も緊張してる。……誰かの初めての男になった経験がなくて」
身体を折ってチュッとキスをすると、千場店長の表情は真剣そのものに変化した。
硬く熱くなった千場店長のモノが押し当てられ、少しずつ埋めて行く。
割けるような痛みが走って顔をしかめる。
「うっ……んっ」
シーツをぎゅっと掴んで腰を浮かせると、更に奥まで入ってきた。余裕がなくて口で息をハァハァと吐く。
「狭い」
「痛い……ですか?」
「いや、気持ちよすぎる……彩歩の中……すげぇ……」
あまりにも幸せそうな顔をされるから、胸にじんわりと温かいものが広がった。
動かずに馴染んだところでゆっくり腰を引く。
もう一度奥まで突かれると先ほどの痛みは消えて先ほどまで感じた快感とは比べようもないほど、気持ちがよかった。
スローなリズムで動かされるたびに声が出る。
「ふぁ……んっ、あん……あ……んっ」
千場店長にとっては沢山したセックスのひとつかもしれないけれど、私にとっては一生に一度の大切な時だ。忘れたくても永遠に残る記憶だろう。
いままでに見たことのない千場店長の表情を脳裏に焼き付けようと思った。
「あ、あああん、あ、ん、あんっ」
お腹の奥に当たる。
深いところで繋がっているのだ。
「締めつけんなって」
苦しそうに呟かれた。締め付けているつもりはないけれど、こんなに気持ちがいい時間が続くなら、ずっとこのままでいたい。
加速していく腰の動きに比例して私も興奮度が増していく。
もう、なにも考えられない。世界に私と千場店長しかいないような感覚に陥ると、なにかが破裂して突き落とされた気がした。
「ああ、ああああっ!」
次の瞬間、快楽の大きな波が襲ってきて体はビクビクと震えていた。
千場店長の荒い呼吸を聞いて……達してくれたのだと理解する。
ゆっくりと抜かれると物凄く寂しくなった。
思わず手を伸ばすと千場店長は、私を優しく抱きしめて「頑張ったな」と囁いた。
幸せ……。
まるで、千場店長を彼氏と勘違いしそうになって目を閉じた。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
誰かに裸を見せるなんて経験がなかったのに、全てを曝け出して同じベッドにいるのだから笑えてくる。
千場店長がしてくれたことをひとつずつ思い出すと、顔が熱くなった。
これから、小説に活したい。
千場店長がこちらを向いたからベッドが沈んだ。
目をそっと開けると頭を手で支えて私を見ている。
「寝ちゃったかと思った」
「……眠いですけどね」
「どうだった?」
セックスの感想を聞いてくるヒーローなんて予想外だ。
千場店長はこうやって予測不能なことばかり言ってくる。
『交換条件』と言われてから振り回されっぱなしだ。
地味で平凡な日々だったのに、千場店長と親密に関わるようになってからは、あっという間に過ぎて行く気がする。
「痛かったですけど……。大人の男女が何度もする気持ちが少しだけわかった気がします」
「またしたいってことだな?」
違います!と反論したかったけどその言葉を出せなかった。
絶句している私を見てくすくす笑っている。
そして、優しく抱きしめてくれた。
少し汗ばんだ素肌が触れ合うと、落ち着き始めた心臓が再び動き始める。
「こういうのも経験しといたほうがいいんじゃないか?」
千場店長は上を向くと腕枕をしてくれた。
たくましい腕が私の頭を支えてくれる。
「セックスの楽しみは最中だけじゃない。こうやって終わった後にまったりと触れ合うのがまたいいんだ」
「……そうなんですね」
「ああ、好きな人を支配してるみたいでたまらない」
俺様な発言に心の中で苦笑いした。告白されたわけじゃないけど「好きな人」とのキーワードにドキッとした。
「千場店長って、俺様ですね」
「そうか?普通だろ」
くすっと笑う。24時間、誰もが平等なのに、いま流れている時間はすごく温かくてゆっくり流れている気がした。
「好きな人としたら……本当に幸せなんでしょうね……」
私は、天井をぼんやり見つめながら呟く。
「……いくら好きな人でも、片思いだど切ないぞ」
消えてしまいそうな儚い声音だった。

しばらく沈黙が流れるとスースーと寝息が聞こえてきて、千場店長が眠りについたのだとわかった。
ずっと腕枕をしてもらうわけにいかないので、身体を起こして千場店長を見つめる。
寝顔もイケメン。子供のような安心しきった表情を見てにこっとしてしまう。
離れるのがなんか名残惜しくてもう一度胸に抱きついた。
……ずっと、こうしていたい。
難しいこととか考えないで側にいたいって思った。




「ん―……」
目が覚めて自分のベッドじゃないことに気がついた。
千場店長は隣にいない。
横を向いてぼうっと考える。
千場店長は昨日、私を……抱いたんだよね?
いやいや、夢を見ていたのかもしれない。千場店長にいっつも迫られているから、夢にまで出てきちゃったのか?
「ふふ」
ひとりでおかしくなって笑ってしまう。完全に上司の束縛にやられてる――と、現実を受け止められずに逃避に走る。
布団をギュッと顔まで引っ張り上げると、素裸なことに気がついた。あのまま眠ってしまったのか。
起き上がると、身体の中心部に鈍い痛みがまだ体に残っている。
……夢じゃなく現実だ。本当に私ったら千場店長としてしまったのだ。潔く現実を受け止めよう。
真面目な私が恋人じゃない人と初体験を済ませてしまうなんて予想もしていなかった。しかも、自ら望んでした結果なのだ。
私が脱がされた服は、ハンガーに丁寧にかけてくれていた。
「はぁ」
深いため息をついて頭を抱えてしまう。
どんな顔をして千場店長と会えばいいのだろう。
目が合うと昨晩の記憶が沸き上がってきそうで、気まずい。それとも忘れたフリをして知らんぷりしよっか?
昨日まではバージンだったことが悩みだったのに、新たな問題に直面している。
人間とは一筋縄ではいかない生き物だ。
ベッドから降りると血痕があった。
(うわ、汚してしまった……)
オドオドしていると、着替えを済ませた千場店長が近づいてきた。
「おい、遅刻するぞ」
「きゃあ」
申し訳程度にしかついていない胸をとりあえず隠すが無意味だ。すっぽんぽんなのだから。
背中を向けるとむにっとお尻のお肉を摘まれる。
「いやっ」
「お前がそんな格好でいるから悪いんだろーが。はやくシャワー浴びてこい」
「はい……。あの、シーツ……汚してしまいすみません」
千場店長に振り返って頭を下げると「ああ……」と言ってベッドをチェックしている。
「汚したお詫びにキスでもさせてもらおうか」
「え?」
千場店長は私をベッドに座らせて唇を重ね合わせたまま押し倒した。そして、胸の突起を指二本で挟む。
「んっ」
思わず甘い声を出してしまうと「朝から感度良好だな」と言ってニヤリとされた。

お言葉に甘えてシャワーを借りて、着替えをして、リビングへ行くといい匂いがしてきた。
「スープ作ったから食えよ」
キッチンに立っている千場店長に顎で食卓テーブルに座るように促された。
大人しく腰をかけると、テーブルにはトーストとサラダが置いてある。最後に赤い色したスープを置いてくれた。
目の前に座った千場店長は優しい瞳をしていた。
料理まで完璧なんて……どっちが女だかわからなくなる。
「うちの商品の圧力鍋で作ったスープ。熱いから気をつけろよ」
「いただきます」
口に入れると広がる優しい味がする。
野菜の素材が生かされているトマト味のスープだ。
美味しくて思わず顔を上げる。
「すっごく、美味しいです」
「だろ?」
謙遜する様子はない。
彼らしくてまあいいか。
千場店長が作ってくれた料理を食べることができて素直に嬉しかった。
――千場店長の彼女だったら幸せなんじゃないかな。恋人になれる立場の女性を少しだけ羨ましく思った。

食事を終えると、一緒に出勤をした。
案の定、電車の中で本社の社員らしき女の人がいて千場店長に声をかけてきた。
「おはようございます~」
「おはようございます。今日は天気がいいですね」
そんな会話をしているから私は気が付かれたらヤバイと思って、うつむいたままでいた。
その様子を千場店長は面白そうにしている。と、次の瞬間、私の肩を叩いて「うちの部下の天宮です」と紹介をしちゃう始末だ。
げって思いつつ「おはようございます」と言う。
顔をよーく覗きこんできた。
「あら、気が付きませんでした」
誰かに見られて噂でもされたらどうしようかと思っていたのだけど、私って地味らしい……。警戒されていないようだ……。
まったく、もう。朝からドキドキさせないでよね。本当に、千場店長って性格悪いんだから。

ビルについた私と千場店長。ふたりで店まで行くのはなんとなく気まずかったのでお手洗いに寄ってから向かうと伝えた。

店舗についてバックヤードに入ると、郷田さんがいた。テーブルで何か書物をしているようだ。こちらに顔を向けて会釈される。
「天宮さん、おはようございます」
「おはようございます」
千場店長の姿は見えなかった。
更衣室で着替えを済ませて、髪の毛をひとつにまとめる。今日も頑張ろうと気合を入れた。
「お疲れ様」
千場店長の声が聞こえた。戻ってきたのだろうか。
更衣室を出て早速仕事をしようと思い在庫チェック表をロッカーから出す。
ちょっと視線を動かすとホワイトボードに予定を書き終えた千場店長と視線がぶつかってしまった。
千場店長のほうは見ないようにしていたのに……。
「おはよう、天宮」
「……お、おはようございます」
千場店長から目をそらしてうつむいた。
目が合うだけで顔が熱くなる。
朝まで隣で眠っていた人なんだと思うと、不思議な気分になる。
キスをして、抱き合って、添い寝して。
まるで恋人みたいな時間を過ごしていたのに、私と千場店長は上司と部下の関係でしかない。
「在庫チェックしてきます」
その場にいると恥ずかしくなってしまい在庫置き場のドアに手をかけた時。
「天宮さん……恋人ができたんですね」
郷田さんの声が背中にかかった。
はい?なにを言ってるの?
「いませんよ?」
振り返って否定すると郷田さんは顔を赤くして口元を手で覆っている。
「えーあー……では、そういう関係の方がいらっしゃるんですね」
「え?」
理解できずに郷田さんの顔を見ていると、意を決したように口に覆っていた手を外して、人差し指を向けてきた。
「一度後ろを向いていただけますか?」
言われた通りに後ろを向くと、まるでスイッチを押すように、首を押された。
「……愛された証がありますよ。髪の毛を降ろしたほうがいいかと思います」
いわゆるキスマークをつけられたってこと?
言葉を失い顔を真っ赤にしている私と千場店長は目が合った。
爽やかそうな笑顔を浮かべつつ、私だけが分かる意地悪な笑み。狙ってやったの?
「彼氏……ではないのですよね」
「……彼氏なんていません」
郷田さんは顎に手を当てて考える素振りを見せる。
なにが言いたいのだろう。
「普通は愛している人にしかキスマークなんてつけないと思います。……お相手は天宮さんのことが好きなのでは?」
「は?」
千場店長が私のことを好き?
ありえない。きっと、一時的な迷いだったに違いない。
それに、抱いて欲しいと頼んだのは私なのだ。
「……恋人じゃない男とそんな関係になるなんて、ちょっと俺……ショックです」
近くに千場店長がいるというのに郷田さんったら、いつもと違って言葉を重ねてくる。真面目な目線にたじろいでしまうじゃない。
「もっと大事にしてください。天宮さんは大切にされるべき人ですよ」
優しくふわりとほほ笑まれて胸がキュンとしてしまった。
「そろそろ仕事しろ」
千場店長の声にハッとする。私は在庫置き場に慌てて入りチェックを始めた。郷田さんったら、いきなりどうしたのか。ああ、ドキドキさせられた。
でも、気になるのは千場店長の気持ちだったりする。
――普通は愛している人にしかキスマークをつけない。
千場店長……私のことを好きなの?
頭を振って変な勘違いをしないようにと心がけた。
好きだとしても異性に対するものと違って、珍しいからに決まっている。
ふうっと小さなため息をつくと在庫室のドアが開いた。
千場店長が入ってきて突然ふたりきりの空間になる。
不機嫌そうな顔をして私を隅に追いやると、顔を思い切り近づけてきた。
「イチャイチャして、楽しそうだったな……!」
小声だったがはっきりと聞こえて身震いがする。
「そんなにあいつがいいなら、俺じゃなくてあいつに抱いてもらえばよかったじゃん」
嫌味を言われて睨み返すと店長は更にイラッとした様子で私から離れた。ダンボールから商品を出して在庫置き場から出て行った。
(腹立つ!)
なんであんな態度をされなきゃいけないの?
交換条件で結ばれている関係だからって、まるで自分の女のような扱いをしてくる。いつまで続くんだろう。



いつも通り仕事をしていた。商品を並べているけど、そわそわしてしまう。
身体だけが女性になってしまったような気がして、なんか変な感じがする。
心はまだ少女みたいにピュアなままなのに……。
心と身体のバランスが取れないでいる。
誰かに裸を見られているわけじゃないのに、恥ずかしくて。悪いことをしたワケじゃないのに、隠しておかなきゃいけない気がする。
こんな日に限って雨だ。そのせいか、来店者数も少ない。
千場店長はバックヤードで本社からのメールに返信をしている。郷田さんはランチへ行っていて、店舗には三浦さんとふたりきりだった。
「天気悪いね」
「はい……」
商品を並べ終えて窓から曇り空を眺めた。
気持ちまで落ち込んでしまう。
「天宮さん……なんか、変わったね?」
「え?」
「女の子っぽくなった」
三浦さんがにこっとほほ笑む。バージンを卒業したことで目に見えないフェロモンが出たのか。
それもあるかもしれないけど。
私は……変わりたいと思っている。内気な性格を明るくしたいし、お洒落もしてみたい。
少しでもいいから千場店長の隣に並んでも恥ずかしくない女になりたい。
……一体、私はなにを考えているのだろう。
一度抱かれただけで彼女になったような気持ちになっている。馬鹿みたいだ。
「土曜日って予定あるの?」
うつむいてた私は、三浦さんの声に弾かれるように顔を上げた。
「いえ」
「一緒に出掛けない?買い物に行こうよ」
「あ、はい……、ぜひ」
土曜日は、せっかくの休みだからゆっくりしていたかったのだけど、三浦さんのお誘いなので、一緒に行くことにした。
会社の人とプライベートで会うなんてこと、いままでなかったから緊張するけど、三浦さんは私を積極的に誘い出してくれるからありがたい。
「天宮」
「は、はい」
心臓に悪い。
一番考えたくない人の声が後ろからした。
「お願いしたい仕事があるんだけど、いいか?」
千場店長はいつものように、話しかけてくる。
仕事中だから普通にしなきゃいけない。あまり意識しないようにしなきゃ。
「了解しました」
千場店長とバックヤードへ向かうと、パソコンデスクの椅子をひいて私を座らせた。後ろから手が伸びてきてマウスを操作される。
近すぎる距離に緊張する。
背中が温かい。心拍数が上がっていく。
「この書類を、ここに入力してもらいたいんだ」
「……はい」
「助かるよ。ありがとう」
優しい声が頭に降ってきて胸のあたりがざわついた。
「身体……大丈夫か?」
「えっ」
私だけにしか聞こえない声で質問される。
気を使ってくれたことが素直に嬉しいと思った。
「大丈夫です」
「そっか。ランチ行ってくる」
千場店長は出かけていく。
ひとりになって冷静さを取り戻すがなんとも言えない気持ちでいた。

その日の夜は、集中して小説を書くことができた。
というか、なにかに集中していないと千場店長を思い出してしまい、どうしようもない気持ちになってしまうのだ。
これこそ、まさに恋の病というもの?
この歳になってから、誰かを思い苦しくなる夜が来るなんて想像もしてなかった。しかも、自分の理想とする人と真逆の人なのに。
こんな恋愛のことをわからない私が、ティーンズラブの小説なんて書いていいのだろうか?
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