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237、本気の対応。
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あの後張り切って仕事を探した少女だが、良く考えるとそんなに仕事が有る訳が無い。
そもそも普段から畑仕事をして、皆が休みの日にチマチマと手伝って、お昼寝をしても許される環境なのだ。
男は必要以上の人員を雇う気は無いが、だからと言って一日二日の欠員で困る様な人数や人間を雇ったつもりは無い。
それは男だけでなく女も同じであり、である以上は状況を予測していた使用人達である。
洗濯物は既に干され、掃除は前日からしっかりと行き届き、ベッドメイクなどとうの昔に終わっているのが当然だろう。
とどのつまり、少女には何もやる事が無かった。
複眼の父親どころか、急な来客でもどんと来いである。
「あ、あの、そんなに落ち込まなくても」
少女は屋敷の隅っこで、自分の無力さに打ちひしがれていた。
三角座りをして床をいじいじと指先でいじっているが、そこも殆ど埃の無い綺麗な床である。
ここ数日羊角が久々に本気を出していたので、意地悪い姑でも文句の付けようがないレベルだ。
それが殊更やる事が無いと突き付けられ、自分で自分に追い打ちをかける少女。
落ち込む少女に声をかける少年だが、悲しそうな目を向けられてそれ以上何も言えなくなってしまう。
どうしたものかと悩んでいると、ぎゃーぎゃーと騒いでいる声が二人の耳に聞こえて来た。
女性の声で複数だという事から使用人達だという事が察せられる。
「着替えが終わったみたいですよ。見に行きませんか?」
これを救いの手と思い、だめ元で少女に提案をしてみる少年。
すると少女はくすんと少し鼻をすすりながら立ち上がり、少年の袖を握って歩き出した。
何時もの勢いの無さに少々戸惑う少年だったが、そのまま少女を誘導していく。
するとそこには綺麗にドレスで着飾った複眼が居り、不機嫌そうに同僚に文句を言っていた。
化粧もしており、どちらかと言うと綺麗な顔立ちの複眼を、更に綺麗に見せる系統の化粧だ。
それを目にした少女はほえーっと声を漏らし、ぽてぽてと複眼に近づく。
そしてキラキラした瞳で見上げ、先程まで落ち込んでいたはずの暗い顔は完全に消えていた。
「え、ち、ちみっこ、どうしたの」
「どうしたも何も、綺麗だなーってだけだよね、角っ子ちゃん」
少女の様子に困った表情を見せる複眼であったが、それに呆れた様子を見せる彼女。
その様子のまま少女に語り掛けると、少女は勢いよくコクコクと頷く。
眼にはお世辞など一切無い、純粋な賛辞が見て取れた。
「こ、こういうのは、私には似合わないと思うんだけど」
「そんな事は無いですよ。貴女はとても素敵で綺麗な方だ。自信を持って下さい」
「と、虎ちゃん?」
「はい、貴方の恋人です。僕の素敵な恋人」
少女や彼女達の言葉に照れる様な戸惑う様なといった複眼だったが、そこに虎少年がハキハキとした良く通る声で複眼を褒め称えた。
その事に顔を赤くしながら虎少年を見つめると、普段の子供っぽさが消えている事に気が付く。
容姿や体系の子供っぽさはどうやっても覆せはしない。
だがそこに在る雰囲気は、子供とは言えない空気を纏っていた。
それは虎少年の着ている服がブランドスーツだから、というだけではないだろう。
明らかに虎少年は何時もの虎少年の様子では無いと、そう感じる何かがある。
そこに車のエンジン音が響き、屋敷に車が近づいて来た事が解った。
こんなド田舎の家に態々近くまで来るなど、確実に用が無いとありえない。
そして案の定屋敷への来客であり、老爺が門前で対応をしていた。
「さ、行きましょうか」
「う、うん」
虎少年はゆったりと手を差し出し、複眼はその手を戸惑いを隠せないままに取る。
そして二人は玄関へと向かう。この姿を、誰よりも見せるべき人間に見せる為に。
「虎ちゃんかっけえ! 何あれ流石に驚くんだけど!」
「凄いわねぇ。普段の可愛らしい部分が完全に消えちゃってるわねぇ」
「見た目は可愛いままなのに、凄いね。ね、おちびちゃん」
虎少年の変身っぷりに彼女は興奮し、羊角と単眼も驚きと感心を口にしていた。
少女も格好良いと感じたのか、単眼の言葉にコクコクと笑顔で頷いている。
少年は何だか差を見せつけられた気分で複雑な表情だが。
「さーて、じゃ、あたし先輩手伝ってくる」
「じゃあ私は気が付いてるとは思うけど、念の為に旦那様に声をかけて来るわねぇ」
「それじゃあ私は車の方に行こうかな。荷物とか有るなら私の仕事になるだろうし。あ、おチビちゃんも一緒に出迎えにいこっか」
「あ、僕も行きます」
そうしてそれぞれが動き出し、自分達の役目を準じる。
実際の所は皆が一丸となって複眼の為に、などという綺麗な考えはしてない。
勿論同僚が嫌な結果にならない様にという好意は有るだろう。
だがそれぞれがそれぞれの思惑で今回の事に臨み、全員が全力を尽くす。
皆自分のエゴの為に動き、だからこそ本気なのだ。
そしてきっとそれで良い。そんな住人達だから、この屋敷は上手く回っているのだから。
一方その頃、来訪者は老爺に案内されて車を駐車場に向けていた。
車を停車させると運転席から複眼と同じ様に複数の目を持つ男性が降りる。
体格は中々よく、鍛えているのが見て取れ、目つきは何処か厳しい物が有った。
目の周りや口元に深めの皺が在り、この人物が複眼の父と判断するのは容易だろう。
そして助手席からは同じ様に複数の目を持つ若い男性が降りて、周囲をきょろきょろと見回している。
こちらは何処か頼りなさげに見える体格だが、その眼は何かを見定めている様だ。
「ご老人、ここで宜しいか?」
複眼父は電話での会話からは想像出来ないほど穏やかに、老爺に敬意を払う様子で訊ねる。
その事に老爺はニコリと優しく笑い、屋敷を手で指して口を開いた。
「ええ、問題有りません。さ、屋敷に案内致しましょう」
「宜しく頼みます」
「お願いします」
二人は老爺に頭を下げ、静かに後ろを付いて行く。
そこには複眼から聞いていたイメージとは違う、強かな物を感じる老爺。
「ふむ・・・これは、あの子達が本気になっていて良かった、ですかの」
「む、ご老人、何か?」
「ああいや、年寄りの独り言です。お耳汚しを申し訳ない」
「いえ、人生の先輩のお言葉です。耳汚しなど、若輩者がそんな失礼な事は思いません」
「そう言って頂けるとありがたいですなぁ」
複眼父の言葉に嘘が無く、演技の気配が一切見えない。
老爺はそう読み取り、これは手ごわいと感じていた。
そして成程、とも思っていた。これは親子だと。
「同族嫌悪、という線も出てきましたなぁ・・・」
今度こそ聞こえない様に独り言を呟きながら、虎少年でなければ拗れていたなと思う老爺。
だが老爺がそう思う程に、目の前の二人は恋人をやっている。
今玄関から出て来た、虎少年と複眼は、そう言えると思っていた。
「初めまして、貴方が屋敷のご主人でしょうか」
複眼父は虎少年を少年だからと侮らず、屋敷の主人かと問う。
その様子に何を思ったか、虎少年は複眼から手を離して、その腰を抱いた。
複眼を守る様に、そして複眼は自分の物だとでも言う様に。
「いえ、僕はこの場では貴方と同じく客人です。そして、彼女の恋人です。御父上の前で失礼と承知で、そう名乗らせて頂きます」
「――――そういう、訳だから、迷惑なのよ」
虎少年と複眼の言葉に、複眼父は一瞬全ての目を細める。
そうして周囲を観察してから、全ての目を老爺に向けた。
「ご老人、ご主人に先ず挨拶をしたいのだが、案内して頂けませんか」
「はい、勿論お安い御用で―――」
「その必要は有りません。出迎えが遅れて申し訳ない。私が当屋敷の主人です」
複眼父は虎少年と複眼を無視し、先ず男への挨拶を優先した。
その事に老爺は一切動じずに了承を口にして、その途中で男がやっと現れた。
実際の所は出るタイミングを窺っていたのだが。
「娘がお世話になっています。そして失礼は承知の上での突然の来訪、謝罪致します」
「いえ、我が家は突然の来客も多いので、まったく構いませんよ」
「そうですか、ならば単刀直入に申し上げます。娘は今日この場で連れて帰ります」
それは伺いを立てるとか、許可を得るという物では無かった。
ただただ決まった事だと、既に決めた事だという報告。
複眼は一気に頭に来て怒鳴ろうと一歩踏み出そうとして、一歩も踏み出せなかった。
虎少年がしっかりと複眼の腰を握り、その場から動けない様にしていたからだ。
それを満足気に確認してから、男は複眼父に口を開く。
「それはご了承致しかねます。事前にご本人に辞職の意思が無い事を聞いておりますし、本人の了承なしに強引に連れて行くというのであれば、私は通報させて頂くだけです」
「貴方の様な立場の方が、その様な面倒をするとは思えませんが」
「しますよ。残念ながら私は警察沙汰など何の痛手とも思わない。疑うならどうぞ。それに申し訳ないが、こちらには荒事に慣れた人間も居ますので、無茶はなさらない方が宜しいかと」
男がそう言うと、玄関から単眼が出てきて背筋を伸ばす。
普段が自分より背の低い皆と話す為に少し背を丸め気味なので余計に大きく見える。
流石に複眼父も若い男性も驚いたのか、少しばかり動揺が見えた。
実際は力がちょっと強いだけで荒事など出来ない人間だが、はったりには丁度良い。
「私が聞いた限り、貴方の目的はご息女を婚姻させる為、と聞き及んでいます。なれば恋人の居る今の彼女を無理に連れて行く必要が何処にあるのでしょうか?」
「他種族の、それも若い子供。それを婚約者と認めろと?」
「それの何がいけないのでしょう。今時異種族の夫婦など珍しくも無く、たとえまだ若くとも、年齢が適した時期に婚姻を結ぶ約束をしていれば、お互いが良ければそれで良いのでは?」
「将来どうなるかも解らない小僧との婚姻など、娘が不幸になるだけだ。稼ぎは、子供が出来たら、老後は、どうやっていくつもりだ。きっちりとその未来が語れるのか」
男の言葉に複眼父は少しだけ声を荒げ、男を睨みながらそう語った。
ただそこで男は、思っていたのと少し違うなと感じる。
複眼父は確かに押し付けの行動を取っている。そしてそれは複眼にとっては迷惑だろう。
だがきっと、目の前の男性は本気で娘を想っているのが、何となく感じ取れてしまった。
とはいえ、それが解ったからと言って折れるつもりは無い。
娘の為だろうが何だろうが、その行為は当人にとって迷惑なのは事実なのだから。
エゴを押し通しての言葉であれば、こちらも最初からエゴでやっているのだ。
「ならば彼がご息女の未来を背負えるなら、何の問題も無いという事ですね?」
「何を―――」
男の言葉に反論をしようとした複眼父だったが、その前に羊角が小さめのアタッシュケースを手にして前に出る。
それは複眼が男の部屋で見た物と同じ物。そしてそれを少し重そうに複眼父の目の前に置いた。
「中をご確認ください」
羊角はそう言いながら留め具を外し、ゆっくりと開ける。
すると中に詰まっていた物は、ケース内に隙間なく入った大量の札束だった。
小さめのアタッシュケースとはいえ、一般人に簡単に用意できる額ではない量が有る。
「・・・これは、一体、どういう事ですか?」
「彼の所持金、という事です。それは全財産ではなく一部。それでもご息女を養えないと?」
「彼の物だという証拠は在るのでしょうか。貴方が用意しただけの可能性も――――」
「こちらを」
男の言葉に更なる反論をと思っていた所に、羊角からとある物を見せられた。
それは通帳であり、中に書かれた額を見て目を見開く複眼父。
そこに書かれている額は、明らかに一般的な一個人が持つには多大過ぎる額が書かれている。
複眼父に動揺が見て取れたのを確認してから、虎少年は静かに口を開く。
「僕の名義の通帳の一つです」
「な、何をしたらその年齢でこんな事が出来る!」
「それは秘密です。最も彼女は知っていますが、彼女が貴方に語りたくないというので、申し訳ありませんがたとえ御父上だとしても語る訳には行きません。少なくとも、僕達の仲を裂こうとしている方に語る事は有りません」
虎少年は鋭い目を複眼父に向けながら、複眼の腰をギュッと抱く。
けしてお前達に渡さないと見せつける様に。
だが当の複眼は事前に話を一切されておらず、理解が追い付けない様子で虎少年を見ていた。
流石にこの場をぶち壊しにする様な慌て方では無いが、それでも屋敷の住人達には焦っているのが良く解る。
「・・・成程。確かに文句の付けようがない事は確かだ。が、ならばなぜすぐに婚姻を結ばないのか。そこに納得のいく答えを頂けるのでしょうか」
「僕はまだ成人していませんので、一定年齢に達するまでは国外での結婚は厳しいんです」
「・・・はぁ」
虎少年の言葉にまた溜め息を吐いてから、複眼父は少し落ち着いて納得した様子を見せる。
そして少し俯いて思案する様子を見せ、顔を上げると皆に背を向けた。
「少し、頭を冷やしてから、また訊ねさせて頂きます」
「どうぞ。急な来訪でも歓迎しますよ。ただのお客として来て頂けるのであれば」
「・・・失礼致します」
複眼父はそれ以上は語らず、スタスタと車に戻って行った。
若い男性は虎少年を忌々し気に見ていたが、結局は何も言わずに複眼父に素直について行く。
そして車は老爺の誘導で屋敷から出て行き、そこに居た全員の空気が弛緩するのが目に見えた。
「はぁ・・・何だあの目。人間二、三人殺してそうな目だったぞ。こっわ・・・」
「取り敢えず何とかはったりきいて良かったですね・・・」
はぁーと、天を仰ぐ男と虎少年。二人とも先程までのきりっとした様子はもう無い。
だがそんな二人よりも複眼の方が大変だ。驚きで状況を整理しきれていない。
「ね、ねえ、あのお金って、虎ちゃんが用意したの?」
「ええ。説得の為に通帳も信用の置ける人から送って貰いました。ただ本当の事を言うと、お金の用意は間に合わなかったんです。早めにやると決めていれば間に合ったんですけど」
「そんな訳で金は俺が用意した。彼に用意出来ない訳じゃないし、そこまで嘘じゃないし、別に良いだろう?」
「いや、もう、そういう次元の話じゃないと思うんですけど」
男と虎少年の本気の対応に、複眼は何と言えばいいのかもう解らなくなっていた。
余りにも本気過ぎる。やり過ぎだと言って良いレベルだ。
複眼は確かに協力を求めたが、ここまでやって欲しいとは一言も言っていない。
ただ父親が滞在する間、恋人のふりをしてくれるだけで良かったのに。
「ああ、もう・・・何て言ったら良いのか全然解らないんだけど」
「ありがとう、で良いと思いますよ。それで充分です。僕も貴女だからここまで本気で協力したかっただけですから」
「そっか・・・うん、ありがたく甘えさせて貰うね」
「ええ、今は貴女の恋人ですから。あたりまえに、甘えて下さい。貴女がそうしてくれた様に」
複眼は感極まった様子で虎少年を抱き締め、それに優しく答える虎少年。
その姿は事情を知らなければ、どう見ても好きあっている恋人同士にしか見えなかった。
因みに少女と少年は玄関の扉からチラチラと様子を窺っていた。
何だか上手く行ったらしい様子にわーいと喜ぶ少女は、勢い余って少年に抱きついてしまう。
少年は驚きで直立不動になり、少女が離れるまで顔を真っ赤にして微動だにしなかった。
虎少年と違い、こちらの成長は中々難しそうである。
そもそも普段から畑仕事をして、皆が休みの日にチマチマと手伝って、お昼寝をしても許される環境なのだ。
男は必要以上の人員を雇う気は無いが、だからと言って一日二日の欠員で困る様な人数や人間を雇ったつもりは無い。
それは男だけでなく女も同じであり、である以上は状況を予測していた使用人達である。
洗濯物は既に干され、掃除は前日からしっかりと行き届き、ベッドメイクなどとうの昔に終わっているのが当然だろう。
とどのつまり、少女には何もやる事が無かった。
複眼の父親どころか、急な来客でもどんと来いである。
「あ、あの、そんなに落ち込まなくても」
少女は屋敷の隅っこで、自分の無力さに打ちひしがれていた。
三角座りをして床をいじいじと指先でいじっているが、そこも殆ど埃の無い綺麗な床である。
ここ数日羊角が久々に本気を出していたので、意地悪い姑でも文句の付けようがないレベルだ。
それが殊更やる事が無いと突き付けられ、自分で自分に追い打ちをかける少女。
落ち込む少女に声をかける少年だが、悲しそうな目を向けられてそれ以上何も言えなくなってしまう。
どうしたものかと悩んでいると、ぎゃーぎゃーと騒いでいる声が二人の耳に聞こえて来た。
女性の声で複数だという事から使用人達だという事が察せられる。
「着替えが終わったみたいですよ。見に行きませんか?」
これを救いの手と思い、だめ元で少女に提案をしてみる少年。
すると少女はくすんと少し鼻をすすりながら立ち上がり、少年の袖を握って歩き出した。
何時もの勢いの無さに少々戸惑う少年だったが、そのまま少女を誘導していく。
するとそこには綺麗にドレスで着飾った複眼が居り、不機嫌そうに同僚に文句を言っていた。
化粧もしており、どちらかと言うと綺麗な顔立ちの複眼を、更に綺麗に見せる系統の化粧だ。
それを目にした少女はほえーっと声を漏らし、ぽてぽてと複眼に近づく。
そしてキラキラした瞳で見上げ、先程まで落ち込んでいたはずの暗い顔は完全に消えていた。
「え、ち、ちみっこ、どうしたの」
「どうしたも何も、綺麗だなーってだけだよね、角っ子ちゃん」
少女の様子に困った表情を見せる複眼であったが、それに呆れた様子を見せる彼女。
その様子のまま少女に語り掛けると、少女は勢いよくコクコクと頷く。
眼にはお世辞など一切無い、純粋な賛辞が見て取れた。
「こ、こういうのは、私には似合わないと思うんだけど」
「そんな事は無いですよ。貴女はとても素敵で綺麗な方だ。自信を持って下さい」
「と、虎ちゃん?」
「はい、貴方の恋人です。僕の素敵な恋人」
少女や彼女達の言葉に照れる様な戸惑う様なといった複眼だったが、そこに虎少年がハキハキとした良く通る声で複眼を褒め称えた。
その事に顔を赤くしながら虎少年を見つめると、普段の子供っぽさが消えている事に気が付く。
容姿や体系の子供っぽさはどうやっても覆せはしない。
だがそこに在る雰囲気は、子供とは言えない空気を纏っていた。
それは虎少年の着ている服がブランドスーツだから、というだけではないだろう。
明らかに虎少年は何時もの虎少年の様子では無いと、そう感じる何かがある。
そこに車のエンジン音が響き、屋敷に車が近づいて来た事が解った。
こんなド田舎の家に態々近くまで来るなど、確実に用が無いとありえない。
そして案の定屋敷への来客であり、老爺が門前で対応をしていた。
「さ、行きましょうか」
「う、うん」
虎少年はゆったりと手を差し出し、複眼はその手を戸惑いを隠せないままに取る。
そして二人は玄関へと向かう。この姿を、誰よりも見せるべき人間に見せる為に。
「虎ちゃんかっけえ! 何あれ流石に驚くんだけど!」
「凄いわねぇ。普段の可愛らしい部分が完全に消えちゃってるわねぇ」
「見た目は可愛いままなのに、凄いね。ね、おちびちゃん」
虎少年の変身っぷりに彼女は興奮し、羊角と単眼も驚きと感心を口にしていた。
少女も格好良いと感じたのか、単眼の言葉にコクコクと笑顔で頷いている。
少年は何だか差を見せつけられた気分で複雑な表情だが。
「さーて、じゃ、あたし先輩手伝ってくる」
「じゃあ私は気が付いてるとは思うけど、念の為に旦那様に声をかけて来るわねぇ」
「それじゃあ私は車の方に行こうかな。荷物とか有るなら私の仕事になるだろうし。あ、おチビちゃんも一緒に出迎えにいこっか」
「あ、僕も行きます」
そうしてそれぞれが動き出し、自分達の役目を準じる。
実際の所は皆が一丸となって複眼の為に、などという綺麗な考えはしてない。
勿論同僚が嫌な結果にならない様にという好意は有るだろう。
だがそれぞれがそれぞれの思惑で今回の事に臨み、全員が全力を尽くす。
皆自分のエゴの為に動き、だからこそ本気なのだ。
そしてきっとそれで良い。そんな住人達だから、この屋敷は上手く回っているのだから。
一方その頃、来訪者は老爺に案内されて車を駐車場に向けていた。
車を停車させると運転席から複眼と同じ様に複数の目を持つ男性が降りる。
体格は中々よく、鍛えているのが見て取れ、目つきは何処か厳しい物が有った。
目の周りや口元に深めの皺が在り、この人物が複眼の父と判断するのは容易だろう。
そして助手席からは同じ様に複数の目を持つ若い男性が降りて、周囲をきょろきょろと見回している。
こちらは何処か頼りなさげに見える体格だが、その眼は何かを見定めている様だ。
「ご老人、ここで宜しいか?」
複眼父は電話での会話からは想像出来ないほど穏やかに、老爺に敬意を払う様子で訊ねる。
その事に老爺はニコリと優しく笑い、屋敷を手で指して口を開いた。
「ええ、問題有りません。さ、屋敷に案内致しましょう」
「宜しく頼みます」
「お願いします」
二人は老爺に頭を下げ、静かに後ろを付いて行く。
そこには複眼から聞いていたイメージとは違う、強かな物を感じる老爺。
「ふむ・・・これは、あの子達が本気になっていて良かった、ですかの」
「む、ご老人、何か?」
「ああいや、年寄りの独り言です。お耳汚しを申し訳ない」
「いえ、人生の先輩のお言葉です。耳汚しなど、若輩者がそんな失礼な事は思いません」
「そう言って頂けるとありがたいですなぁ」
複眼父の言葉に嘘が無く、演技の気配が一切見えない。
老爺はそう読み取り、これは手ごわいと感じていた。
そして成程、とも思っていた。これは親子だと。
「同族嫌悪、という線も出てきましたなぁ・・・」
今度こそ聞こえない様に独り言を呟きながら、虎少年でなければ拗れていたなと思う老爺。
だが老爺がそう思う程に、目の前の二人は恋人をやっている。
今玄関から出て来た、虎少年と複眼は、そう言えると思っていた。
「初めまして、貴方が屋敷のご主人でしょうか」
複眼父は虎少年を少年だからと侮らず、屋敷の主人かと問う。
その様子に何を思ったか、虎少年は複眼から手を離して、その腰を抱いた。
複眼を守る様に、そして複眼は自分の物だとでも言う様に。
「いえ、僕はこの場では貴方と同じく客人です。そして、彼女の恋人です。御父上の前で失礼と承知で、そう名乗らせて頂きます」
「――――そういう、訳だから、迷惑なのよ」
虎少年と複眼の言葉に、複眼父は一瞬全ての目を細める。
そうして周囲を観察してから、全ての目を老爺に向けた。
「ご老人、ご主人に先ず挨拶をしたいのだが、案内して頂けませんか」
「はい、勿論お安い御用で―――」
「その必要は有りません。出迎えが遅れて申し訳ない。私が当屋敷の主人です」
複眼父は虎少年と複眼を無視し、先ず男への挨拶を優先した。
その事に老爺は一切動じずに了承を口にして、その途中で男がやっと現れた。
実際の所は出るタイミングを窺っていたのだが。
「娘がお世話になっています。そして失礼は承知の上での突然の来訪、謝罪致します」
「いえ、我が家は突然の来客も多いので、まったく構いませんよ」
「そうですか、ならば単刀直入に申し上げます。娘は今日この場で連れて帰ります」
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ただただ決まった事だと、既に決めた事だという報告。
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それを満足気に確認してから、男は複眼父に口を開く。
「それはご了承致しかねます。事前にご本人に辞職の意思が無い事を聞いておりますし、本人の了承なしに強引に連れて行くというのであれば、私は通報させて頂くだけです」
「貴方の様な立場の方が、その様な面倒をするとは思えませんが」
「しますよ。残念ながら私は警察沙汰など何の痛手とも思わない。疑うならどうぞ。それに申し訳ないが、こちらには荒事に慣れた人間も居ますので、無茶はなさらない方が宜しいかと」
男がそう言うと、玄関から単眼が出てきて背筋を伸ばす。
普段が自分より背の低い皆と話す為に少し背を丸め気味なので余計に大きく見える。
流石に複眼父も若い男性も驚いたのか、少しばかり動揺が見えた。
実際は力がちょっと強いだけで荒事など出来ない人間だが、はったりには丁度良い。
「私が聞いた限り、貴方の目的はご息女を婚姻させる為、と聞き及んでいます。なれば恋人の居る今の彼女を無理に連れて行く必要が何処にあるのでしょうか?」
「他種族の、それも若い子供。それを婚約者と認めろと?」
「それの何がいけないのでしょう。今時異種族の夫婦など珍しくも無く、たとえまだ若くとも、年齢が適した時期に婚姻を結ぶ約束をしていれば、お互いが良ければそれで良いのでは?」
「将来どうなるかも解らない小僧との婚姻など、娘が不幸になるだけだ。稼ぎは、子供が出来たら、老後は、どうやっていくつもりだ。きっちりとその未来が語れるのか」
男の言葉に複眼父は少しだけ声を荒げ、男を睨みながらそう語った。
ただそこで男は、思っていたのと少し違うなと感じる。
複眼父は確かに押し付けの行動を取っている。そしてそれは複眼にとっては迷惑だろう。
だがきっと、目の前の男性は本気で娘を想っているのが、何となく感じ取れてしまった。
とはいえ、それが解ったからと言って折れるつもりは無い。
娘の為だろうが何だろうが、その行為は当人にとって迷惑なのは事実なのだから。
エゴを押し通しての言葉であれば、こちらも最初からエゴでやっているのだ。
「ならば彼がご息女の未来を背負えるなら、何の問題も無いという事ですね?」
「何を―――」
男の言葉に反論をしようとした複眼父だったが、その前に羊角が小さめのアタッシュケースを手にして前に出る。
それは複眼が男の部屋で見た物と同じ物。そしてそれを少し重そうに複眼父の目の前に置いた。
「中をご確認ください」
羊角はそう言いながら留め具を外し、ゆっくりと開ける。
すると中に詰まっていた物は、ケース内に隙間なく入った大量の札束だった。
小さめのアタッシュケースとはいえ、一般人に簡単に用意できる額ではない量が有る。
「・・・これは、一体、どういう事ですか?」
「彼の所持金、という事です。それは全財産ではなく一部。それでもご息女を養えないと?」
「彼の物だという証拠は在るのでしょうか。貴方が用意しただけの可能性も――――」
「こちらを」
男の言葉に更なる反論をと思っていた所に、羊角からとある物を見せられた。
それは通帳であり、中に書かれた額を見て目を見開く複眼父。
そこに書かれている額は、明らかに一般的な一個人が持つには多大過ぎる額が書かれている。
複眼父に動揺が見て取れたのを確認してから、虎少年は静かに口を開く。
「僕の名義の通帳の一つです」
「な、何をしたらその年齢でこんな事が出来る!」
「それは秘密です。最も彼女は知っていますが、彼女が貴方に語りたくないというので、申し訳ありませんがたとえ御父上だとしても語る訳には行きません。少なくとも、僕達の仲を裂こうとしている方に語る事は有りません」
虎少年は鋭い目を複眼父に向けながら、複眼の腰をギュッと抱く。
けしてお前達に渡さないと見せつける様に。
だが当の複眼は事前に話を一切されておらず、理解が追い付けない様子で虎少年を見ていた。
流石にこの場をぶち壊しにする様な慌て方では無いが、それでも屋敷の住人達には焦っているのが良く解る。
「・・・成程。確かに文句の付けようがない事は確かだ。が、ならばなぜすぐに婚姻を結ばないのか。そこに納得のいく答えを頂けるのでしょうか」
「僕はまだ成人していませんので、一定年齢に達するまでは国外での結婚は厳しいんです」
「・・・はぁ」
虎少年の言葉にまた溜め息を吐いてから、複眼父は少し落ち着いて納得した様子を見せる。
そして少し俯いて思案する様子を見せ、顔を上げると皆に背を向けた。
「少し、頭を冷やしてから、また訊ねさせて頂きます」
「どうぞ。急な来訪でも歓迎しますよ。ただのお客として来て頂けるのであれば」
「・・・失礼致します」
複眼父はそれ以上は語らず、スタスタと車に戻って行った。
若い男性は虎少年を忌々し気に見ていたが、結局は何も言わずに複眼父に素直について行く。
そして車は老爺の誘導で屋敷から出て行き、そこに居た全員の空気が弛緩するのが目に見えた。
「はぁ・・・何だあの目。人間二、三人殺してそうな目だったぞ。こっわ・・・」
「取り敢えず何とかはったりきいて良かったですね・・・」
はぁーと、天を仰ぐ男と虎少年。二人とも先程までのきりっとした様子はもう無い。
だがそんな二人よりも複眼の方が大変だ。驚きで状況を整理しきれていない。
「ね、ねえ、あのお金って、虎ちゃんが用意したの?」
「ええ。説得の為に通帳も信用の置ける人から送って貰いました。ただ本当の事を言うと、お金の用意は間に合わなかったんです。早めにやると決めていれば間に合ったんですけど」
「そんな訳で金は俺が用意した。彼に用意出来ない訳じゃないし、そこまで嘘じゃないし、別に良いだろう?」
「いや、もう、そういう次元の話じゃないと思うんですけど」
男と虎少年の本気の対応に、複眼は何と言えばいいのかもう解らなくなっていた。
余りにも本気過ぎる。やり過ぎだと言って良いレベルだ。
複眼は確かに協力を求めたが、ここまでやって欲しいとは一言も言っていない。
ただ父親が滞在する間、恋人のふりをしてくれるだけで良かったのに。
「ああ、もう・・・何て言ったら良いのか全然解らないんだけど」
「ありがとう、で良いと思いますよ。それで充分です。僕も貴女だからここまで本気で協力したかっただけですから」
「そっか・・・うん、ありがたく甘えさせて貰うね」
「ええ、今は貴女の恋人ですから。あたりまえに、甘えて下さい。貴女がそうしてくれた様に」
複眼は感極まった様子で虎少年を抱き締め、それに優しく答える虎少年。
その姿は事情を知らなければ、どう見ても好きあっている恋人同士にしか見えなかった。
因みに少女と少年は玄関の扉からチラチラと様子を窺っていた。
何だか上手く行ったらしい様子にわーいと喜ぶ少女は、勢い余って少年に抱きついてしまう。
少年は驚きで直立不動になり、少女が離れるまで顔を真っ赤にして微動だにしなかった。
虎少年と違い、こちらの成長は中々難しそうである。
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